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「反インフレ経済勉強会」開講のお知らせ

インフレは税の一種です。しかも普通の税よりも悪質な税です。ところが、この事実はよく理解されていません。それどころか、多少のインフレはむしろ良いことだという嘘が、現在主流の国家主義的な、誤った経済学(ケインズ経済学)や、そこから派生した極端な説 (MMT=現代貨幣理論など) によっ...

2016-08-20

兵士という奴隷


*Murray Rothbard, Never a Dull Moment: A Libertarian Look at the Sixties(『リバタリアンが見た60年代』)より抜粋。

奴隷制の重要な実例は、軍隊(armed forces)である。志願制の軍隊でさえ、大規模な奴隷制を実践している。

たしかに志願制軍隊(volunteer army)の場合、兵役に就く人々の自由な選択によって新兵を募る。しかし兵役に就いた後、何が起こるだろうか。

ある人が軍に五年間入隊するとしよう。二年たったところで厳しい軍隊生活(military life)にうんざりし、除隊してもっと良い仕事に就こうと決めたとしよう。それは可能だろうか。もちろん無理だ。

兵士以外のあらゆる職業では、人は辞めたいときに辞め、他の仕事に就くか、仕事そのものを辞めることができる。…辞める自由がなければ、人は奴隷(slave)である。たとえ最初はその仕事をまったく自発的に選んだとしてもである。

仕事を辞める権利がなければ、人は自由でない。どの職業でもこの権利は否定されない。ただ一つの例外は、軍隊である。そこでは辞めると「脱走」(“desertion”)と呼ばれ、投獄され、銃殺されることさえあるのだ。

2016-08-19

アリエリー『予想どおりに不合理』



どこが不合理なの?

最近流行の行動経済学は、人間には普通の経済学が仮定するような完璧な理性はなく、無料というだけで商品に飛びつくなど、しばしば不合理な判断をすると主張する。それは正しくない。人間の満足度は金額だけでは決まらないからだ。

実験で高級チョコの値段を15セント、大衆向けチョコを1セントに設定すると、お客の73%が高級チョコ、27%が大衆チョコを買った。次にそれぞれ1セント値下げして高級チョコを14セント、大衆チョコを無料にしたところ、69%が無料を選んだという。

どちらのチョコも1セントずつ安くなっただけなのに、お客の行動に大きな変化が起きるのは「奇妙」だと著者アリエリーは驚いてみせる。それは的外れだ。近代経済学の知見によれば、商品の価値は人の主観で決まる。金額に比例するとは限らない。

著者自身、人間が無料に強い魅力を感じるのは「失うことを本質的に恐れるからではないか」と推測する。もしそうなら、無料の商品を争って求める人々の行動に不合理なところは何もない。不合理だ不合理だと大げさに連呼するのは不適切である。

著者は、人間は不合理だから自由な市場では幸福を最大にできないと決めつけ、政府がもっと大きな役割を果たすよう期待する。しかし政府を構成するのは人間である。もし人間が不合理なら、なぜ政府に合理的な判断ができるのだろうか。

もっとも、これはもともと心理学者であるアリエリーだけを責めるわけにはいかない。本職の経済学者の多くも、まるで政府は全能だと言わんばかりに、安易に政府の経済介入を求めるからだ。これこそ不合理きわまる判断と言わざるをえない。

2016-08-18

政府介入は経済に有害

*David Gordon, The Fallacy of the 'Third Way'(「『第三の道』の誤り」)より抜粋。

政府が何かを作ったからといって、政府の介入しない市場(unhindered market)で同等かそれ以上のことができないとは言えない。

米国で産業が最も発展したのは、保護関税(protective tariffs)が高い時代だった。これは、自由な市場に保護を組み合わさなければならないことを意味しないだろうか。しかし経済学者の大半はそう考えない。経済学の理論は自由貿易の利点を示している。

もし国が高い関税の下で繁栄したとしたら、関税がなければ経済はもっと大きく発展していただろうと考えるのが理にかなう。ある物理学者が述べたように、理論で裏づけられるまで、観察結果(observational results)に過度の確信を抱かないのが賢明だ。

資本主義とは大衆のために大量生産する制度である。民間企業の繁栄は、消費者の欲求(wishes of consumers)にどれだけ応えたかで決まる。それができない企業は姿を消し、経営資源は他の企業に移る。対照的に、公営事業を撲滅する仕組みはない。政府が税金でいつまでもテコ入れできるからだ。

共和党員のいったい何人が、政府が市場に介入する混合経済(mixed economy)を一掃したいと望むだろうか。多くの共和党員は、左派ほどではないにしても、巨額の政府事業に賛成票を投じている。つまり共和党員も混合経済を支持しているのだ。

2016-08-17

平塚武二・太田大八『馬ぬすびと』



権力者という盗賊

アウグスティヌス『神の国』の挿話で、アレクサンダー大王に捕らわれ、掠奪を責められた海賊が「同じことを俺は小さな船でやり、お前は大きな船でやるだけの話」と反論する。ロングセラー絵本の本書でも、同様の真実が描かれる。

源平の時代、陸奥の国。貧しい百姓の末っ子に生まれた九郎次は、何よりも馬を愛した。南部の宿で馬子として働きながら考える。「馬であろうと、牛であろうと、人間に使われて苦しむために、この世にうまれてくるわけがない」(p.21)

宿は侍のためにある。宿の馬を使うのは侍だけだ。「見たこともきいたこともないさむらいたちが、おれたちのしらぬどこかでいくさをして、勝った負けたで天下をとる」(p.24)。考えてみればみるほど、不思議なことだと九郎次は思う。

やがて九郎次は理解する。「平家であろうと、源氏であろうと、どっちも百姓から年貢をとるのだ」(同)。百姓が課役にへたばって倒れても、馬を貸してやれという侍は一人もない。馬を戦の道具としか考えず、人殺しの一本道に駆り立てる。

鎌倉の源頼朝が捕えた野生馬に、九郎次の最も愛する「九郎」がいた。馬盗人となっていた九郎次は九郎を救おうとしてつかまり、言い残す。自分と頼朝大将のどちらが本当の盗人か――(p.60)。この問いに、私たちは正しく答えられるだろうか。

雄渾な文章を綴った作話の平塚武二はすでに1971年に他界し、作画の太田大八も今月97歳で死去した。初版から半世紀近く読み継がれてきた本書が、これからも多くの子供や大人に親しまれてほしい。

2016-08-16

徴兵制の反道徳性



*Murray Rothbard, Never a Dull Moment: A Libertarian Look at the Sixties(『リバタリアンが見た60年代』)より抜粋。

徴兵制を支持する人々は「社会を外国の敵から守らなければならない」と主張する。しかし「社会」とは、自分以外の人々全員(every person except you)のことである。

社会が人々のことだとすれば、どんな権利があってA、B、C、Dという4人が集まり、彼ら自身を守るためにEという人物を奴隷にして戦わせるのか。これはどう考えても、おぞましい道徳律(monstrous moral doctrine)である。

もしA、B、Cという人々が外部からの侵略者(outside invader)の脅威を本当に感じるのなら、自分たちの財布から金を出し、必要な軍事防衛を賄えばよい。そして自分たちで戦うか、彼らのために進んで戦ってくれる誰かを雇うかすればよい。

外敵を恐れる愛国者(fearful patriots)は自分自身で、あるいは人を雇って、自分を守ればよい。なぜ外国の脅威などナンセンスだと考える人や、防衛なるものはかえって有害だとみなす人まで、防衛の費用を払わなければならないのか。

徴兵は非効率(inefficiency)だから問題なのではない。すこぶる反道徳的で犯罪的だから問題なのだ。若者に兵役を強い、人生の何年もの期間虐げ、本人の意志に反して殺したり殺されたりさせるのだから。

2016-08-15

辻田真佐憲『大本営発表』



政治と報道の癒着

第二次大戦中、デタラメな大本営発表が繰り返された原因は、軍部と報道機関の一体化だった。かつて軍に批判的だったマスコミはなぜ、その言いなりになってしまったのか。きっかけは戦争報道のスクープ合戦にあったと著者は指摘する。

戦前、マスコミの代表格だった新聞の多くは、大正時代から昭和初期にかけて、大正デモクラシーや第一次世界大戦後の軍縮ムードを背景に、軍部に対して批判的な論陣を張っていた。軍部もこれを抑えるのに、たいへん悩まされていた。

ところが1930年代に満洲事変や日中戦争が勃発すると、流れが大きく変わる。「各紙は戦争報道でスクープをあげるため、軍部に協力的になったのである」。軍部はこの変化を巧みに利用し、取材の便宜を図って新聞を懐柔した。

軍部は取材の便宜というアメの一方で、新聞用紙供給制限令などのムチを用いて新聞の隷属を図った。こうして1941年12月の太平洋戦争の開戦までに「軍部とマスコミの関係は、対立から協調、そして支配・従属へと急速に変化した」

ジャーナリズムの最大の役割が権力の監視にあるとすれば、政府の情報に依存した報道は自殺行為である。著者が強調するとおり、大本営発表の史実は、今も根絶されない政治と報道の癒着がいかに大きな危険をはらむか、教えてくれる。

2016-08-14

真の階級対立

*Matthew McCaffrey, The Class Struggle is Real(「階級闘争は現実である」)より抜粋。

階級闘争理論(theory of class conflict)を考案したのはマルクスではない。19世紀フランスの自由主義者たちである。…マルクス、エンゲルス、レーニンはそれを知っており、その影響を公に認めてもいた。マルクス版の階級論は元のものより明らかに劣っていた。

自由主義者もマルクス主義者も、社会は搾取する階級と搾取される階級(exploited and exploiting classes)で成り立つと考える点は同じである。しかし自由主義者によれば、社会はブルジョワとプロレタリアートに分かれるのではなく、生産階級と政治階級に分かれる。

自由主義の階級論によれば、階級を定めるのは労働者や企業家のような経済的役割ではなく、収入源(sources of income)である。社会には生産と交易によって富を得る者〔=生産階級〕もいれば、再分配によって得る者〔=政治階級〕もいる。

政府が富を再分配する手段はいくつかあるが、最も組織的な方法は課税(taxation)である。…課税によって、社会の分断が制度となる。一方には政府およびそれと親しい特権集団がいて、他方には生産階級がいる。

政治を通じた暴力的な搾取(violent exploitation)は、破壊的な階級闘争を生み出す。市場を通じた平和な協力は、そうならない。

2016-08-13

佐伯啓思『経済学の犯罪』



バブルの元凶は市場原理?

世界には市場原理主義が吹き荒れ、とりわけ1990年代以降の日本ではその風潮が甚だしいと著者は憤る。経済を専門分野の一つとするはずの知識人がこのような俗説を広めるのは、困りものである。問題は市場原理主義ではないからだ。

デリバティブや証券化など金融市場のイノベーションは、リスクを低減するつもりでむしろ不確実性をもたらし、リーマン・ショックという金融危機を引き起こしたと著者は述べる。だが、それは表面的な議論にすぎない。

金融危機の根本の原因は、政府・中央銀行による過剰なマネー供給と、それがもたらしたバブル経済である。著者は投機の横行を批判するが、中央銀行がマネーを大量に供給しなければ、そもそも巨額の投機は不可能である。

著者はグリーンスパン元連邦準備理事会(FRB)議長にバブルの責任があると言及するものの、なぜかそこで思考停止し、市場原理主義批判を繰り返す。政府が通貨発行を独占し操作する体制は金融社会主義であり、少なくとも市場原理主義の名に値するほど自由な市場経済ではない。

著者はシカゴ学派の経済学を市場原理主義と非難する。だがシカゴ学派はこと金融に関する限り、通貨発行自由化を唱えたオーストリア学派と異なり、国家主義者である。著者はそれを忘れ、「シカゴ学派=市場原理」という的外れな批判を重ねる。

2016-08-12

徴兵制の歪んだ平等



*Murray Rothbard, Never a Dull Moment: A Libertarian Look at the Sixties(『リバタリアンが見た60年代』)より抜粋。

「徴兵するなら全国民を対象にしなければならない」という主張は、ある黒人奴隷(Negro slavery)が脱走に成功したら「公平」のために連れ戻さなければならず、社会の全員が平等に奴隷にならなければならないと言うのと同じだ。

全員徴兵(“draft-everyone”)を唱える平等主義は、国民全員を強制的に等しく扱う目的に決して成功できない。なぜなら、もし国民全員を徴兵しても、戦場の最前線に送られるのは少人数だけだからだ。

最前線(front lines)に送られる以外の者は、食用動植物の育成、道具作り、補給などを受け持たなければならない。条件の平等をいくら強制しようとしても、それは物の道理に反し、必ず失敗する。

誰かが徴兵を逃れたら喝采すべきである。全員を「平等に」苦しませるのでなく、徴兵の廃止(abolition)を求めなければならない。

この世で達成できる唯一の平等とは、すなわち唯一の理にかなった平等の考えとは、自由の平等(equality in liberty)である。

2016-08-11

内田樹『最終講義』



それは市場原理ではない

最近の政府は「民間ごっこ」が大好きだ。積み上がる財政赤字やお役所仕事に風当たりが強まり、それなら民間の真似をしてみようと形だけの「市場原理」を導入する。ところが一部の知識人はそれを本当の市場原理と勘違いし、批判する。

著者は大学教育を論じ、「数値化できない教育効果はゼロ査定する」と言い放つ「市場原理者」を非難する。彼らは「この教師たちはいったい競争的資金をいくら取ってきたのだ?」と問い詰め、東京都立大の人文系学部を潰したという。

しかしここで著者がいう「市場原理者」とは、いったい誰のことなのか。国公立大の学部を潰す権限は、民間人にはない。民間のコンサルタントなどが雇われて手伝ったにしても、最終決定をしたのは当然、文部科学省の役人のはずである。

政府がいくら民間企業のやり方を模倣しようと、本当の市場原理とは関係ない。企業の場合、短期の損得を優先して重要な部門を切り捨てれば、やがて市場競争で淘汰される。しかし役人は、目先の収支さえ改善できればそれで手柄になる。

大学が「市場のニーズ」に追随すると「日本中の学校が全部同じになる」と著者。だが画一的といわれるマクドナルドでさえ、地域でメニューが異なるし、外食産業全体ではさらに多様だ。画一性は市場原理でなく、官僚主義の特徴なのだ。

2016-08-10

教育無償化の嘘



*Thomas DiLorenzo, The Problem with Socialism(『社会主義の問題』)より抜粋。

政府はサンタクロース(Santa Claus)ではないし、国民がタダでもらえるものはない。医療保険であれば、医師、看護師、病院、薬、X線機器、救急車、その他すべてに誰かがお金を払わなければならない。

公立学校も「無料」ではない。さまざまな税によって賄われる。サンダース上院議員のような煽動政治家(political demagogues)が時折約束する、「無料」の高等教育も同じだ。

社会主義者が嘘をつきたくないのであれば、「政府は市民に何でもタダで提供できる」と言わずに、「医療保険(やその他多くのもの)を全額税金で賄う政府独占事業(government-run monopoly)にしたい」と言うべきだ。

税は各政府事業(government programs)のコストを隠しても、なくすことはできない。各市民の払った税金のうち、どの事業にいくら使われたか正確に知ることはできない。しかし政府のやることは決してタダではない。

民間企業を政府独占事業にすれば物が大きく値上がりするのでなく安くなる(あるいはタダになる)と、誰が信じるだろうか。歴史や日常の経験(worldly experience)からわかるとおり、値段は高く、品質は悪くなる。

2016-08-09

シェファード『遠すぎた家路』



左翼も好んだ優生思想

神奈川県相模原市の障害者施設で入所者を次々と殺傷した男が逮捕前、「障害者は安楽死させた方がよい」と語っていたと報じられ、優生思想が関心を集めた。極右の思想と思われているが、左翼も信奉していたことが本書でわかる。

20世紀前半の英国で、政策エリートたちは人口減を心配し、原則制限していた移民の受け入れを検討するようになった。ただし条件がある。人口に関する王立委員会は1949年、移民が「よい血統」でなければならないと断言した(p.451)。

注目すべきは、労働党の母体にもなった左翼系団体のフェビアン協会が1945年に表明した意見である。「健全な血統を国内にもたらすと思われる、心身ともに健全で犯罪歴のない者たちだけを入国させるよう最大限の配慮をすべきだ」(同)

同協会は続ける。「移民の優生学は、いくら強調してもしすぎることがない」(同)。著者シェファードは「ナチスのイデオロギーそっくり」と論評する。優生思想はナチスがドイツで権力を握る以前に、英国の政治家などに広がっていた。

福祉国家の父ことベヴァリッジ、経済学者ケインズ、作家ウェルズといった進歩的知識人は優生学運動の一員として、労働者の産児制限や精神障害者の自発的避妊を提唱したという(p.26)。優生思想は左右を問わず国家主義に好都合な思想なのだ。

第二次大戦後の連合国によるドイツ占領政策がきわめて官僚的だったことから、東・中央ヨーロッパから追われたドイツ人難民の多くは劣悪な生活環境を強いられ、疫病が広がり、餓死寸前となる女性や子供も少なくなかったという(p.339-346)。戦争を引き起こす国家は、戦争の最中だけでなく、終わった後も人々を苦しめるのである。

2016-08-08

金本位制は復活可能



*James Rickards, The New Case for Gold(『新・金擁護論』)より抜粋。

金本位制(gold standard)の復活に反対する人々は、理由の一つとして「金の量が足りないので金融と商業を支えられない」と言う。しかし、その主張はばかげている。

これまで世界で採掘された金は合計約17万トンで、うち約3万5000トンを中央銀行、財務当局、政府系ファンド(sovereign wealth funds)が保有する。この量のまま金本位制に復帰しても、金の値段を適切に定めれば、世界の金融・商業を支えることができる。

金本位制に復帰する際の金価格は、物理的な金の量と通貨供給量(money supply)の単純な比率から決定できる。この計算にはいくつかの仮定が必要である。どの通貨を含めるか。通貨供給量の定義は。金と通貨の比率をどうするか、などだ。

たとえば米国、ユーロ圏(Eurozone)、中国が金本位制採用で合意し、通貨供給量はM1を使い、金の裏付けを40%とした場合、金価格は1オンスおよそ1万ドルと計算できる。M2で裏付け100%なら5万ドルとなる〔現在は約1300ドル〕。

「金本位制復帰には金が足りない」という批判(criticism)に一言で反論するなら、「安定した、デフレにならない金価格を定めさえすれば、金はつねに十分ある」となる。

2016-08-07

佐伯啓思『さらば、資本主義』



それは資本主義ではない

今、地球上に純粋な資本主義は存在しない。とくに先進主要国の経済は、国家の干渉がさまざまな分野で広がっている。ところが半可通の知識人は、経済・社会問題の原因は資本主義にあると的外れにも論評する。本書はその好例である。

著者は「『資本』を金融市場にバラまいて成長をめざすという『資本主義』はもう限界なのです」と記す。この短い文章に誤りが二つある。第一に、「資本」がマネーを指すとすれば、それをバラまいているのは市場自身ではなく、政府・中央銀行である。

今よりも純粋な資本主義に近かった時代、政府・中央銀行のマネー濫造には金本位制が一定の歯止めをかけていた。マネーの暴走と呼ばれる現象が頻発するようになったのは、金本位制が完全に消滅したニクソン・ショック以降である。

第二に、純粋な資本主義では、誰も国全体の「成長」をめざせと号令をかけたりしない。自分の会社が儲かるかどうかに関心はあっても、国内総生産(GDP)がどうなろうと知ったことではない。そもそも昔はGDP統計などなかった。

GDP(当初は国民総生産=GNP)統計とは、戦争や公共事業が経済にプラスになるという口実にする狙いで、政府主導で開発されたものである。著者が今の世を本当に憂えるのであれば、「さらば、国家主義」と言わなければならない。

主流派経済学に対する批判に傾聴すべき部分はあるものの、大枠の議論が混乱してしまっている。

2016-08-06

政府は文明の敵

*Jeff Deist, The Free Lunch Is Over(「ただ飯は終わった」)より抜粋。

現代を蝕む経済の神話(economic myth)とは、集団になれば個人でできないことができるという考えである。将来を犠牲に今を生きれば、豊かになれるという。…この考えは財政破綻につながるが、クリントン、サンダース、トランプはそれを口にしない。

19世紀の仏経済学者セイ(Jean-Baptiste Say)が示した市場の法則を一言でいえば、「生産は消費に先立つ」。まず生産しなければ、それを消費できない。もしそうしなければ、祖先たちが数千年前に脱した、生存すれすれの貧しい生活に逆戻りだ。

物を蓄えて不確かな将来に備える意志から、文明は始まる。社会がより多くの資本を蓄えると、生産性が高まり、寿命が延びる。すると将来への心配がまた大きくなる。これは有益なフィードバックの循環(feedback loop)である。

貨幣膨張と金融緩和で今の消費を煽る金融政策は、文化と道徳を損なう。貨幣の品質を落とす(debasing money)ことで、政治階級と銀行家は、経済を害するばかりか、政府を大きくし、戦争の可能性を高め、モラルハザード(自己規律の喪失)を引き起こす。

議会と中央銀行は共謀して国民を陥れ、未来のために何かをつくる代わりに、今のために生きさせようとしている。政治・金融階級は文明の敵(enemies of civilization)になった。財政・金融の享楽主義を私たちに売り込み、人間の歴史を逆行させようとしている。

2016-08-05

浅羽通明『「反戦・脱原発リベラル」はなぜ敗北するのか』



リベラル以上に左翼的

それなりに興味深いリベラル批判が続くものの、最後に愕然とする。著者の提案する政策が、経済学的に無茶なリベラルそのもの、いやそれ以上の左翼的、国家主義的な内容だからだ。しかも「リアル」な提言のつもりなのだから笑えない。

著者は、リベラルが支持を獲得すべきサラリーマンにとって「急迫性のある真の問題」とは、原発や安全保障でなく、社会保障だと指摘する。不効率な国営福祉の解体・民営化なら歓迎だ。ところが著者に現状を変えるつもりはない。

それどころか、破綻に瀕する国営福祉を「世界に冠たる国民皆保険・皆年金」と称え、実現した岸信介元首相の「功績」をほめそやす。国民を戦争に動員する手段として生まれた国営福祉が、真のコストを隠した欠陥商品だと気づかない。

そのうえで著者は、岸信介の国家社会主義者のDNAを継ぐ安倍晋三首相を社会主義者として「覚醒」させ、社会保障の強化に利用せよと言う。社会主義的な再分配が生活水準を悪化させることを知らず、正面切って持ち上げるとは呆れる。

挙句の果てにゼネストの復活と累進課税の復活・強化を主張する。賃金の源泉は企業の収入だし、企業は富裕層の貯蓄を資本に使うから、どちらもサラリーマン自身の首を絞める。左翼の経済学しか知らずにリベラルの政策を批判するのは無理である。

著者は「封建主義者」を自称する。それが近代国家に対する批判的立場を意味するのであれば、本書における著者の国家主義的な提言は、その看板と完全に矛盾する。

2016-08-04

金銭的利益は善である

*Jakub Bozydar Wisniewski, Why We Need Profits(「利益が必要な理由」)より抜粋。

金銭的な利益(Monetary profit)だけが利益ではない。心理的な利益を得るためにも、人々は多くのことをするだろう。それにもかかわらず、複雑な産業社会で持続可能な経済を築くには、金銭的な利益は欠かせない。

自由な市場経済で利益を蓄積することは、欲深さや強欲(acquisitiveness and greed)の現れどころか、実践的な知恵が複雑な生産過程に適用されたことを示す。

利益を求める企業家は取引先や顧客を道具のように扱うと言われるが、それは家族間や友人同士でも同じである。人は愛する者や仲間を、心理的な満足を得るための「道具」(“instruments”)として扱っているのだ。

成功した個人や企業が富を生み出す複雑な貨幣経済(monetary economy)では、物々交換や贈与経済の社会には存在しないような嫉妬が生まれる。嫉妬からは道徳的な非難が無尽蔵に湧き出す。

自由な社会では、儲かるものは善であり、善は儲かる。しかしこの事実を理解するには、素朴な道徳観(naïve vision of morality)を捨てなければならない。素朴な道徳観は、人間の協力関係が広がる社会にはふさわしくない。

2016-08-03

内田樹・白井聡『属国民主主義論』



自由への憎悪

リベラル派知識人の多くは安倍政権による改憲の企てを批判する。それには賛成だ。しかし彼らが本当に憲法を守りたいのか、疑問に感じる。憲法が擁護する個人の自由や権利を本音では憎んでいるとしか思えないからだ。本書でそれを痛感する。

対談者の内田樹と白井聡は、今の社会で消費者は企業によって意図的に幼稚にさせられ、どうでもいいモノを借金してまで買いまくるよう仕向けられていると話す。それでモノがどんどん売れるなら、経営不振になる企業はないはずだ。

白井は、若者は消費社会で「愚民化」され、スマホ製造の背後にある途上国での搾取に気づかないと批判する。しかしもし若者が軽薄な消費はいけないと反省し、スマホを買わなくなれば、企業は雇用を減らし、途上国の労働者は職を失う。

一方で白井は「持たざる者への再分配」を主張する。これは「持てる者」から財産を奪うことを意味する。課税という名の合法的搾取である。白井はそれに気づかない。これでは企業に「愚民化」され「搾取」に気づかない若者を笑えない。

内田は、高齢者が週刊誌でセックス記事を読むのは市場による「老人の幼稚化」だと言い、『徒然草』を引用し、「見苦し」いと非難する。誰にも迷惑をかけない性生活を貶めるような人物に、本気で自由を守る気があるとは信じられない。

2016-08-02

規制は規制を生む

 *Christopher Westley, The FDA’s Cigar Fascism(「米食品医薬品局の葉巻ファシズム」)より抜粋。

米食品医薬品局(FDA)は「国民の健康を守る義務」に基づき、葉巻メーカー(cigar manufacturers)に電子煙草と同じルールに従うよう求めている。ルールは事前申請と審査手数料の支払いが含まれる。煙草のブレンドを少しでも変える際には再度必要になる。

FDAの推計によると、年産25万~30万本程度の小規模な葉巻メーカーの場合、初年度に審査手数料(application fees)などで27万8000~39万7000ドル(2900万~4100万円)を払わなければならない。値上げせざるをえない。

FDAの審査コストは多額で、小規模な葉巻メーカー(small business)への影響が特に大きい。これで得をするのは大手メーカーである。実際、大手メーカーが市場支配力を強めるため、FDAのルールを支持したというのはありうる話だ。

電子煙草(e-cig)への規制で、低所得層や若者は葉巻に切り替えたかもしれないが、政府はそれを許さない。いつものことだが、ある規制が思わぬ影響をもたらすと、それを防ぐために新しい規制が導入される。

米政府による強制的な富の移転は、キューバ政府が行った富の強奪と変わらない。キューバから米国に逃げた葉巻メーカーを待っていたのは結局、同じように抑圧的な政権(repressive regime)だったというわけだ。

2016-08-01

佐藤優『資本主義の極意』



マルクスはやっぱり役立たず

マルクス『資本論』には、資本主義の冷徹な分析と、共産主義革命の理論書という2つの側面があり、後者の部分はソ連崩壊でダメだとわかったが、前者は役に立つと著者は言う。しかし本書の解説を読む限り、とてもそうは思えない。

著者の解説では、賃金は(1)労働者の体力維持(2)将来労働者となる子供の養育(3)自己教育資金--の3要素で決まる。だが価格はコストで決まるというこの考えは、典型的な経済学的誤りである。価格はコストでなく、需要と供給で決まる。

100円ショップやユニクロ、牛丼で生きることができる日本のような先進国では、企業側はどんどん賃金を下げると、著者はまるで安い商品が悪いと言わんばかりである。かりにそうでも、物価を考慮した実質賃金が上昇すれば問題ないはずだ。

著者によれば賃上げの方法は1つしかない。強力な労働組合をつくり、ストライキ権を背景に会社と団体交渉すること。それで賃上げはできるかもしれないが、会社は雇用を抑え、失業者が増えるだろう。生産が減って社会全体が貧しくなる。

一方で著者は、労働力は機械や原料と違い、資本で作り出すことができないため、景気がよくなると必然的に労働力不足が起き、賃金が高くなると解説する。これは、賃上げの方法は団体交渉しかないという前述の主張と矛盾する。

2016-07-31

不換紙幣と所得格差

*Philipp Bagus, Our Monetary System Favors the Rich and Hurts the Poor(「私たちの金融制度は金持ちに有利で、貧困者を傷つける」)より抜粋。

今の不換紙幣制度でお金が新たに作られると、必ず富の再分配が起こる。得をするのは、お金を先に手に入れ、物価がまだ安いうちにそれを使える人々。損をするのは、お金をあとから手に入れ、収入より早く(faster than their income)物価が上がってしまう人々だ。

新しいお金を最初に手に入れ、それによって得をするグループには、政府や金融関係者(the government and the financial system)がいる。

これまで資産価格(Asset prices)の上昇は所得よりも大きかった。普通の所得で普通の家を買うのは難しくなる一方だ。不換紙幣制度のせいで、人々は人生の早い時期に借金をし、家を買わざるをえない。

今の不換紙幣制度の下で裕福でいるために重要なのは、革新的な企業家として消費者を満足させることよりも、新しいお金を早くたやすく手に入れることだ。純粋な金本位制(pure gold standard)になれば、そうした方法で金持ちの地位を守ることはできなくなる。

道徳的に正当な不平等とそうでない不平等(morally justified and unjustified inequality)を区別しなければならない。生産的で人々の望みを満足させて裕福になる人は、称えよう。政府の許認可や規制、課税、不換紙幣制度などを利用して裕福になることは、不正である。

2016-07-30

マクニール『マクニール世界史講義』



政府という搾取者

人間社会は搾取する者とされる者で成り立つなどと言えば、カビの生えたマルクス史観かとうんざりするかもしれない。そうではない。世界的に著名な歴史学の長老の説だ。ただし、搾取する者は資本家ではない。政府である。

著者マクニールは、微生物が人間に寄生する「ミクロ寄生」をヒントに、人間の集団や階級間の搾取関係を「マクロ寄生」と呼ぶ。小作農に労働を強制する地主、農村に押し入る武装した侵略者は、典型的なマクロ寄生者である。

著者がもう1つ挙げる寄生者の例は、税や地代の集金人である。現代流にいえば、著者はその言葉を使っていないが、政府である。その収奪のやり方は侵略者のように露骨ではなく、「支払う者が死なない程度の額」を搾り取る。

マルクスは資本家が労働者を搾取すると主張したが、その根拠は経済学的に破綻した「労働価値説」で、真の搾取者を見抜けなかった。マクニールははるかに簡明に、搾取者は政府だという政治的に不都合な事実を淡々と述べる。

マクニール自身は意図していないだろうし、彼のブームに喜ぶ出版関係者も気づいていないだろうが、政府は搾取者という事実は、納税拒否という非暴力革命に正当な根拠を与える。お行儀のよい教養書として読まれるには惜しい。

2016-07-29

最低賃金は若者を苦しめる

*Chris Shaw, Britain's Minimum Wage Short-Changes Young Workers(「英国の最低賃金は若い労働者に貧乏くじを引かせる」)より抜粋。

1999年、英ブレア政権(Blair government)が導入した全国最低賃金は、搾取労働と低賃金に取り組む最善の政策と見られてきた。だが影響は深刻で、若者の失業は増加。…過去12年間で18~24歳の失業者数は78%増え、全体の42%を上回った。

労働市場は麻痺(stunted)。労働コストが人為的に高くされ、起業が難しくなった。賃金に上限が生じた。労働者は、大企業が賃金を定める独占的市場に押し込められた。英国産業連盟(日本の経団連に相当)が最低賃金を熱心に支持するのも当然だ。

若者は政府の職業訓練や必要以上に高度な教育(higher education)を受けるか、引きこもるしかない。彼らの技能や特質は、政府の介入のせいで失われる。

民間の実習(firm-led apprenticeships)と異なり、政府の職業訓練は仕事場でなく教室で行われる。若い労働者が習うのは実地の技能でなく、雇用に役立たない基礎技能である。最低賃金による高い人件費やその他の規制のせいで、自分で起業することもできない。

多数の失業といい、労働市場がきわめて不自由で硬直的になったことといい、英国の若者は、政府の短期的な戦略(最低賃金導入)がもたらした長期的な影響(long-term consequences)に苦しめられている。

2016-07-28

稲葉振一郎『不平等との闘い』



浅はかなピケティ

『21世紀の資本』で起こったピケティ・ブームを受け、経済的不平等論について整理した本。著者にその意図はないはずだが、読むにつれ、ピケティが不平等論にとって根本的な問題を考えていない思慮の浅い学者だとわかる。

経済的不平等に関しては、大きく2つの対立する意見がある。一言でいえば、「成長か格差是正か」。富の格差は是正しなければならないという考えと、社会全体が豊かになり貧困が減れば格差は問題ないという考えだ。

「成長か格差是正か」の意見対立は、18世紀のルソーとアダム・スミスの論争に遡ると著者は指摘する。ルソーは市場経済が不平等と貧困をもたらすと批判し、スミスは不平等が貧困の改善を伴っているから問題はないと反論した。

ルソーとスミスのどちらが正しいかについて著者は判断を保留しているが、問題は貧困なのだから、ルソーでなくスミスが正しい。格差是正のために政府が介入すれば、経済が不効率になり、社会全体が貧しくなる。ところが欧米の左がかった学者先生の間では、いまだによく理解されていないらしい。

さて著者によれば、ピケティは「平等を追求すべきなのはなぜなのか?」「平等を追求するとどんなよいことがあり、それを軽視するとどのような悪いことがあるのか?」という根本の議論を「十分に深めていない、あるいはそうした問いかけをなされた時に、応える準備が十分でない」ように見えるという。

たしかに、あの分厚い『21世紀の資本』を最後まで読んでも、訳者の山形浩生も認めるように、「格差が拡大すると何がいけない?」という本質的問いに対する説明は一切ない。世間で「知の巨人」ともてはやすにしては、お粗末すぎる。

2016-07-27

国境というライフライン

*Ryan McMaken, We Need More Borders and More States(「国境と国家を増やそう」)より抜粋。
 
国境は国外からの物や人(goods and people)を排除するかもしれないが、その一方で、他の国家を排除するという機能もある。

(物資の不足に苦しむ)ベネズエラ人にとって、コロンビアとの国境は今やライフライン(lifeline)となった。ベネズエラ人は国境で日用品や食品を手に入れ、社会主義政策が強いる窮乏生活から多少逃れることができるようになった。

さいわい、ベネズエラは中規模な(medium-sized)国家である。もし同国がブラジルやロシアのように大きな国だったら、あるいは最悪の場合、世界が一つの国だったら、どれほど悲惨なことになっていたか想像するしかない。

もし選択・移動の自由を好み、横暴な政権(overbearing regimes)から逃れたいのであれば、答えは(分離独立により)国境と国家を増やすことにある。国境は物や人間の移動をしばしば妨げるけれども、既存の国家の権力・権限を制限し、自由のチャンスを広げる。

小規模な国家(smaller states)は市場や人々に対する規制を国外に及ぼすことが難しいため、生き残り繁栄するために、他国との自由な貿易に頼る可能性が大きい。

2016-07-26

橘玲『言ってはいけない』



「機会の平等」 の幻想

親が高収入だと子供の学歴が高い。だから教育機会の平等のために、貧しい家庭に財産を再分配せよ――。左派はそう主張する。だがそれは間違いである。本書は進展著しい進化論の知見に基づき、現代のタブーを暴く。

近年の研究により、「知能が環境のみによって決まる」という仮説は否定された。親が高収入だから子供が高学歴になるとはいえない。知能の高い親は社会的に成功し、同時に遺伝によって子供は高学歴になるのかもしれない。

「男と女は生まれながらにして違っている」などと公の場で言えば、女性差別を正当化するものとして袋叩きは必至だ。しかし遺伝学や脳科学は、男女は生まれつき、満足を感じる対象が異なることを示唆する。

欧米で物理学・工学の博士号を取得する女性は5%を下回る。これは、男性は物、女性は人を相手にした仕事をそれぞれ好むという志向の違いが原因という。職業選択の自由のない旧ソ連では男女はほぼ同数だった。

旧ソ連のような「平等な社会」より、女性が有能な医師や弁護士、教師など人を相手とする仕事で活躍できる自由な社会のほうがずっといい、という著者の主張はもちろん正しい。平等のイデオロギーは人を不幸にする。

明らかに社会主義的な「結果の平等」に批判的な人でも、「機会の平等」は何となく支持し、それを実現するための所得再分配に賛成する場合が少なくない。しかし人間の遺伝的資質が異なる以上、政府が「機会の平等」を実現できるという考えは幻想にすぎない。

2016-07-25

クリントンとトランプは違わない

*Richard M. Ebeling, Clinton and Trump Embody Plunder and Paternalism(「クリントンとトランプは略奪と干渉主義を体現」)より抜粋。

クリントンとトランプの政治方針は同工異曲にすぎない。どちらもめざすのは経済に介入する福祉国家(interventionist-welfare state)。違う点といえば、異なる特別利害関係者やイデオロギー集団に取り入るところだけだ。

クリントンもトランプも、有権者にタダでさまざまな物をやると約束している。クリントンの場合は大学授業料(college tuition)の無料化ないし大幅補助。トランプの場合はメキシコ国境の壁。どちらも高給でグローバル経済の現実から守られる「仕事」を約束する。

クリントンとトランプの政策が違って見える部分も、その手段は同じだ。トランプは政府権力(governmental power)を使い、米国の脅威とみなした人々を締め出す。クリントンは政府権力を使い、人々を無理やり交流させる。どちらも、人々が市場で行った選択を罰する。

もし政府に富を再分配し社会・経済関係(social and marketplace relationships)を規制する権力がなければ、クリントンやトランプのような連中は政治の世界に入ってこないだろう。政治的な収奪という彼らの目的に利用できないからだ。

アメリカ建国(founding of the American Republic)をもたらした自由で自律的な個人という理念と理想。それにもっとふさわしい、人間の自由や平和で自主的な社会・経済関係のビジョンに向けた変革が始まるまで、クリントンやトランプのような政治候補者はいなくならないだろう。

2016-07-24

木村草太『テレビが伝えない憲法の話』



世界に軍は存在しない!?

憲法9条は日本特有の異常な規定などではない、国際法というグローバルスタンダードに則った「普通の」内容にすぎない――。憲法学者の著者は護憲派の人々が喜ぶようなことを言う。だがこの無理のある解釈は、異様な結論を導く。

著者は言う。憲法9条の条文は、一見すると、武器を用いる組織の設立を完全に禁じているように読める。しかし「法律の文言は、日常用語とは異なる」。実は、9条の内容は、国際法を理解しないとわからないと言う。

結論を言えば、現在の国際法は戦争を含む武力行使を禁止し、例外的に個別的・集団的自衛権の行使と国連の集団安全保障への参加を認める。憲法9条はこの原則を確認したものだと著者は述べる(ただし集団的自衛権の行使は除く)。

だが何かおかしい。国際法が戦争を違法とし、憲法9条2項と同じく「陸海空軍」を禁じるのなら、世界中の国が現に持つ軍隊は、何なのか。著者は驚くべきことを言う。「憲法9条2項の意味での『陸海空軍』を持つ国はないはずだ」

世界最強の米軍も、やっているのはあくまで自衛権の行使で、戦争ではないと考えれば、軍ではないことになるらしい。理屈は合っても、現実離れしすぎだろう。これで憲法によって国家権力の暴走を防げるのか、はなはだ心もとない。

2016-07-23

民主主義とジェノサイド

Hans-Hermann Hoppe, The Paradox of Imperialism(「帝国主義の逆説」)より抜粋。

国内経済に税と規制(tax and regulation)の負担が小さいほど、人口が増え、多くの富が創造される。政府はその富で隣国と戦争ができる。税と規制が比較的少ない自由主義国家は、自由でない国家を食い物にして、領域や覇権を広げることができる。

民主主義は支配する者とされる者(the rulers and the ruled)の区別をあいまいにし、市民と国家の一体化を強めた。民主主義国の戦争は観念的な争い、文明の衝突になった。解決しうる唯一の手段は文化・言語・宗教的な支配、征服、必要なら根絶である。

自由の基礎は私有財産制度(institution of private property)である。そして排他的な私有財産は、民主主義(多数決ルール)と論理的に両立不可能である。

第一次世界大戦前のドイツやオーストリア(Germany and Austria)は王制だが独裁国ではなかった。米国では反戦主義者は投獄され、ドイツ語は事実上禁止、ドイツ系市民は公然と嫌がらせされ、しばしば改名を迫られた。ドイツやオーストリアでこんなことはなかった。

米国で南部連邦(Southern Confederacy)が武力征服され、民主主義が勝利した後、政府はたちまちプレーンズ・インディアンを絶滅させた。民主主義は多民族社会では機能しない。平和をもたらすのでなく、紛争を促し、ジェノサイドの可能性を秘める。

2016-07-22

金子光晴『自由について』



奴隷根性の国

日本は世界で一番人気があるとか、尊敬されているとかという空虚な「元気が出る本」とは正反対の書。反骨の詩人として知られる著者、金子光晴は日本人の情けなさを痛烈に批判する。一言でいえば、それは「奴隷根性」である。

「劣等意識の安心感」ともいうべき奴隷根性はどの国民にもあるが、日本人のそれは根が深い。民衆反乱が頻発した中国と違い、「王侯将相なんぞ種あらんや」という気概がない。日本の支配層はそれにつけ込んで、繁栄してきた。

著者は吐き捨てるように書く。「奴隷には奴隷のかしこい生きかたがある。反抗できないとはじめからきまっている主人達には、犬ころのように服従することと、仲間を売っても手柄を立ててみせる卑屈な根性を身につけることだ」

日本人の奴隷根性は、戦時中に遺憾なく発揮された。「おかっぴき根性や、五人組制度、いちはやく権力に反抗できないものときめ込んでしまう態度」を目のあたりにし、著者は「どうにも救いがたいという感じがした」と嘆く。戦後は対米従属に形を変え、著者が没して四十年以上を経た今に至るまで奴隷根性は続く。

だが著者は希望を失わなかった。「人間が自由を欲する動物であるかぎり、階級の関係が、本来、闘争的なもの」だからだ。権力への抵抗は「合理的に考えればそうなるはずですね。常識で考えてもわかることじゃないかと思うんだ」と語る著者は理性の人だった。

2016-07-21

政治より自由貿易を

*Gary Galles, Richard Cobden: Activist for Peace(「平和活動家、リチャード・コブデン」)より抜粋。

自由の進展(progress of freedom)をより大きく左右するのは、平和の維持、貿易の拡大、教育の普及である。内閣や外交機関の尽力ではない。

わが国の市場を訪ねる海外客は、外交官の影響力を恐れてやって来るのではない。単に利己心(self-interest)に促されて来るのだ。

政治家を頼ってはいけない。自分自身を頼りたまえ。
Look not to the politicians; look to yourselves.

二つの国は互いに欲しいものを供給し、持ちつ持たれつの関係(mutual dependence)を築かなければならない。それ以外に、言葉や人種による敵対心を和らげる手段はない。

保護政策(protection)とは、まず人から金を奪う。その人は埋め合わせに別の人から奪う。これがぐるりと社会を一巡すれば、結局全員から盗んで誰も得をしない。

2016-07-20

石田勇治『ヒトラーとナチ・ドイツ』



雇用改善は良いことか

政府は経済政策の成果として雇用の改善を誇る。しかし雇用とは消費者を満足させるためにあり、人為的な雇用改善は社会を良くしない。ときに礼賛されるヒトラーの雇用政策の内実を本書で知れば、それがよくわかる。

著者によれば、ヒトラーの雇用政策の独自性は3つ。いずれも人為的に労働力の供給を減らし、統計上の失業者を減らす狙いがあった。第1に、若年労働者の供給を減らすため、若者に公益事業の勤労奉仕を義務づけた。

第2に、女子労働者の供給を減らすため、結婚奨励貸付金制度を導入し、女子就労者を家庭に戻した。出産すれば子の数に応じて返済額が減免される。「失業者の削減と出生率の向上という二つの目的をもつ政策」である。

第3に、徴兵制を再導入した。1935年以降、毎年100万人以上の若者が労働市場から姿を消す。一時600万人に達した失業者が次第に減少していく様子を、ゲッベルスの啓蒙宣伝省はラジオや新聞で詳しく伝えた。

「勤労奉仕の現場がいかに過酷で、生産性が上がらなくても、それは問題にならなかった。失業者の数を減らすこと――それが先決だった」。無駄な公共事業で雇用を「創出」する今の政府との違いは、程度の差でしかない。

2016-07-19

「合法」な暴力は正しいか



*ラーケン・ローズ『最も危険な迷信』(The Most Dangerous Superstition)より抜粋。

「権力」とは悪事を働く許可のことである。もし一般人がやれば不道徳で不正(immoral and unjustified)とみなされることが、何でもできる。

「民主主義」とは多数から承認された(majority-approved)不道徳な暴力にすぎない。社会問題を解決することはできないし、自由や正義の手段にもなれない。

暴力が「合法」になり、「権力」によって行使されると、不道徳な暴力は正しい「法の執行」("law enforcement")に一変する。

「政府」への信仰を支えるのは、「公共善」("common good")のためなら無実の者に「合法的」暴力を先に振るっても構わないという考えである。この前提がいったん受け入れられると、「政府」の行為を制限する客観的な道徳基準はなくなる。

「政府」は「必要悪」("necessary evil")だという考えによれば、「政府」があるおかげで人間の暴力的で攻撃的な性質が抑制される。現実は正反対である。「権力」信仰は攻撃を正当化し、「合法」にする。

2016-07-18

佐藤優・宮家邦彦『世界史の大転換』



「インテリジェンス」のお粗末

国家主義に盲いた元外務官僚の対談。難民を生んだのは、日本も協力した米欧の中東軍事介入。だがイラク戦争後に連合国暫定当局日本代表としてバグダッドに赴任したという宮家邦彦も、佐藤優も、国家の責任を問わない。

佐藤は「不法な難民を送り出す業者と、密航を請け負う業者が商売をしている」とさも悪事のように話す。「業者」が助けなければ、待つのは虐待や死だ。国家が不幸にした人々を救う民間人に、元公僕として感謝すべきである。

難民は「ヒトの『移動の自由』というポストモダン的なグローバリゼーションが進まなければ、起こりえなかった現象」と宮家。第一次世界大戦時に欧州で各国がパスポートを導入し規制を強めるまで、人の移動は原則自由だったことを忘れている。

宮家は「近代の国民国家は、教育や社会福祉、生活インフラを整備し…国力を増大させてきた」と国家を称える。しかし、たとえば日本の電力や鉄道産業はもともと私企業として発展し、戦争を機に国有化されたにすぎない。国家はむしろ、国鉄の累積赤字や原発乱立などの問題を引き起こした。

佐藤は「貧困層が増えて個人がバラバラになると…生活不安の矛先が国家に向かい、国家(官僚)の徴税に支障をきたす」と新自由主義の弊害なるものを心配してみせる。貧困層が増えるのは、国家が経済に介入して自由な生産活動を妨げるからである。徴税に支障をきたすとしたら、自業自得である。

諸問題の元凶は国家であるのに、元官僚の2人は意識的にか無意識的にか、それを認めたくないようだ。これではどれだけ情報を集めようと、正しい対策は講じられない。国家に仕え、権力者を喜ばせる習性の染みついた「インテリジェンス」とは、この程度のお粗末なものだ。

2016-07-17

賃金を払うのは誰か



*ソーントン編『ミーゼス引用句集』(The Quotable Mises)より抜粋。

労働者の仕事道具がすぐれているほど、時間あたりに多くの仕事をこなすことができ、その結果、報酬(remuneration)が増える。

賃金率の高さは、販売する製品に労働者が加えた価値を、消費者がどのように評価するか(consumers’ appraisal)によって決まる。

映画スターに賃金を払うのはハリウッド(Hollywood)の映画会社ではない。入場料を払って映画を見る人々である。ボクサーに高額の賞金を払うのはボクシングの興行主ではない。入場料を払って試合を見る人々である。

実質賃金率を引き上げ、賃労働者の生活水準を良くする有効な方法は一つしかない。一人あたり(per-head)投下資本を増やすことである。

最低賃金は、政府によって命令・強制される(decreed and enforced)にせよ、労働組合の圧力・暴力によるにせよ、大量の失業を生み出すに終わる。

2016-07-16

栗原康『現代暴力論』



国家は収奪者

国家とは何か。有無をいわさずに、税をむしり取る。警官を使って人に恐怖と恥辱を与え、無理やり言うことを聞かせようとする。つまり「収奪とカツアゲ」を事とする、暴力的な存在である。著者はそう喝破する。

著者はアナーキスト大杉栄や彼が参考にした社会学者グンプロビッチの議論に基づき、国家の本性を暴いていく。国家の起源は戦争である。武力で勝った部族が負けた部族を支配する。敗者は勝者の奴隷となり、労働を強いられる。

人が人を支配する構造は今も変わらない。議会制でも一握りの議員が政治の意思決定を独占する。では、どうするか。「あらゆる収奪を拒否すること。税金なんてはらわない」と著者。しかし同時に、それが「むずかしい」と認める。

なぜ難しいか。法律や教育によって、税金を払わないことが「わるいこと」だと思い込まされているからだ。逆に、納税して「あなたはすばらしい市民だ」などとほめられると、うれしくなってしまう。大杉栄はこれを奴隷根性と呼んだ。

社会を変えなければならないと多くの言論人は語るが、いずれも表面的で、問題の根本に触れようとしない。自発的な労働まで奴隷と同一視するなど賛同できない部分はあるものの、収奪者という政府の本性を恐れず暴く本は他に少ない。