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「反インフレ経済勉強会」開講のお知らせ

インフレは税の一種です。しかも普通の税よりも悪質な税です。ところが、この事実はよく理解されていません。それどころか、多少のインフレはむしろ良いことだという嘘が、現在主流の国家主義的な、誤った経済学(ケインズ経済学)や、そこから派生した極端な説 (MMT=現代貨幣理論など) によっ...

2016-09-30

内田樹他『脱グローバル論』


異様な国民国家礼賛

中心発言者の内田樹は、国民国家とは共同体のメンバーを「食わせる」ために設計されているという。だからこのままグローバル化が進行し、国民国家が解体されたら大変だと危機感を訴える。国民国家の危険な本性から目をそむけている。

日本で国民国家が成立した明治時代、首相に就任した日本陸軍の父、山県有朋は、「主権線」(国境)を守るだけでなく、「利益線」(周辺の勢力圏)の防衛が必要だと唱えた。この考えは、朝鮮半島や満州の侵略を正当化することになる。

同様に、ドイツのヒトラーは過剰人口を移住させる「生存圏」が必要だと主張し、東欧侵略を正当化した。山県にしろヒトラーにしろ、内田の言葉を借りれば、国民を「食わせる」ために対外進出が必要と説き、それが支持されたのである。

内田はこうした事実を知らないはずはないのに、国民国家の暗部に一言も触れない。そして自由貿易を盛んに攻撃する。貿易を制限すれば生産性が落ち、やがてかつての日独のように他国を侵略する恐れが強まることが理解できない。

内田は原発を批判する。しかし原発が乱立したのは、地方の住民を「食わせる」という大義名分の下、政府が補助金や規制で守ったからである。内田の嫌う市場原理が徹底していれば、経済合理性に反する原発はもっと早く淘汰されただろう。

国民国家は、自国民と他国民を差別し、他国侵略を正当化する危険を内包する。その差別意識は、欧州におけるユダヤ人のような自国内の異分子にも向かう。ユダヤ論を専門の一つとするはずの内田が、そうした危険をはらむ国民国家を手放しで礼賛するのはあまりにも不見識であり、異様である。

2016-09-29

ハイエクのインフレ政策批判

*Murray N. Rothbard, Hayek and the Nobel Prize(ハイエクとノーベル賞)より抜粋。

ミーゼスとハイエク(Mises and Hayek)は、1929年の大恐慌を予知した、世界でもきわめて数少ない経済学者だった。

ハイエクの理論によれば、政府・中央銀行が銀行融資の拡大(expansion of bank credit)を助長すると、物価上昇を招くだけでなく、誤った投資を引き起こす。とくに資本財への不健全な投資と消費財の過少生産をもたらす。

ハイエク理論から導かれる政策上の処方箋は、ケインズ主義とは正反対である。人工的なインフレ景気(inflationary boom)を終わらせ、不況と経済の再調整ができるだけ早く始まるようにすることである。

政府が介入し不況を食い止めようとすれば、苦しみ(agony)を増し、長引かせるだけだし、インフレと不況の同時進行をもたらすだろう。

ミーゼスとハイエクの分析は、景気循環に関する唯一の説得力ある理論というだけではない。政府による計画と「微調整」(fine tuning)というケインズ主義の泥沼に対し、自由な市場の支持者が提示する唯一の完全な答えなのだ。

2016-09-28

ソール『帳簿の世界史』

帳簿の世界史 (文春e-book)
帳簿の世界史 (文春e-book)

政治は会計を憎む

民間には帳簿をごまかす企業も一部あるものの、大多数はきちんとつける。一方、政府はまともな帳簿をつけない。企業経営に経済合理性が欠かせないのに対し、政治は経済合理性を無視・敵視するからだ。本書を読むとそれがよくわかる。

近代資本主義に欠かせない複式簿記を発明したのは、中世イタリアの商人である。古代ギリシャ人もローマ人もできなかったことが、なぜ彼らにできたのか。仲間で資金を出し合って行う貿易で各人の持ち分や利益を計算するためだった。

メディチ家の隆盛を築いたコジモは欠かさず帳簿をつけた。ところが息子たちには会計の教育を徹底しなかった。マキャベリが仕えた孫ロレンツォは帳簿に無知で、鉱山の利権を保護してもらおうと貴族に莫大な融資を行い、踏み倒される。

フランスのルイ16世は財政難に苦しみ、スイス出身の銀行家ネッケルを財務長官に任命する。ネッケルが初めて国の財政状況を公表すると、政敵は「国家の秘密の暴露は本質的に反逆的行為」と罵倒した。8年後、革命で王室は滅びる。

ヒトラーも会計責任を果たす気はなかった。ドイツ鉄道総裁は、国鉄は営利目的の組織ではなく政治的目的の達成度によって成果を計測すべきだとの理屈で、原価計算を廃止する。理性が軽視される時代には、会計原則は尊重されない。

2016-09-27

賃上げ強制の結末

*Gary Galles, No, Unions Don't Increase Everyone'sWages(労組が上げるのは労働者全員の賃金ではない)より抜粋。
 
労働組合は、あらゆる労働者の賃金(all workers’ wages)を上げると主張する。残念ながら、労組は組合員以外の実質購買力を高めるのでなく、むしろそれを妨げる。

労組は政府から与えられた特別な力(独禁法の唯一の例外)を利用し、現在の従業員が競争を妨げることを可能にし、他の労働者が同じ仕事を安い賃金でできないようにする。これは一種の談合(collusion)であり、企業がやれば起訴される。

労働者を雇うコストを人為的に上げることで、労組は雇い主(employers)が提供する仕事の数を増やすのでなく、逆に減らす。高い費用と値段のせいで消費者が製品を買わなくなるからだ。

非組合員労働者(non-union workers)への求人状況は改善するのでなく悪化し、職を失った労働者は非組合員向けの職を求めて他の労働者との競争を強いられる。

労働者が職を失うと非組合員労働者の供給が増える。非組合員労働者の賃金は上がるのでなく、下がる。結局、組合員の賃金が特別高いことは、非組合員の利益にならない。組合員が享受する利益の出所は、おもに非組合員の財布(pockets)である。

2016-09-26

佐藤弘幸『税金亡命』

税金亡命
税金亡命

正義の味方の正体

表面上は、タックスヘイブンを利用して租税回避を図る会社社長が悪人、それを追求する国税調査官が正義の味方という、国税当局が喜びそうな物語に見える。そういう面は否定できないが、作者の意図はそれだけではないように思える。

作者はタックスヘイブンを批判しつつ、利点にも目配りする。税逃れに利用された法人に課税すれば税収増になるぞとたきつける主人公・高松(国税調査官)に、香港の調査官ケヴィンは「かえって失うものの方が大きい」と冷静に答える。

「大きな金というものは、ブラックとまではいかなくても、グレーなものが少なくない」と話すケヴィンに、高松は「それでも法治国家か」と怒る。しかし白や灰色を無理やり黒に仕立て上げようとする日本のほうが、よほど無法地帯だ。

国税局査察部(マルサ)について作者は書く。「〔深夜と早朝の取り調べで〕被害者の頭がまだ朦朧としているうちにいろいろ吐かせ、証拠を固める。言い方は悪いが、精神的に追い詰めていくのである」。これでも法治国家だろうか。

作者の隠された意図を一番感じるのは、結末である。国税当局の勝利を期待して読んだ読者は不満に思うだろう。しかしこれはハッピーエンドである。高松調査官が税理士に転じ、財産権という真の正義のために戦う続編を期待したい。

2016-09-25

輸出補助金は大歓迎

*Frank Hollenbeck, Free Trade Brings Abundance — Protectionism BringsScarcity(自由貿易は豊かさをもたらし、保護貿易は欠乏をもたらす)より抜粋。

中国のやることを気にしなくていい。中国が自国産業に補助金を出せば出すほど、安い商品とサービス(cheap goods and services)がたくさん手に入るし、トランプ氏の考えと逆に、高賃金の仕事が生まれる。

先進国の生活水準(living standards)がアフリカより高いのは、先進国の人々がアフリカの人々より賢いからでも勤勉だからでもない。労働力の基盤にはるかに大きい資本があるからだ。

高賃金をもたらすのは分業(division of labor)と豊かな資本である。資本の量が大きいほど、価値を生み出す生産力が高まり、競争のある社会なら賃金も高くなる。

中国が輸出を補助し、中国製品が事実上タダになったとしよう。するとそれらの製品を国内で生産するために希少な資源(scarce resources)を使わずに済み、資本を他の〔より高付加価値な〕産業に振り向けることができる。

保護貿易政策(protectionist trade policy)の狙いは欠乏をもたらすことだ。貿易の規制で資本は増えず、散り散りになる。保護主義の国では分業が発達せず、資本が分散し、賃金は本来あるべき水準より低くなる。

2016-09-24

井出英策『18歳からの格差論』


理解不能のユートピア

リベラルが経済的弱者を救えと主張すると、中間層や富裕層が格差是正への反発を強め、社会の対立が強まる。「働きもしないのにただ飯を食わせるのか」と保守派が批判する。だが著者には「発想の大転換」による妙案があると言う。

発想の大転換とは、貧しい人だけでなく、中高所得者を含む社会のメンバー全員を受益者(得をする人)にすることだという。貧しい人にも税を負担させ、中高所得層を豊かにする。しかもその方法でも、格差を縮めることができるという。

もし実現可能ならノーベル賞ものだ。しかし具体例を見ると、狐につままれたような気分になる。Aさんの初めの所得が200万円、Bさんが2000万円。税率が同じ20%として税引後の所得がAさん160万円、Bさん1600万円。

税収計440万円のうち40万円は財政再建に回し、2人に各200万円サービスを給付する。最終的な暮らしの水準はAさん360万円、Bさん1800万円。以上。Bさんの所得は初めの2000万円より減っている。どこが得なのか。

もしかすると著者は、税引後所得の1600万円と最後の1800万円を比べて、Bさんは得をしたと言いたいのだろうか。理解不能だ。リベラルの楽園で話される言葉は、「損は得である」というオーウェル的な二重言語に違いない。

2016-09-23

社民主義者ハイエク

*Hans-Hermann Hoppe, Why Mises (and not Hayek)?(「なぜミーゼスなのか(なぜハイエクではないのか)」より抜粋。

ハイエクは古典的自由主義者ではない。実際は穏健な社会民主主義者(moderate social democrat)である。だから今の社会民主主義の時代には、「尊敬すべき」で「信頼できる」学者とみなされる。

ハイエクによれば、政府は必要である。法の執行(law enforcement)や外敵に対する防衛だけでなく、「高度な社会では政府はその権力を用い、課税で資金を集め、市場が(適切に)提供できない多くのサービスを提供しなければならない」という。

政府の役割(government functions)はそれだけでなく、最低限の収入の保証、公共事業、学校や研究への資金提供、建築法規や食品法の執行、一部職業の認可、危険物の販売規制、生産工程の安全・健康規制……等々だとハイエクは言う。

ハイエクの主張に同意できない社会主義者や環境主義者(green)がいるだろうか。ハイエクの基準に従えば、社会主義者も環境主義者も堂々と自由主義者を名乗れるだろう。

ハイエクと対照的に、〔ハイエクの師である〕ミーゼスの考えはきわめて明瞭である。ミーゼスによれば、自由主義の定義を煎じ詰めれば、ただ一言、「私有財産」(private property)である。政府の唯一の役割は生命と財産を守ることである。

2016-09-22

小川さやか『「その日暮らし」の人類学』



「その日暮らし」の人類学~もう一つの資本主義経済~ (光文社新書)

新自由主義は弱者を救う

言論人の多くは、「新自由主義」は弱肉強食の論理だと非難する。それは間違っている。新自由主義が国家による市場の統制を排除することだとすれば、むしろ経済的弱者を助け、貧困を減らす。本書は具体例でそれを明らかにする。

人類学者の主流派は、新自由主義は大企業やグローバル企業にだけ利益を与え、勝ち組と負け組の境をますます強めると批判する。しかし著者が紹介する香港中文大学のゴードン・マシューズは、新自由主義の肯定的な側面を強調する。

零細交易人のほか、亡命者、出稼ぎ労働者、セックスワーカーといったはみ出し者たちが世界から集まる香港。その主流のイデオロギーは新自由主義だという。非常に緩やかな入国規制をはじめ、自由と寛容が同地の特徴である。 

香港に集まる、文化・人種・民族・宗教の異なる人々はあまり争わないという。カネを稼ぐことが共通した第一目的で、文化や慣習の違いに大きな関心がもたれないからだ。「商業は偏見を癒す」というモンテスキューの言葉を思い出す。 

著者は、コピー商品や模造品の擁護論も紹介する。模造品はブランド企業の知的財産権を脅かすかもしれないが、貧困層の物質的な豊かさを部分的にではあれ実現している。法的には違法でも、道義的・社会的には合法とみなしうるという。知的財産権に関するこの議論を補強する本に、ボルドリンとレヴァインの共著『〈反〉知的独占』がある。知的財産権は政府が一部の人や企業に与える特権であり、人類の進歩を阻害すると論じている。 

反資本主義的な主流派の議論に異を唱えた勇気と誠実さを高く評価したい。ただし著者自身、主流派の発想を抜け切れていない部分がある。また本書の帯や内容紹介には、一番の目玉であるはずの新自由主義の肯定という言葉がない。むしろ「資本主義とは異なる価値観」(内容紹介)などと本の中身と矛盾することが書かれている。

新自由主義や資本主義を擁護すると売れないからかもしれないが、著者が一番言いたいことを隠すのはよくない。

2016-09-21

データで経済はわからない

*Frank Shostak, Economic Data Without Good Economic Theory Is
Useless(すぐれた経済理論がなければ、経済データは役に立たない)より抜粋。

俗説によれば、すぐれた経済理論かどうかは、その予測能力(predictive powe)で決まる。ミルトン・フリードマンが言うには、「実証科学の究極目標は、妥当で有意義な予測を生み出す理論や仮説の構築である」。

モデル(理論)が「役立つ」かぎり、それは妥当(valid)だとみなされる。もしそのモデル(理論)が破綻したら、新たなモデル(理論)を見つけよう、というわけだ。

人間の知識は暫定的で、確実なものは何もないという考えから、経済学に流派が二つ生まれた。経済的宇宙の鍵は抽象的モデルと信じる「象牙の塔の経済学者」(ivory-tower economists)と、データをこね回せば真理がわかると信じる「実践派エコノミスト」である。

しかし統計的手法(statistical methods)は真理を発見する役には立たない。できるのはただ、さまざまな情報の歴史的な断片の動きを比較するだけである。経済活動の原動力を特定することはできない。同じく、経済学者の想像に基づくモデルも役に立たない。

他の条件が同じなら(all other things being equal)、パンの需要が増えれば値段は上がる。この結論は(データ分析で得られる理論と違って)暫定的ではなく、つねに真理である。…この理論で将来のパンの値段は予測できないが、だからといって役立たずとはいえない。

2016-09-20

池井戸潤『ロスジェネの逆襲』

ロスジェネの逆襲
ロスジェネの逆襲

官僚主義との対決

企業と官庁はどちらも人々にサービスを提供する。表面上は似かよって見えるかもしれない。しかし、明らかに違う点がある。企業は顧客を満足させるために活動するが、官庁は国民の満足でなく自身の権限拡大のために仕事をする。

銀行は企業の中では、官庁的な性格がとくに濃い。がんじがらめに規制が課され、何かにつけて役所の顔色をうかがわなければならないからだ。それと引き換えに、競争の制限や経営危機時の税金による救済など、特別な保護を享受する。

証券子会社に出向中の主人公・半沢直樹は、銀行のお役所体質が企業としておかしいと理解している。今の銀行組織はなぜダメなのかと若手から尋ねられ、こう答える。「自分のために仕事をしているからだ〔……〕仕事は客のためにするもんだ」

顧客の満足より自分たちの組織防衛を優先する銀行の官僚的な態度に、顧客も厳しい目を向ける。ベンチャー企業の女性副社長は、銀行員に対し辛辣に言う。「世の中の客商売で、自分たちの都合を言い訳にしているのは銀行だけですよ」

企業買収を巡って親銀行と証券子会社が対決するのはやや現実離れしているし、半沢の言葉はときに読者受けを狙いすぎる。それでも面白さで読ませるし、部下の森山の若者らしさも好ましい。官僚主義に立ち向かう彼らに素直に拍手したい。

2016-09-19

インフラ投資の無駄遣い

*Patrick Trombly, Infrastructure Spending Does not "Grow the Economy"(インフラ支出で「経済成長」はできない)より抜粋。

政府支出を経済成長に魔法のように変えてくれる、「インフラの妖精」(Infrastructure Fairy)など存在しない。

政府がインフラ整備に使う資金は、国債・課税・通貨発行(税という名のない税)のいずれかの方法で、非政府部門(non-government economy)から移さなければならない。差し引きゼロだ。

インフラであれ何であれ、政府の支出計画が終わると、後に残るのは、「刺激策」(stimulus)で仕事を得た労働者である。同じ資金を民間で消費・投資すれば、別の仕事が生まれたはずなのに。

他の政府支出(government spending)と同じく、インフラ投資で「富の創造」はできない。誰かから取った金を他の誰かに与えるだけのことだ。

政府支出から納税者が払った資金を差し引けば、ゼロだ。もちろん、政治家や政府と契約した業者(government contractors)は結構な分け前にありつくだろう。だが一般人はそれほど幸運でない。

2016-09-18

池井戸潤『オレたち花のバブル組』


オレたち花のバブル組
オレたち花のバブル組

規制というなれ合い

民間企業が不祥事を起こすと、メディアや言論人はすぐに「政府は規制を強化しろ」と騒ぐ。しかし、そんな主張はお笑いぐさでしかない。この小説で描かれるとおり、規制する政府と規制される業界はなれ合いの関係にあるからだ。

金融庁の銀行に対する検査は抜き打ちが前提だが、実際には事前に情報が漏れ、銀行は資料の隠蔽など数カ月に及ぶ「準備」をする。金融庁はそれには見て見ぬふりをしてきた。「要するに茶番である」と銀行員経験のある作者は書く。

2004年、旧UFJ銀行(小説では「AFJ銀行」)の資料隠蔽で元副頭取らが逮捕され、有罪判決を受けた。あたかも金融庁の手柄のような報道に作者は、何十年も隠されてきた資料を今頃見つけたと胸を張るのは滑稽だと批判する。

資料隠蔽はたしかに違法である。しかしそもそも、経営の健全性は銀行自身に任せればよい。不健全な銀行は淘汰されるだけだ。前作『オレたちバブル入行組』で作者が書いたとおり、北海道拓殖銀や長銀が倒産しても何も起きなかった。

本作の二大悪役のうち、大和田常務は自分の不正が悪だと自覚している。しかし金融庁の黒崎検査官は、銀行内の派閥争いへの加担は悪だと承知していても、監督行政そのものが税金の無駄遣いという自覚はない。だから、より救いがたい。

監督官庁が正義の味方などでない現実を、本作は教えてくれる。ただし、登場人物がマンガ的すぎるところは惜しまれる。黒崎検査官がある人物の娘の婚約者であることが土壇場で明かされるが、彼はいつもオネエ言葉で話しているから、女性と当たり前に結婚するのは唐突に感じる。

2016-09-17

中央銀行が生む経済危機

*Ron Paul, The Fed Plans for the Next Crisis(米連銀は次の経済危機を計画)より抜粋。

連邦準備理事会(FRB)が民間資産を買い入れる能力を高めると、経済成長と消費者の福利(well-being)に悪影響を及ぼす。潰れかけた会社を延命させ、その資産を使って消費者にもっと高く評価される商品やサービスを生み出すことを妨げるからだ。

投資家は、FRBが資産を買った会社を探し出そうとするかもしれない。議会や規制当局から「大きすぎて潰せない」(too big to fail)会社として扱われる可能性が高いからだ。

FRBが民間企業の株主になると、企業に経済ではなく、政治に基づいて経営判断させる傾向(movement)に拍車がかかるだろう。

イエレンFRB議長はインフレ目標(inflation target)の引き上げを示唆したが、これは米国民が不況と戦っているまさにその時に、インフレ税を課すことに他ならない。

インフレ税はあらゆる税のうちで最も狡猾(most insidious)である。国民の目を盗むうえ、逆進的だからだ。

2016-09-16

池井戸潤『オレたちバブル入行組』

オレたちバブル入行組
オレたちバブル入行組

融資引き揚げは悪か

商売が苦しくなったとき、銀行が手のひらを返すように融資を引き揚げたら、頭にくるのはもっともである。しかしそれを悪として糾弾し、復讐まで企てるのは行き過ぎだろう。人気ドラマの原作となった本作は、そこが惜しまれる。

主人公・半沢直樹の父は小さな会社の経営者。大口の取引先が倒産した際、あおりで債権者が押し寄せた。地元の第二地銀が助けてくれるが、都市銀行は融資を引き揚げる。半沢は父の敵討ちという狙いを秘め、その都銀に入行する。

融資を引き揚げた行員は人情味のない嫌な奴で、半沢の同期を心の病に追い込んだうえ、不正を働く支店長とつるんで半沢を陥れようとする。だから結末近くで、潔白の証明された半沢に土下座をする場面では、思わず胸がすっとする。

しかしよく考えると、父の敵討ちにはなっていない。土下座したのは無実の罪を着せようとしたからで、連鎖倒産しそうな会社から融資を引き揚げたからではない。そんな理由でいちいち土下座していたら、銀行員は立っている暇がない。

融資を引き揚げた都銀は、利息で儲けるチャンスを失うことですでに損をしているし、冷たい銀行という悪い評判も立っただろう。それ以上の罰を受ける理由はない。部下いじめや不正加担と同等の悪であるかのように描くのはおかしい。

勧善懲悪のドラマを楽しむためには、悪はどこから見ても悪でなければならない。作者の筆力で一気に読ませるものの、ふとビジネスの道理に気づくと、上記の件がひっかかって心から楽しめなくなる。

また、すでにアマゾンのレビューでも指摘されているように、半沢が支店長の刑事責任に目をつぶるのも、純粋な武士の情けではなく、交換条件で自分が栄転するのは釈然としない。これでは背任・詐欺の共犯である。

2016-09-15

マクロ経済学のまやかし

*Ludwig von Mises, The Myth of "Macroeconomics"(「マクロ経済学」の神話)より抜粋。

マクロ経済学の方法(macroeconomic approach)では、市場経済のうち恣意的に選んだ部分(たいていは国家)があたかも統合された単位であるかのようにみなす。

国民所得の考え方(concept of national income)は、市場経済における真の生産条件を完全に消し去る。それによると、入手可能な商品の量を増減させるのは個人の活動ではなく、その活動を外部から見下ろす何物かである。

個人の活動を外部から見下ろす不思議な何物か(mysterious something)が「国民所得」という量を生み出し、それをさまざまな個人に「分配」する。この方法の政治的意味は明らかだ。国民所得の「分配」における「不平等」は批判される。

「国民所得」の方法は、マルクス主義の考え(Marxian idea)を正当化する不毛な試みである。マルクスによれば、資本主義で商品は「社会的」に生産され、個人が私物化する。これはあべこべだ。実際には、生産過程とは個人が互いに協力する活動である。

「国民」より大きい集団でも小さい集団でもなく、「国民」の所得をすべて足し合わせる(summing up)ことに、政治以外の理由はない。なぜ「州民所得」でも「郡民所得」でも「町民所得」でもなく、「国民所得」なのか。

2016-09-14

佐藤優『国家の罠』

国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて―(新潮文庫)
国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて―(新潮文庫)

分析ではなく物語

情報分析の素人でも、情報分析では主観的な価値判断をできるだけ排除しなければならないことくらい知っている。ところが「インテリジェンスの第一人者」といわれる著者は、このデビュー作の核心となる部分で、その過ちを犯している。

著者によれば、小泉政権当時、政府は内政・外交両面で政策方針を大きく転換した。このうち内政は「ケインズ型公平配分路線からハイエク型傾斜配分路線への転換」だという。しかし2人の経済学者の名を冠したこの表現には問題がある。

小泉政権は規制緩和や「小さな政府」を目標に掲げたから、旧来の「大きな政府」路線からの転換を「ケインズ型からハイエク型へ」と表現するのは的外れではない。問題は前者を「公平配分」、後者を「傾斜配分」と呼ぶところにある。

公平配分の「公平」という言葉は、好意的な価値判断を含む。辞書によれば、「すべてのものを同じように扱うこと。判断や処理などが、かたよっていないこと」を示す。客観的な分析なら「均等配分」「均一配分」などと呼ぶべきだろう。「大きな政府」路線の代表が自分と親しい鈴木宗男元衆議院議員なら、なおさらである。

一方、「傾斜配分」は主観的な価値判断は含まないものの、人為的な所得再分配に反対するハイエクの思想になじまない。著者の「分析」は客観的でも学問的でもなく、「大きな政府は善、小さな政府は悪」という謬見に基づく、勧善懲悪の素朴な物語に近い。

2016-09-13

マルクスの嘘(5)

Requiem for Marx (LvMI) (English Edition)
Requiem for Marx (LvMI) (English Edition)

*Yuri N. Maltsev, ed., Requiem for Marx(『マルクスへの鎮魂歌』)より抜粋。

かりに社会主義制度が機能するとしても、資本主義より生産力が高いと考える理由は何なのか。マルクスは社会主義についてわずかなこと(a few lines)しか書かなかった。社会主義の生産性が高いというのは、単なる断定にすぎない。

生産力の向上が続いたとしても、自由市場には独占が生まれる一般的な傾向があるとはいえない。大規模な企業が小規模な企業(smaller firms)より明らかに効率的で、他を駆逐する場合はある。だが「大きいほど効率的」という経済の一般法則はない。

資本主義が周期的に不況に襲われるとしても、それだけで根本的に欠陥があるとはいえない。不況を好む人は少ないが、それは経済制度の負の側面(negative aspect)にすぎない。不況が悪い結果を招くとしても、だから資本主義が崩壊するとはいえない。

資本主義は将来、独占企業の支配が避けられないというマルクスの主張はまゆつばである。したがって、独占によって不況が悪化する(worsening depressions)という議論もあやしい。

もし人々ができるだけ多様な商品やサービスを手に入れたいと望むのなら、資本主義を採用すべきである。自由主義経済(free enterprise economy)を強制するつもりはない。だがもし繁栄を望むのなら、選択肢は明らかである。

2016-09-12

広井良典『ポスト資本主義』


社会主義の亡霊

ベルリンの壁崩壊後も、知識人の多くは社会主義への幻想を捨てきれない。ソフトな装いに工夫を凝らし、その復活をもくろむ。しかし一皮むけば、権力で人間を意のままに動かそうとする本音が現れる。たとえば本書のようにである。

著者は歴史家ブローデルの議論を踏まえ、市場経済と資本主義を区別せよと述べる。市場経済は比較的透明で公正だが、資本主義は対照的に不透明性、投機、巨大な利潤、独占、権力などが支配的になり、弱肉強食の世界だという。

しかし、ここで著者が列挙する「不透明性、投機、巨大な利潤、独占、権力」とはいずれも、国家が企業と癒着した縁故資本主義の特徴である。たとえば投機は、中央銀行が民間銀行を通じて供給する過剰なマネーで増幅される。

著者がいう「資本主義」とは縁故資本主義のことだから、それを打破するには国家と企業の関係を断ち、自由な市場経済の発展を促せばよい。ところが著者が示す解決策は、それとは正反対の「社会化」、つまり社会主義化である。

たとえば、「機会の平等」を実現するため、相続に関して再配分を強化せよと言い、それは「ある意味で社会主義的」と認める。資本主義は権力が支配するからよくないと批判する一方で、社会主義の権力を支持する矛盾に気づいていない。

2016-09-11

マルクスの嘘(4)

Requiem for Marx (LvMI) (English Edition)
Requiem for Marx (LvMI) (English Edition)

*Yuri N. Maltsev, ed., Requiem for Marx(『マルクスへの鎮魂歌』)より抜粋。

マルクスは労働者がきわめて劣悪な条件で働いていると考えた。『資本論』第一巻で産業革命の「残酷物語」(horror stories)を詳細に述べている。これはプロレタリアートが資本主義に反乱を起こすと考えた最大の理由である。この議論は誤りである。

重要な事実は、マルクスが事実を曲げて産業革命(Industrial Revolution)の性質を伝えていることである。全体として、産業革命は労働者の状態を改善した。

厳しい労働条件は、資本主義の黎明期(onset)に生じた。しかしプロレタリア革命の正しさを主張するには、劣悪な労働条件が資本主義に必ずつきまとう特徴であることを示す必要がある。マルクスにそれはできなかった。

マルクスは、労働者の生活水準(standard of living)が19世紀半ばから改善していることを否定できなかった。もし状態が改善しているのなら、プロレタリアートの不満が大きくなるという主張はどうなるのか。

労働者にとって、社会主義国で中央計画委員会(Central Planning Board)の指令に従うほうが資本家のために働くよりも自主的だと、なぜ言えるのだろうか。