2022-03-20

今学ぶべきは1938年の教訓ではなく、1914年の教訓

ミーゼス研究所編集主任、ライアン・マクメイケン(2022年3月19日)

1938年、英国がナチスドイツにチェコの領土問題で譲歩し、かえってより大きな侵略を誘発したとされる。この「ミュンヘンの教訓」は、軍事介入を支持する者にとって、妥協や不介入よりも、国際紛争をエスカレートさせ、あらゆる侵略者に直ちに軍事力で対応することがつねに最善であることを意味する。

しかし、戦争を回避するための外交や妥協がすべて甘い見通しの宥和政策というわけではない。それだけでなく、不干渉と不拡大がより良い選択だった、あるいはそうだっただろうという例を数え切れないほど見出すことができる。

1914年のサラエボ事件に始まる七月危機は、侵略に反対し、同盟国を守れという呼びかけのせいで、バルカン半島の地域戦争だったはずのものが、第一次世界大戦に発展した。ベルサイユ条約にドイツへの不条理な「戦争責任」条項が盛り込まれたことで、さらに悲惨な第二次世界大戦の原因にもなった。

さいわい米国は少なくとも二度、1914年の教訓を学んだかのような行動をとったことがある。1956年、ソ連軍の戦車がハンガリーに進駐し、ハンガリー人が何千人も殺された。NATOはこの侵略に対して動員されただろうか。アイゼンハワー大統領は米軍の爆撃機を準備しただろうか? 答えはノーだ。

1968年のプラハには、ワルシャワ条約機構の親ソ連政権から20万人の外国軍と2500両の戦車が侵攻してきた。このときも、米国は何もしなかった。もちろん、これは正しい判断だった。もし強硬な「ミュンヘンの教訓」に従っていたら事実上の米ソ対決となり、世界規模の核戦争が起こる可能性が高かった。

(次より抄訳)
We Must Now Learn the Lesson of 1914, Not the Lesson of 1938. | Mises Wire [LINK]

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