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「反インフレ経済勉強会」開講のお知らせ

インフレは税の一種です。しかも普通の税よりも悪質な税です。ところが、この事実はよく理解されていません。それどころか、多少のインフレはむしろ良いことだという嘘が、現在主流の国家主義的な、誤った経済学(ケインズ経済学)や、そこから派生した極端な説 (MMT=現代貨幣理論など) によっ...

2016-07-15

賃金を上げる方法



*ソーントン編『ミーゼス引用句集』(The Quotable Mises)より抜粋。

他の生産要素と同じく、労働の価値は、人の欲求(human wants)を満たすためどれだけ役に立つかによって決まる。
 
長期では、労働者は消費者が認める(consumer allows)以上の収入を得ることはできない。
 
労働者全体の実質賃金を上げる方法は一つしかない。新しい資本(new capital)を徐々に増やし、それによって生産技術を改善することである。
 
労働者全体の賃金を引き上げ続ける方法は一つしかない。一人当たり投下資本を増やし、生産技術を改善することで、労働生産性(productivity of labor)を引き上げることである。
 
人がお金を払って買うのは労働者の骨折り(toil and trouble)でもなければ、労働時間の長さでもない。製品である。

2016-07-14

渡辺豪『日本はなぜ米軍をもてなすのか』



「主権を守る」の嘘

自民党は憲法改正で日本の「主権と独立」を守ると言うが、本音は違うのではないか。政権中枢の官僚や政治家は「アメリカの意向を忖度して自発的に隷従する、という信仰にも似た強固な意識や価値概念」(p.12)で行動しているのではと著者は指摘する。
 
そもそも日本の官僚機構は敗戦後、米軍の占領に便利なように温存された経緯がある。元首と中央政府の存在が認められなかったドイツと異なり、天皇と政府を認める「間接占領」の方式がとられたためである(p.38)。
 
間接占領は「よほど日本人の肌に合ったのでしょうか、日本はアメリカ側も驚くほどこのシステムに順応していきます」(p.38)。宮沢喜一によると、当時の官僚の多くは占領軍を自己の都合のよい方に引っ張っろうと「徹底的にオベッカを使って成功した」(p.39)という。むろん、純粋に「国益」のためばかりではなかっただろう。
 
政府の自発的隷従の象徴といえるのが、占領時に米軍の物資・労務調達のため設立された特別調達庁である。日本が講和・独立した際、米国側からもう不要と言われたにもかかわらず、日本側の自発的意思で存続が決まった(p.58)。
 
後身の防衛施設庁は官製談合事件を起こし2007年に廃止されたものの、防衛省に統合され、米軍の「おもてなし」を続ける。「巨大な権益を抱える組織の意識や価値観は容易には変革できません」(p.195)という著者の言葉が重い。

2016-07-13

自由貿易と平和

国際的分業(international division of labor)と、貿易による相互利益に対する理解は、より平和な世界の形成に貢献しうる。繁栄を築くには武力侵攻や軍事力に頼る必要はないという理解が、人々や各国の間に広まるからだ。
https://mises.org/library/cobden-freedom-peace-and-trade

帝国主義(imperialism)の背後にある経済的論拠(国内で吸収できない余剰商品を処分するため、「市場」を確保しなければならないという考え)が根本から誤っていると多くの人が認識すれば、海外侵略という冒険は色あせて見えるだろう。
https://mises.org/library/cobden-freedom-peace-and-trade

保護主義はあらゆる人(一定の特別利害関係者を除く)を貧しくするだけでなく、国際的な緊張(international tensions)を高め、戦争に導きかねない。
https://mises.org/library/case-free-trade

レーニン(Lenin)によれば、戦争とは資本家と労働者の対立の国際版である。ミーゼスによれば、資本主義の基礎はあらゆる人々に恩恵をもたらす交換と相互協力である。資本主義は商業のネットワークを築き、相互依存をもたらす。
https://mises.org/library/bastiat-was-right

自由貿易は、人々がもはや平和を信じなくなったときには、戦争を防ぐことができない。自由貿易の前提は、人間の関係は自発的で互いの合意(mutual consent)に基づかなければならないという考えである。
https://mises.org/library/can-free-trade-really-prevent-war

2016-07-12

岩波新書編集部編『18歳からの民主主義』



「投票は善」という通念

選挙権年齢の引き下げを受け、若者に投票を促す本。当然ながら収録された文章の多くは、一部の例外を除き、多数による専制と背中合わせの民主主義の危険に無頓着か、ごまかすか、形ばかりの憂慮を示すだけである。

想田和弘。選挙に行かない人は、自分がベジタリアンなのに焼肉を食べさせられても「あんまり文句は言えない」とたとえ話で投票を促す。そもそも少数派が好きな料理を食べられない制度はどこかおかしいとは言わない。

上野千鶴子。夫婦のどちらが食事を作るか納得のいく話し合いで決めなければ、家庭に民主主義はないと批判する。ところが国家の民主主義は、特に根拠も示さず、主権者が納得して物事を決めているから擁護せよと言う。

姜尚中。在日韓国人の自分は帰化をせず、あえて選挙権を与えられない選択をしてきたと、せっかく民主主義への懐疑につながりうる言及をしながら、読者には結局「与えられた権利をフルに使う」よう勧めるだけである。

異彩を放つのは栗原康。投票を善とする通念を批判し、「多数による支配をぶちこわせ」「権力をつくるのはもうやめよう」と呼びかける。公園から喫煙者が締め出されることを資本主義の問題として非難する部分は的外れ(公園は私有財産ではないから)だが、問題の本質が権力者の選び方ではなく権力そのものであることを理解しているのは、執筆者で彼だけである。

2016-07-11

民主主義という宗教



*カーステン&ベックマン『民主主義を超えて』(Beyond Democracy)より抜粋。

民主主義は宗教になった。現代の世俗的宗教(secular religion)に。

自由と民主主義は違う。人それぞれが衣服(clothes)にいくら使うべきか、民主主義によって決めたりはしない。

ロビー団体は補助金(grants)、特権、仕事を求めて果てしなく闘う。誰もが「公金」をむさぼろうとする。

毎日焼くパンの種類や枚数を民主的に決めることにしたら、どうなるか。ロビー活動、宣伝活動、論争(wrangling)、会議、抗議が果てしなく続くことだろう。

民主主義国における国民の団結(solidarity)なるものは、究極的には強制力に基づく。しかし強制された団結とは矛盾である。団結とは本来、自発的な行為を意味するからである。

2016-07-10

大澤真幸編著『憲法9条とわれらが日本』



政府の能力への幻想

憲法は政府を縛り、個人の権利を守るためにある。9条が政府に戦争の放棄を命じるのは、政府による戦争という手段は個人の安全や権利を守らず、むしろ破壊し侵害するからと考えるべきである。リベラル派の論者4人はそれに気づかず、相変わらず政府やその集まりである国連に安全保障や平和創造の期待をかけようとする。

中島岳志は、9条に自衛隊の存在を明記し、自衛隊の暴走に歯止めをかけよと言う。しかし政府による解釈改憲が可能な以上、軍の暴走は止められない。暴走しかねない危険な存在なら、公認でなく廃止すべきである。

加藤典洋の提案のうち、非核宣言と外国軍事基地の拒否はよい。だが自衛隊を温存して国連待機軍にする案は、国連が個人の権利保護に不向きな政府の集まりである以上、有害無益である。災害救助も政府でやる理由はない。

井上達夫は、非暴力抵抗に徹する絶対平和主義を国全体に課すのは無理があるとして、9条削除を主張する。しかし9条が禁じるのは「国権の発動たる」戦争であり、民間の武力による自衛は禁じていないと解するべきである。

大澤真幸は、対立する陣営の双方を日本政府が非軍事的に支援せよと言う。これは赤十字やNPOのほうが向いているし、実績もある。政府がしゃしゃり出れば民間の活動を妨げ、国際問題に巻き込まれる恐れもある。

政府という官僚組織は鉄道や年金の運営が不得手であるのと同じように、国防や平和創造にも向いていない。何もしないのが一番よい。4人の論者がいずれも平和を尊ぶ点は評価できるが、政府の能力や善意に対する幻想から覚めなければ、平和は実現できない。

2016-07-09

民主主義は道徳的か

政府は(選挙によって)限られたものではあるが、選択を与える。もしその選択によって自由や財産(liberty or possessions)の状況が改善すると思うなら、利用しない理由はない。
https://mises.org/blog/rothbard-voting

投票するかどうかは重要でない。重要なのは、どの候補を支持するかだ。…政府を認めたくないから棄権する、それは構わない。しかし投票日の夜(election night)、他の人々に誰を選んでほしいのか。それは重要だ。誰が勝つかによって違いがあるからだ。
https://mises.org/blog/rothbard-voting

投票によって金持ちから財産を取り上げるのは、社会主義である。なぜならそれは収入の少ない人々を助けるという「公共善」(common good)のために行われるから。
https://mises.org/library/immorality-democratic-voting

投票は道徳的義務(moral imperative)だという主張が正しいかどうかは、民主主義が道徳的に好ましいかどうかによる。…投票者は投票で他人の財産を手に入れようとする。これは道徳的に好ましくない。
https://mises.org/library/why-vote

政治権力に欠かせないのは、手段を問わず、国民の了承という道徳的支持(moral support)を得ることである。投票はその一番手っ取り早い方法である。だからヒトラー、ムッソリーニ、スターリンは投票実施を強く主張した。
https://mises.org/library/if-we-quit-voting

2016-07-08

樋口陽一・小林節『「憲法改正」の真実』



徴兵制導入論の倒錯

樋口陽一は、自分は9条改憲に反対だが、もし改憲して専守防衛の国防軍を作るというなら、その軍隊は国民主権の論理に基づき、徴兵制でなければならないと持論を述べる。これは民主主義のグロテスクな帰結にほかならない。

国民主権の軍隊はフランス革命前のような王のための傭兵集団ではいけないと樋口は述べる。小林節はこれに同意し、一部のプロに戦闘を任せる傭兵は権力者に好き勝手させる道具になると言う。だがそれは歴史的事実に反する。

早尾貴紀『国ってなんだろう?』で指摘されるように、近代以前、傭兵は多額の費用がかかるため戦争の規模は限られ、コストに見合う成果が期待できない戦いは行われなかった。一方、近代国家の紙切れ一枚で徴兵された国民軍は安上がりなため、戦争に歯止めがかかりにくい。

樋口は傭兵を「戦争が好きな者」と呼ぶが、誤りである。傭兵は金に見合わない戦争はせず、形勢が悪くなると逃げ出すこともあった。一方、国民軍は士気が高く、なかなか降伏しない。だがそれは個人の幸福とは限らない。

戦前の日本軍は国民を守らないどころか、満州や沖縄で多くの民間人を犠牲にしたと樋口は正しく批判する。それは軍が国民の雇った傭兵でなく、契約上の義務を負わない政府の一部門だったからである。徴兵では解決できない。

両著者は、安倍政権は安保法制問題で憲法をないがしろにしたと憤る。それはもっともな怒りである。だがそもそも憲法とは、個人の自由と権利を守るためにあるはずだ。自由の侵害そのものである徴兵制を求める樋口の考えは、倒錯している。民主主義(国民主権)と個人の自由(基本的人権の尊重)の対立・矛盾をごまかしてきた憲法学会のツケともいえる。

2016-07-07

セイの抹殺

市場で生産者は自分の製品をお金に換え、そのお金で他人の製品を買う。それが市場経済の本質(essence)である。だからある財の供給は、他の財への需要に等しい(ゆえに全般的な需要不足はありえない)。仏経済学者セイはそう指摘した。
https://mises.org/library/says-law-markets

セイの法則で一番重要なのは、供給するのは人が欲しがる物でなければならない、ということだ。「供給はそれ自身の需要を作り出す」(supply creates its own demand)という誤った表現のせいで、何でも作りさえすればすぐに売れるという誤解が広まった。
https://mises.org/library/says-law-context

セイの法則からいえるように、需要の源泉(source of demand)は生産(供給)であって、お金ではない。
https://mises.org/library/say%E2%80%99s-law-and-permanent-recession

ケインズはセイの法則を感情的に否定したものの、それが誤りだと証明するまともな議論(tenable argument)は何もしなかった。
https://mises.org/library/lord-keynes-and-says-law

ケインズによるセイの抹殺(onslaught)は、経済予測に携わる実務家の多くから無視された。彼らが最も注意を払うのは、(需要でなく)経済の供給側だからである。
http://www.cato.org/publications/commentary/go-jm-keynes-versus-j-b-say

2016-07-06

SEALDs編著『民主主義は止まらない』



権力を疑え

シールズ創設メンバーの奥田愛基は「『民主主義』ってものを自分たちのものにしようと、もがきながら考えた」と書く。民主主義とは権力者を決める方法の一つにすぎず、権力そのものが問題の根源という認識は相変わらず薄い。

シールズメンバーの古谷千尋は、政治家への投票は「悪さ加減の選択」と書く。A候補もB候補も悪いが、AのほうがよりマシだからAに投票する。この考えは現実的である。しかしそれでも、悪は所詮悪にすぎない。

同じくシールズメンバーの諏訪原健は「政治の源泉は権力であり、暴力であるかもしれない」と核心に近づく。だが結局、「一人ひとりを大切にするような倫理観を突きつけていきたい」と抽象的な対案しか提示できない。

聞き手の小熊英二は、市場では全員が特定の会社の製品を買う必要はないが、政治だと権力で強制されると重要な指摘をする。しかし、それなら社会における政治の役割を小さくしようという本質的な話には発展しない。

なおもう一人の聞き手である内田樹はメンバーたちに向かい、自民党がモデルにする国家は株式会社だという珍説を披露する。どれほど致命的な失策を犯しても、出資した分の株券が紙くずになる以上の責任は問われない有限責任だからという。

しかし自民党にせよ他のどの政党にせよ、政治家が失政の責任を取って財産を一部返上したという話は聞いたことがない。政治は有限責任どころか完全な無責任なのである。有限にせよ責任を取る株主と同等に扱うのは失礼というものだ。

シールズが戦争反対を強く訴えることには共感できる。だが戦争の根本原因は政府の存在自体にある。市場経済を嫌い大きな政府を好むリベラル知識人の影響が強いことは、ただでさえ民主主義の欠陥に鈍感な若いシールズの未来に暗い影を落とす。

2016-07-05

民主主義の正体



*カーステン&ベックマン『民主主義を超えて』(Beyond Democracy)より抜粋。

投票とは、政治に影響力を及ぼすという幻想(illusion of influence)と引き換えに、自由を失う行為である。

民主主義を支配するのは「人民の意志」(the will of the people)ではない。プロのロビイストや利益団体、活動家の売り込みを受けた、政治家の意志である。

民主主義では、道徳的な議論は多数派の意志(will of the majority)に敗れる。量が質に勝つ。何かをやりたい人々の数が、道徳や良識に関する議論より重視される。

その本質上、民主主義とは全体主義のイデオロギー(totalitarian ideology)である。ナチズム、ファシズム、共産主義ほど過激ではないにしろ。

民主主義では、市民は他人を犠牲にして(expense of others)利益を得るか、自分の重荷を他人に負わせるよう奨励される。

2016-07-04

内田樹・姜尚中『世界「最終」戦争論』



戦争と商取引の混同

グローバル化や新自由主義という言葉を定義せず振り回す本は信用できない。内田樹は、欧州への難民は「グローバル化の帰結」と言う。だが難民が発生した主因は、欧米の軍事介入で悪化した中東の内戦で、自由貿易や移動の自由ではない。

内田はさらに、難民の移動を止めるには関税を引き上げ、入国管理を厳しくするなど国民国家の障壁を再構築してグローバル経済を止めるしかないと言う。そんなことをすれば国家間の対立を深めるばかりで、逆効果である。

内田は、自由貿易は米国の国是であり、これだけは譲れない信念だと断言する。明らかな誤りである。もし自由貿易が米国の国是なら、外国製の鉄鋼や自動車に関税をかけたり、自国農業を補助金で助けたりするはずがない。

内田と姜尚中は、日本企業が兵器産業に傾斜することを憂慮する。それは正しい。しかし兵器産業が資本主義の「象徴」(姜)とはおかしい。兵器産業を潤すのは肥大化した政府の税金であり、消費者の自由な購買行動ではない。

姜はせっかく「戦争寄生的な資本主義」と「労働倫理に裏付けられた自生的な資本主義」の区別を指摘しておきながら、内田に調子を合わせて議論をそれ以上深めない。戦争と商取引、暴力と非暴力を混同した議論は、戦争を止める役に立たない。

2016-07-03

1%が99%を支える

市場経済の下で上位1%の富裕層になる一番の手段は、資本家兼起業家(capitalist-entrepreneur)として成功することである。つまり、99%の人々(大衆消費者)に競争相手よりもうまく仕えることである。
https://mises.org/library/99-and-1

「我々は99%」とデモ行進をする人々が気づいていないのは、1%の人々の富が99%の人々の生活水準(standard of living)を支えていることである。
https://mises.org/library/praise-capitalist-1-percent

米国で1975年に収入が下位20以内だった勤労者(working people)のほとんどは、1991年までのどこかで上位40%に入った。1991年も下位20%だった人はわずか5%で、29%は上位20%となった。
http://www.nationalreview.com/article/282503/whos-top-1-percent-thomas-sowell

1%の人々には、資本を所有し、生産性と経済成長を支える人々がいる。しかし別の1%がいる。国民に寄生し、99%を搾取する(exploit)人々である。それは政府である。
https://mises.org/library/state-1-percent

今の上位1%の人々は市場経済が生んだのではない。コーポラティズム(政財協調=癒着、 corporatism)の影響が大きい。自由な市場で収入は平等にならないが、最上層と最下層の差はもっと小さくなり、互いの移動がさらに増えるだろう。
https://fee.org/articles/the-99-and-the-1

2016-07-02

北田暁大・白井聡・五野井郁夫『リベラル再起動のために』



左翼の経済政策なるもの

北田暁大と五野井郁夫はしきりに、左翼も政権を担うには経済成長策を示さなければならないと力説し、白井聡もある程度同意する。しかし彼らが挙げる具体案は、自公政権以上に国家主義的で、市場経済を窒息させる。

第1に、公務員給与の引き上げや公務員数の拡大で消費を刺激する案。ケインズ経済学の倒錯を示す誤りである。社会を物質的に豊かにするには、消費を煽るのでなく、民間投資で生産力を高めなければならない。

第2に、最低賃金の引き上げ。全国に時給1500円を推し広めろという。最低賃金の引き上げが未熟練労働者を中心に失業を増やすことは、経済学のイロハである。企業は機械化を加速し、人を雇わなくなるだろう。

第3に、課税強化と再分配。富裕層や大企業から税金を多く取れば、投資に回る資金が減り、生産が減り、物価が上がる。つまり実質所得が低くなる。中間・貧困層の生活は楽にならない。政府が関与する分、資源配分が不効率になり、むしろ彼らを貧しくする。

もし左翼勢力が政権を取っても、このような経済原理を無視した政策では、国民生活の悪化は避けられない。すぐに軍国的な自公政権に返り咲かれるか、失政を糊塗するため自公以上に強権的な政府に変貌するかだろう。

経済政策よりはむしろ沖縄問題など安全保障政策に傾聴すべき部分はあるが、分量は少なく、全体として高くは評価できない。

2016-07-01

井上達夫『憲法の涙』



護憲派の矛盾を衝く

護憲派の矛盾を鋭く衝く。憲法9条を素直に読めば、自衛戦争を禁じ、非武装中立を命じているとしか考えられない。集団的自衛権行使はもとより、個別的自衛権行使も認められないはずと著者は正しく指摘する。

つまり自衛隊と日米安保条約は存在自体が憲法違反である。これはかつて主流派、今も多数派の原理主義的護憲派憲法学者の主張で、9条解釈としては正しい。彼らは、自衛隊と安保を合憲とする内閣法制局見解を批判してきた。

ところが長谷部恭男早大教授ら最近の修正主義的護憲派憲法学者は、集団的自衛権は違憲と批判しつつ、個別的自衛権とその範囲での自衛隊、日米安保は合憲と言う。これは詭弁であり解釈改憲であると著者は批判する。

旧来の原理主義的護憲派は政治的配慮からか、自衛隊・安保合憲論を批判しなくなった。樋口陽一東大名誉教授のように、自説を変えたわけでもないのに、個別的自衛権肯定の声明に名を連ねた人さえいる。学問的良心に反すると著者は批判する。

リバタリアン的解釈では、9条は政府の武力を禁じるが、民間の武力は禁じていないと考えられる。9条を守ると非暴力抵抗しかできないという著者はそこを見落としている。著者の持論である徴兵制導入にも賛同できない。だが護憲派批判は的を射る。

前著『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』は、リベラル派の国家主義的発想が強すぎて辟易したが、今回の続編で的を絞ってていねいに述べられた護憲派批判は説得力がある。

2016-06-30

橋本治『国家を考えてみよう』



無責任なはぐらかし

若い人はなぜ政治に関心を持たないのか。著者は、政治が「ややこしくてむずかしい」からだという。しかし複雑で難しい情報技術、法律、会計、外国語などを熱心に学ぶ学生は少なくない。それ相応の見返りがあるからだ。

若者に限らず政治に無関心な市民が多いのは、関心を持ち取り組んでも、コストに見合う見返りがほとんどないからだ。一方、農家、労組、規制産業、宗教団体など有形無形の見返りが見込める関係者は政治に熱心である。

著者は、棄権者は「政治に参加する義務」を放棄していると非難する。だが政治参加は権利であって義務ではない。時間の無駄でしかなければ、パスするのは当然だし賢明である。税金の分捕り合戦に参加しないのは、むしろ道徳的に立派といえる。

著者は、選挙に行こうと言いつつ、都合の悪いことは無責任にはぐらかす。選びたい政治家がいなかったらという問いに、「選びたいような人が生まれて来る世の中にする」。生まれて来るまで棄権してもいいということか。

国家は暴力的で、だから領土問題が起こると重要な主題に触れても、著者はそれ以上踏み込まない。暴力なら投票でお墨付きを与えず、棄権で拒絶してもいいはずだ。国家について「ちゃんと考えなければいけない」のは著者自身である。

2016-06-29

最低賃金上げの害悪

最低賃金の引き上げは未熟練労働者(least-skilled members)に失業をもたらす。賃金が高くなると、生産コストが高くなる。すると物価が高くなる。すると商品・サービスへの需要が小さくなり、その生産に必要な労働者の数が少なくなる。
https://mises.org/library/how-minimum-wage-laws-increase-poverty

最低賃金法とは、失業の強制(compulsory unemployment)である。時給Xドル未満で人を雇う者はすべて法律違反となり、犯罪者となる。
https://mises.org/library/crippling-nature-minimum-wage-laws

最低賃金を引き上げれば、最低賃金を受け取る者はより多くの収入を得る。これは見えるものである。見えない(unseen)ものは、もし最低賃金を引き上げなければ職を得ていたであろう、市民の数である。
https://mises.org/library/unseen-costs-minimum-wage

最低賃金を引き上げれば、企業は解雇する従業員より多くの人を雇わないだろう。たとえば映画館は案内係(ushers)をほとんど雇わなくなった。多くの企業は自動化を進めているが、少なくともその一因は最低賃金の引き上げである。
https://mises.org/library/yes-minimum-wages-still-increase-unemployment

統計によれば、最低賃金法への批判は正しい。最低賃金のせいで全国失業率が天文学的水準に上昇しないのは本当だが、若年層や人種的マイノリティ(ethnic minorities)には深刻な影響を及ぼす。https://mises.org/library/mythology-minimum-wage

2016-06-28

白井聡『戦後政治を終わらせる』



私的所有権の無視

「国家は国民に優越する」という明治以来の国家主義を一掃するため、近代的原理の徹底を図れと著者は提言する。ところが、その根幹であるはずの私的所有権に冷淡である。これでは成功はおぼつかない。

著者が近代的原理の例としてあげるのは、基本的人権の尊重、国民主権の原理、男女の平等であり、私的所有権は言及されない。形式上は基本的人権に含まれるものの、実際には無視、いや敵視すらしていると思われる。

著者が私的所有権を無視・敵視している傍証は、おなじみ「新自由主義」への執拗な攻撃である。もし新自由主義が政府と企業の癒着を指すのであれば、批判は正しい。だが著者は、多国籍資本とアメリカ国家は「別物」という。

資本は私有財産だから、他人の自由を侵さない限り、自由に使えなければならない。それが近代的原理である。ところが著者は近代的原理を守れと言いつつ、財産利用の自由は認めない。これは矛盾であり、著者の議論を著しく弱める。

私的所有権は金儲けのための特権ではない。一坪反戦地主運動も、私的所有権がなければ不可能である。左翼の著者は認めたくないだろうが、私的所有権を擁護しない近代的原理など、ほとんど無意味であり、無力である。

2016-06-27

国家を立ち去る方法



*ボーダーズ&タッカー『国家を立ち去る99の方法』(99 Ways to Leave Leviathan)より抜粋。

海上居住(Seasteading)。Blueseed.com は早くから取り組むベンチャー企業。 Seasteading.org もオランダの企業と組み海上居住のモジュールを設計。政府が課税・規制を強めるほど、海上に住み働くことは現実味を増す。

新型タバコ(Alternative nicotine delivery)。手巻きタバコの復活、無煙タバコ、電子タバコなどがブームに。健康への配慮と重税への対応。嫌煙家の多くは歓迎するものの、対タバコ戦争を受け持つ官僚は苦い顔。

物々交換(barter markets)、あるいはサービスの交換。互いの製品を販促し合うなど。お金のやり取りがなければ、政府とのあらゆる面倒を避けることができる。税務署に対する自然な対応。

租税回避(Tax sheltering)。たとえばアップルの租税回避の仕組みは多国籍にまたがる複雑きわまるもので、とても追跡できない。その結果、資本が増え、アイフォンの魅力を高めた。政治家は不満だが、消費者は喝采。

企業の国外移転(Offshoring and inshoring)。米国企業は世界一高い法人税(州税を含む)を避けようと、海外に生産拠点を移転。外国企業は高い税やカルテル化された労組を避けるため、米国に移転。

2016-06-26

加藤周一『夕陽妄語1』



普遍の価値

西洋由来の人権思想は日本になじまないとか、一神教は攻撃的で多神教は平和的だとか、ナショナリズムに淫した言論が幅を利かす。しかし著者は日本文化を深く愛するとともに、国や文化を超えた普遍の価値を重んじる。

<抜粋>
歴史の歪曲と戦うために有効な武器は、「イデオロギー」に非ず、倫理的な善悪に非ず、政治的な立場に非ず、つまるところ歴史の事実である。(p.47)

一世代の経験には、他の世代に伝え難い要素があり、一国民の経験には、その国民にしかわからぬ一面がある。そんなことは、はじめから明らかで、今さら強調するまでもない。その上で、しかも、個人間に、あるいは集団相互に、敢えて話を通じさせる工夫こそが、文化ではなかろうか。(p.51)

かつて天賦人権の思想を生みだした文化もあり、生みださなかった文化もある。私は長次郎を限りなく愛するが、それだけで満足することはできない。どの文化が生み出したとしても、また基本的人権に執着するのである。(p.148)

多神教がこの神もあの神もよろしいというのはその体系内部での話である。別の民族の別の多神教の体系に対しても寛大であるとはかぎらないだろう。(p.333)

2016-06-25

離脱は住民の権利



*ソーントン編『ミーゼス引用句集』(The Quotable Mises)より抜粋。

国が州に「お前は私のものだ」という権利はない。州は住民(inhabitants)から成る。どこに属するかを言う権利があるとしたら、それは住民である。国境紛争は国民投票で解決しなければならない。

いかなる国民もその一部も、自分の意志に反して、望まない政治連合(political association)に組み入れられてはならない。

ある州の人々が連邦(union)を離脱したいと望む場合、自由主義はそれを妨げない。

国からの離脱・国への残留の意思は、自由な国民投票(plebiscite)で表明されなければならない。…革命、内戦、戦争を防ぐ実現可能で有効な方法はそれしかない。

もし(国と同じ)自決権(right of self-determination)があらゆる個人にも可能だとしたら、実現しなければならない。

2016-06-24

左翼が愛するトリクルダウン理論

税率下げを支持する人々は、今ある富を高所得者や企業に移せと言っているのではない。新たな富の創造を求めているのだ。…この主張を正面から批判せず、ありもしないトリクルダウン理論(non-existent ‘trickle down’ theory)を叩いて議論から逃げるとは。
http://blogs.spectator.co.uk/2015/04/sorry-but-trickle-down-economics-doesnt-exist-and-never-has-done/

大成功した企業でも利益を出すまでには何年もかかっている。アマゾン(Amazon)は1995年に創業し、6年後に黒字になるまで、何十億ドルも損をした。その間ずっと、従業員と納品業者は賃金・代金の支払いを受け続けた。
https://www.nccivitas.org/2014/myth-trickle-economics/

経済学者ケインズ(John Maynard Keynes)は1933年、長期では税率引き下げのほうが「引き上げよりも財政を均衡できる見込みが大きい」と述べた。(これはまるでトリクルダウン理論だが)ケインズは極右ではない。
http://www.nationalreview.com/article/367682/trickle-down-lie-thomas-sowell

トリクルダウン理論は市場経済とは正反対だ。金を受け取る資格のない金持ちに札束を渡し、それが庶民にこぼれ落ちるのを待ち望むというのだから。たしかにそういうことはある。破綻しかけた銀行の救済(bank bailouts)は悪名高い例だ。
http://www.austriancenter.com/2015/01/08/trickle-down-economics-is-a-leftist-lie/

本当のトリクルダウン理論を支持するのは、実は介入主義者や社会主義者(interventionists and socialists)だ。彼らは、皆に課税して政府に金を与えれば、やがて中産階級や貧困層にしたたり落ちると考えている。
https://mises.org/blog/whole-trickle-down-thing

2016-06-23

増田都子『昭和天皇は戦争を選んだ!』



昭和天皇の偶像

「昭和天皇は平和主義者で、戦争になったのは政府の決定に従う立憲君主だったから」「自分はどうなってもいいからとマッカーサーに直訴し国民を救おうとした」――。これら保守派史観を検証・批判。史料の解釈に異論はあるかもしれないが、しっかり根拠を示す論陣と燃えるような怒り、ときにのぞくユーモアで読ませる。

<抜粋>
大日本帝国憲法は天皇大権を規定しており、「君臨すれども統治せず」という英国流の議員内閣制の憲法ではない。…絶対的大権を天皇に保持させた「英国の憲法とは根本に於て相違がある」憲法だった。(p.61)
 
昭和天皇が「私の身はどうなろうと構わないから、国民を作ってほしい」といって降伏した、という真っ赤なウソの作り話は…マッカーサーとの会見についてのリアルタイムの記録には全く無いものである。(p.132)

東条〔英機〕や木戸幸一ら股肱の臣を死刑、終身刑に処し、昭和天皇は免罪した「戦争裁判」である東京裁判…に対して、昭和天皇はあらためて心からの感謝の意を、日本から去るマッカーサーに伝えたのだった。(p.221)
 
〔弟の〕高松宮は天皇が「裸の王様」であることをよく知っていた。昭和天皇が本心から対英米開戦し、宮(や近衛)の早期和平提案にも耳を貸さず、いたずらに国民の犠牲を激増させたことをよく知っていた。(p.244)

2016-06-22

新自由主義というバズワード

新自由主義という言葉を聞いたらご用心。…それを全然支持していない者を悪魔に仕立て上げるために考案されたレッテルである。
https://fee.org/articles/neoliberalism-the-left-s-eternal-boogeyman

新自由主義とは、市場経済に関するあらゆる政策理念を論証抜きにこき下ろし、侮辱するための言葉である。
http://www.politicsweb.co.za/opinion/the-sa-left-and-the-neoliberal-straw-man

もし新自由主義が政府債務の削減に関係あるとしたら、欧米諸国の政策が新自由主義に影響されている証拠はほとんどない。
http://www.cityam.com/242285/the-imfs-strawman-critique-of-neoliberalism-puts-successful-liberal-reform-in-jeopardy

新自由主義者(実際は古典的自由主義者)は、不平等そのものが善だと称えたりしない。経済的チャンスを広げ、多数の犠牲で少数を潤す法的な特権と独占を取り除くことで、不平等の原因のいくつかをなくそうと考える。
https://fee.org/articles/neoliberalism-making-a-boogeyman-out-of-a-buzzword

リベラル派は、企業が大きすぎると不平を言う。(彼らが支持してきた)複雑な税法、複雑な規制、複雑な許認可制度を作れば、大規模な企業だけが生き残るのは当然である。
http://bleedingheartlibertarians.com/2011/11/dear-left-corporatism-is-your-fault/

2016-06-21

古川隆久『昭和史』



国家主義による惨禍

膨大な犠牲者を出し敗れた昭和の戦争の原因は、国民は国家のためにあるとする明治以来の国家主義にあったと正しく指摘。従軍慰安婦問題、南京虐殺事件は日本軍の短期的で狭い視野がもたらしたと喝破する。天皇の戦争責任についての見解がやや穏当すぎる気もするが、開戦を最高責任者として承認した責任、降伏が遅れ戦禍を拡大させた責任は明記する。

<抜粋>
この戦争〔=日中戦争〕を神聖な戦争と意義づけたことは、日本内部での戦争に対する冷静で客観的な検討の余地を封じ、日本の中国側への譲歩をむずかしくし、戦争を長期化させる結果を招いた。(p.143)
 
従軍慰安婦問題の核心は、日本軍の兵士の待遇にある。一度出征すると一年以上も戦場にとどめられた。…常に短期的な視野で、余裕のない精一杯背伸びした戦いをし続けたつけが慰安婦問題という重い問題を引き起こしたのである。(p.148)
 
松井石根中支那方面軍兼上海派派遣軍司令官は…上海戦苦戦の不名誉を挽回しようとした…南京事件は、兵士の気持ちより自分の名誉を優先したエリート軍人の視野の狭さにより兵士たちが無理を強いられたことが招いた悲劇だった。(p.148)
 
〔昭和天皇は〕降伏という大事な決断をした…。戦争による問題の解決という方向性をしぶしぶとはいえ最高責任者として承認し、全面降伏を避けるために一撃講和論に賛成して惨禍を拡大することに加担したことも事実である。(p.369)

2016-06-20

インフレ政策は全体主義に導く



*ソーントン編『ミーゼス引用句集』(The Quotable Mises)より。

<抜粋>
インフレーション(通貨膨張)政策は軍国主義になくてはならない知的道具である。インフレ政策ができなければ、福祉に対する戦争の悪影響がもっと早く明らかになり、厭戦気分(war-weariness)がすぐに広がるだろう。

生活費の増大に不満をこぼさない世代はない。しかし何もかもが高くなるということは、単に貨幣の交換価値(exchange value)が下落していることを意味する。

欧州の好戦的な諸国民(belligerent peoples)も、各国政府が戦費を〔通貨膨張でごまかさず〕もっとはっきり公表していれば、ずっと早く戦争にうんざりしたことだろう。

インフレーションは戦争と革命にとっていつも重要な政策手段(resource of policies)だ。社会主義にとっても同じである。

インフレーションは国家主義と恣意的な政府の財政補完手段である。それは複雑な政策・制度の歯車(cog)の一つであり、次第に全体主義へと導く。

2016-06-19

早尾貴紀『国ってなんだろう?』



軍隊で文化は守れない

日本文化を防衛するには軍隊が必要だと三島由紀夫は考えた。それは誤りである。軍隊はおろか、国家すら持たないユダヤ人は二千年もの間、その文化を堅く守った。国家主義の迷信から覚める本。

<抜粋>
およそ200年前に産業革命とともに生まれた国民国家というかたちが、グローバルな経済構造や技術水準が変化してきた時代に、そのまま通用すると考えるほうが無理があります。変化を求めてもおかしくありません。(p.165)

ディアスポラ〔離散〕の思想が教えてくれるのは、土地を支配しなくても、ましてや他の民族を支配せず、彼らから土地を奪わなくても、独自の文化を保持することは可能である、ということです。(p.196)

「領土を守る」という発想そのものを考え直す時期だと思います。…「武力で守る」というのは、古い拡張主義の名残のようなものです。そしてその武力は「本格的な戦争」につながるものです。(p.211)

要塞のように武力で閉ざした国家が長く繁栄したという歴史はありません。…移住や交流は文化的にも相互に刺激や豊かさをもたらすものであったはずです。その多様性を否定したのは、むしろ近代の国民国家のほうでした。(p.220)

2016-06-18

政府信仰という宗教



*ラーケン・ローズ『最も危険な迷信』(The Most Dangerous Superstition)より。

<抜粋>
政府とは、科学的概念(scientific concept)でもなければ合理的な社会学的概念でもない。人間が組織を作り協力するための論理的な実践方法でもない。政府への信頼は理性に基づくものではない。それは信仰に基づく。

政府の教義と、政府より劣る神々の教義がぶつかると、つねに政府の教義が優先される。「なんじ盗むべからず」(Thou shalt not steal)よりも「納税の責務を果たせ」が優先し、「なんじ殺すべからず」(Thou shalt not murder)よりも「兵役は国への義務」が優先される。

多くの人は無政府社会と聞くと、冷静に議論しようとせず、相手を侮辱し、感情的になり、弱肉強食の怖ろしい世界になると決めつける。これは彼らの政府信仰が、根拠と論理(evidence and logic)に基づきよく考えた結果ではないからである。

おかしなことにほとんどの国家主義者は、政治家がたいていの人よりも不正直で地位を悪用し、陰険で利己的だと認める。にもかかわらず、文明が存続するにはこれらの特別信用ならない連中(particularly untrustworthy people)に権力を与えろと主張するのだ。

政府信仰によって人々の争いはなくせない。むしろ個人的ないざこざ(personal disagreements)を、大規模な戦争や大衆の弾圧にエスカレートさせる。

2016-06-17

浦田一郎『集団的自衛権限定容認とは何か』



政府の自衛権は迷惑

政府は鉄道や年金すら満足に運営できないのに、なぜか防衛だけは得意だと信じられている。そんな政府同士が組めば害は増幅。著者が主張するように、自衛権こそ憲法で縛る政府に自衛権など認めないに如くはない。

<抜粋>
国家の最高・独立性という性格から、その最高・独立とされる国家の内容は決まらない。その内容を決めるのは、君主ではなく憲法である。そこに立憲主義の意義がある。(p.68)

憲法が理念や目的のみを定め、その実現方法が政治に委ねられるとすると、立憲主義の意味はなくなる。(p.69)

人権を実現する基本的な手段や方法は、憲法によらなければならない。人権論は、人権を実現するためとして、権力を正当化しやすい。その手段を規律するのが憲法の役割であり、その考え方が立憲主義である。(p.69)

〔2014年7月閣議決定の〕「国民を守る」は邦人避難におけるような個々の国民をイメージさせる政治的、イデオロギー的効果を生じさせているが、法的、論理的には無内容だということであろう。(p.75)

2016-06-16

良い税とは廃止された税



*ハリー・ブラウン『リバタリアンの演説抜粋集』(Liberty A to Z: 872 Libertarian Soundbites You Can Use Right Now!)より。

<抜粋>
政府を十分小さくすれば、所得税を廃止しても代わりの税はいらない。フラット税(flat tax)、売上税、その他いかなる税もいらない。

政府を小さくしない限り、本当の減税は実現できない。
We will never get real tax relief until we reduce the size of government.

税が国民所得(national income)の半分に達するということは、共働き夫婦の1人が政府のために働き、もう1人が家族のために働くことを意味する。

良い税とは、廃止された税のことだ。
The only good tax is a dead tax.

いわゆる「減税」「税制改革」とは、大きな政府の巨大な重荷を再分配することにすぎない。
“Tax cuts” and “tax reform” merely redistribute the awful burden of big government.

2016-06-15

柄谷行人『憲法の無意識』



暴力と非暴力の混同

戦争とは、物理的暴力やそれによる威嚇で他国を屈服させる行為である。だから戦争について考えるにはまず、何が暴力で、何が暴力でないかを区別する必要がある。だが本書はそれらを混同している。

著者は「通常、実力という場合、暴力・武力を意味しています。が、金の力もあります」(p.118)という。しかし金の力だけでは人を物理的に傷つけない。だから憲法9条は政府に武力の放棄は求めても、金力の放棄は求めない。

また著者によれば、商取引は真に対等な関係ではない。貨幣をもつ者(資本家)はいつでも商品を買える強みがあるからだという(p.124)。だが現金はインフレで減価するし、過剰な現預金を抱える不効率な企業は買収の格好の標的となる。

一方、国家は暴力を背景に個人から税を奪うものの、それは公共事業・福祉政策などの形で再分配され戻ってくるから、一方的な収奪ではなく「交換」だという(p.122)。もしそうなら押し売りも立派な「交換」ということになる。

戦争の放棄はキリスト流の「純粋贈与」だという(p.128)。だが何かを贈与するには、それがまず自分のものでなければならない。つまり所有権の保護が必要であり、平和の鍵は所有権である。著者が気づいていないこの帰結だけは偶然正しい。

2016-06-14

EU離脱は怖くない

欧州連合(EU)離脱は、必ずしも国際貿易の減少や保護主義(protectionism)の高まりを意味しない。むしろ英国民がEUの規制、関税・貿易政策、非常に保護主義的な農業政策を脱するチャンスである。
https://mises.org/blog/how-brexit-could-help-all-europe

英国がEUにとどまって得られる貿易の利益よりも、EU外での貿易の利益がすぐに大きくなりうる。英国が一方的な(unilateral)貿易自由化を宣言すればそれは可能だ。
https://mises.org/blog/free-trade-brexit-and-wto

EU離脱反対派にとって最も打撃となる事実は、欧州で最も豊かな二つの国がEUに加盟していないことだ。それはスイスとノルウェー(Switzerland and Norway)である。
https://mises.org/blog/brexit-movie-makes-economic-case-against-eu

英国がEUを離脱し、金融規制、オフショアセンター、2%インフレ目標などに関する政策が見直されれば、金融市場はパニック(panic)になどならず、むしろ歓迎するだろう。
https://mises.org/blog/how-brexit-presents-roadblock-eu-us-establishment

ユーロ圏は経済的に瀕死(moribund)で、明らかに失敗した政策に固執している。民主主義に無頓着で、少数の居座り続けるエリートによって運営され、ゆっくりと死につつある。
http://www.theguardian.com/commentisfree/2016/may/20/brexit-best-answer-to-dying-eurozone-eu-undemocratic-elite

2016-06-13

沖縄米軍基地問題検証プロジェクト『それってどうなの? 沖縄の基地の話。』


俗説を検証・反駁

沖縄の海兵隊は対中国・北朝鮮への抑止力として重要? 沖縄は地理的にいい位置にあるから米軍が集中する? 基地は人権問題を起こしていない? 政府見解や俗説を検証・反駁する小冊子。ウェブでも公開

<抜粋>
米軍は、沖縄戦の最中、住民を強制収容している間に、地主の同意もなく土地を取り上げて基地建設を開始し、戦後もそのまま占領し続けました。これは国際法が違法としている重大な人権侵害です。
http://okidemaproject.blogspot.jp/2016/03/1-6.html

「中国や北朝鮮は何をするか分からないので沖縄の米軍基地は必要だ」との考えは抑止力の基本を無視しています。何をやるか分からない相手に抑止は効きません。…相手に合理的な判断力がなければ抑止効果は望めません。
http://okidemaproject.blogspot.jp/2016/03/2-4.html

政府は、沖縄は台湾海峡と北朝鮮を同時に睨むことができる、と主張します。距離を測ると海兵隊を運ぶ船がある長崎県佐世保や佐賀県の方が距離的には沖縄より有利な位置にあります。九州はどこも距離的には同じです。
http://okidemaproject.blogspot.jp/2016/03/3-5.html

南沙諸島全域か大半を中国が武力で手中に収めたかのように思っている人も多いようですが、現在、実効支配している島や礁の数はベトナムが一番多く20以上、フィリピンが9、中国が7、マレーシアが5以上、台湾が1という現状です。
http://okidemaproject.blogspot.jp/2016/03/5-9.html

2016-06-12

マルクス主義というアヘン


*ウイスニウスキー『自由の箴言』(The Pith of Life: Aphorisms in Honor of Liberty)より。

<抜粋>
バスティアハズリットは、素人でもわかる経済学。マルクスとケインズは、素人が考えた経済学。
Bastiat and Hazlitt: economics for dummies. Marx and Keynes: economics by dummies.

マルクス主義とは、経済学に無知な人のアヘンである。
Marxism is the opium of economic illiterates.

マルクス主義を一言でいうと、「財産に応じて取り、嫉妬に応じて与える」。
Marxism in one sentence: from each according to his wealth, to each according to his envy.

マルクス主義とは、経済的な知識は政治的な嫉妬で代用できるという考えである。
Marxism: the notion that political envy is a substitute for economic knowledge.

人類を愛する人が人間を愛することはめったにない。
Lovers of humanity are rarely lovers of humans.

2016-06-11

臼杵陽『世界史の中のパレスチナ問題』


近代国家の災厄

イスラエルとパレスチナの対立は聖書時代に遡る宿命などではない。国民国家という近代の産物がもたらした災厄である。領域・人民に排他的な統治権を及ぼす近代国家の特殊性と問題性が浮き彫りに。

<抜粋>
「アラビア語を話しているユダヤ教徒」が存在したということは、この(アラブとイスラエルの)民族的な対立がけっして「二〇〇〇年以来の宿命の対立」などの聖書時代以来のものではなく、アラブ人やユダヤ人という民族意識が近代になってナショナリズムのイデオロギーのおかげで形成されたためなのです。(p.41)

もし複雑な社会構成をもつアラブ社会を上から統合して、画一化の方向にもっていこうとしたら、強圧的な手段を使わざるを得なくなるわけです。このことがしばしば独立直後に少数派の弾圧、あるいは場合によっては政府レベルによる大量虐殺につながってしまうことになります。これは多民族・他宗派国家の悲劇ではありますが、国民国家モデルではけっして問題の解決につながらないことを意味します。(p.49)

敬虔なユダヤ教徒たちからすれば、信仰の観点からは聖域に入ることを神によって禁止されているのであり、物理的な土地という〈場〉はメシア(救世主)の来臨という観点からほとんど問題にならなかったのです。だからこそ、前近代においてユダヤ教徒はこの聖地エルサレムを排他的に占拠するということは考えていなかったために、聖地をめぐる争いが現在のような形の「領土問題」的な紛争としては顕在化することはなかったのです。(p.56)

「ユダヤ人」と分類される人びとの中には、ユダヤ教徒であってもアラビア語を話していて自分のことをアラブ人だとみなしている人も当然いるわけですが、そのようなユダヤ教徒であり、同時にアラブ人であるという存在のあり方が、「非ユダヤ人諸コミュニティ」という表現を使うことでバルフォア宣言によって否定されてしまったのです。(p.182)