2020-12-19

ケルトン『財政赤字の神話』

経済を悪化させるMMT


最近話題の現代貨幣理論(MMT)によれば、政府の財政赤字はインフレをもたらさない限り問題ではない。したがって財政危機が叫ばれる米国でも日本でも、政府はインフレが脅威になるまでは財政支出をさらに拡大し、国民のために役立てることができるし、そうすべきだという。

しかし、一部の人々を熱狂させているこの主張は、正しくない。MMTの第一人者といわれる著者が持論を述べた本書に基づき、その理由を述べよう。

著者によれば、政府が支出を賄うためには、増税も借り入れもする必要はない。お金は中央銀行がコンピューターを使って銀行口座の預金を増やし、必要なだけ作り出すことができるからだ。この事実は正しい。けれども、何の問題も起こさないかといえば、そんなことはない。

著者自身が用いるバスケットボールの例(第一章)で考えるとわかりやすい。選手がスリーポイントラインの外側からシュートを決めれば、チームは3点を獲得する。このとき点をつけるスコアキーパーは、どこからも点を調達してくる必要はない。あたかも中央銀行が無からお金を作り出すように、単にスコアボードの数字を修正し、増やすだけだ。

著者はここでたとえ話を終える。しかしMMTの主張を正確に表現するには、これだけでは十分でない。

実際のバスケットボールでは、選手がゴールを決めない限り、スコアキーパーが点を増やすことはない。ところがMMTは、中央銀行が必要なだけお金を増やすことを認める。バスケットボールにたとえれば、スコアキーパーが「必要」と考えれば、いつでも点を増やせるようなものだ。

A高校とB高校が95対100で競っている試合で、もしスコアキーパーが「両チームに5点ずつ増やしてやろう」と思いつき、突然100対105にしたら、選手も観客も面食らい、戸惑うだろう。それでもこの場合、点差は5点のままだから、まだしも問題は小さい。

けれども、もしスコアキーパーが「A高校のチームには大物政治家の息子がいるから、10点増やしてやろう」と考え実行したら、105対100で逆転してしまう。これでは試合は滅茶苦茶だ。

そして現実の経済でも、中央銀行が無から生み出したお金は、社会の全員に平等に行き渡ることはない。政治的コネの強さにより、つねに不平等に分配される。

その事実は著者自身、こう認めている。「あらゆる財政赤字が幅広い国民の利益になるわけではない。財政赤字は毒にも薬にもなる。ほんのひと握りの層を富ませ、お金と権力のある人々の豪華ヨットを新たな高みに浮上させる一方、数百万人を置き去りにすることもある」(第四章)

そのうえで著者は、医療、教育、公共インフラなどへの投資を通じ、財政赤字を低所得層や中所得層に手厚く分配するよう求める。しかし、かりにそれが政治的に可能だとしても、経済に生じる問題は解決しない。

バスケットボールのたとえを思い出そう。スコアキーパーがA高校をひいきする理由が「大物政治家の息子がいるから」ではなく、たとえば「貧しい家庭の子供が多くてかわいそうだから」であっても、勝手に点を増やせば、試合が台無しになることに変わりはない。

試合がまともに成立するためには、その理由にかかわらず、スコアキーパーに勝手に点を増やさせてはならない。同様に、経済が正常に機能するためには、政府・中央銀行に勝手にお金を増やさせ、政治的理由によって分配させてはならない。

誰がどのような商品・サービスと引き換えに、どれくらいのお金を手に入れるのが経済的に適切かは、政府には判断できない。それを導くことができるのは、無数の人々が生産者、消費者として参加する自由な市場取引だけだ。

著者は「すべての国民に質の高い医療を提供する。すべての労働者に十分かつ適切な高等教育や職業教育を提供する。低炭素化ニーズに対応した質の高いインフラを整備する。あらゆる人に心地よい住居を確保する」(第八章)といった理想の経済を思い描く。

けれどもそれを実現するには、市場経済が十全に機能しなければならない。政府が金融と投資に介入すればするほど、市場経済の働きは妨げられ、その結果、消費者のニーズに応じた多様な医療、教育、インフラ、住居の供給は困難になる。

すでに日米政府は長期にわたる金融・投資への介入で市場機能を阻害し、バブルやそれに伴う格差拡大、庶民の生活水準低下といった弊害をもたらしている。MTTはそれに歯止めをかけるどころか、火に油を注ぎ、弊害を悪化させるだけだろう。

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