2020-12-21

ワクチン反対は悪くない


米製薬大手ファイザーの新型コロナウイルスワクチンに関し、ジャーナリストの池上彰氏がこんな趣旨のコメントをしている。「ワクチンなど打ちたくない」という「ワクチン恐怖症」の人が多数いる限り、国家としての集団免疫が獲得できない、と。

「ワクチン恐怖症」というのは池上氏自身の表現だが、これは池上氏にしては、うかつな言葉遣いだと言わざるをえない。

国語辞書によれば、「恐怖症」とは、「そう感じることが無意味であると思いながら、特定の事物や状況に対して強い不安や恐怖を感じる神経症」のことだ。けれども「ワクチンなど打ちたくない」という人は、「無意味であると思いながら」接種を拒んでいるわけではあるまい。

言うまでもなく、一番の懸念は副作用だ。通常のワクチンが開発着手から承認まで数年から十年はかかるのに対し、ファイザー製ワクチンは米国での接種開始までわずか十カ月。臨床試験で強いアレルギー反応も報告されたそうだし、今後、予測できなかった重篤な副作用が発生するのではと恐れる人がいても不思議ではない。

ワクチンを過剰に恐れているように見える人々を「恐怖症」だと切り捨てるのはたやすい。けれども、リスクをどれだけ大きく見積もるかは、結局のところ一人一人の主観による。リスクを冒すことに慎重な人には、その意思を尊重するのが自由社会の原則のはずだ。それを否定すれば、中国と変わらない。

そもそもの問題は、ワクチンの接種を含め、個人・民間で対応できる医療を、政府が福祉の名目で仕切ることにある。政府の他のあらゆる政策と同じく、政府の医療政策は画一的で、個人の都合や好みをほとんど無視する。従いたくない人が出るのは当然だろう。

ワクチンを恐れる人々は、医学知識に乏しいだけなのかもしれない。ワクチンを打つほうが結局は正解なのかもしれない。しかし少なくとも現時点では、その逆の可能性も否定できない。ワクチン反対派は、危険を知らせるカナリヤの役目を果たしてくれているかもしれないのだ。「恐怖症」などとレッテルを貼るのはよくない。

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