2019-11-01

イスラムの無税国家

政府は8月31日、2020年度予算編成のルールを示す概算要求基準を閣議了解した。高齢化に伴う社会保障費の伸びなどにより、一般会計の要求総額は6年連続で100兆円を上回る見通し。2019年度の101兆4571億円を超え、過去最大を更新する可能性がある。

一方で、財政は厳しい。内閣府が同日まとめた新たな財政試算によれば、国と地方の基礎的財政収支(PB)の黒字化は、政府目標の2025年度から2年遅れ、2027年度になる見通しという。

財政がきわめて厳しい状況にありながら、政府の支出拡大に歯止めがかからない。その一因は、福祉や教育、インフラ整備といった公共性の高い事業は、政府に頼らなければできないという考えが、政府自身や国民に強いからだろう。

しかし、その考えは本当に正しいのだろうか。世界史の知識があれば、政府に頼らず、充実した公共サービスを実現した例があると気づくはずだ。最盛期のイスラム文明である。そこは事実上の無税国家だった。


前回このコラムで述べたように、キリスト教世界と異なり、イスラム教では商業活動が肯定された。信徒の中心となったアラブ人は商業や交易の担い手として、広大なイスラム・ネットワークを舞台に活躍していく。


750年に成立したアッバース朝の2代目カリフ、マンスールは、チグリス川中流域に新都バグダッドを建設した。「平安の都」と称されたバグダッドは国際交易の中心として発展し、5代目ハールーン・アッラシードの時代に繁栄の絶頂を迎える。

中東は紀元前のメソポタミア文明時代から都市が発達していたが、イスラムの時代になって、各地でさらに都市が繁栄する。9〜10世紀のバグダッドのように人口100万人規模の都市は例外的に大きなものだったが、十数万規模の都市はつねにいくつかあり、数万人規模の都市はいくつもあった。今日から見ればいずれも小さな都市だが、この時代では世界のどの地域よりも都市が発達していた。

ところが、これらイスラム世界の都市には、市長もいなければ市役所もなかった。都市は市民たちのボランティア活動で維持されていたからだ。そのボランティア活動を支えたのは、ワクフ(信託財産)と呼ばれる独特の制度である。

ワクフの特徴は、宗教施設を建設するとともに、その施設の維持・運営費用の財源となる経済施設を同時に寄進する点である。財源としては、農地や果樹園などの土地のほか、市場の商店、隊商宿(キャラバンサライ)、公衆浴場などがあてられ、これらの賃貸料によって、宗教施設の光熱費、修繕費、あるいはそこに勤める吏員の給与や学生の費用などが賄われた。

宗教施設の建設に伴って、その運営費用を捻出するための市場や隊商宿などが新設される場合もあった。その意味でワクフは、都市の宗教施設と経済施設をともに整備する役割を果たした。

寄進する資産家にとって、ワクフには実利上のメリットがあった。王朝の君主など権力者による財産の不当な没収を防ぐことだ。ワクフはもともと「所有権を停止する」という意味がある。寄進された物件は個人の所有物ではなくなり、君主が難癖をつけて没収することはできなくなる。

ワクフにするためには、その事実を公にしなければならない。文書を作り、何人もの証人に署名をしてもらって、初めて物件はワクフとなる。その際、さまざまな条件を付ける。

たとえば、所有するマンションを寄進し、毎月の家賃収入100万円のうち半額の50万円は管財人として自分またはその相続人が受け取り、残りの半額で教育施設に教授を雇い、月50万円の賃金を支払う。ワクフはこのように、資産家の財産保全と公共善の双方に役立つ制度として発達していく。

ワクフによって維持される公共施設には、さまざまなものがあった。代表例はマドラサ(学院)である。法学をはじめとするイスラム諸学を教育する施設だ。教職員や学生が寝泊まりする宿坊や給食設備が付設され、教職員には給与が支給され、入学を許された学生はただで勉学することができた。

マドラサは現代の大学に似ているが、入学や卒業という制度はなく、誰でも学ぶことができた。何らかの機関に認可を受けているわけでもないので、誰でもマドラサを開いて教えることができた。

もちろん学問のない人が教えても、誰もそれを聞かないし、ましてワクフから給料をもらうにはそれなりの評価を得ていることが必要だった。国家資格はなくとも、実力が求められたのである。イスラム法の知識を豊富に持ち、マドラサの教授にもなりうる知識人をウラマーと呼んだ。

ワクフはマドラサを経済的に支えた。施設の建設資金から始まり、学生への奨学金、教師たちへの給与、管理や運営のために働く人々の給与、消耗品やその他の備品などの経費など、マドラサの運営にかかるすべての経費は、そのマドラサのために設定されたワクフの資金から出されるのが普通だった。

ワクフの寄進者は教師たちの任命、管理のための要員の雇用、教師や職員の給与の額、日常の運営経費の予算決定など、マドラサ運営の細部にまでわたる権限を持っていた。

街の住民が毎週金曜日に集まるモスク(礼拝所)も、いくつものワクフに支えられる施設である。あるワクフはモスクの掃除人を雇い、別のワクフは礼拝の前に身を清めるための水道施設を維持し、さらに別のワクフは堂内のじゅうたん代やろうそく代を負担する、といった具合である。

マドラサやモスク以外にも、人々の生活に必要なものの多くはワクフによって維持されていた。街の道路の清掃、下水施設や公衆便所、品者のための給食施設、病院、街と街を結ぶ交通路上の隊商宿や水場などだ。

歴史学者の後藤明氏が指摘するように、イスラム世界で政治・軍事を担当する為政者は、民衆の行動を規制したり、商取引に干渉したりする権限を原則として持たなかった。誕生から教育、結婚、死亡という人の一生は、政権とは無関係のところにあった(『都市の文明イスラーム』)。

イスラム世界ではその結果、公共サービスはワクフという民間資金によって担われ、むしろ政府のお役所仕事よりも機動的で質の高いサービスが実現したのである。政府が商取引や生活のほとんどあらゆる局面に関与する現代日本とは対照的だ。

時代も宗教も異なる現代の日本で、ワクフの制度をそのまま取り入れるのは難しいかもしれない。だが政府財政による公共サービスの維持が困難になりつつある日本にとって、イスラム世界の経験は貴重なヒントになりうる。

<参考文献>
佐藤次高・鈴木董編『都市の文明イスラーム』講談社現代新書
後藤明『イスラーム世界史』角川ソフィア文庫
三浦徹『イスラームの都市世界』山川出版社
湯川武『イスラーム社会の知の伝達』山川出版社

(某月刊誌への匿名寄稿に加筆・修正)

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