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2024-06-30

ソ連社会主義の運命

第一次世界大戦は、世界全体に大きな変動をもたらした。その一つがロシアで起こった史上初の社会主義革命である。

ソ連史 (ちくま新書)

ロシアでは大戦の長期化によって食糧や物資が欠乏し、国民は厭戦気分に包まれた。1917年3月、首都ペトログラードで民衆によるデモとストライキが起こり、兵士もこれに加わった。反政府運動は拡大し、各地で労働者・兵士のソビエト(「会議」の意)が結成された。国会では自由主義派の立憲民主党を中心に臨時政府が樹立された。皇帝ニコライ2世は退位し、ここにロマノフ王朝は崩壊した(二月革命)。

二月革命によって、農村では土地を求める農民の蜂起が広がった。ボリシェビキ(のちのソビエト連邦共産党)の指導者レーニンは4月に亡命先のスイスから帰国。臨時政府との対決を主張し、労働者と農民の革命を結合するよう説く。11月、ボリシェビキは武装蜂起して臨時政府を倒し、社会革命党左派の協力を得てソビエト政権を樹立した(十月革命)。これは世界最初の社会主義革命だった。

ソビエト政権(1922年にソビエト社会主義共和国連邦=ソ連)は誕生直後から、白軍(反革命軍)との内戦や、資本主義諸国が起こしたシベリア出兵などの対ソ干渉戦争に直面した。しかしソビエト政権を最も長期にわたり悩ませることになるのは、国内外の軍事的脅威ではなく、市場経済(資本主義)という「内なる敵」だった。

内戦や干渉戦争に直面したソビエト政権は、チェカ(非常委員会)によって反革命運動を取り締まる一方、トロツキーの指導のもと赤軍を組織して対抗した。そして全工業を国有化し、農民からの食糧徴発、労働義務制などの厳しい戦時共産主義を断行して、政治と経済の統制を強化した。

工業国有化は資本家や職員らの強い反発を招き、経済と生産は混乱に陥った。農業の危機は一層深刻だった。シベリアやボルガ川流域、ウクライナなどでは、ソビエト政権による軍隊への動員、馬や穀物の徴発、教会への抑圧などへの反発から、農民たちの抵抗運動がときには十万人規模で起こった。しかもそこに干ばつが重なって、飢餓が発生した。1921年の飢餓では100万人以上が死んだとも言われる。食糧危機は当然都市にも及んだ。

ソビエト政権では、食糧を確保しつつ農民の抵抗を和らげることが急務であるとの主張が強まった。そのための具体的な政策が、レーニンが強く主張し、党内の異論を押し切って1921年に始めた「新経済政策(ロシア語の略語でネップ)」である。

「新経済政策」と呼ばれたものの、その内実は資本主義の一部復活だった。農産物の収穫に対して定率の税を課し、税を納めた残りの収穫物は市場での売買も含めて農民が自由に処分することを認めたもので、収穫が多ければ多いほど豊かになる可能性が農民に与えられた。国営企業にも独立採算制が導入され、市場的な関係が復活した。ネップは人々の生産意欲を刺激し、経済は安定した。世界初の社会主義革命で生まれたソ連を経済危機から救ったのは、皮肉なことに、資本主義の一部復活だった。

ネップの成功は影ももたらした。旧資本家の一部が国営企業の経営専門家として復活し、技術人員も高い賃金で雇われた一方で、独立採算を求められた国営企業が合理化を進めた結果、労働者が解雇されて失業が発生した。農村では富農が経済力を強め、農村共同体内での影響力を強めた。私的な商業活動も認められたことから、都市と農村を結ぶ「かつぎ屋」や「ネップマン」と呼ばれる商人や企業家が多数出現した。彼らは商品流通に少なからぬ役割を果たしたが、不当な利益を得ているとして怨嗟の的ともなった。

ソ連共産党内では、ネップによって生じた経済格差などに労働者や一般党員の不満が強まったこともあり、指導的党員のなかにもネップに批判的な態度を示す者がおり、激しい党内論争を招いていく(松戸清裕『ソ連史』)。

1924年のレーニン死後、スターリンは一国社会主義論を唱え、世界革命論を堅持する左派のトロツキーや、ネップ継続を主張する右派を粛清して独裁的地位を築いた。スターリンは1928年、ネップに代わって社会主義経済の建設をめざす第1次五か年計画に着手し、工業生産を順調に伸ばした。この成果は資本主義国が世界恐慌で苦しんでいたときだけに、世界の注目を集めた。

しかし、一見順調なソ連の計画経済は、その裏側で農村経済の恐るべき破綻を招いていた。五カ年計画では重工業の発展が優先されたため、消費物資の生産が減少してモノ不足になり、国民は不自由な生活を強いられた。さらにスターリンは農業の集団化を強制し、農村を土地・農具・家畜などを共有する集団農場であるコルホーズに再編し、さらにそのモデルとなる大規模な国営農場(ソフホーズ)を設けた。

革命で地主支配から脱し、自分の土地を持つことができたと思っていた農民たちは、集団化に抵抗した。特に激しい抵抗を示したのは比較的豊かな自営農たちだった。スターリンはこうした自営農たちを、社会主義の理想を阻む強欲なブルジョワであり、内なる敵であると名指しして徹底的に弾圧した。富農たちは次々に逮捕され、処刑されるかシベリアの強制収容所に送られた。富農だけでなく、集団化に抵抗する農民たちも容赦なくシベリア送りにされた。

さらに、農業集団化そのものも悲惨な結果を生んだ。どれだけ収穫しても自分の利益にならず、働きがいを失った農民たちは、コルホーズでの農業労働を拒否したり手を抜いたりした。農業生産は落ち込んだ。

しかもソ連は、五カ年計画を成功させるために農産物を都市部に大量に供給させた。農村は集団化によって土地を失ったばかりか、自分達が生産した食料を手に入れることすら困難になった。その結果、1932年から1933年にかけて、多くの地域で飢餓が広がり、穀倉地帯のウクライナやカザフスタンで大量の餓死者が出ることになった。飢餓による死者は数百万人にのぼるといわれる。

ソ連は1933年から第2次五カ年計画を開始したが、この時期にスターリンの個人独裁が確立していく。スターリンは自らの権力を確固たるものにするために、大量の人々を逮捕し、強制収容所に送るか処刑した。大粛清と呼ばれる。大粛清の対象はきわめて恣意的で大規模なものになり、死者数は少なくとも150万人から300万人に及ぶとされる。

もちろん対外的には、恐怖に覆われたソ連国内の実態は情報統制によって隠され、五カ年計画の成功が宣伝されていった。西洋諸国が恐慌に苦しむなか、工業生産高を上昇させるソ連に世界は驚愕し、「ソ連型モデル」として称賛された(北村厚『20世紀のグローバル・ヒストリー』)。

けれども実際には、ソ連経済の内実は疲弊しており、ついには1991年の破綻に至ったことは周知の事実だ。

じつはソ連経済の破綻を早くから予測した経済学者がいた。オーストリア出身のルートヴィヒ・フォン・ミーゼスである。ミーゼスはロシア革命からまもない1920年に発表した論文で、社会主義経済は実現できないと断言した。社会主義では土地や労働力など生産手段の市場が存在せず、したがって合理的な経済計算の基礎となる価格が存在しないからだ。

発表当時、ミーゼスの主張は多くの反論を巻き起こしたが、結局正しかったことが歴史によって証明された。ソ連の社会主義体制はその誕生当初から、経済の原理に反し、滅びることを運命づけられていたのである。

2024-06-23

ミレイ大統領の光と闇

徹底した自由主義者(リバタリアン)を自認するアルゼンチンのハビエル・ミレイ大統領が就任して半年が経った。日本経済新聞は「ショック療法と銘打つ厳しい緊縮政策によって財政収支の黒字化を達成した。一時的な景気悪化を覚悟のうえで懸案の高インフレを抑え込んでいる」と同大統領の手腕を高く評価する。
筆者自身リバタリアンとして、華々しく登場したミレイ大統領に期待してきたし、今も希望を捨ててはいない。しかし一方で、当初から抱いていた疑問と不信が次第に大きくなっていたのも事実だ。

そう感じていた最近、米リバタリアン系サイトのルー・ロックウェル・ドットコムに、オスカー・グラウという人が力のこもったミレイ批判を立て続けに3本(5月21日同22日6月5日)掲載した。記事はミーゼス研究所のサイトでも一部紹介されている。

グラウ氏は本職は音楽家ながら、オーストリア学派の経済学者ハンス・ヘルマン・ホッペ氏の公式サイトでスペイン語版の編集を任されている。アルゼンチンの公用語であるスペイン語に堪能で、リバタリアンの政治・経済理論にも精通しているようだ。記事執筆にあたり、ホッペ氏やミーゼス研究所のトーマス・ディロレンゾ所長ら学識者の助言を受けたという。

グラウ氏は一連の記事で、ミレイ氏の政策に対してある程度プラスの評価は与えながらも、全般には厳しい批判を展開している。それには説得力があり、筆者のもやもやした気分を晴らしてくれた。ポイントをかいつまんで紹介し、感想を述べよう。

論評の対象となるミレイ氏の政策は大きく二つに分かれる。内政と外交だ。まず内政について、グラフ氏は「良い行いと悪い行いが入り混じっている」と評する。

良い行いは次のとおりだ。一部の補助金支出を削減し、いくつかの政府機関を閉鎖し、公共建設への融資の多くを停止した。経済の規制をある程度緩和し、公共事業の民営化など、さらに規制緩和を進める計画だ。さまざまな価格統制の撤廃は一部の市場で一定の成果を上げたが、アルゼンチン経済は政府による規制が多くカルテル化が進んでいるため、一部補助金の削減と同様に、全体的な恩恵はまだ限られている。ミレイ氏はいくつかの関税を引き下げ、自動車販売店に対する税金を引き下げた。リバタリアンの考えや健全な経済学全般について演説を続けているし、文化的左翼に対しておおむね適切な言葉で反対している。

一方、悪い行いには以下のようなものがある。政府債務の支払いを拒否する代わりに国際通貨基金(IMF)に赴き、前政権から債務を購入した愚かな外国投資家への借金を、国民に支払わせることにした。公約どおり全面的に減税して経済を自力で回復させるのでなく、燃料や外貨購入などに対してさまざまな税金を増やし、高所得者への所得税を復活させる計画さえ立てている。福祉政策を拡大し、その中には妊婦や扶養している子供に対する給付金のような、健全な社会にとって特に有害な政策が含まれる。政府支出を減らすことで財政を均衡させるのではなく、課税を増やすことで均衡させ、勤勉な市民の収支よりも政府の収支を優先させている。

グラウ氏の採点は辛めだが、大胆な政策変更には多くの困難を伴うから、善戦しているといってもいいだろう。しかし外交については、リバタリアンの立場から前向きな評価は難しい。

最も問題なのは、イスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの攻撃を強く支持している点だ。昨年10月7日にパレスチナの武装勢力ハマスがイスラエルを攻撃して約1200人を殺害したことに対し、イスラエル軍はこれまでに女性や子供を含む少なくとも3万5000人を殺害した。イスラエルが建国以来、パレスチナ人住民に行ってきた殺傷行為を無視し、今回の攻撃に限ったとしても、過剰防衛であり、ジェノサイド(大量虐殺)にほかならない。しかしミレイ氏は、イスラエルの行為はすべて「ゲームのルールの範囲内」であり、「ハマスのテロリストが犯した乱行にもかかわらず、イスラエルには何の行き過ぎもない」と話す

ミレイ氏が尊敬するという、米リバタリアン思想家のマレー・ロスバードは、パレスチナ人の抵抗とその土地に対する権利を擁護していた。グラウ氏は、「ロスバードはミレイの言葉を嫌悪し、彼を擁護できない詐欺師とみなすだろう」と書く

ミレイ大統領は米国の介入主義的な軍事政策にも盛んに関わっている。就任から半年もたたないうちに、米国製F16戦闘機を24機購入し、米艦隊と合同海軍演習を実施。北大西洋条約機構(NATO)にパートナー国としての参加を要請した。ミレイ氏はNATO、イスラエルに加え、米政府が支援するウクライナも強く支持している。グラウ氏はミレイ氏の外交政策について「リバタリアンというよりは、むしろネオコン(新保守派)の特徴だ」と断じる

ミスター共和党と呼ばれたロバート・タフト元上院議員ら米国の旧保守派(オールドライト)が軍事では非介入主義を貫き、ロスバードらリバタリアンに高く評価されるのに対し、最近の民主・共和両政権を牛耳るネオコンはアフガニスタン、イラク、リビア、シリアなどで露骨な軍事介入を推し進め、リバタリアンにとっては不倶戴天の敵だ。日本の大手メディアがミレイ氏に好意的な報道をするようになったのは、米国のネオコンに忠実だとわかり、安心したからではないかと勘ぐりたくなる。

グラウ氏はまとめて、ミレイ氏を次のように評価する。経済学者としては主流派をはるかに上回る。「リバタリアン」大統領としては失敗しているが、他の大統領よりはましだ。しかし、ミレイ氏を一部のオーストリア学派経済学者のように「本格的なリバタリアン」と呼んだり、その大統領当選を「ベルリンの壁と共産主義の崩壊に匹敵する、自由にとって歴史的な日」と称えたりするのは「行き過ぎ」である。さらに厳しく、「ミレイをリバタリアンだと呼び続けるのは間違いである。ネオコンをリバタリアンだと偽ることを意味するからだ」とも論評する

ミレイ大統領は内政でそれなりの成果を上げており、リバタリアンではないとまで言い切るのは、筆者にはためらわれる。けれども心情はグラウ氏に共感する。筆者がリバタリアニズムを愛するのは、経済学的に正しいという以上に、戦争という政府の暴力に反対し、平和を尊ぶ思想だからだ。ロスバードはこう問いかけている。「リバタリアンは価格統制や所得税については適切にも憤りをおぼえるのに、大量殺戮という究極の犯罪に対しては肩をすくめるか、あるいは積極的にこれを支持しさえするというのだろうか?」

現状ではミレイ大統領の光の部分に比べ、闇の部分があまりに深い。外交面でも真のリバタリアンになるよう願っている。

2024-06-16

第一次世界大戦の悲劇

「するとたちまち恐ろしい唸り声とともにぴかっと光った。この掩壕(えんごう)は一発の命中弾を食って、あらゆる隙間がばりばりっと音を立てた。〔略〕あらゆる金属性の恐るべき音響を発して、壁は震え、武器も鉄兜も地面も泥も塵も、ことごとく飛散した。硫黄の匂いを含んだもうもうたる烟(けむり)が、遠慮なしに侵入してきた」

西部戦線異状なし (新潮文庫)

ドイツの作家レマルクの小説『西部戦線異状なし』(秦豊吉訳)の一節である。第一次世界大戦に出征したレマルクはその体験をもとにこの作品を執筆した。未曾有の大量殺戮に戦慄する兵士たちの姿を生々しく描き、世界的反響を巻き起こした。

第一次世界大戦は1914年から1918年まで独墺陣営(同盟国)と英仏露陣営(協商国・連合国)との間で戦われた、史上初の世界戦争である。

戦争は長期化し、甚大な被害をもたらす。19世紀のおもな戦争の戦死者数がナポレオン戦争198万人、南北戦争62万人、普仏戦争18万人だったのに対し、第一次世界大戦は855万人にも達した。

死傷者数が膨大な数にのぼった一因は、毒ガス、戦車、軍用飛行機、軽機関銃などの新兵器の投入である。『西部戦線異状なし』で主人公のドイツ人兵士ボイメルは毒ガスについてこう語る。

「僕は野戦病院で、恐ろしい有様を見て知っている。それは毒ガスに犯された兵士が、朝から晩まで絞め殺されるような苦しみをしながら、焼けただれた肺が、少しずつ崩れてゆく有様だ」

戦争が世界規模に拡大した背景には、各地で激化していた列強の植民地を巡る利害対立があった。なかでもバルカン半島におけるオスマン帝国の領土の奪い合いが大戦の思わぬ火種となった。

1914年6月、バルカン半島にあるボスニアの州都サラエボでセルビア人青年が放った銃弾により、オーストリア皇位継承者フランツ・フェルディナント夫妻が殺害された。オーストリアは同盟国ドイツの軍事協力の約束を取り付けてのち、7月にセルビアに宣戦布告し、オーストリア・セルビア戦争が勃発する。

当事者のオーストリアもセルビアも、それらの同盟相手のドイツもロシアも、この戦争はボスニアを巡る局地戦争にすぎず、それがまさか世界大戦と呼ばれるような大戦争に発展するとは、誰も思っていなかった。しかし実際には軍事同盟を介してロシア、ドイツ、フランス、英国が次々と参戦し、バルカンの局地戦争は一カ月の間に全欧州の戦争へと拡大していった(北村厚『20世紀のグローバル・ヒストリー』)。

軍事同盟は平和の維持が目的とされるけれども、第一次世界大戦勃発の経緯に鑑みれば、むしろ戦争を引き起こすリスクもあることを忘れてはならないだろう。

参戦国の多くは開戦後まもなく、兵器、弾薬、その他軍需品の不足に直面し、長期戦を見据えた戦時生産体制に移行する。

ドイツは英国による経済封鎖で海外からの工業原料が途絶する事態に備え、陸軍省に戦時原料局を設置し、大手電機会社AEGの社主ラーテナウにその運営を委託した。最初は金属原料から始まった統制は、やがてほとんどの産業分野に及んだ。ドイツの戦時統制経済は戦後、ソ連の社会主義建設や日本の高度国防国家のモデルとされた。

英国は敵国ドイツ同様、経済に対する政府の介入を加速させる。軍需省を新設し、社会政策推進で国民に人気のあったロイド・ジョージを大臣に任命した。ロイド・ジョージは要所に経済人を登用し、軍需生産のテコ入れを図った。英国の経済介入体制は戦後の福祉国家の原型となる。

フランスではポアンカレ大統領が開戦直後の教書で、国土防衛のための「ユニオン・サクレ(神聖なる団結)」を提唱した。フランス国民は戦争は短期終結するだろうとの予測の下、個人の権利の制約を受け入れ、国家に大きな権限を与えた(板谷敏彦『日本人のための第一次世界大戦史』)。

第一次世界大戦が起こる前、世界経済はおおむね自由主義が主流で、政府が経済に積極的に介入することは少なかった。それが大戦によって大きく変容していった。ある意味で、自由主義以前の重商主義の時代に逆戻りしたとも言えるだろう。

一般民衆の間にも戦争の影響は広く及んだ。参戦国の多くで、それまで反戦平和を唱えていた労働組合や社会主義政党も戦争協力に転じ、挙国一致体制が成立した。また植民地を含めて総力戦体制が構築され、戦闘員と民間人との境界線があいまいになった結果、民間人を巻き込む都市爆撃が行われるようになった。

生産体制の強化とともに参戦国の課題となったのは、戦費の調達である。

戦時財政の規模はどの国でも巨額に上った。ドイツの場合、大戦勃発直前の1913年の政府の税収23億マルクに対し、敗戦時の戦費負担は総額1550億マルクになっていた。連邦制をとるドイツは中央政府の課税能力に限界があり、戦費中の租税充当分はわずか3%にすぎない。不足分は国債・公債発行で調達するしかなかった。英国などの妨害や米国世論の反独傾向から国外での発行は成功せず、ほとんどが国内での発行となった。

一方、英国は早くから増税で対応した。労働者など低所得者に配慮して中・高所得者の所得税率を引き上げ、さらに高額所得者には別途、特別税を課して社会的不公平感の高まりを和らげた。その結果、戦費の26%を税収で賄い、この比率は参戦国中で最も高かった。

フランスは戦争前半は短期信用で、後半になって公債、増税による調達も併用した。ロシアはほぼ全額を英仏の同盟国で、さらに米国でも調達した。

いずれにせよ、租税で支えられるのは戦費の一部にすぎず、大部分はいわば借金で賄った。各国とも最初は短期戦だろうと期待したことと、その後は「勝ったら敵に払わせる」ことを前提にしたからだ。それが、勝つまでは戦争を続けなければならないという決意を固めさせ、戦争を長引かせる要因の一つになった(木村靖二『第一次世界大戦』)。

ドイツの哲学者カントは著書『永遠平和のために』で軍事国債の禁止を唱えた。国債の発行によって戦争の遂行が容易になり、平和実現にとって大きな障害になると考えたからだ。しかし第一次世界大戦で列強の政治指導者たちはカントの警告を無視して戦費を国債に頼り、その結果、甚大な戦禍を引き起こし、人々を苦しめた。

第一次世界大戦が起こるまでは、ある仕組みによって政府の借金に一定の歯止めがかかっていた。金本位制だ。

金本位制では金が本来の通貨とされ、政府通貨は一定の重さの金を裏付けとしなければならない。このため政府は保有する金の量以上に通貨を発行することができなかった。金本位制を維持したままでは、政府通貨を大量に発行し、それによって自ら国債を買い取って戦費を調達することができなかった。

そこで各国は大戦が始まると、相次いで金本位制を停止した。その結果、各国は財政上の歯止めから解放され、国債で多額の戦費を賄い、それが戦争の長期化と被害の拡大につながっていった。もし金本位制が維持されていたら、戦争はもっと早く終わり、人的・物的被害も少なく済んだかもしれない。

『西部戦線異状なし』の主人公ボイメルは「なぜだ、なぜ戦争を止めないんだ」と悲痛に叫び、ある日戦死する。しかし司令部報告は「西部戦線異状なし、報告すべき件なし」と記すだけだった。

国家の利益を巡る対立が一般国民を巻き込み、多数の命を消耗品のように奪った第一次世界大戦の悲劇。それが経済・社会にもたらした負の影響は戦後も続き、やがてもう一つの大戦につながっていく。

2024-06-09

帝国主義を批判した鉄鋼王

米国は南北戦争後の急速な経済発展により、1880年代に世界最大の工業国となった。そして1890年代に開拓対象となる西部辺境(フロンティア)が消滅したこともあり、海外進出の機運が高まっていった。

米国は建国以来、国際政治への介入を控える「孤立主義」の伝統を守ってきた。それが大きく転換し、海外進出に向かうきっかけとなったのは、米西戦争である。1898年、キューバとフィリピンを舞台に米国とスペインの間で戦われた。日本でいえば日清戦争の終結から四年後のことだ。

カーネギー自伝 新版 (中公文庫)

1895年2月、ホセ・マルティによってキューバのスペインからの独立運動が始まると、スペインは苛烈な弾圧を行い、長引く動乱のため島は荒廃した。一方、同じくスペイン領のフィリピンでも独立の機運が高まり、1896年8月に独立革命が勃発、その後一時挫折したものの1898年に入って再燃していた。

米国はキューバに投資と貿易の利害をもち、戦略的関心を抱いてもいた。米国民はみずからの独立戦争を想起して同情の声を上げ、これを米国のイエロー・ジャーナリズムと呼ばれる扇情的な新聞が煽った。映画「市民ケーン」のモデルとして知られるウィリアム・ランドルフ・ハースト、ピューリツァー賞に名を残すジョセフ・ピューリツァーらの経営する新聞はその代表格だ。

1898年2月、ハバナ港に停泊中の米戦艦メイン号が爆発、沈没し、将兵二百六十名が死亡した事件をきっかけに、前年大統領に就任していた共和党のマッキンリーは3月末、スペインに最後通牒を突きつけた。「メイン号を忘れるな」のスローガンが叫ばれる中、米議会はキューバ独立のための武力行使を決定した。

ところが戦争の第一報はフィリピンから届いた。1898年5月1日、米海軍がマニラ湾に侵入し、スペイン艦隊を撃破した。スペイン軍はキューバとフィリピンの双方で反乱軍や米軍と対峙せざるをえず、総崩れとなる。スペインのカリブ艦隊は7月に米軍に撃破された。8月には米軍とエミリオ・アギナルド率いるフィリピンの反乱軍により、マニラが陥落した。

米西戦争の勝利により、米国はスペインからフィリピン、グアム、プエルトリコを奪ったうえ、キューバを独立させて事実上の保護国とした。

しかし、米政府のこの決定に対し、国内では憂慮する声も広がった。

米国のフィリピン領有を正式に決めるパリ講和の最中、米国内では反対運動が盛り上がり、反対派は1898年10月、反帝国主義連盟を結成した。連盟に名を連ねたのは、作家マーク・トウェイン、共和党上院議員ジョージ・ホア、民主党大統領候補ウィリアム・ジェニングス・ブライアン、哲学者ウィリアム・ジェイムズらである。

フィリピン併合への反対論の核心は、キューバ解放のための戦争がアメリカ帝国の建設を導いてしまったことにあり、独立宣言により誕生した共和国アメリカが異民族を支配する帝国となることは、アメリカ民主主義の堕落だと主張した。

連盟メンバーの一人であるエール大学の社会学者ウィリアム・グラハム・サムナーは1899年、「スペインによるアメリカの征服」と題する講演で、「アメリカは、膨張主義ないし帝国主義の道を歩むことによって、アメリカがこれまで象徴してきたものを失い、スペインが象徴してきたもの——すなわち帝国主義——を採用することになるのであるから、戦争ではスペインに勝っても、観念および政策の分野ではスペインに屈したことになる」と米政府を批判した。

反帝国主義連盟メンバーのうち異彩を放ったのは、鉄鋼王として知られるアンドリュー・カーネギーである。スコットランドからの移民で、無一文から巨万の富を築いた。

カーネギーは、キューバ独立を支援する米国の戦争には賛成した。この戦争は純粋に人道的理由に基づき、領土拡大が目的ではないというマッキンリー大統領の言葉を信じたからだ。

ところが戦争の結果、米国がフィリピンを併合する見通しが強まった。カーネギーはこれに怒り、フィリピンを米支配下に置くあらゆる条約の締結に反対しようと決意する。そして公然と反対論を唱え、反帝国主義運動に資金を提供するようになった。実現はしなかったものの、フィリピンの人々を米国の支配から自由にするため、資金力に物を言わせてフィリピン諸島を買い取ることまで試みた。

米西戦争が終結した1898年夏には、併合反対論は戦勝への熱狂にかき消されがちだった。しかし秋になると、反帝国主義運動が米国内に広がり、全国組織の連盟へと発展していく。カーネギーは雑誌への寄稿で、次のように力強く訴えた。
米国がフィリピンの独立への戦いを弾圧する役目を果たすなど、できるだろうか。もちろんできない。どんな顔をして、フィリピンの学校に米国の独立宣言を掲げつつ、彼らに独立を認めないなどということができるだろう。フィリピンの人々の心は、リンカーンの奴隷解放宣言を読んだとき、どう反応するだろう。私たちは独立を実践しつつ、従属を説くというのか。書物では反乱を教えつつ、武力で鎮圧するというのか。反逆の種をまきつつ、忠誠という収穫を期待するというのか。
カーネギーはこう続けた。「米国は早くもその使命に飽き飽きして捨て去り、勝利の独裁、つまり外国人による支配を打ち立てるという不可能な任務に乗り出そうというのか。そして自治という天賦の権利を主張してきた数百万のフィリピン人が、独立を勝ち取ったことを最大の誇りとする米国人の最初の犠牲者にならなければならないのか」

カーネギーのこの議論は、英国の植民地から独立して誕生した由来を持つ米国自身が、他国をその意思に反して植民地にする矛盾を鋭く衝いている。

カーネギーは新聞、国会議員、自分と同じ資本家らにも手紙で併合反対を訴えた。マッキンリー大統領にも何度も手紙を書いたが、やがて直接話す機会が訪れた。

米西戦争の終結後、マッキンリー大統領は西部を遊説し、至る所で米国の勝利について演説し、拍手で迎えられた。そしてフィリピンから撤退するのは大衆の意思に反するという印象を受けて首都ワシントンに帰り、それまでの撤退方針を撤回した。

カーネギーはある閣僚から、大統領を考え直させるよう頼まれ、ワシントンへ行き、大統領に会った。しかし、大統領は頑としてきかなかった。「撤退するなら、国内で革命が起きる」という。それでとうとう閣僚らも、これは一時の駐留であって、将来何かの口実をつくって撤退するのを条件にして、いちおう了承した。

カーネギーら反帝国主義連盟による併合反対論は、米国が「白人の責務」として、未開で自治能力を欠くフィリピンを民主化するという主張にも押し切られ、1898年12月、米国のフィリピン領有が正式に決まった。

カーネギーは自伝でこう回想している。「ここに、アメリカ合衆国ははじめて、重大な国際的な過ちを犯したのである。この誤りが、結局、この国を国際的な軍国主義の渦中に投じ、またそれが強力な海軍の建設というところに追い込んだのである」

フィリピンでは、米国による領有の決定と同時に、アギナルド率いるフィリピン独立軍との激しい戦闘が開始された(米比戦争)。独立運動は1901年に鎮圧されるが、それまでに米軍の残虐な仕打ちで20万人以上のフィリピン人が死亡した。カーネギーの恐れたとおり、米国が独立を阻む弾圧者に変貌したのである。

資本家というと、帝国主義的な対外膨張を好むイメージがあるかもしれない。たしかにフィリピン併合当時、通商拡大による経済効果を期待し、賛同した資本家たちもいた。だが一方で、カーネギーのように強く反対した人もいた。

米国はその後、アジア進出を加速させ、太平洋戦争やベトナム戦争につながっていく。戦勝の熱狂の中、帝国主義を批判したカーネギーの見識と勇気は、末永く称えられる価値がある。

<参考文献>
  • 貴堂嘉之『南北戦争の時代 19世紀』岩波新書、二〇一九年
  • アンドリュー・カーネギー(坂西志保訳)『カーネギー自伝』(新版)中公文庫、二〇二一年
  • Stephen Kinzer, The True Flag: Theodore Roosevelt, Mark Twain, and the Birth of American Empire, Henry Holt and Co., 2017

2024-06-02

泥棒貴族という英雄たち

南北戦争後、1870年代から90年頃までの米国では経済が急速に発展した。日本では明治時代前半にあたるこの時期は、「金ぴか時代」と呼ばれる。この名称は十九世紀の米文学を代表するマーク・トウェインらの小説の題名からきており、外見だけは華やかだが、金儲けに人々が奔走し、政財界に腐敗が蔓延した時代との批判が込められている。

The Myth of the Robber Barons: A New Look at the Rise of Big Business in America (English Edition)

金ぴか時代に拝金主義や政財界の腐敗という影の部分があったのは事実だ。けれども、それがすべてであったわけではない。理想の追求や勤勉の精神、慈善の拡大といった輝かしい側面もあった。

金ぴか時代のこの二面性を理解するうえでカギとなるのは、「ロバー・バロン(泥棒貴族)」と呼ばれる人々だ。もともとは中世英国で領内を通行する旅人から通行料を取る悪質な貴族のことだが、それにならって、情け容赦なく、際限なく利益を追求する資本家・事業家を指してこう呼んだ。

金ぴか時代には、泥棒貴族と呼ばれる資本家が輩出した。たしかにそのうち一部は、政治権力と癒着して不当な利益をむさぼった。しかし一方で、フェアな市場競争を通じ正当に富を築いた事業家も少なくなかった。泥棒貴族の真の姿を探ってみよう。

南北戦争後の米国では、大陸横断鉄道をはじめ鉄道網が発達した。その立役者となったのは鉄道資本家だ。

政府による資金支援がなければ大規模な鉄道建設は無理だと信じている人は少なくない。たしかに一部の鉄道資本家は政府とのコネを利用して支援を引き出した。たとえばセントラル・パシフィック鉄道の創業者リーランド・スタンフォードはカリフォルニア州知事、同州選出の連邦上院議員を歴任した政治家でもあり、そのコネを利用して鉄道の競争を妨げる法律を通し、独占による利益を享受した。

彼などはまさしく、権力を利用して不当な利益をあげた泥棒貴族の名にふさわしい人物だろう。しかしそのせいで、まっとうな商売で富を築いた起業家まで同類に扱われ、非難されるのは残念なことだ。

鉄道業界でそうしたまっとうな起業家の代表は、グレート・ノーザン鉄道の創業者ジェームズ・ヒルだ。ヒルは十四歳で父を亡くし、母を支えるため学校をやめて働き始める。食料雑貨品店、農業、海運、羽毛販売などで元手を蓄えた後、ミネソタ州の倒産した鉄道会社を仲間とともに買い取った。

ヒルはただちに鉄道業の才能を発揮する。業務の無駄を省き、社員が交代で必ず休憩時間を取れるようにした。コスト削減の成果を農業、鉱業、林業関係者など利用客とも分かち合い、運賃を引き下げた。自社と顧客は共存共栄の関係にあると知っていたからだ。水害や不況に苦しむ農家のために穀物の種子を無料で提供し、町に土地を寄付して公園、学校、教会が作れるようにもした。

ヒルは、同業者で結託して運賃を高めに維持しようとするカルテルの誘いを拒んだ。むしろ進んで運賃を引き下げ、カルテルを崩そうとした。

1886年から1893年にかけ、大陸を横断するグレート・ノーザン鉄道を建設した際には、補助金頼みの鉄道とは違い、景色よりも耐久性や効率性を重視した。少しでも距離を短く、勾配をなだらかに、カーブを少なくするため、より良い路線の調査・開発に努めた。その結果、グレート・ノーザン鉄道は世界の主要鉄道のうち、最も便利で儲かる鉄道となった。

これに対し、健全な鉄道の建設よりも政府からの補助金獲得に力を入れた鉄道会社は、経営が不効率で、次々と倒産した。実のところ、最後まで倒産しなかった大陸横断鉄道は、ヒルのグレート・ノーザン鉄道だけだった。

まっとうな起業家でありながら、泥棒貴族とおとしめられる資本家の代表といえば、石油王ジョン・ロックフェラーだろう。

鉄道王ヒルと同じく、ロックフェラーも恵まれない境遇から身を起こした。行商人の子として生まれ、十六歳で高校卒業後、見習いの経理事務員となる。キリスト教プロテスタントの一派であるバプテスト教会の敬虔な信者で、勤勉と貯蓄を重んじた。いくつかの営業職を経て、二十三歳のときには十分な資金を蓄え、オハイオ州クリーブランドの石油精製会社に出資した。

ロックフェラーはやはりヒルと同様、事業のあらゆる細部に気を配り、コストの削減、製品の改善、品ぞろえの拡大に努めた。ときには肉体労働者に交わってまで、事業をとことん理解しようとした。他の経営幹部もこれにならい、会社は急成長する。のちのスタンダード石油である。

石油製造に伴う多くの無駄をなくす方法も考案した。社内の化学者に命じ、潤滑油、ガソリン、パラフィンワックス、ワセリン、ペンキ、ニス、その他三百種に及ぶ副産物の生産方法を考え出した。これにより生産の無駄をなくし、採算性を高めた。稼いだ利益は精製施設の改善に惜しみなく投じた。操業の安全性に強い自信を持っていたため、保険にすら入らなかったという。

スタンダード石油は急速に市場シェアを伸ばしていく。1870年の4%から1874年には25%に、1880年には約85%にまでシェアを高めた。その原動力になったのは低価格だ。精製油の値段は1869年の1ガロン30セント超から1874年には10セントに、1885年には8セントに下がった。安くなった灯油は、家庭で明かりの燃料として使われるようになる。これは米国民の生活に革命を起こす。当時、日が暮れてから働いたり物を読んだりする習慣はまだ目新しかった。

ロックフェラーは顧客に対してだけでなく、従業員に対しても非常に寛大で、競合他社より大幅に高い給与を支払った。おかげでストライキや労働争議に悩まされることはめったになかった。

ロックフェラーにまともな商売で太刀打ちできない同業者らは、そんなときの常套手段に訴える。政府にロビー活動で働きかけ、法律や規制で相手を縛ることだ。1906年、米連邦政府はスタンダード石油に対し反トラスト(独占禁止)規制に基づく訴訟を起こす。

そもそも独禁規制の目的は、消費者の保護にあるとされる。そうだとすれば、米政府がスタンダード石油を訴えたのはおかしなことだ。前述のように、同社は効率経営によって石油の値段を数十年にわたり大きく引き下げ、消費者に大きな恩恵を及ぼすとともに、競合他社に値下げを促してきたからだ。

市場シェアからも、スタンダード石油を独占とみなすのは疑問だった。1890年には88%と高水準にあったものの、1911年には64%に低下していた。競合他社は数百社もあった。それにもかかわらず、米連邦最高裁は同年、同社に対し独禁法違反の判決を下した。スタンダード石油は三十四の新会社に分割される。

その結果、スタンダード石油の経営は効率が低下し、不効率な同業他社が得をすることになった。損をしたのは消費者である。

スタンダード石油が独禁法違反で摘発された背景には、マスコミによる攻撃もあった。急先鋒だったのは、当時人気雑誌だった「マクルアーズ・マガジン」の編集長アイダ・ターベルだ。ターベルはロックフェラーとの競争に敗れて破産した石油業者の娘で、ロックフェラーはいわば親の仇だった。ターベルのロックフェラー批判は経済学的には的外れだったが、ロックフェラーを悪玉に仕立て上げ、世論を動かすうえで大きな力があった。

ロックフェラーは一般に信じられている姿とは違い、控えめで物静かな人物だった。新聞や雑誌から攻撃を受けると、「夜も寝られない」と不満を述べ、「これほどの心痛で苦しまなければならないのなら、自分が手に入れたすべての富など意味がない」と漏らすこともあったという。

信仰心の厚いロックフェラーは若い頃から教会などの慈善事業に寄付をしてきたが、富を築いてからはそれを本格化した。シカゴ大学はロックフェラーによる寄付金をもとに今日では名実ともに世界的な大学となった。医療研究、文化施設にも多くの寄付を行った。

金ぴか時代の泥棒貴族には、政治の力で金儲けをし消費者の利益を損なう、まさに泥棒の名にふさわしい連中もたしかにいた。しかしそれ以外に、ビジネスの王道を通じ社会を豊かにした英雄的な起業家たちもいた。これら二つの集団を混同してはいけない。それは縁故主義と資本主義の違いでもある。

<参考文献>
  • 飯塚英一『若き日のアメリカの肖像: トウェイン、カーネギー、エジソンの生きた時代』彩流社
  • 松尾弌之『列伝アメリカ史』大修館書店
  • Thomas J. Dilorenzo, How Capitalism Saved America: The Untold History of Our Country, from the Pilgrims to the Present, Crown Forum
  • Burton W. Folsom, The Myth of the Robber Barons, Young Amer Foundation

2024-05-26

南北戦争の真の目的

米バージニア州の州都リッチモンドで、公園に建てられた南北戦争の南軍司令官ロバート・リー将軍の銅像が撤去された。リー将軍の銅像は、奴隷制度や人種差別の象徴だとして長年批判にさらされてきた。黒人の男性が白人の警官に首を押さえつけられて死亡した事件をきっかけに、人種差別への抗議運動が広がったことを受け、州知事が撤去を表明していた。

The Real Lincoln: A New Look at Abraham Lincoln, His Agenda, and an Unnecessary War (English Edition) 

米国では南部を中心に、奴隷制存続を主張した南部連合(アメリカ連合国)にゆかりのある人物の銅像や記念碑が数多く設置されているが、抗議運動の中で、各地で倒されたり自治体によって撤去されたりする動きが相次いだ。

南北戦争(1861〜65年)に関しては、人種差別をめぐる善対悪の単純な図式にあてはめた報道が目立つ。しかし実際の背景はもっと複雑であり、ニュースでは触れられない意外な事実が少なくない。

まず、戦争の目的である。南北戦争は初めから奴隷解放のための戦争だったと思うかもしれないが、そうではない。戦争が始まってから少なくとも一年半の間、奴隷制は戦争の争点ではなかった。

開戦前にさかのぼって経緯をたどってみよう。1860年11月の大統領選挙で、奴隷制の拡大反対を唱える共和党からエイブラハム・リンカーンが当選すると、これを機に南部ではサウスカロライナ、テキサス、ルイジアナ、ミシシッピ、アラバマ、ジョージア、フロリダの7州が相次いで連邦から脱退し、翌61年2月、アメリカ連合国を結成した。3月4日にリンカーンが第16代大統領に就任したときには、合衆国はすでに分裂状態になっていた。

ところがリンカーンは同日の大統領就任演説で、奴隷制を批判しなかった。むしろ「奴隷制度が敷かれている州におけるこの制度に、直接にも間接にも干渉する意図はない」と述べた。同年7月4日に特別議会へ与えた教書でも、南部の行動を「連邦破壊の試み」だとして非難するばかりで、奴隷制の是非などはまったく語っていない。

リンカーンは個人としても、奴隷制や人種差別に反対ではなかった。1858年、イリノイ州選出の上院議員候補として出馬し、民主党の現職議員スティーブン・ダグラスと論戦を交わした際、こう述べた。「私は白人と黒人のいかなる社会的・政治的平等の実現にも賛成しないし、賛成したこともない。黒人が選挙権や裁判権を与えられたり、公職に就いたり、白人と結婚したりすることに賛成でないし、賛成したこともない」

リンカーンはこれに先立つ1834〜42年、イリノイ州議会の議員を務めているが、この間、州の黒人差別立法に反対したことはない。黒人への選挙権付与に反対し、黒人に裁判で証言を認めさせようとする請願に署名することを拒んだ。

リンカーンは黒人植民を強く支持してもいた。黒人植民とは、奴隷から解放され、自由な身分となった黒人を米国外の地に移住させることだ。1816年に創設されたアメリカ植民協会は、黒人植民によって合衆国を白人の共和国にすることを目指した。リンカーンが政治の師と仰いだ大物政治家ヘンリー・クレイは同協会の創立メンバーで会長も務めた。リンカーン自身、黒人をアフリカのリベリアや中米のハイチに移住させる案を抱いていた。

当時の米国で人種平等や奴隷解放を唱えたのはごく一部の運動家だけで、奴隷や黒人への蔑視と嫌悪は、南部に限らず、北部でもごく一般的な感情だった。リンカーンもそうした普通の白人の感情を共有していた。もし黒人差別を理由にリー将軍の像を撤去するのなら、ワシントンの記念堂にあるリンカーンの大理石像も問題にしなければならないだろう。

リンカーンと北部諸州にとって、戦争の本来の目的は奴隷解放ではなく、連邦の維持にあった。

先に連邦を離脱した7州に続き、1861年4〜5月にかけて、バージニア、ノースカロライナ、テネシー、アーカンソーの4州が新たに南部連合に加わり、首都はバージニアのリッチモンドに置かれた。一方、南北の間に位置し「境界州」と呼ばれるミズーリ、ケンタッキー、メリーランド、デラウェアの4州は、奴隷州でありながら南部連合には加わらず、連邦にとどまった。

これに対しリンカーンはいかなる州も勝手に連邦を離脱することはできないとして、断固連邦を維持する決意を示した。1862年8月、ニューヨーク・トリビューン紙の編集長ホレス・グレーリーに対し、明確にこう述べている。「この戦争における私の至上の目的は、連邦を救うことにあります。奴隷制度を救うことにも、滅ぼすことにもありません。もし奴隷は一人も自由にせず連邦を救うことができるものならば、私はそうするでしょう。そしてもしすべての奴隷を自由にすることによって連邦が救えるのならば、私はそうするでしょう。またもし一部の奴隷を自由にし、他はそのままにしておくことによって連邦が救えるものならば、そうもするでしょう」

リンカーンは、合衆国憲法にのっとって正当に選出された自分の権威が、相次ぐ離脱によて否定されるのは耐えがたかった。また、共和党や北部世論にとっても、連邦体制は一種の神聖さを帯びた理念であり、実体でもあった。

だからといって、連邦離脱は許さないというリンカーン側の言い分には疑問が残る。南部連合側の主張によれば、離脱の法的根拠は合衆国憲法修正第10条にある。同条では「この憲法が合衆国に委任していない権限または州に対して禁止していない権限は、各々の州または国民に留保される」と定めている。合衆国憲法に連邦離脱に関する規定はなく、なおかつ州は連邦政府に対し離脱を禁止するいかなる権限も委任していない。したがって、離脱は州の権利として留保されているはずだという。

これは決して無理な主張ではない。事実、リンカーンの前任者ジェームズ・ブキャナン大統領が最初の南部7州の離脱を黙って認めた背景には、この法解釈があった。ブキャナンは南部諸州に離脱の権利があるとまでは考えなかったものの、連邦政府に離脱を禁止する権限があるとも思わなかった。

しかしリンカーンは、離脱に対し強硬姿勢で臨んだ。1861年4月、南部連合はサウスカロライナ州の中心都市チャールストン、つまり自国のど真ん中に残された連邦政府のサムター砦に砲撃を加え、陥落させた。死傷者はなかったが、リンカーンは反乱のレッテルを貼り、7万5000人の兵を差し向けた。ここに南北戦争の幕が切って落とされた。当初、南北双方とも自らの勝利のうちに短期間で終わると楽観していた戦争は、丸四年続くことになる。

戦争が長引くにつれ、リンカーンは焦りを覚えた。このままでは英国やフランスの干渉を招き、南部連合の独立の承認という耐えがたい条件を飲まされることになる。戦局を好転させる窮余の一策として脳裏に浮かんだのが、奴隷解放の宣言だった。

実行すれば、奴隷解放を求める内外の声に応え、「人道のための戦争」として世界の世論を味方につけることができる。同時に、南部の奴隷たちは大挙して大農園を脱出し、北軍のもとに押し寄せるだろう。それは南部社会・経済の根幹を破壊し、南軍の戦争遂行能力に打撃を与えるだけでなく、脱走奴隷を北軍の兵士や労働者として使役すれば、連邦政府側の戦力が高まる。

こうして1862年9月22日、リンカーンは「奴隷解放予備宣言」を発し、翌63年1月1日、正式な「奴隷解放宣言」を発した。ただし、解放の対象となったのは反乱状態にある州や地域の奴隷だけであり、連邦軍がすでに支配していた地域や境界州の奴隷は対象外だった。境界州の奴隷主たちを刺激しないための配慮だった。リンカーンの奴隷解放が人道上の目的ではなく、政治・軍事上の手段でしかなかったことを物語る事実だ。北軍に逃げ込んだ黒人奴隷は自由にはならず、野営地で過酷な労働を強いられるか、奴隷主に送り返された。

奴隷解放が目的であれば、戦争に訴える必要はなかった。18世紀後半から19世紀にかけて、奴隷制は英国、フランス、スペインの植民地を含め多くの国・地域でなくなったが、米国と違い、いずれも平和裡に廃止された。奴隷は労働者の賃労働に比べ割高で、経済的に不採算になっていたからだ。

南北戦争では近代的兵器が初めて使用され、両軍合わせ約60万人が戦死した。これは第二次世界大戦の約40万人、ベトナム戦争の約5万人などを上回り、米国史上最大の犠牲者数である。戦争末期、北軍の将軍ウィリアム・シャーマンが決行した焦土作戦では道路や鉄道、橋、工場などが破壊され、家畜が殺戮された。当時でも戦争犯罪にあたる非道な行為だ。

南北戦争は英語でCivil War(内戦)と呼ばれるが、正確には内戦ではない。内戦とは国内における権力の奪取をめぐる戦争だが、南部諸州は権力を奪おうとしたのではなく、独立を望んだだけだ。リンカーン政権が黙って離脱を認めていたら、戦争で甚大な犠牲者を出すことはなかったし、奴隷制も平和に廃止されていたかもしれない。南北戦争を善対悪の図式でとらえるだけでは、その真の教訓を学ぶことはできない。

<参考文献>
  • 小川寛大『南北戦争-アメリカを二つに裂いた内戦』中央公論新社、二〇二〇年
  • 貴堂嘉之『南北戦争の時代 19世紀』岩波新書、二〇一九年
  • 紀平英作編『アメリカ史 上』山川出版社、二〇一九年
  • Thomas E. Woods Jr., The Politically Incorrect Guide to American History, Regnery Publishing, 2004
  • Thomas J. Dilorenzo, The Real Lincoln: A New Look at Abraham Lincoln, His Agenda, and an Unnecessary War, Crown Forum, 2003

2024-05-19

「鉄血宰相」負の遺産

今から約150年前の1871年といえば、日本では発足まもない明治政府が廃藩置県を断行した年だ。その年の1月、フランスのベルサイユ宮殿でドイツ帝国創立式典が執り行われた。プロイセン国王ヴィルヘルム一世がドイツ皇帝に即位し、ここに国民国家としてのドイツ帝国が誕生した。

ビスマルク - ドイツ帝国を築いた政治外交術 (中公新書 2304)

ドイツ帝国の初代首相となったのはオットー・フォン・ビスマルクである。「鉄血宰相」として有名なビスマルクはその後、約二十年間にわたりドイツ帝国の舵取りを行うことになる。大政治家として知られるが、彼が残した「負の遺産」は小さくない。

ビスマルクはユンカーと呼ばれる地主貴族層の出身で、学生時代は決闘や喧嘩を好んだという。プロイセン王国の保守派の代議士、外交官を経て1862年、国王ヴィルヘルム一世が軍備拡張のため議会と衝突した際に首相に任じられる。このとき議会で「問題は、演説や多数決ではなく、ただ鉄と血によってのみ解決される」と有名な演説をした。鉄は武器を、血は兵士を意味する。

ドイツではこれに先立ち、工業地帯のラインラントを有するプロイセンが1834年にドイツ関税同盟を結成するなど、経済面で統一が進んでいた。ところが首相となったビスマルクは軍事力によって強引に統一を目指す。デンマークやオーストリアとの相次ぐ戦争で勝利し、1867年には、半世紀前のウィーン会議によって発足したドイツ連邦に代えて、プロイセンを盟主とする北ドイツ連邦を成立させた。

一方、南ドイツ諸邦では、強大な隣国の誕生を恐れるフランスの煽動もあり、反プロイセン感情が根強かった。そこでビスマルクは、フランス皇帝ナポレオン三世を挑発し普仏戦争を起こさせた。外敵の出現で北ドイツ連邦と南ドイツ諸邦は協同してドイツ軍を結成し、ナポレオン三世を捕虜にしたうえでパリを包囲した。ベルサイユ宮殿でドイツ帝国創立式典が執り行われたのは、このときだ。

ドイツ帝国は連邦制をとり、プロイセン王が皇帝位を世襲した。男性普通選挙制の帝国議会には、予算審議権があるのみで力はなかった。

イギリスで始まった産業革命が波及し、十九世紀後半のドイツでは鉄鋼、鉄道、自動車、兵器、化学といった産業が急速に発達した。これらの産業で働く労働者の数が激増し、労働条件の向上を求める声が高まる。

こうしたなか、ドイツ出身の思想家カール・マルクスらによって確立された社会主義思想が労働運動に対し影響力を強める。フェルディナント・ラサールが全ドイツ労働者協会を、アウグスト・ベーベルらが社会民主労働者党をそれぞれ結成し、1875年に合併してドイツ社会主義労働者党(現在のドイツ社会民主党の前身)となった。この党が労働運動をリードし、ビスマルクは脅威を感じるようになる。

ビスマルクは社会主義勢力のこれ以上の台頭を防ごうと、出版法や結社法を総動員して規制を試みるが、1877年の帝国議会選挙では逆に社会主義労働者党に五十万票近くが集まり、十二名に議席を許してしまう。

1878年5月11日、ブリキ職人マックス・ヘーデルによる皇帝暗殺未遂事件が起こり、これを受けて社会主義者を取り締まる法律を帝国議会に提出したが、法の前の平等を損ねる内容だったため、圧倒的多数で否決された。ところが6月2日にまたしても皇帝暗殺未遂事件が起こり、八十一歳のヴィルヘルム一世が重傷を負うと、ビスマルクはこの法案を可決しようと帝国議会の解散に打って出る。

二度目の暗殺未遂事件の犯人は大学出のカール・ノビリングで社会主義勢力とは直接関係がなかったにもかかわらず、政府は社会主義の恐怖を煽動した。それもあって同年の帝国議会選挙では保守勢力が議席を伸ばした。その結果、ようやく法案は可決される。「社会主義者鎮圧法」である。

この法律によって、社会主義系の組織は疑わしいものも含めて解散させられ、集会や印刷物も禁止された。当初は二年の時限立法のはずだったが、四回にわたって延長されて1890年まで効力を持ち続け、約千五百名が禁固刑に処され、約九百名がその地域から追放処分にされた。

ところがこのような厳しい取り締まりにもかかわらず、結果はビスマルクの思惑とは裏腹となった。社会主義者鎮圧法では、選挙に参加する権利と議員としての免責権が保障されており、抑圧されながらも社会主義労働者党は活動を続けた。その結果、1880年代にはむしろ議席を着実に伸ばしていった(飯田洋介『ビスマルク』)。

そこでビスマルクは次の一手を打つ。社会保障制度の導入である。社会主義抑圧という「ムチ」が利かないのであれば、労働者に「アメ」をしゃぶらせようというわけだ。

ビスマルクは1883年に疾病保険、84年に労働災害保険、89年に障害・老齢保険(年金保険)と一連の社会保険を世界で初めて立法化した。これらを「ビスマルク社会保険三部作」とも称し、社会保険はその後、急速に近隣諸国に広まった。日本ではしばらく遅れて、同じように労働争議の激化や米騒動などの社会問題が深刻化した1922年、ドイツにならって最初の社会保険である健康保険法が制定された。

これらビスマルクの社会保険は、当初加入義務が一定の部門に限られ、失業を含めカバーされていないリスクがあった。また労災保険については、ビスマルクは現在各国でよく見られるような、国家が社会保険に直接関与する形を考えていたが、連邦制のドイツ帝国では中央集権的な国家の介入には抵抗があったうえ、自由主義勢力から「国家社会主義」と批判されたことなどから、国家が直接関与しない形に譲歩した。それでも全体として、国営の社会保障に踏み出した意義は大きいとされる。

しかし制定の経緯が示すように、ビスマルクが社会保障を導入したのは、労働者の利便を向上させるためというよりも、あくまで政治上の立場を有利にすることが第一の目的だった。1890年代、知人に対し「私が考えたのは労働者階級の買収だ。つまり労働者を味方につけ、政府は彼らのために存在し、彼らの幸福に関心を持つ社会組織だと思わせるのだ」と本音を語っている。

労働者にセーフティーネット(安全網)を提供するには、必ずしも政府が介入する必要はなかった。一部の大企業はビスマルク以前にすでに企業独自の福祉制度があった。たとえば鉄鋼や軍需産業で有名なクルップ社は、疾病者に対する疾病金庫、年金金庫などを独自に用意していた。また、工場労働者たちが労働組合などを通じて相互扶助を行う仕組みも作られていた(橘木俊詔『福祉と格差の思想史』)。

国家の介入を正当化する根拠として、民間の小規模な助け合いだけでは給付水準が限られるという見方がある。しかしそれは民間のネットワークを広げることにより、対応できるはずだ。政府の官僚機構は民間のような柔軟性を欠き、細やかなサービスが得意ではない。

国家であれば民間以上の給付水準を実現できるといっても、財源は民間から徴収する保険料や税金だから、当然限りがある。それにもかかわらず、給付水準は政治的な配慮によって引き上げられやすい。その結果が今、日本をはじめ先進各国が直面する社会保障費の膨張だ。

ビスマルクが推し進めた政治的な地域統合は、今の欧州連合(EU)につながる考えだが、それも英国の離脱などにより是非が問われている。中世のハンザ同盟は政治的なつながりなしに繁栄を享受した。鉄血宰相の功罪を冷静に検証するべきときだろう。

<参考文献>
  • 飯田洋介『ビスマルク - ドイツ帝国を築いた政治外交術』中公新書
  • 橘木俊詔『福祉と格差の思想史』ミネルヴァ書房

2024-05-12

イギリス帝国主義への道

イギリスでは十九世紀前半、自由主義思想が隆盛し、リチャード・コブデン、ジョン・ブライトらマンチェスター派の政治家は自由貿易、平和主義、自由放任を唱えた。1846年の穀物法廃止は、その輝かしい成果と言える。

新・人と歴史 拡大版 29 最高の議会人 グラッドストン

ところが十九世紀半ばから、自由主義に逆行する動きが目立ち始める。武力で植民地を維持・獲得しようとする帝国主義である。

自由主義を唱えるマンチェスター派は植民地について、自治権を与えて本国からの自立を促すよう主張していた。しかし現実の植民地政策はまったく逆の方向に展開した。

十九世紀半ば、イギリスの帝国主義をまず先導したのは外相、首相を歴任したパーマストン子爵である。彼はロシア帝国の南下政策を阻止するとして1854〜56年にクリミア戦争に参戦し、フランス、サルディニア(のちのイタリア王国)と協力して戦争を勝利に導き、国民的英雄になった。1856年には中国でフランスとともに第二次アヘン戦争(アロー戦争)を起こす。

同時にパーマストンは「イギリスの通商業者、製造業者のために新たな市場を確保するのは政府の仕事である」との確信を抱いて、帝国主義政策を世界各地で積極的に推進した。

次いで帝国主義政策の中心人物となったのは、保守党政治家のベンジャミン・ディズレーリである。1804年、ユダヤ系の文筆家の長男として生まれ、親とともにキリスト教(イギリス国教会)に改宗。1868年と1874〜80年の二度にわたり首相を務めた。外交政策では、本国からインドに至る「エンパイア・ルート」を、他の欧州列強の海外進出から防衛することを重視した。

ディズレーリは軍備を拡張し、露土(ロシア・トルコ)戦争に介入、同じくロシアの南下政策に対抗した第二次アフガン戦争を引き起こした。また、キプロスを占領し、南アフリカのトランスバール共和国を侵略した。

1875年にはエジプトのスエズ運河株を買収する。スエズ運河はフランス資本で作られ、株の多くをフランスが握っていた。破産しかけたエジプト副王が保有株(全株式の四四%の十七万六千六百株)をフランス資本家に売却するという情報をつかんだディズレーリは、議会に無断でユダヤ系金融資本ロスチャイルドから四百万ポンドを急ぎ借り受け、先手を打って株を買い取る。これによりイギリス政府がスエズ運河の最大株主となった。

ディズレーリはビクトリア女王に、「陛下、これでスエズ運河は陛下のものです。フランスに作戦勝ちしました」と報告したという。もっとも、本当に勝ちと言えるかは微妙だ。スエズ運河買収後、イギリスは約八十年にわたりエジプトを直接・間接に支配するが、その間、戦争と軍事費膨張、政治的動揺に見舞われることになる。

ディズレーリがスエズ運河を買収した狙いは、英本国とインドの往来をより安全にすることだった。そのインドでは十九世紀半ばまでに、イギリスは東インド会社を通じ、英語を公用語とし、官僚制度による近代的な行政・司法制度を導入した。一方で「野蛮な風習」を排斥するとして啓蒙主義的変革を進め、伝統の破壊として多くのインド人の反発を招いた。

1857年、北インドで東インド会社のインド人傭兵(シパーヒー、英語名セポイ)の反乱が起こった。シパーヒーはデリーを占拠し、ムガル皇帝を盟主として擁立。反乱は北インド全域に広がった。インド大反乱である。しかしイギリスは反乱を鎮圧。ムガル皇帝を廃し、東インド会社を解散させ、旧会社領をイギリス政府の直轄領に移行させた。

1876年、ディズレーリ首相はビクトリア女王にインド皇帝の新たな称号を贈る国王称号法を制定。翌77年1月にビクトリア女王のインド皇帝宣言が行われ、政府直轄領と五百程度の藩王国で構成するインド帝国を成立させた。

現地のデリーでは、インド総督リットンが旧ムガル帝国の儀式にのっとって大謁見式(ダールバール)を開催した。イギリスの君主制とインドが直結され、帝国の一体性と偉大さが強調された。

政府が推し進める帝国主義政策に対し、反対する声はあった。穀物法廃止で活躍したコブデンは議会に対し、クリミア戦争に介入しないよう訴えた。世界中を見回り、目に入るあらゆる悪事を正す「欧州のドン・キホーテ」になるのはイギリスの仕事ではないと主張した。しかし帝国の拡大を支持する声が強く、コブデンは反戦の主張のせいで一時議席を失った。

ディズレーリの政敵である自由党のウィリアム・グラッドストンも1879年の遊説で、武力による拡張主義外交をこう批判した。「我々が未開人と呼ぶ人々の権利を忘れるな。彼らの粗末な家の幸福も、雪に埋もれたアフガニスタンの丘陵の村に住む人々の生命の尊厳も、万能の神の目においては、諸君の生命の尊厳とまったく同じく、侵すべからざるものであることを忘れるな」

帝国主義に対する警告は的中した。政府が進めていた第二次アフガン戦争は頓挫した。南アフリカではズールー王国との戦争で八百人のイギリス兵が戦死した。さらに他の欧州列強との対抗上、地中海で海軍の配備を増強した。

ディズレーリは軍事費を賄うため増税に踏み切ったが、財政は赤字に陥った。これは前任首相のグラッドストンが減税し、しかも財政黒字を保ったのと対照的だ。

ディズレーリは、冒険主義的な外交を批判して平和主義を訴えるグラッドストンに1880年の総選挙で敗れる。グラッドストンは1894年まで首相を務めるが、帝国主義の流れは止められなかった。グラッドストンの退任後、イギリス政府はジョゼフ・チェンバレン植民相の下で海外膨張を推し進めていく。

歴史学者の間では、十九世紀の中葉、1850〜1870年代前半のイギリスの海外膨張を「自由貿易帝国主義」と呼ぶ。必要ならば軍事力による領土併合によって、自由貿易を各地に強制したからだという。

しかしこの主張は論理的に無理がある。そもそも言葉の定義上、「自由」を「強制」することはできない。もし国家が貿易を強制したのなら、それはもはや自由貿易ではなく、国営貿易とでも呼ぶべきだろう。逆に、イギリスと植民地時代のアメリカの貿易のように、貿易が自由な意思で行われているのであれば、それ自体に悪い点はない。悪いのは植民地にした帝国主義政策であって、その結果起こった貿易ではない。したがって、あえて「自由貿易帝国主義」などという言葉を使わず、単に「帝国主義」と呼べばいい。

経済学者シュンペーターは「帝国主義はその性格において原始的である。その特質は大昔からあらゆる社会で重要な役割を演じ、今まで生き延びてきた。つまり帝国主義とは現在ではなく、過去の生活状況の産物だ」と述べている。帝国主義は自由貿易とは相容れない政治行動だった。

近代文明の精華といえる自由貿易で豊かさを享受したイギリスは、前近代的で野蛮な帝国主義によって徐々にその土台を侵され、疲弊していった。戦前の軍国主義への反省を踏まえ、貿易立国として生きる日本にとって重要な教訓である。

<参考文献>

  • 秋田茂『イギリス帝国の歴史 アジアから考える』中公新書
  • 君塚直隆『物語 イギリスの歴史(下) 清教徒・名誉革命からエリザベス2世まで』中公新書
  • 尾鍋輝彦『最高の議会人・グラッドストン』清水新書
  • Jim Powell, The Triumph of Liberty: A 2,000 Year History Told Through the Lives of Freedom's Greatest Champions, Free Press
  • Jim Powell, Wilson's War: How Woodrow Wilson's Great Blunder Led to Hitler, Lenin, Stalin, and World War II, Crown Forum

2024-05-05

「覇権による平和」の代償

日本国憲法が5月3日に施行77年を迎えた。毎日新聞は同日の社説で、イスラエル軍による抵抗組織ハマスへの攻撃によりパレスチナ自治区ガザ地区で女性や子供を含む3万4000人以上が死亡したことなどに触れ、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する」(憲法前文)という「日本国憲法の平和主義の理念が今、国際社会の現実によって脅かされている」と嘆いた。しかし、「日本国憲法の平和主義の理念」が国際社会の現実によって脅かされるのは、今に始まったことではない。
戦後史をたどれば、日本が深く関わっただけでも重大な国際紛争は少なくとも5回あった。朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争だ。

憲法施行の3年後に勃発した朝鮮戦争では、朝鮮半島に近い日本は、兵站を支える補給基地のほか戦闘機、爆撃機、艦艇の出撃基地としてフル稼働し、結果として経済復興のきっかけをつかんだ。ベトナム戦争では、朝鮮戦争で果たした補給・出撃基地としての役割がさらに拡大強化された。米軍による北ベトナム攻撃(北爆)の主力は、沖縄から出撃するB29爆撃機だった。湾岸戦争では、米国が主力となった多国籍軍を戦費負担で支えた。米国の「テロとの戦争」の皮切りであるアフガン戦争では、艦艇への洋上補給作業に海上自衛隊があたり、続くイラク戦争では、陸上・航空自衛隊が復興支援の名の下にイラクへ渡った。

これらの戦争によって現地の市民は多数死傷し、「恐怖と欠乏」にさらされた。つまり、「平和主義の理念」は憲法施行以来、ほぼ一貫して脅かされてきたといっていい。けれども、毎日はそうは書かない。書いてしまったら、憲法施行以来、世界では戦争がやまず、その中には日本が深く関わったものもあるというのに、誇らしげに「平和主義の理念」を掲げることの偽善があらわになってしまうからだろう。

メディア関係者を含む多くの日本人は、戦後日本が平和でよかったとしばしば口にする。左派は憲法9条のおかげだといい、右派は日米同盟のおかげだという違いこそあれ、戦後日本が平和で、それはいいことだったという認識に変わりはない。けれども、視野を日本の外に広げれば、すでに述べたように、多くの人々が戦争で生命や財産を奪われ、恐怖と欠乏に苦しんできた現実がある。そしてそれらの戦争で、日本は直接戦闘にこそ参加しなかったが、さまざまな形で協力した。その協力は、一部違憲だと裁判所から指摘されたものの、おおむね「平和主義」の枠内だとされてきた。これを偽善と呼ばないのは難しい。

それでも「平和主義」がどうにか破綻せずに済んできたのは、なぜだろうか。韓国の日本研究者、権赫泰(クォン・ヒョクテ)氏は「憲法の「平和主義」は冷戦体制下での米国の対アジア戦略の産物」だと指摘し、次のように説明する。「米国は、日本とアジアを米国を頂点とする分業関係のネットワークのもとに位置づけた。韓国には戦闘基地の役割が、日本には兵站基地の役割が与えられた。日本が「平和」を維持できたのは、在日米軍の70%以上を沖縄に駐屯させ、韓国が戦闘基地、すなわち軍事的バンパーとしての役割を担い、周辺地域が軍事的リスクを負担したからだ」(鄭栄桓訳『平和なき「平和主義」』)

韓国は、朝鮮戦争では自国が戦場となり、ベトナム戦争では米国の要請を受けて、約5万人、のべ31万人余りに及ぶ実戦部隊を派兵した。その規模は、オーストラリアやニュージーランドを含む東南アジア条約機構(SEATO)諸国全体の派兵数の約4倍にも及ぶ数だった。今日では、韓国軍のベトナム住民に対する残虐行為が明らかにされ、枯葉剤による後遺症が深刻な問題となっている。韓国軍のこうした行為は批判されなければならないが、韓国が日本の分まで戦闘の役割を押しつけられた結果であることを忘れてはならないだろう。

権氏が指摘するように、日本の「平和」の犠牲になった点では、沖縄も同じだ。沖縄の人々が長年、米軍基地の過剰な存在に苦しんでいるにもかかわらず、日米同盟が必要だという多くの日本人は、基地を自分の町で引き受けるとは決していわないし、メディアもそうした主張はしない。これが日本の平和主義の醜い現実であり、日米同盟の醜い現実でもある。

権氏の「分業ネットワーク」論に通じる鋭い洞察がある。リバタリアン思想家のハンス・ヘルマン・ホッペ氏は、第二次世界大戦後、世界で西欧諸国や日本と韓国などが互いに戦争をしなかったのは、一部の論者がいうようにこの国々が民主主義国だからではなく、米軍の駐留が示すように「実質上、アメリカ帝国の一部になった」からだと述べる。覇権主義的で帝国主義的な大国である米国が、その「植民地部分」を互いに戦争させず、米国自身も衛星諸国に対して戦争を仕掛ける必要がなかったからにすぎないという。それはソ連の覇権支配時代、衛星国である東欧の共産主義諸国が互いに戦争をしなかったのと変わらない。日本の保守派はソ連に支配された旧東欧諸国を憐れむが、覇権国の事実上の植民地として「平和」を許されている点で、今の日本も違いはない。

「覇権による平和」ともいうべきこの体制には問題がある。一国が「平和」を享受する代償として、国内では沖縄のように、国外では韓国や「テロとの戦争」で戦場にされた国々のように、誰かが暴力の犠牲になる点だ。憲法前文に謳われた「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する」という真の平和は、誰かを犠牲にして手に入れるものであってはならないはずだ。

諸国の非難にもかかわらず米国のイスラエル支援によってガザで奪われつつある膨大な人命は、覇権国の支配がもたらす代償の大きさをまざまざと見せつける。もし日本が憲法の理念に忠実に、世界に真の平和を実現する役に立ちたいのであれば、覇権による偽りの平和を否定しなければならない。もちろん憲法に自衛隊や国の自衛権を明記しろといいたいわけではない。それは覇権下における分業体制の微修正であり、延長でしかない。

毎日は「市民の行動する力」に望みをかける。それに異論はない。たやすくはないにせよ、市民の力を背景に、覇権国の暴走に外交の場で何度もノーを突きつけるところから、真の平和追求は始まるだろう。

2024-04-28

語られないジェノサイド

ジェノサイド(集団殺害)とは、「国民的、人種的、民族的または宗教的集団の全部または一部を破壊する意図をもって行われた」(ジェノサイド条約第2条)行為を指す。ナチス・ドイツが600万を超えるユダヤ人を組織的に殺害したホロコーストを契機として第二次世界大戦後に結ばれ、ジェノサイドという残虐行為を二度と繰り返さないという国際社会の決意を表すとされる。しかしこの言葉は、政治の都合によって利用されたり、無視されたりする。
朝日新聞は4月13日、イスラエル軍の攻撃が続くパレスチナ自治区ガザで、長年イスラエルの占領政策を批判してきた、パレスチナ人の人権活動家で弁護士のラジ・スラーニ氏のインタビューを載せた。ガザで3万3000人以上が犠牲になった今回の戦闘はジェノサイドだと同氏は明言する。

スラーニ氏の主張はおおむねポイントをついている。①昨年10月7日にガザの抵抗組織ハマスが攻撃を始めたからといって一般のパレスチナ人が死んでもいいはずはない②イスラエル軍は長年にわたり占領しているガザやパレスチナ自治区ヨルダン川西岸で多くの市民を殺してきた③ガザに降り注ぐ爆弾の多くは米国から供給されたもの——といった指摘だ。

しかしその中で、うなずけない発言があった。「ロシアによるウクライナの占領に西側社会が団結して反対し、ウクライナの支援に団結した」という箇所だ。

大手メディアは言及を避けているが、このブログで何度も書いてきたように、ウクライナ戦争とは、ロシアが一方的にウクライナに攻め込み、占領したという単純な話ではない。

政治学者の大崎巌氏も最近出版した著書で、「(2014年にウクライナで起こった)マイダン・クーデター後の8年間、米国・NATO(北大西洋条約機構)に支えられたポロシェンコ・ゼレンスキー両政権は、ロシア系ウクライナ人のロシア語を使用する権利を奪い続け、自治の拡大と生存権を求めて闘っていたロシア語話者の自国民をテロリストと呼んで弾圧・攻撃・虐殺し続けた」(『ウクライナ危機と<北方領土>』)と指摘する。

2022年2月に始まったロシアの軍事行動には、虐殺されるロシア系ウクライナ人を救うという目的があった。目的が立派でも所詮戦争は生命や財産の侵害だという問題はあるにせよ、少なくとも大手メディアが書き立てるような、領土欲に燃えるロシアが無実のウクライナを一方的に侵略したという単純な構図ではない。

マイダン・クーデターから2023年4月下旬までに、ウクライナ政府側は東部ドンバスで5000人を超える民間人を虐殺したとされる。大崎氏は現在のガザ危機と対比し、「(イスラエルの)ネタニヤフ政権が行なっていることは、2014年のクーデター後にポロシェンコ・ゼレンスキー両政権がドンバスで行ったことと同様、選民思想による他集団へのジェノサイドという犯罪行為だ」と批判する。

ところが朝日が掲載したスラーニ氏のウクライナ戦争に関する発言には、そうした視点がまったくない。同氏自身、「この(ガザでの)ジェノサイドは昨年10月7日に始まったわけではない」と述べ、イスラエル軍によるパレスチナ人の虐殺はその前から長年続いてきたと強調しておきながら、ウクライナ政府によるロシア系住民の虐殺が2022年2月以前から長年続いてきた事実は無視している。

朝日としても、ガザとドンバスの人々はどちらもジェノサイドの犠牲者だという真実を語られては、ロシアを一方的に悪者扱いする日頃の報道と矛盾し、都合が悪いだろう。朝日などリベラル派メディアはいつも、弱者に寄り添う姿勢を強調するが、どうやらその弱者の中に、政治的に都合のよくない存在であるロシア系ウクライナ人は含まれないようだ。

政治的に都合のよくないジェノサイドが語られない一方で、政治的に都合がよいジェノサイドは大いに喧伝される。それどころか、存在しないジェノサイドまででっち上げられる。

米国務省は今月、各国の2023年の人権状況を評価した年次報告書を公表した。報告書は中国について、新疆ウイグル自治区で、イスラム教徒の多いウイグル族やその他の民族的・宗教的少数派に「ジェノサイドや人道に対する罪」が起きたと指摘した。朝日新聞によれば、報告書の公表にあわせて記者会見したブリンケン米国務長官は、ウイグル族について「ジェノサイドと人道に対する罪の犠牲者」だと言及し、「責任を負う政府に直接、深い懸念を表明し続ける」と述べた。

このウイグル族に対する「ジェノサイド」とは果たして本当なのか、かねて疑問が持たれている。大手メディアの報道などによれば、中国政府はウイグル族を強制収容所に入れ、虐殺、拷問、洗脳、強制労働、強制不妊手術などを行っており、これがジェノサイドにあたるという。

これに対して中国政府は否定し、反論がなされている。①100万~200万人とされるウイグル族収容者の大半はすでに出所②ウイグル族収容者に対し行っているのは有用な労働技能の訓練③中国の脱過激化プログラムは2006年の国連グローバル・テロ対策戦略と一致し仏英米豪と類似④中東のイスラム諸国やイスラム教徒の多い東南アジア諸国にも同様の脱過激化プログラムがある——などだ。脱過激化プログラムとは、過激なイスラム主義思想を除去して元テロ実行犯受刑者を悔悛させ、寛容なイスラム理解を精神に移植する教育・訓練を指す。中国がテロ組織に指定するウイグル独立派組織「東トルキスタン・イスラム運動(ETIM)」の元メンバーなどが対象とみられる。

2019年7月上旬、欧米21カ国と日本が国連人権理事会で、新疆ウイグル自治区におけるウイグル族弾圧の疑いで中国を批判する共同声明を発表したところ、グローバルサウスと呼ばれる新興・途上国の37カ国が独自の書簡で中国を擁護した。署名した半数近くがイスラム教徒の多い国だった。元豪外交官ジョン・メナデュー氏が運営するウェブサイトの記事は「中東、アフリカ、中央アジア、東南アジア全体で、新疆ウイグル自治区でのイスラム過激派の拘束に関する虚偽・誇張された主張に引っかかったイスラム諸国はひとつもない」と書く

最近、ロイター通信の報道により、米トランプ政権下の2019年以降、米中央情報局(CIA)が中国の国際的な評判を落とすための秘密作戦を展開していたことが暴露された。この作戦の一環としてウイグル族弾圧の偽情報が流布されたのではないかとの見方もされている。

あきれたことに、ブリンケン国務長官は記者会見で中国の「ジェノサイド」を非難した数日後に訪中し、虐殺犯であるはずの習近平国家主席とがっちり握手を交わした。どうやら米政府自身、中国の「ジェノサイド」が本当だとは信じていないのだろう。他国をありもしない罪で罵りながら、イスラエルによる正真正銘のジェノサイドに資金・兵器支援で加担するその面の皮の厚さには、ほとほと恐れ入る。だが政府にしろメディアにしろ、言葉を都合に合わせて利用する者は、やがて誰からも信用されなくなるだろう。

2024-04-21

日米同盟はいらない

岸田文雄首相が今月、ワシントンでバイデン米大統領と会談し、日米同盟の強化を打ち出した。会談でバイデン大統領は「我々の同盟は史上最も強固だ」と強調し、岸田首相はその後の米議会演説で「同盟」という言葉を10回も繰り返した。バイデン氏は多くの歴代大統領と同様、いかなる国とも政治上の同盟を結ばないという米建国当初の精神を忘れているようだし、岸田首相も同盟がむしろ人々の安全を脅かす危険を無視している。
米国が日本を含む多くの国と同盟を結ぶ現状からは想像しにくいかもしれないが、米国の独立期に活躍し、国の基礎を築いた「建国の父」と呼ばれる有力政治家たちは、いかなる国とも政治上の同盟を結ばないよう警告していた。

たとえば、初代大統領のジョージ・ワシントンは退任の辞で「世界のいかなる地域とも恒久的な同盟関係を結ばない。これがわが国の真の方針だ」と述べた。アメリカ独立宣言の起草者の1人で、第3代大統領となったトーマス・ジェファーソンは「あらゆる国と平和、通商、誠実な友好を保ち、いかなる国とももつれ合う同盟を結ばない」と強調した

建国の父たちが同盟を戒めたのは、同盟によって自国の防衛と無関係な戦争に巻き込まれることを恐れたからだ。当時心配されたのは欧州諸国との同盟だった。ワシントンは「人為的な結びつきによって、欧州によくある政治的な波乱や、結合・衝突、友好・敵対に巻き込まれるのは賢明でない」と警告している。

そうかといって、他国との関係をすべて断てといったわけではない。戒めたのは政治上の結びつきであって、経済上の結びつきはむしろ奨励した。ワシントンは「諸外国との関係において、わが国の行動規範の大原則は、通商関係を拡大する際に、政治的な関係をできるだけ持たないようにすることだ」と述べている。ジェファーソンはさきほどの引用で「あらゆる国と平和、通商、誠実な友好」を保つよう勧めているし、別の場所では「すべての国と自由に通商し、どの国とも政治的なつながりを持たず、外交関係をほとんど、あるいはまったく持たないことに賛成だ」と記している。

現代のマスコミは、米国の政治家が他国との同盟に後ろ向きな発言をすると、「孤立主義」「内向き志向」と非難する。しかし、政治的・軍事的な関わりを絶ったからといって、世界から孤立するわけではないし、内向きになるわけでもない。経済上の交流があればいい。そのほうが一般の人々にとっては有益だ。

一方、日本もかつて同盟で道を誤った。1902(明治35)年に結んだ日英同盟だ。日英同盟は短期では日本の勢力拡大に役立ったように見える。

1904年に始まった日露戦争で、日本はさまざまな形で同盟国である英国の支援を受けた。まず、物資面だ。日本海軍の主力の戦艦6隻すべてが英国製だったし、装甲巡洋艦8隻のうち4隻がやはり英国製で、最新鋭のものだった。日本陸軍が戦時中に発注した銃砲弾の約半分は英国のアームストロング社やドイツのクルップ社などに発注したものだった。次に資金面では、日露戦争の戦費(当時の国家予算の6倍にあたる18億円)の4割は外国からの借金で、そのお金を貸してくれたのが英国と米国だった。劣らず重要だった支援は、情報の提供だ。英国は日英同盟を結んだ1902年、世界の植民地や主要国との間の海底ケーブル網を完成させた。これを利用し、ロシア軍の状況など軍事情報を日本に提供した。また、日本に有利な情報のみが巧みに市場に流され、日本の国債販売を後押しした(山田朗『日本の戦争 歴史認識と戦争責任』)。こうして日本はロシアに勝利し、韓国に対する支配権などを確保した。1905年には日英同盟の改定によって韓国に対する日本の保護・指導権を認めさせ、1910年には韓国を併合する。

1914(大正3)年に勃発した第一次世界大戦でも、日本は日英同盟の「恩恵」を受けた。日英同盟を理由に連合国側に加担してドイツに対抗し、中国に対し山東省のドイツ権益を日本が継承することなどを柱とする二十一カ条要求を突きつけた。また地中海に駆逐艦を派遣したのと引き換えに、英国と秘密協定を結ぶ。太平洋に点在するドイツ領南洋諸島を赤道で分け、赤道以南については英国の要求を、以北については日本の要求を互いに認めることとし、あわせて山東省のドイツの権益を日本が引き継ぐことを英国が認めるという内容だった(梅田正己『これだけは知っておきたい近代日本の戦争』)。1918年にドイツが降伏し、連合国側の勝利に終わるとパリ講和会議が開かれ、日本は英国との秘密協定どおりに、山東省の旧ドイツ利権を継承するとともに、赤道以北のドイツ領南洋諸島を国際連盟の委任に基づく委任統治領とし、中国や太平洋で勢力を拡大した。

ここまでの経緯からは表面上、英国との同盟で日本は大きく得をしたように見える。しかし、それは政府の立場による見方でしかない。日本やアジアの人々は多大な犠牲を払った。日露戦争に動員された日本兵は約180万人で、戦死者8万8000人、戦傷病者44万人に達した。植民地にされた朝鮮では日本の統治に不満が爆発し、1919年3月1日、独立運動が全土に拡大した(三・一独立運動)。朝鮮総督府は軍隊まで動員し、厳しい弾圧を加えて鎮圧した。

第一次世界大戦でドイツが敗北した結果、皮肉なことに、日英同盟の意味は薄れた。1921年、米国の主導で開いたワシントン会議で、中国の主権・独立・領土保全の尊重などを取り決めた9カ国条約などを結び、日英同盟は破棄された。その背景には、中国で日本の独走を望まない英国や米国の思惑があった。中国をめぐる日本と英米の利害の食い違いは、やがて深刻な対立へと発展し、ついに第二次世界大戦での全面対決と日本の悲惨な敗北に至る。

日本は戦争の結果、多数の人々の生命・財産を犠牲にしただけでなく、かつて日英同盟を助けに手に入れた海外領土をすべて失った。特定の国と政治上の同盟を結んだり他国を植民地にしたりするのではなく、あらゆる国と経済上の友好関係を保っていれば、別の道が開けていたかもしれない。

岸田首相は米議会演説で「日本の堅固な同盟と不朽の友好をここに誓います」と強調した。しかしその美辞麗句とは裏腹に、日米同盟は「世界の安定に貢献していく」(日本経済新聞、4月11日付社説)どころか、東アジアなどで対立を煽り、不安定をもたらす恐れがある。ワシントンの言葉に従い、「恒久的な同盟関係を結ばない」という選択を真剣に考えるべきだ。

2024-04-07

北朝鮮制裁の非道

朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に対する経済制裁の履行状況を調べる国連安全保障理事会の専門家パネルが、4月末で廃止される見通しとなった。専門家パネルの任期を1年延長する決議案に、ロシアが拒否権を行使したためだ。

日ごろ悪玉として叩いている北朝鮮とロシアがセットになった話題だから、主要各紙の反応は想像がつくだろう。社説でここぞとばかりに、「北朝鮮の不正を隠す決議案否決」(日本経済新聞)、「身勝手過ぎる露の拒否権行使」(読売新聞)、「露は拒否権行使を恥じよ」(産経新聞)などと一斉に非難した。けれども、経済制裁を声高に叫ぶメディアは重要なことを無視している。制裁は一般市民を苦しめる非道な行為という事実だ。
2009年に設置された専門家パネルはこれまで、北朝鮮が海上で物資を密輸する実態を明らかにするなどしてきたとされる。読売は「専門家パネルが廃止となっても様々な制裁決議が失効するわけではないが、監視体制が緩むのは避けられない。北朝鮮の核・ミサイル開発が加速するのは確実だ」と述べる

しかし、そもそも制裁に政策変更を促す効果は薄い。ローデシア(現ジンバブエ)や南アフリカが人種差別政策を放棄したケースはあるものの、制裁でイラク戦争を止めることはできなかった。北朝鮮に対しては2006年以降、18年間も制裁が続いているにもかかわらず、核開発やミサイルの開発は止まらない。その理由の一つには、第三国経由で北朝鮮に禁輸品を積んだ船舶が入港するなどの「制裁破り」があるとされる。その監視の一端を担ってきた専門家パネルを日本のメディアは持ち上げるけれども、開発が止まらなかった事実から判断する限り、結局たいして役に立たなかったということだろう。

それ以上に重大な問題は、制裁が一般市民を苦しめることだ。最近の北朝鮮は闇市の発達で、壊滅的な飢饉に見舞われた1990年代後半に比べれば食糧が手に入りやすくなったようだが、それでも長期にわたる制裁や新型コロナウイルスに伴う国境封鎖で食糧難が深刻になり、一部地域で餓死者も出たとされる。2021年のことになるが、国連の北朝鮮人権状況特別報告者は、北朝鮮で子供や高齢者といった弱い立場の人々が飢餓のリスクにさらされていると指摘し、北朝鮮に対する制裁を解除するよう求めた

ロシア外務省のザハロワ情報局長は、今回の拒否権行使について「終わりのない制裁は、その目的を達成するためにはまったく役に立たない。だが国家全体の財政的・経済的封鎖につながり、その結果、国民に相応の影響を及ぼす」とコメントしている。

見落とされがちだが、北朝鮮に対する制裁の影響を受けるのは北朝鮮の市民だけではない。国連による制裁は2006年10月以降、安保理決議にもとづき実施されているが、日本政府は同年7月以降、独自の制裁を発動している。その内容は日本と北朝鮮との間のヒト・モノ・カネの流れを全面的に遮断するもので、国連の要請する制裁よりもはるかに広範囲に及ぶ。その結果、在日朝鮮人の自由を著しく侵害している。

在日本朝鮮人人権協会に寄せられた被害相談によれば、Aさんは北朝鮮の平安南道に住んでいた実姉が死去したため、葬儀への参列や墓参のため、北朝鮮への渡航を求めて再入国許可を申請したが、入管当局が規制措置の例外を認めず許可しなかったため、葬儀に参加できなかった。

また同協会には、朝鮮に在住する親族に生活物資や生活資金を送付したいが、経済制裁による規制に抵触しないかという相談が多数寄せられているという。北朝鮮の厳しい経済環境で暮らす市民の中には、日本に住む親族からの仕送りで命をつないでいる人々が少なくない。制裁はこうした親族たちを窮地に追い込むことになる。

大人だけではない。全国各地の朝鮮学校生は、高校3年になると修学旅行で北朝鮮を訪ねているが、日本に帰国した際、空港の税関で、現地で購入したお土産品を没収される例が相次いでいる。2018年に神戸朝鮮高級学校の生徒が関西国際空港税関当局にお土産を没収された際、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)が行った記者会見によれば、「生徒たちは、朝鮮にいる親戚や友人からもらった心からの贈り物を目の前で没収され、その非情さに心を引き裂かれて泣きじゃくったという」。

さらに事実上の制裁といえるのが、朝鮮高校生を高校「無償化」から除外したり、朝鮮学校への補助金を事実上停止するよう各自治体に通知したりする、文部科学省の措置だ。文科省は表向き、政治・外交問題とは無関係としているが、朝鮮高校の無償化排除を決めた第2次安倍晋三政権の下村博文文科相(当時)は2012年12月の記者会見で「拉致問題の進展がないことや朝鮮総連と密接な関係があり、現時点で無償化を適用することは国民の理解を得られない」と堂々と述べていた

なお、「無償化」は実際には納税者の納める税金で賄われるので、正しくは「税金化」であり、補助金ともども、教育を政府に従属させる手段だ。自由主義の立場からは廃止が望ましいが、現実に制度が存在する以上、いうまでもなく朝鮮学校生など特定の学生だけが不当に不利益を受けるような運用は許されない。在日朝鮮人に税制上の優遇措置は存在せず、親には当然納税者としての権利がある。

意外かもしれないが、拉致問題を念頭に朝鮮高校の無償化排除論がスタートしたのは、保守派の安倍政権下ではなく、リベラルとされたその前の民主党政権下だ。明治学院大学教養教育センターの鄭栄桓(チョン・ヨンファン)教授は、非軍事的強制措置(引用元の書籍では「準軍事的措置」とあるが、鄭氏の指摘により修正)である経済制裁は憲法9条の理念から控えるべきだという考えがあっていいはずなのに、「ほとんど国会で全会一致で承認されている」と指摘。「根源的な平和主義、経済制裁にも反対するような平和主義の芽は、この間生まれてこなかった」(共著『いま、朝鮮半島は何を問いかけるのか』、2019年)と述べ、野党や市民運動を含めた戦後日本の平和主義のあり方に厳しい問いを突きつける。

経済制裁は戦争に比べ穏やかなイメージがあるが、実際は違う。イラクに対する国連の経済制裁では飢餓や病気で100万人以上のイラク人が死亡し、うちほぼ半数が子供だった。米クリントン政権のオルブライト国連大使(当時)が1996年、テレビ番組で記者から「これまでに50万人の子供が死んだと聞いた。広島より多いといわれる。犠牲を払う価値がある行為なのか」と聞かれ、「大変難しい選択だとは思うが、それだけの価値はある」と言い放ったのは有名だ。

一方、リバタリアンの反戦ジャーナリスト、ジャスティン・レイモンド氏は、同じイラク制裁について「国民と政府を同一視する思考の論理的帰結であり、政府の犯罪(現実のものであれ想像上のものであれ)に対して個人を罰する」とその本質をつく。そして「権力の計算では、個人は数に入らない。イラク人は存在せず、イラクという国家だけが存在するのだ」と喝破する

北朝鮮制裁を叫ぶ日本の政府、野党、メディアはまさに「国民と政府を同一視する思考」に陥り、北朝鮮政府の「犯罪」に対して北朝鮮市民や在日朝鮮人という個人を罰している。制裁を求める人々に北朝鮮を全体主義国家だと笑う資格はない。国家という全体だけに注目し、個人を無視する冷酷な考えこそ全体主義なのだから。

2024-03-30

「ルールに基づく国際秩序」の化けの皮

国連安全保障理事会は3月25日、非常任理事国10カ国が共同提案したパレスチナ自治区ガザにおけるラマダン(イスラム教の断食月)期間中の即時停戦を求める決議を採択した。日本、中国、ロシア、英国など14カ国が賛成し、米国は棄権した。昨年10月に戦闘が始まって以来、安保理が停戦決議を可決したのは初めてだ。日本の大手メディアは「イスラエルの後ろ盾として過去4度にわたって決議案に拒否権を行使してきた米国の変化が大きい」(朝日新聞、3月28日社説)と米国の姿勢を評価する。しかし、それは甘い見方だ。
朝日の社説は「イスラエルはパレスチナ自治区ガザでの軍事作戦を中止しなければならない。(ガザの武装勢力)ハマスは約130人とされる人質全員を直ちに解放すべきだ」と、あたかも停戦と人質解放がセットのような表現をしている。停戦決議に反対してきた米政府の主張をなぞったかのようだ。実際の決議は、即時停戦とともに「人質全員の即時無条件解放」とガザへの「人道支援実施の確保」を求めてはいるものの、人質解放を即時停戦の条件としてはいない。

さて、日本の報道では無視されたが、今回の停戦決議後、米政府関係者の発言が物議を醸した。決議に「拘束力はない(nonbinding)」と主張したのだ。トーマスグリーンフィールド国連大使は25日、決議後の説明で「この拘束力のない決議の重要な目標のいくつかを全面的に支持する」と述べた。やはり同日、ホワイトハウスの記者会見でカービー大統領補佐官は「拘束力のない決議だ」と何度も発言し、「だからイスラエルや同国がハマスの追及を続けることにまったく影響はない」と主張した。国務省のミラー報道官も「今日の決議は拘束力のない決議だ」と繰り返した。

米国の言い分はおかしい。拘束力のない国連総会決議とは異なり、イスラエルも含めて国連加盟国は安保理決議に従う義務があるし、違反すれば制裁の対象となる。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が人工衛星を打ち上げると「国際法違反」と非難されるが、これは北朝鮮による核・ミサイル開発を禁止した2006年の安保理決議に違反するとされるからだ。この件に関する朝日の記事で専門家が指摘するように、安保理決議は国際法上の派生法に当たり、法的拘束力がある。

いつもは米国に万事歩調を合わせる英国でさえ、今回の停戦決議は棄権せず、賛成した。英紙ガーディアンは「バイデン(米大統領)の外交官たちは驚くことに、決議には拘束力がないと主張する。この判断は英国と同じではない。英国は停戦決議の即時実施を求めている」と書く

それにしても米国はなぜ、安保理決議には拘束力があるという明白な事実をなりふり構わず否定しようとするのだろう。そこには各国を平等に縛る伝統的な国際法と、米国が近年盛んに推し進める、あいまいな「ルールに基づく国際秩序」との間の深い亀裂がのぞく。コラムニストのテッド・スナイダー氏は米シンクタンク、リバタリアン研究所への寄稿で「安保理決議を拘束力のないものと判断し、国際法並みの拘束力を否定することで、米国は覇権主義から一国優位主義へと次のステップを踏み出した」と分析する

国際法上重要な役割を果たす国連に対し、リバタリアン(自由主義者)の一部は、全体主義的な「世界政府」につながりかねないとして警戒心を抱く。しかし実際には、大国が国連を利用することはあっても、主権を国連に譲り渡したり、自分の支配の及ばない「世界政府」をつくったりするリスクはほとんどない。むしろ「国連、とくに国際司法裁判所(ICJ)は、実定法や立法による制約を受けにくい分、国際法とは何かを宣言する際に、伝統的な正義の概念に従う自由がある」とリバタリアン法理論家のステファン・キンセラ氏は指摘する。そのうえで「国際法は個々の国家の法律よりも自由主義的だし、今後もそうあるべきだ」と強調する

これまで米国の軍事上の行動や主張は、伝統的な国際法に照らして問題があると批判を浴びてきた。先制攻撃を認める自衛権の解釈、テロリストとされる過激派への武力行使、1999年のセルビア空爆、2003年のイラク攻撃、2011年のリビア攻撃、グアンタナモ収容所に投獄されたタリバン兵に対する捕虜資格の否定などだ。国際法学者ジョン・デュガード氏は「米国はこの種の国際法上の解釈について、ルールに基づく国際秩序の大ざっぱな「ルール」の下で見解の相違としておいたほうが、国際法の厳格なルールの下で正しいと証明するよりも都合がいいし、そうできると考えているようだ」と論じる

そればかりか、米国は厚顔無恥にも、「ルールに基づく国際秩序」を守れと他国に説教する。しかし米国のそのような身勝手な態度は、もはや通用しなくなろうとしている。その象徴が、今回のガザ停戦決議といえる。伝統的な国際法では、決議に従い、即時停戦しなければならない。戦争継続やイスラエル支援で政治的・経済的な利益を得る米政府はそうしたくないので、「拘束力はない」と言い張っているわけだ。米国の国際法を軽視する姿勢が改まらなければ、子供を含む多数の市民が命を失い、飢餓が迫る、ガザでの停戦実現は心もとない。

日本のメディアは何かといえば、米国に都合のいい「ルールに基づく国際秩序」を持ち上げ、日本人をそれに従わせようとする。だが、世界はすでに欺瞞に気づいている。最近、上川陽子外相がフィジーの首都スバで開催された「太平洋・島サミット」(日本を含め19カ国・地域が参加)の中間閣僚会合に共同議長として出席し、南太平洋地域で影響力を強めるという中国を念頭に、「ルールに基づく国際秩序」などの重要性を確認したものの、代理や欠席でない外相の参加は、日本を除き6カ国にとどまったという。化けの皮のはがれた「ルール」にしがみつくのは、もうやめたほうがいい。

2024-03-25

民主主義を語る資格のないメディア

ウクライナへの軍事行動が始まって初のロシア大統領選挙で、現職のプーチン氏が通算5回目の当選を果たした。投票率は74%で前回2018年を上回り、プーチン氏の得票率は8割強で過去最高の圧勝だ。これに対し日本の主要紙は一斉に、選挙結果は強権により演出されたものにすぎないと主張し、ウクライナへの「侵略」は正当化されないと強調した。みっともない。自らの行いを顧みずにロシアを非民主主義国と見下し、侵略国家と一方的に非難する、日本を含む西側のその傲慢で偽善に満ちた態度こそが、ロシア国民の反発と愛国心を強め、プーチン大統領を圧勝に導いたのだ。
産経新聞は「ウクライナ侵略に反対し、「反政権」「反戦」を訴えた立候補者が事前に排除されるなど、民主的な選挙の片鱗もみられない」と批判した。いつもウクライナの徹底抗戦を主張しておきながら、反戦派の排除を問題視するとはご都合主義もいいところだ。立候補を認められなかったのはリベラル派の元下院議員ナデジディン氏や平和主義を掲げた元ジャーナリスト、ドゥンツォワ氏らだが、いずれも提出書類に無効な署名が多すぎるなどの不備が原因とされる。

ナデジディン氏は戦争終結や徴兵制廃止を訴えていたといい、選挙で争えなかったのは残念だ。しかし基準を満たさないのに立候補を認めれば、それこそ「民主的な選挙」に反する。それらしい根拠もないのに、不当に排除されたかのように言い立てるのは、たちの悪い印象操作だ。それほど支持者の多くない反戦派らの不出馬がプーチン氏の記録的な圧勝を可能にしたとは、言いすぎだろう。気に入らない選挙結果なら認めないとは、民主主義にふさわしい態度ではない。

読売新聞は「立候補や投票の自由が保証されてこそ、選挙は民主主義の制度でありうる」と強調し、プーチン政権について「議会や司法も、政権の影響下にあり、チェック機能は期待できない」と批判する。ロシアは完璧な民主主義国ではないかもしれない。だがその一方で、ロシア非難の先頭に立つ米国では、返り咲きを狙い予備選に出馬中のトランプ前大統領が多くの刑事訴追の標的となり、事実上、立候補の自由を妨げられている。泡沫候補への妨害どころではない。

また日本では、国政選挙での「一票の格差」が法の下の平等に反するとして選挙の無効を求める訴訟が繰り返し提起されているにもかかわらず、裁判所は「違憲状態」というだけで選挙の無効は認めないし、いわれた国会もほとんど是正しない。その結果、昔からの選挙区で強固な地盤をもつ世襲議員が多く当選し、内閣に顔を並べる。とてもロシアの選挙を見下す資格はない。

なにより、ロシアと同じく戦時下のウクライナは、戒厳令を5月中旬まで延長することを理由に、本来であれば3月に行う大統領選をまだ実施していない。国民から投票の自由を奪っているのは、ロシアではなく、ウクライナのゼレンスキー政権のように見える。なおウクライナは他にも、野党系メディアを閉鎖したりジャーナリストを拷問して死に追いやったりと、立派とは言いにくい振る舞いが目に余る。

各紙とも2022年2月に始まったロシアの軍事行動を「侵略」と非難するが、これも悪質な印象操作だ。現在の戦争は、ウクライナに肩入れする日本の国際政治学者でさえ認めるとおり、10年前にウクライナ東・南部で勃発した紛争の延長戦上にあり、その紛争中、民族主義的なウクライナ政府は女性や子供を含むロシア系住民を迫害し、殺傷した。歴史上、ロシアに属してきたこの土地の住民たちを保護することが、ロシアが開戦に踏み切った一つの理由だ。戦争が最善の手段だったかどうかという問題はあるものの、1999年のコソボ紛争で、西側の北大西洋条約機構(NATO)はアルバニア系住民の保護を理由にセルビアを空爆したのに、今回ロシアだけを非難するのは筋が通らない。

毎日新聞は「ロシアが一方的に併合を宣言したウクライナ東・南部の4州でも投票が強行された」と書く。西側メディアが繰り返す、この「一方的に併合を宣言」という主張は事実をゆがめる。クリミア半島や東・南部4州は、かつて住民投票でいずれも約90%が賛成し、ロシアに編入した経緯がある。このときも西側は今回の露大統領選同様、投票結果は認められないと騒いだが、激しい抗日運動を招いた日本による1910年の韓国併合(住民投票の結果ではない)と異なり、編入地域の住民がロシアの支配に憤激しているという情報はないし、ソーシャルメディアで流れる映像はむしろ喜んでいるようだ。

産経は、クリミアなどでの大統領選投票について、林芳正官房長官の「(クリミアなどの)併合はウクライナの主権と領土一体性を侵害する明らかな国際法違反だ。これらの地域での大統領選実施も決して認められない」という言葉を引用し、ロシアを非難する。だが「明らかな国際法違反」と言い切れるほど単純な話ではない。

近年、国際法上の「救済的分離」という理論が議論されている。特定の集団が自国政府によってアパルトヘイト(人種隔離)やジェノサイド(民族大量虐殺)のような継続的で重大な人権侵害にさらされている場合などに、救済として分離を認めるべきだとされる。自国政府から長年迫害・殺傷されてきたウクライナのロシア系住民は、まさにこのケースに当てはまる(米軍基地問題に苦しむ沖縄もこの理論により日本から独立できるかもしれない)。

さらに踏み込んで、個人の権利を重視する自由主義者(リバタリアン)の立場からは、アパルトヘイトやジェノサイドといった特別の事情がなくても、住民が投票で分離の意思を表明しさえすれば、それを「領土一体性」という国家の論理を理由に妨げてはならない。

経済学者ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスは「ある特定の領土の住民が、それが一つの村であれ、全地区であれ、隣接する一連の地区であれ、自由に実施される住民投票によって、その時点で所属している国家との一体化をもはや望まず、独立国家を形成するか、他の国家に帰属することを望むと表明したときはいつでも、その意思は尊重され、遵守されなければならない」と述べ、こう付け加える。「これこそが、革命や内戦、国際戦争を防ぐための、実現可能で効果的な唯一の方法なのである」

同じく自由主義の経済学者ハンス・ヘルマン・ホッペはウクライナ戦争について論じ、「平和をもたらす方法として、地域の分離独立を主張する声を真剣に検討すべきだ」と指摘する。「これはウクライナの領土を縮小することであり、当然ゼレンスキー一味は反対するだろう。しかし、住民が守りたがらない領土をなぜ守るのか。戦争に巻き込まれないことを望む地域に、なぜ戦争を持ち込むのか」

ウクライナのロシア系住民は、すでに住民投票によってウクライナからの分離とロシアへの帰属の意思を示している。ところが日本など西側メディアは、住民の意思を無視し、認めない。気に入らない大統領選の結果を認めないのと同じだ。民主主義を語る資格はない。平和な手段による分離を認めない結果、悲惨な戦争が起こっても、ロシアの即時撤退という非現実的な要求を繰り返すばかりで、和平の提案をしようともしない。

日本のメディアは、ロシアに説教を垂れる資格があるほど民主主義についてよく理解していると思うのなら、今すぐクリミアと東・南部4州のロシア帰属を支持し、それを前提とした現実的な和平案を提示すべきだ。

2024-03-20

オスプレイがなくならない理由

米軍が14日、輸送機オスプレイの日本国内での飛行を再開した。昨年11月に鹿児島県沖で墜落し8人が死亡した事故を受け、全世界で飛行を約3カ月停止していた。停止措置の解除が表明されて1週間足らずで、詳しい原因を伏せたまま早くも飛行を再開したことに対し、左派メディアを中心に批判の声が上がった。しかし、安全上の問題が指摘されるオスプレイが日本からなくならない一因は、左派を含めメディアが外敵の脅威を煽り立て、在日米軍の治外法権的な存在を正当化してきたことにある。
オスプレイは世界各地で事故が多発し、「空飛ぶ棺桶」の異名を持つ。今回の墜落事故では、米軍にさまざまな特権を与える日米地位協定の問題点があらためてクローズアップされた。同協定に関する合意議事録は「日本の当局は、合衆国軍隊の財産について、捜索、差し押さえまたは検証を行う権利を行使しない」と定め、日本の捜査権を制限する。墜落事故が日本の領海・領空で起きても、日本が包括的な調査を行うことはできない。

今回の事故でも、海上保安庁は回収した機体の一部を米側に引き渡し、鹿児島県屋久島町も地元漁師らが集めた残骸を引き渡した。最大の物証である機体の残骸を手放すことで、日本側による原因究明は事実上、不可能となった。海保は米軍に調査への協力を要請したと発表したが、米軍が同意したかどうかは明らかではない。松野博一官房長官(当時)は昨年11月30日、地位協定の見直しに否定的な考えを示した。

米リバタリアン系サイトのアンチウォー・ドット・コムで、ジャーナリストのタケウチ・レイホ氏は「日本は米軍の飛行を止めることも、墜落の原因を究明することも、十分な情報を得ることもできない。そのうえ、政府は日米地位協定を見直すつもりはなく、地方自治体や住民の反対を無視している」と批判。「米国はいまだに日本を占領しているのだ」と鋭く指摘した

米ボーイング社が製造するオスプレイは、機体の不具合や事故の多発などで米国外からの調達数が伸びなかったことなどが影響し、2026年予定で生産ラインを閉鎖する。米国防総省は当初、米国外から400~600機の受注を見込んでいたが、実際には日本が17機購入したのみで、他国は次々と導入を見送った。昨年12月には、オスプレイに使う複合材の製造過程で、必要な基準を満たさない不正があったと司法省がボーイング社を訴え、同社が810万ドルを支払う内容で9月に和解していたことが明らかになった。

これだけ問題を抱えるオスプレイが米国以外では日本にだけ存在し続ける一因は、メディアの報道姿勢にある。

朝日新聞は今回の飛行再開について、3月15日の社説で「政府は本来、住民の不安を代弁し、米側に厳しく安全確認を求めるべき立場だ。それが一体になって再開を急いだ。国民の安全を軽視したと言われても仕方ない」と批判した。この主張そのものは正しい。

けれども、そもそも日本政府がオスプレイの米軍による配備を認め、自衛隊でも購入している背景には、「日本の安全保障に資するために必要」(木原稔防衛相)という「大義名分」がある。そしてメディアは日頃、政府のその言い分を後押ししている。

たとえば、朝日はほぼ同時期の3月10日の社説で、全国人民代表大会が開会中の中国について、「周辺国を軍事的に圧迫する存在となって久しい」「核戦力も着々と増強しており、もはや自国防衛に必要な水準を超えつつある」と述べ、「平和をうたう外交方針との乖離をどう説明するつもりなのか」と指弾する。

中国が核戦力を含む軍備を増強しているのは事実だ。軍拡は世界の平和を脅かす。とくに核兵器は大量無差別殺傷兵器であり、リバタリアン思想家のマレー・ロスバードが説くように、その使用はもちろん、存在そのものが非難されなければならない。

しかし軍事費の対国内総生産(GDP)比をみれば、中国は約1.6%にとどまるのに対し、中国を敵視する米国は約3.5%と2倍強に達する。保有する核弾頭の数は中国の410発に対し、米国は5244発とケタ違いだ。しかも米国は近年台湾と軍事協力を強化し、最近は陸軍特殊部隊(グリーンベレー)が中国本土に近い台湾の離島、金門島に常駐を始めるなど、中国に対しきわめて挑発的な態度をとっている。また日本自身、2024年度の防衛予算案は23年度当初比16.5%増で過去最大の金額となった。伸び率は中国(7.2%増)の2倍以上に達する。

このような状況で、中国だけを一方的に非難し、脅威を煽る朝日や他メディアの姿勢は非常に問題がある。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)報道も似たようなものだ。国民はこうした偏った報道に接し、在日米軍の存在やその特権、日本の軍拡を支持する世論がつくられていく。

つまり、問題を抱えるオスプレイが日本に配備され、人々の安全を脅かす責任の一端は、政府のお先棒を担いで外敵の脅威を煽る報道姿勢にある。メディアにその自覚はあるのだろうか。

2024-03-10

自由を奪った政府の責任

韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領は3月1日、日本の植民地支配に抵抗した1919年の「三・一独立運動」の記念式典で演説し、日本との安全保障協力を推進する姿勢を示す一方で、日韓の歴史問題については「歴史が残した難しい課題」と抽象的な表現にとどめ、徴用工問題など具体的には言及しなかった。日本の主要紙はおおむね前向きに受け止めているが、甘いといわざるをえない。戦時下で個人の自由を奪った行為を真に反省・批判しないまま、安保協力というきな臭い「日韓友好」を推し進めれば、日本人自身、いつかそのツケを払うことになる。
尹大統領の演説に対し、韓国の革新系紙ハンギョレは「これまで癒やされず、清算されていない日本軍「慰安婦」と強制動員被害者問題など日帝強占(日本の植民地支配)をめぐる韓日の歴史認識の違いに関して、「加害者日本」の省察と責任、義務については触れず、「痛ましい過去」、「歴史が残した難題」というあいまいな言葉を並べた」と手厳しい。強制動員被害者問題とは徴用工問題を指す。

一方、日本の新聞はおおむね前向きに受け止める。なかでも保守系の読売新聞は3月4日の社説で「日韓改善の流れを不可逆的に」と題し、「韓国で反日感情が刺激されがちな独立運動記念日に、大統領が日本と未来志向の関係を築く重要性を国民に訴えた意義は大きい」と持ち上げ、「元徴用工(旧朝鮮半島出身労働者)問題への言及もなかった」と評価する。

題名の「不可逆的」とは、2015年12月28日、当時の岸田文雄外相らが発表した、軍慰安婦問題に関する「日韓合意」の「最終的かつ不可逆的に解決される」という文言を意識したものだろう。ようするに、徴用工にしろ軍慰安婦にしろ、韓国との歴史問題はすでに解決済みなのだから、二度と蒸し返すなというメッセージだ。これは日本政府の見解を踏まえたものでもある。

日本政府は、1965年に結んだ日韓請求権協定により、徴用工問題などは解決済みと主張する。しかし同協定で放棄された請求権に、個人の賠償請求権は含まれない。そもそも法理論上、不法行為に対する個人の賠償請求権を消滅させることはできないからだ。この事実は外務省も認めている(2018年11月衆院外務委員会)。

それにもかかわらず、2018年10月に韓国大法院(最高裁)が元徴用工に慰謝料の賠償請求権があることを認める判決を下すと、当時の安倍晋三首相は「日韓請求権協定によって完全かつ最終的に解決している」と従来の見解を繰り返し、「国際法に照らせば、ありえない判断」と反発した。しかし同協定で個人請求権は消滅していないのだから、韓国最高裁の判断は国際法に照らして十分ありうる判断だ。2005年に国連が採択した基本原則は、重大な人権侵害の被害者は、真実、正義、賠償、再発防止を求める権利を持つとしている。

さらに安倍政権は、韓国に進出している日本企業を集めて政府の立場を説明した。日本製鉄や三菱重工業は政府の見解に同調し、原告側と対話することを拒んだ。政府が事実上、企業と原告との協議に介入し、和解に進む道を閉ざしたといえる。2019年7月に政府は韓国への輸出規制を始め、8月には韓国を輸出優遇措置の対象となる「ホワイト国(現「グループA」)」の指定から外した(2023年7月に再指定)。表向きは否定したものの、これらは徴用工判決への報復措置とみるべきだろう。自由な貿易を妨げる迷惑かつ不当な行為だ。

昨年3月、尹政権は日本企業の代わりに韓国政府傘下の財団が原告に判決金を支払い、賠償を肩代わりする仕組みを発表した。原告・遺族の多くは財団から判決金を受け取ったものの、他の原告・遺族はあくまで日本政府・企業からの謝罪と賠償を求め、受け取りを拒否している。

歴史研究者の竹内康人氏は「日韓の友好は日本が植民地責任をとることからはじまります」(『韓国徴用工裁判とは何か』)と指摘する。政府同士が被害者の頭越しに「手打ち」をしても、真の友好への道は開けない。戦時の動員を口実に過酷な労働を強い、個人の自由を踏みにじった日本政府の責任をあいまいに済ませれば、やがて日本人自身が報いを受けることになるだろう。

2024-03-06

核とリベラル派の堕落

米ソ冷戦下の1954年3月1日、米国の水爆実験で太平洋マーシャル諸島・ビキニ環礁は壊滅的な被害を受けた。現地住民だけでなく、周辺海域で操業していた日本のマグロ漁船、第五福竜丸も空から灰状の放射性降下物を浴び、23人の乗組員全員が被曝する。事故から70年を迎えたのを機に朝日新聞は3月2日の社説で取り上げ、「世界のヒバクシャらと連帯を強め、核なき世界へ歩みを進めねばならない」と訴えた。その言やよしだが、もし日頃、核大国間の紛争激化を煽るような戦争報道をしていなければ、もっと説得力があっただろう。
実験された新型水爆「ブラボー」の破壊力は広島原爆の1000倍もあった。第五福竜丸の乗組員は全員、放射線でやけどの状態になり、頭痛、吐き気、目の痛みなどを訴え、顔はどす黒く変わり、歯ぐきからは血がにじみ出、髪の毛を引っ張ると根元から抜けてしまうなど、急性放射能症にかかった(川崎昭一郎「第五福竜丸」)。このうち無線長の久保山愛吉さんは半年後、40歳の若さで死亡した。死因は「急性放射能症とその続発症」と発表されたが、現在では、急性放射線障害と治療の輸血に伴う劇症肝炎が多臓器不全を引き起こしたとされる(小沢節子「第五福竜丸から「3.11」後へ」)。第五福竜丸だけでなく、外国船を含め1万人を超える乗組員が被爆したといわれる。だが朝日が指摘するように、日本政府は米側からの見舞金で政治決着を図り、被曝の影響を否定して健康調査もしなかった。

実験場とされたマーシャル諸島の人々も痛ましい運命をたどった。オンラインマガジンのディプロマットが述べるように、米政府は実験に先立ち、ビキニ環礁の住民に対し「一時的に」故郷を離れるよう求めたが、その後ビキニは居住不可能なままで、元住民は今も戻れていない。ビキニに近いロンゲラップ環礁などの住民はまったく避難させておらず、子供たちは降灰の中で遊んでいた。米軍は3月3〜4日に住民を避難させたが、すでに多くの人が放射線で体調を崩していた。米政府は今も一部を除く島々について放射性降下物の範囲や深刻さを認めておらず、何千人ものマーシャル人が米国の医療対策の対象となっていない。

朝日はビキニ事件の反省を踏まえ、「すべての核被害者の先頭に立ち、核廃絶への道を切り開くのは被爆国・日本の使命である」として、核兵器禁止条約と距離を置く姿勢をただちに改めるよう、政府に強く求めた。正論だが、核兵器の恐ろしさをそれほど理解しているのならなぜ、たとえば2月24日の社説ではウクライナ戦争について、即時停戦を訴えるのでなく、「息長くウクライナを支えていく責務がある」などと書くのだろうか。戦争当事者であるロシアも、ウクライナを支援する米国も核大国であり、戦争が長引けばその分、核戦争の可能性が強まるというのに。

2月21日にはリベラル派の国際政治学者、藤原帰一氏が朝日の連載コラムで、イスラエルのガザ攻撃については攻撃のすべてとヨルダン川西岸への入植の即時停止を求めながら、ウクライナについては「ロシアとウクライナとの停戦ではなく、ウクライナへの軍事・経済支援を強化し、侵攻したロシアを排除することが必要」だと主張した。ロシアの攻撃が軍人と文民を区別しない「国際人道法に反する攻撃」であることが理由だという。その理屈でいけば、ウクライナがそれこそ人道に反し、自国のロシア系住民を迫害・殺傷してきたことに対して、ロシアが軍事的手段に訴えたことを批判できないはずだ。いずれにせよ戦争は長引き、核戦争のリスクは高まる。

朝日新聞の混迷ぶりは、日本のリベラル派の限界と堕落を象徴している。

2024-03-03

永田町の特権集団

衆院政治倫理審査会が2日間にわたって開かれ、岸田文雄首相と安倍、二階両派の幹部が出席し、自民派閥の政治資金パーティー収入不記載事件について弁明した。主要各紙の社説はいずれも、政府・自民に批判的ではある。ところが、国民にとって最大の問題がなぜか論じられていない。税の問題だ。
たとえば、産経新聞は3月1日の社説で、岸田首相の弁明について「還流資金の政治資金収支報告書への不記載をいつ、だれが、どのような理由で開始したのか、またその使途など、肝心な点は明らかにならなかった」と述べる。政治資金規正法に違反し、収支報告書に記載しなかったことはたしかに問題だが、国民、つまり納税者にとって「肝心な点」はそこではない。数億円単位の裏金を「政治資金」として届ければ課税されない、という制度そのものが問われているのだ。

市民グループの12人が2月1日、東京地検に告発状を提出した。自民党安倍派の議員10人が2018〜22年に、派閥主催のパーティー券の売上金を税務署に申告せずに脱税したとする内容だ。東京新聞は「こちら特報部」(2月2日)でこの件を取り上げ、告発した市民グループ代表の「庶民なら厳罰を科されるのに、政治家なら2000万円を懐に入れても、収支報告書の修正で済まされる」というもっともな怒りの声を紹介。元官僚の政策アナリスト古賀茂明氏の「国民からは1円でも厳しく税を徴収するのに、権力者なら許されるというのは、明らかな差別」という発言を伝えた。

一部の人々は、政治家の税の特権には目もくれず、ありもしない特権を躍起になって糾弾する。いわゆる在日特権だ。在日コリアンへの憎悪をあおるデマとして知られるが、一部の保守派政治家や活動家はいまだに固執する。自民党の杉田水脈衆院議員はX(旧ツイッター)に、在日特権は「実際には存在します」と投稿し、批判を招いた。

2月28日の衆院予算委員会分科会では、日本維新の会の高橋英明議員が在日特権を取り上げ、税制面の優遇措置といった特権はあるのかと質問。国税庁は「対象者の国籍であるとか、特定の団体に所属していることをもって特別な扱いをすることはない」と否定した。

この問題についても東京新聞が「こちら特報部」(3月1日)で扱い、税以外にも在日特権は存在しないと指摘している。たとえば、入国審査時の顔写真の撮影や指紋採取などが免除される「特別永住資格」だ。日本は1910年に日韓併合で朝鮮人を「日本国民」にして、労働力として日本で炭鉱労働などに従事させ、終戦後に日本国籍を剥奪した。韓国政府と議論の結果、子孫を含め、安定的な生活が送れるように整備されたのが特別永住資格だ。出入国在留管理庁は「日本への定住性が強いことや、日本国籍を失わせてしまったことへの配慮は必要で、結果的に一般の永住者と違いが生じた」と説明する。日本の植民地支配という歴史的な背景があるのだ。

日本における最大の特権集団は、永田町にいる政治家たちだ。メディアは日頃、さまざまな差別問題を取り上げ、差別はよくないと叫ぶけれども、政治家の巨大な特権や庶民との差別には、気づかないか、気づかないふりをする。

2024-03-02

靖国神社という政治の道具

靖国神社に自衛隊の幹部や隊員が集団参拝し、議論を呼んでいる。1月9日には陸上幕僚副長らが靖国神社に集団参拝し、公用車の使用が不適切だったとして計9人が処分された。また2月には、海上自衛隊の幹部候補生学校の卒業生が昨年5月、練習艦隊の当時の司令官らとともに参拝していたことが明らかになった。これについて産経新聞が参拝擁護の持論を展開しているが、ついていけない。
コラム「産経抄」は2月26日、「靖国神社に参拝してなぜ悪い」と題し、参拝を問題視する朝日新聞を批判。「弊紙は首相をはじめ、靖国神社に参拝しないほうがおかしいと主張している」と述べた。

産経の主張の内容を、1月16日の社説で確かめよう。宗教の礼拝所を部隊で参拝することなどを禁じた1974年の防衛事務次官通達について、産経は「靖国神社や護国神社は近代日本の戦没者追悼の中心施設で、他の宗教の礼拝所と同一視する次官通達は異常だ」としたうえで、「戦没者追悼や顕彰を妨げる50年も前の時代遅れの通達は改めるべきだ」と批判する。

靖国神社が「近代日本の戦没者追悼の中心施設」だという主張にはごまかしがある。幕末・維新の内戦では官軍の戦死者だけが祀られ、幕府側や西南戦争の西郷隆盛などの戦死者は天皇にそむいた「賊軍」だとして祀られていないし、対外戦争についても基本的には軍人・軍属だけで、原爆や空襲などで死んだ民間人は合祀されていない。

静かに「追悼」するだけならまだしも、「顕彰」(靖国神社ホームページの表現では「事績を永く後世に伝える」)は問題が大きい。旧日本帝国は、支那事変(日中戦争)や大東亜戦争(アジア太平洋戦争)以前にも、日清戦争、台湾征討、北清事変、日露戦争、第一次世界大戦、済南事変、満州事変と数年ごとに対外戦争を繰り返し、勝利して多くの植民地を獲得するとともに、抵抗運動を弾圧した。これが侵略戦争でないというのは無理がある。その「事績」を永く後世に伝えたいという靖国神社の姿勢は、侵略戦争を肯定していると見られても仕方がない。

靖国神社の死者の圧倒的多数を占めるアジア太平洋戦争の「英霊」たちは、「日本を守るため尊い命をささげた」と産経はいう。尊い命を本当に自発的に「ささげた」のかという問題を別にしても、兵士たちが守ろうとした日本とは、それ以前の多くの戦争によって築かれた植民地帝国であり、それ自体が日本軍のアジア侵略の産物にほかならない。

靖国神社が一宗教法人としての信念から、いわゆるA級戦犯を含め、侵略戦争や植民地支配に責任のある人々であっても、その霊を鎮めたいというなら、そうすればいい。しかし首相や閣僚、自衛隊幹部らによる参拝は、引退後ならともかく、少なくとも現役中は(たとえ「私人」の立場だと強弁しようと)認めるべきではない。部下の自衛官に圧力をかけて、見せかけだけの「個人の自由意志」で参拝させることも同様だ。

なぜなら、国家が宗教を利用して過去の戦死者を称えることは、現在の国民の戦争に対する嫌悪や抵抗を弱め、将来の戦争に協力させるための常套手段だからだ。それが過去の侵略戦争を否定しない、あるいは積極的に肯定しさえする宗教・宗派だとすれば、戦争への歯止めはさらに弱くなるだろう。

「国内左派の批判や外国の内政干渉におびえ、首相や閣僚の参拝が近年減ったのは残念だ」と産経は嘆くけれども、戦争は御免だと願う普通の日本人として、首相や閣僚の靖国参拝が減るのはまったく残念ではないし、むしろ喜ばしい。宗教を、戦争を煽る政治の道具として利用させてはならない。国民に重税を課し、自分たちは裏金によって課税を不当に免れるような、平時から国民をないがしろにする政治家たちであれば、なおさらだ。

ところで産経は、北方領土を占領し、ウクライナに攻め込んだロシアを「侵略者」と呼んでしきりに非難している。よほど侵略戦争が許せないらしい。その報道のおかげで日本人の間に「侵略戦争は許せない」という感情が広まり、日本の過去のアジア侵略を反省する人が増えれば、靖国参拝を安易に支持する人は減るだろう。呵呵。

2024-02-28

領土問題で対立を煽るな

2月は領土問題にまつわる出来事が相次いだ。1日には、尖閣諸島沖の日本の排他的経済水域(EEZ)内に中国が設置したとみられるブイを先月発見したと政府が発表した。7日は「北方領土の日」、22日は「竹島の日」だった。保守派の産経、読売新聞がそれぞれ社説でこれらの話題の全部または一部を取り上げたが、その多く、とりわけ北方領土については、相手国との対立を無用に煽り立てるものだ。
北方領土について、産経新聞は7日の社説を「ロシアのプーチン大統領がウクライナ侵略を始めてから2度目の「北方領土の日」を迎えた」と書き出し、北方領土とウクライナを同列に論じた。「ウクライナはロシア軍に侵攻され、領土を占領されている。北方領土とウクライナは同じ構図の問題といえる」としたうえで、「領土を取り戻すために日本とウクライナは連帯を強め、侵略者ロシアに立ち向かいたい」と勇ましく主張する。読売新聞の8日の社説も同様の趣旨だ。

ロシアのウクライナ侵攻は、戦争という手段に訴えたことが良いとはいえないものの、ウクライナ政府から暴力による迫害を受けたロシア系住民を救うという目的があった。ロシアが侵略者だとすれば、ウクライナは自国民を殺傷した迫害者だ。産経は岸田文雄政権に対し「日本はウクライナと同様に、ロシアに領土を不法に奪われている被侵略国だ―という事実を内外に強く発信する」よう求めるけれども、グローバルサウスと呼ばれる新興・途上国を中心として、ロシアを一方的に侵略者と非難する米欧の主張を信じない国は多い。産経が政府に求めるような「発信」は、世界で失笑を買うだろう。

たしかに、ソ連時代のロシアが第二次世界大戦の末期、降伏交渉に入った日本に対し、中立条約に反して攻撃を加え、北方四島を占領したり、日本がサンフランシスコ講和条約で、連合国の「領土不拡大原則」に反する千島列島の放棄に同意させられたりしたことは、日本のアジア侵略の問題とは別に、不当きわまりない。

もっとも、ソ連の占領や千島列島放棄の起源は、米国がソ連の対日参戦の見返りに千島列島を引き渡すとひそかに約束した「ヤルタ密約」にある。侵略をそそのかした米国には何も言わず、ロシアだけを居丈高に非難するのは、これまた世界の笑い物だ。

なにより、相手国と対立すれば問題の解決はむしろ遠ざかるし、最悪の場合、武力行使に発展すれば、たとえ小さな島を手に入れたとしても、犠牲ははかりしれない。戦争は高くつく。紛争は平和的に解決しなければならない。

領土問題は国民感情を揺さぶり、ナショナリズムを高揚させやすい。だからこそジャーナリズムによる冷静な議論が必要だ。売るために対立を煽るメディアはいらない。

2024-02-24

戦争をやめさせない新聞

ロシアがウクライナに侵攻して2月24日で丸2年となった。新聞各紙は一斉に社説で取り上げたが、たいていの論調はこれまでとまったく変わらない。ウクライナはあくまで戦い続けろ、という勇ましい主戦論だ。戦況がウクライナに不利となり、多数の兵が戦場で日々命を落としているにもかかわらず、戦争をやめるなという主張は、ウクライナ人はもっと大勢死ねと言うに等しい。
とくに目に余るのが、日ごろは日本国憲法の平和主義を守れと唱える、朝日新聞のタカ派ぶりだ。24日の社説で「ロシアが一方的に始めた戦争を終わらせられるのは、ロシアだけだ」と決めつけ、あらためてプーチン露大統領に対し「ただちに停戦し、ウクライナ領土から全軍を撤退させよ」と、中身に全然進歩がない。

朝日の「ロシアが一方的に始めた戦争」という言葉に読者は、ウクライナとの戦争は2年前の侵攻で突然始まったと思い込むだろう。しかし今回の戦争は、激化はしたものの、長期の紛争の一局面にすぎない。紛争は2014年2月にウクライナで起こったクーデター「マイダン革命」から断続的に続いている。親露派の大統領を倒し、親米派を据えたクーデターで、米国が関与していた。

民族主義色の濃い新政権は、ロシア語の使用禁止などロシア系住民差別政策を打ち出し、このため東・南部で大規模な抗議デモが起こる。政府はこれを暴力で弾圧し、その後も度重なる砲撃で女性や子供を含む多数が死傷してきた。2年前にロシアが侵攻に踏み切った際、ロシア系住民の保護を目的としたのはそのためだ。内戦への武力介入という選択が最善だったかどうかはともかく、経緯を無視して断罪するのは乱暴すぎる。他国への人道的介入は米国もたびたび行っている。

別の背景として、シカゴ大学のジョン・ミアシャイマー教授が指摘するように、米欧が北大西洋条約機構(NATO)をそれこそ一方的に東方に拡大し、ロシアの安全を脅かしてきたことも見落とせない。

朝日はプーチン大統領に対し「ただちに停戦」せよと求めるが、ロシアはこれまで停戦を探っており、それを米欧が阻んできたというのが事実だ。2022年3月、ロシアとウクライナはトルコのイスタンブールで停戦について会談し、ほぼ合意した。ところが米英が介入してウクライナのゼレンスキー大統領に合意を破棄させ、長期戦に踏み切らせた。仲介を務めたイスラエルのベネット元首相らが明らかにしている。

また、今月13日のロイター通信の報道によれば、昨年末から今年初めにかけて、ロシアが米国に接触し、停戦の可能性を探ったものの、米国に拒否されたという。

プーチン大統領は今月、米国人記者タッカー・カールソン氏のインタビューで、停戦に向けた対話について聞かれ、イスタンブール会談が中断された以上、ロシアから最初の一歩を踏み出すつもりはないとして、こう答えた。「なぜ、他人の過ちをわざわざ正さなければならないのか」。当然の言い分だろう。

朝日は「侵略者が得をする事態に至れば、模倣する勢力が後に続き、力と恐怖が支配する世界が現出しかねない」と書く。そのご高説を、徴兵され前線に送られるウクライナの兵士やその家族に聞かせてやればいい。きっと喜んで犠牲になってくれるはずだ。

2024-02-23

騒がれる獄中死、無視される獄中死

ロシアの野党活動家アレクセイ・ナワリヌイ氏が、獄中で急死した。これに対し米欧政府は、死因もまだ定かでないのに、プーチン露大統領に責任があると非難した。日本の主要紙はその尻馬に乗るかのように、一斉にナワリヌイ氏をほめたたえてその死を悼み、ロシアを叩いている。
朝日新聞は2月19日の社説で「直接の死因は不明だが」と断りつつ、「過酷な環境で自由を奪われていたことを考えれば、プーチン政権による弾圧が引き起こした悲劇であることに間違いはない」と決めつける。苦しい屁理屈だ。もし朝日のこの理屈が正しいのなら、同じ「過酷な環境」の刑務所で自由を奪われて過ごす囚人たちがバタバタ倒れていなければおかしいが、そんな情報はない。

朝日の主張は、「何が起きたのか正確には分からないが」と前置きしつつ、「プーチンと彼の悪党たちがしたことの結果であることに疑いはない」となぜか自信満々断言した、バイデン米大統領の無責任な発言と大した違いはない。

朝日は続けて、ナワリヌイ氏の経歴について「2000年代から、政府高官の隠し資産や豪邸などを暴露するブロガーとして人気を集めた」とだけ述べる。間違いではないが、これだけでは同氏がどんな人物かわからない。

ナワリヌイ氏がロシア政界で頭角を現したのは2006年、極右の年次集会「ロシアの行進」(同年モスクワで禁止)を支持してからだ。同氏はイスラム地域からの移民を「虫歯」にたとえ、移民の自由に反対した。12年には、「ロシアの外交政策はウクライナやベラルーシとの統合に最大限向けるべきだ」と説いた

つまりナワリヌイ氏は、進歩的な朝日が忌み嫌うはずの、ヘイトスピーチを行う極右だったうえ、ウクライナのロシア統合を説く民族主義者だったのである。実際、ウクライナではロシアの民族主義者として非難された。ロシアの「侵略」と戦うウクライナを応援する日本のメディアが、そんな人物をほめたたえるのは筋が通らない。

その後、ナワリヌイ氏の発言は穏やかになったが、それは純粋な信念の変化というよりも、西側諸国の支持を得たり、自らを「反プーチン」と称したりするためだったとみられている。朝日など日本のメディアが同氏を持ち上げるのも結局、「反プーチン」なら誰でもいいからだろう。

大騒ぎされるナワリヌイ氏の死と対照的なのは、先月ウクライナの刑務所で死去した米国人ジャーナリスト、ゴンザロ・リラ氏だ。ウクライナ東部ハリコフ州に住み、ブログや動画で情報発信してきたリラ氏は昨年5月、ウクライナ保安局(SBU)に逮捕され、ウクライナの指導部と軍の「信用を失墜させた」として訴えられていた。

同氏の父親によれば、リラ氏は獄中で重い肺炎にかかったのに刑務所から無視された。父親は「息子の死に方を受け入れることはできない。拷問され、恐喝され、8カ月と11日間も隔離されていたのに、米大使館は息子を助けるために何もしなかった」と嘆いた

リラ氏の非業の死について、日本のメディアがウクライナ政府に対し怒りを表明することはなかった。同じ獄中死でも、政治的な事情によって、騒がれたり無視されたりする。これがジャーナリズムの現実なのだ。

2024-02-21

嘘の戦争

前回触れたコロンビア大学のジェフリー・サックス教授は、ウクライナ戦争の報道について「ニューヨーク・タイムズ、ウォールストリート・ジャーナル、ワシントン・ポスト、MSNBC、CNNといった主要メディアは、バイデン米大統領の嘘を繰り返し、国民から歴史を隠す、政府の単なる代弁者になっている」と厳しく批判する。これら米メディアの報道を右から左に垂れ流す日本のマスコミも、「国民から歴史を隠す、政府の単なる代弁者」だといわざるをえない。
日本のマスコミはことあるごとに、米欧日の西側諸国は「民主主義陣営」だと胸を張る。けれども、政府やメディアが正しい情報を提供しなければ、民主主義の主役であるはずの国民は、物事を適切に判断できない。「ロシアは悪、ウクライナと西側は善」という単純な図式、つまり嘘を振り撒くのは、ジャーナリズムではなくプロパガンダでしかない。

起業家で論客としても知られるオリバー・サックス氏(サックス教授とは無関係)は2月18日、ソーシャルメディアのX(旧ツイッター)で、「嘘の戦争」と題する長文の投稿をした。ウクライナ戦争に関する西側の情報は、戦争の始まりだけでなく、進行中の出来事についても嘘にまみれていると告発し、終わるときにも嘘でごまかすだろうと予言する。

サックス氏は戦争の現状について、こう述べる。「ウクライナは勝っているといわれるが、実際は負けている。(略)ウクライナの最大の問題は米議会からの資金不足だといわれるが、実際には西側諸国は十分な弾薬を生産できない。解決には数年かかる問題だ」

サックス氏によれば、欺瞞はそれだけでは終わらない。「和平の機会はないといわれるが、実際には交渉による解決の機会を何度も拒まれた。ウクライナが戦闘を続ければ、交渉上の地位が高まるといわれるが、実際には、すでに提示し拒否された条件よりもはるかに悪くなるだけだ」

こうした嘘が紛争を長引かせ、その結果、ウクライナは「肉挽き機」(多数が戦死する戦場)にかける人々をさらに動員しようとし、国民の不満が急増し、ゼレンスキー政権の崩壊につながるとサックス氏は予測する。

さらにサックス氏はいう。ウクライナがついに戦争に敗れ、国が廃墟と化したとき、「嘘つきども」はこういうだろう。我々は最善を尽くした。プーチン(露大統領)に立ち向かった。プーチン擁護派の第五列(スパイ)がいなければ成功していた、と。同氏はこう締めくくる。「そして責任を転嫁し、自らをほめ称えると、アフガニスタンやイラクで大失敗した後にウクライナに移ったように、あっけらかんと次の戦争に移るだろう」

この投稿に対し、Xの会長を務める起業家イーロン・マスク氏は「的確だ」とコメントした。

サックス氏の予測が的中するかどうかはともかく、政府の公式見解に反するこうした見方もすくい上げ、公平に紹介するのが、言論の自由を掲げるジャーナリズムの役割だろう。今やその役割を果たしているのはXのような一部のソーシャルメディアであり、大手マスコミではない。

2024-02-20

ウクライナ支援停滞は当然だ

日本経済新聞は2月10日の社説で「ロシアによる侵攻を受けたウクライナへの欧米による資金支援が滞っている」と述べ、「支援の停滞が続けば、「法の支配」を守る民主主義陣営の決意の揺らぎとして世界に誤ったシグナルを発することになる」と警告を発した。正義のためなら金を惜しむなという、経済紙らしからぬ勇ましい主張だ。
もしお金が無尽蔵にあれば、正義のためにどれだけ支援しても構わないだろう。しかし残念ながら、お金は無尽蔵ではないし、コストを増税や物価高などの形で負担させられるのは、各国の納税者なのである。資金支援が滞るのは当然だ。

日経は、米国を中心とする西側諸国が「「法の支配」を守る民主主義陣営」だと持ち上げるが、いまどきそんなことを信じているのは、よほど国際情勢にうとい読者だけだろう。早い話、もし米国がそのようにご立派な「陣営」の代表だとすれば、イスラエルによるパレスチナ自治区ガザの住民の大量殺害という「明白な国際人道法違反」(グテレス国連事務総長)を放置するばかりか、イスラエルに対し武器・資金の支援まで続けて平気なはずがない。

日経は、ロシアが「侵攻による利益を手にしたまま強引な停戦で幕引きをはかろうとしている」と書くが、今回の紛争がロシアの一方的な「侵攻」で起こった単純なものでないことは、政府やマスコミの垂れ流す物語を信じるだけの浅はかな読者でない限り、いい加減気づいている。

イスラエルとパレスチナの紛争が昨年10月7日に突然始まったのではないように、ロシアとウクライナの紛争も2022年2月24日にいきなり始まったのではない。コロンビア大学のジェフリー・サックス教授が整理するとおり、その原因は冷戦終結時、米欧が北大西洋条約機構(NATO)の拡張はしないとソ連に約束したにもかかわらず、それを無視して東方への拡大を続けたことにある。ロシアを悪、ウクライナを善と決めつける勧善懲悪の浪速節はもうたくさんだ。

かりに、ロシアが「強引な停戦」に持ち込んだとして、その何が悪いのか。勝ち目のない戦いをいつまでもやめさせてもらえず、日々多くの命を落とすウクライナの人々からすれば、「民主主義陣営」のメンツなどどうでもいいから、一刻も早く戦争を終わらせてほしいに違いない。

どうしてもウクライナが戦争を続けたいのであれば、自分の金でやってもらいたい。冷たく聞こえるかもしれないが、もっと早く資金支援をやめておけば、ウクライナ(とロシア)の人々はこれほど大勢死なずに済んだ。

日経は、米欧で「厭戦気分」が広がってきたという。やがて丸2年になる戦争が嫌になるのは当然だし、資金支援が尽きるのは、戦争をやめたいウクライナの人々に良いことだ。しかし日経はそれを嘆き、日本は「ウクライナを助けていく必要がある」と尻を叩く。人道支援や避難民の受け入れはともかく、ただでさえ負担増にあえぐ日本の納税者に、遠く離れた外国の戦争のために払う金は、もうない。

2024-02-17

香港「民主化運動」の真実

産経新聞は2月9日の社説で、香港の民主活動家で、カナダに事実上亡命していた周庭(アグネス・チョウ)氏が香港警察に指名手配されたことについて、「自由を求めてカナダにとどまり、香港に戻らないことを決めた周氏への報復である」と断じ、「今後、周氏の安全が脅かされることがないよう国際社会は中国と香港政府への監視を強めなければならない」と訴えた。個人の自由はもちろん、守らなければならない。しかしそれは、他人の自由を侵さない場合に限る。
香港政府は2020年、「国家分裂」「政権転覆」「テロ活動」「外国勢力と結託し国家に危害を加える」という4つの行為を処罰対象とする香港国家安全維持法(国安法)を施行した。周氏は同年8月、同法違反の容疑で逮捕される。その後保釈されたが、条件として警察に定期的に出頭する義務などを課せられていた。昨年9月、留学のためカナダに渡航した周氏は出頭日の12月28日、香港に戻らなかった。このため香港警察は周氏を指名手配した。

これに対し産経は、「自由に生きたい」という周氏の基本的人権を踏みにじるものだとして、「背後で香港政府を操る中国共産党政権の本性をあらわにしている」と中国を非難する。もし中国政府がそこまで人権無視の極悪非道なら、保釈などしないだろう。産経を含め日本の新聞・テレビがまったく報じない、香港の「民主化運動」の実態を考えれば、なおさらだ。

周氏は民主化を求めた14年の大規模デモ「雨傘運動」で注目を集めた。19年の反政府デモでは政治団体「香港衆志(デモシスト)」の幹部として、日本を含む国際社会に対中制裁など圧力強化を訴えた。日本のマスコミはこうした「民主化運動」をひたすら持ち上げるが、筑波大学名誉教授の遠藤誉氏や海外のオルタナティブ(代替)メディアによれば、この運動は「全米民主主義基金(NED)」から支援を受けている。NEDは冷戦時代に創設された団体で、米議会が出資する。世界各国の政治に影響を及ぼすため、多くの選挙やデモに介入してきたとされる。いわゆるカラー革命の工作部隊だ。

19年の反政府デモでは、香港国際空港がデモ隊に占拠され、マヒした。現場では暴力がエスカレートし多数が負傷。中国共産党系メディア環球時報の記者が空港で抗議グループに縛られ、暴行を加えられる事件が起きた。平和な抗議活動とはいえず、他者の自由・権利を明らかに侵害している。

もし日本で、中国共産党に支援された暴力的な反政府デモが起きて羽田空港を占拠し、デモ隊から自社の記者が暴行を受けたら、産経は何と言うだろうか。間違っても、民主化運動はすばらしいと称えたり、デモを主導した政治団体の幹部が「自由に生きたい」と海外に旅立ち、帰ってこないのを喜んだりはしないだろう。

産経など日本のメディアは、香港の「民主化運動」の真実を正直に伝えたうえで、中国・香港政府の対応を評価してもらいたい。

2024-02-15

日本は建国4万年

産経新聞は2月11日の社説で、当日の「建国記念の日」をテーマに取り上げた。元日に能登半島地震が起き、被災地への支援で国民の結束が求められる中、「国を愛してこそ国民の絆も強まる。日本建国の由来と意義を、改めて深くかみしめたい」と訴えた。
震災で崩れた能登の姿に心を痛め、被災した人々に同情するのは、人間として自然の感情だろう。しかし自然に生じる「絆」は、政府によって定められた「建国記念の日」とは何の関係もない。美しい日本列島やそこに暮らす人々の歴史は、日本が「建国」されたというたかだか二千数百年前よりも、はるか昔にさかのぼるからだ。

産経は建国記念の日の由来について、初代天皇の神武天皇が東に軍勢を進めて大和を平定し、現在の暦で紀元前660年2月11日に即位したことによると解説する。この説明ははしょりすぎている。神武天皇の実在そのものからして歴史学的に証明されていないのはともかく、問題は2月11日という日付だ。

『日本書紀』によると、即位は「正月」すなわち1月1日である。そこで明治政府はいったん、旧暦明治6年1月1日、すなわち新暦1月29日を紀元節(建国記念の日の前身)と定めたが、孝明天皇(明治天皇の父)の命日が1月30日だったため、前日では不都合だとして制定し直した。それもどうかと思うが、さらにあきれたことに、制定し直した2月11日という日付の理由が、よくわからない。当時の文部省天文局が「算出」したともいわれるが、算出方法は不明だ。「建国の由来と意義」を「深くかみしめ」るための日付としては、あまりにもテキトーではなかろうか。

そんなことは気にならないのか、産経は、「これは日本が建国以来、一度も滅んでいないということを示している」と誇らしげに書く。天皇家の立場でみれば(「万世一系」が事実だとして)そうなるだろう。けれども当然ながら、天皇による「建国」以前にも日本列島には人が住み、歴史があった。

たとえば、さきほど触れたとおり、神武天皇は即位前、「東征」と呼ばれる戦争で敵対勢力を次々と滅ぼしている。『古事記』によれば、土雲と呼ばれる先住民にご馳走をふるまい、油断したところを斬りかからせて皆殺しにした。土雲からすれば「一度も滅んでいない」どころか、全滅だったのである。

日本列島に人が住み始めたのは、それよりはるか昔、約4万年前の旧石器時代といわれる。もちろん当時、「日本」という国家はなかったが、国土はあり、人々は協力して暮らしていた。そういう意味での「国」は、その頃からあったといえる。

産経は「悠久の歴史を歩む国家の一員であることを喜びたい」と書く。「悠久の歴史」が二千数百年とは短かすぎる。日本の「建国」は4万年前だ。そのころ今と同じ太陽を見上げ、風に吹かれていた人々は、列島の歴史と政府の歴史を同一視する、現代の日本人をきっと笑うに違いない。

2024-02-14

NATOはいらない

日本経済新聞は2月13日の社説で「トランプ前米大統領のNATO発言を憂う」と題し、北大西洋条約機構(NATO)に関するトランプ前米大統領の発言を批判した。「NATOの信頼性を傷つけ、ロシアを利する言辞だ。決して看過できない」と大変な剣幕だ。しかしトランプ氏の発言は、的外れだとは思えない。
トランプ氏が支持者集会で語ったところによれば、大統領在任中に出席したNATO会合で、ある欧州の首脳から、国防費の負担目標を達成していなくてもその国がロシアから攻撃されたら米国が守るかどうかを問われ、「守らない」と返答したという。

背景にあるのは、NATOの国防費分担問題だ。すべてのNATO加盟国は国内総生産(GDP)の2%を国防費に充てるよう求められているが、日経も触れているとおり、31の加盟国で実現したのは米英など推計11カ国にとどまり、大国であるドイツやフランスは未達だ。

北大西洋条約第5条は、いずれかの加盟国への攻撃にその他の加盟国が集団的自衛権を行使して反撃する集団防衛を定める。「トランプ氏の発言はこれをないがしろにするものだ」と日経は非難する。けれども、いくら条約で決まっていても、義務を果たさない国を守れといわれたら、米国の納税者の多くが納得するまい。大統領返り咲きを狙って選挙運動中のトランプ氏の発言は、納税者のまっとうな不満や疑念を意識したものだろう。

そもそも、日経など大手メディアが決して語らないことだが、NATOという軍事同盟は本当に必要なのか。冷戦時代にソ連に対する防衛を理由に結成されたのだから、本来なら冷戦終結とともに解散するべきだった。しかし米欧の軍産複合体の利権と結びついたNATOはその道を選ばず、人権や対テロ戦争を旗印に掲げ、荒っぽい「世界の警察官」として振る舞い始めた。ユーゴ空爆、アフガン攻撃、リビア空爆などだ。いずれも多数の市民の命を奪い国土を荒廃させたうえ、混乱だけを残す大失敗に終わった。

日経は「ロシアのウクライナ侵攻でNATOの重要性は増した」という。しかしロシアがウクライナに攻め込んだのも、元はといえばNATOがロシアとの約束を無視して東方拡大を進め、ついにウクライナまで加盟させようとしたのが原因だ。

そのNATOが、今度はインド太平洋地域進出を狙っている。過去の「実績」から、ろくなことにならないのは明らかだ。日経は「中国は同盟国を軽んじるトランプ氏の発言を注視しているに違いない」と中国の脅威をあおるが、少なくとも中国はNATOのような害悪を世界に及ぼしたことはない。トランプ氏はNATOそのものを否定まではしていないが、NATOはいらない。

2024-02-03

リバタリアンとガザ攻撃

昨年10月7日にパレスチナの武装勢力ハマスが行った大規模なロケット弾攻撃に対する「報復」として、今もイスラエルによるガザ地区、ヨルダン川西岸地区への無差別爆撃が続き、世界の注目を浴びている。この問題について、リバタリアンはどう考えるのだろうか。

(写真左からホッペ、ロスバード、ロックウェル)

リバタリアニズムとは「米国型資本主義」をひたすら礼賛する弱肉強食の思想だと信じ、毛嫌いする人は、その米国が肩入れし支援するイスラエルのガザ攻撃を、リバタリアンは当然支持するものだと思うかもしれない。それは間違いだ。この誤解を解く格好の「事件」が最近起こった。

ウォルター・ブロックといえば、現代のリバタリアン経済学者を代表する一人だ。著書『不道徳な経済学』は、売春婦や転売屋は社会の役に立つと大胆に主張する興味深い本で、私自身、昨秋から神奈川減税会の勉強会でこの本の邦訳書を教材に選び、読み進めている。ブロックは他にも切れ味鋭い論文やコラムを数多く発表しており、すばらしいリバタリアン知識人だと思っていた。

ウォルター・ブロック
ウォルター・ブロック
(wikipedia.org)

ただし、気になることがあった。ユダヤ系米国人のブロックは2021年、アラン・フューターマンという経済学者と共著で『イスラエルを支持する古典的自由主義の主張』という本を出版している。序文を寄せたのは、今まさにガザを激しく攻撃している、イスラエルのネタニヤフ首相だ。違和感を覚えたものの、値段が高い(キンドル版で約1万6000円)こともあり、内容を確かめることなく、ほったらかしてしまった。

そして昨年、ガザ攻撃の始まった数日後の10月11日。ブロックはフューターマンと連名で、米経済紙ウォールストリート・ジャーナルのオピニオン欄に「ハマス壊滅の道徳的義務」と題する記事を寄稿した。「イスラエルは、その隣に存在するこの邪悪で堕落した文化を根絶やしにするために、必要なことは何でもする権利がある」という勇ましいリード文が、内容を端的に示している。この主張がいかにリバタリアニズムに反するものかは、後の説明でわかるだろう。

ブロックらの寄稿に対しては、リバタリアンの間で非難が起こった。反戦派ジャーナリストのスコット・ホートンはユーチューブで、「ウォルターはイスラエル・ガザの見解のおかげでリバタリアニズムから追い出された」と語り、ファンドマネジャーのケビン・ダフィーはブロックの主張をその師マレー・ロスバード(故人)と比較し、「戦争における民間人の殺害に関して、リバタリアン論壇の中に亀裂を感じる。それともブロックは単に敵前逃亡したのだろうか」と述べた

エコノミストのサイファディーン・アモウズ(邦訳書に『ビットコイン・スタンダード』)は以前、パレスチナ問題についてブロックと議論したことがあった。10月の記事が出た後、ブロックから、意見の異なるリバタリアンであっても、同意する問題については協力できることを示そうと論文の共同執筆を提案され、次のような厳しい返信(本人の許可を得てステファン・キンセラがブログに掲載)で怒りをあらわにした。

ウォルターへ

私たちの討論で、あなたがパレスチナ人の私有財産権の正当性を認めず、社会主義的な政府機関であるイスラエル土地公社によるパレスチナの土地の独占継続を支持していることがはっきりした。また、あなたは最近、ウォールストリート・ジャーナルの血に飢えた論説で明らかにしたように、罪のない民間人を絨毯爆撃しても、自分の仲間でなければ許されると考えている。この2つの事実は、人間関係の基本として財産権を認め、自分から攻撃をしかけることを否定する私のような文明的な人間と、暴力と窃盗を支持するあなたのような野蛮な社会主義者の怪物との間に、建設的な対話の余地がないことを意味している。あなたのような考えを持つ人と付き合うことで名前を汚すような提案は、誰からであれ、ありえない。

(ガザ問題と)無関係な論文を私と書くことで、大量虐殺を支持することへの罪悪感を和らげようとするよりも、(経済学者)ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスの『ヒューマン・アクション』を読んで、文明にとって財産権が切っても切り離せない重要性を理解し、ホッペ教授(後述)の議論倫理学を読んで、財産権を否定する社会主義者と私が関わることがなぜ無意味なのかを理解するよう勧める。これらの点については、ここに添付した私の最新刊『経済学原理』でも詳しく論じている。これらの著者が書いているのは、売春や政治的シオニズム、その他の憎むべき退廃を擁護することに専心する、ウケ狙いの浅はかなリバタリアニズムという、あなたの白痴的なブランドよりもはるかに知的レベルの高いものであることは承知しているが、あなたが根気強く自らを奮い立たせれば、人間社会がどのように平和的に機能するかを理解し、晩年には自分を取り戻せるかもしれないと期待している。

もしあなたがこれらの本を読み、正気に戻り、歴史的パレスチナの土地の私有化を公に支持し、民間人への爆撃を糾弾する気があるなら、喜んであなたと仕事をすることを検討したい。それまでは、文明的な人間とだけ協力し続け、あなたとその仕事はこのまま無関心を装ううちに消えていくだろう。

サイファディーンより

売春を擁護するブロックの著書まで「ウケ狙いの浅はかなリバタリアニズム」とばっさりやられては、勉強会の教材に選んだ私の立つ瀬がないが、それはともかく、ガザ問題に関するアモウズのブロック批判は正しい。とくに、罪のない民間人に対する無差別爆撃が、暴力による身体・財産への一方的な侵害を否定する、リバタリアンの「非侵害原則」に反することは明らかである。