マレー・ロスバードは第二次世界大戦の起源を再検討し、ヒトラーに「世界征服のための綿密な計画」があったという通説を否定した。彼はA.J.P.テイラーの著書『第二次世界大戦の起源』を支持し、戦争は事前に練られた陰謀ではなく、外交上の偶発的危機の連鎖によって引き起こされたと論じた。ヒトラーはヴェルサイユ体制の不当さを是正しようとしたドイツの伝統的外交路線を踏襲したにすぎず、イギリス帝国を尊敬し協調を望んでいたという。オーストリア併合やズデーテン問題、ポーランド侵攻も、相手国の挑発や過剰な強硬姿勢が事態を悪化させた結果であり、ヒトラー自身は多くの場面で穏健な解決を模索していたとされる。ロスバードは、英米の外交思想を支配する「強硬路線の神話」を痛烈に批判し、敵を「悪の化身」と決めつけて力で押さえ込もうとする発想こそが戦争を招くと指摘する。さらに東欧は常にドイツかロシアの影響下にある現実を直視すべきであり、域外の列強による介入が20世紀の大戦と冷戦を生んだと述べる。民族自決は理想だが、外部の軍事干渉によってではなく、当事者の自主的な努力で達成されるべきだと結論づける。ロスバードは「理性・平和・誠実な交渉こそが真の外交」であり、戦争を防ぐ唯一の道だと強調している。
Murray Rothbard and World War II Origins | Mises Institute [LINK]
マレー・ロスバードは、課税を「合法化された強奪」と断じた。国家だけが強制によって収入を得る存在であり、納税拒否には資産没収や逮捕が伴う以上、それは自発的行為ではなく、銃口を突きつけた強盗と同じだという。民主主義の名の下であっても、多数派の支持は窃盗を正当化しないと彼は批判し、「民主的に決定された盗みも依然として盗みである」と喝破する。国家がこの暴力的構造を隠蔽できるのは、知識人や官僚が「課税は社会正義」と説くイデオロギーによって国民を洗脳しているからだと指摘する。ロスバードはまた、「税制の簡素化」や「公平なフラット税」といった改革論も誤りだと主張し、むしろ納税を煩雑にし、人々に課税の不当さを意識させるべきだと説く。抜け道や免税措置は自由の芽であり、国家の搾取を回避する個人の正当な防衛手段であると評価した。彼にとって課税は正義でも社会契約でもなく、権力が生み出した制度化された略奪にほかならない。
Rothbard on Taxation | Mises Institute [LINK]
マレー・ロスバードは、アメリカ合衆国憲法を「自由の勝利」ではなく「中央集権の勝利」として捉えた。彼によれば、1787年の憲法制定は州権と地方自治を重んじた独立革命の精神を裏切り、強力な連邦政府を生み出した「反革命」だった。ヴァージニア案に基づく憲法は、課税・軍備・戦争・通商などの広範な権限を中央に集中させ、「一般福祉条項」や「必要かつ適切条項」といった曖昧な文言が国家権力の膨張を正当化する抜け道となった。ロスバードは第10修正条項を一時的な自由派の武器と評価しつつも、マディソンが「明示的に(expressly)」という語を削除したために司法の拡大解釈を許し、州権擁護の力を失わせたと批判する。彼はまた、最高裁による「違憲審査」も政府権力の抑制どころか正当化装置となり、連邦支配を制度的に固定化したとみなす。結局、憲法はリバタリアンの理念を防衛する武器であると同時に、国家権力を拡大する仕組みそのものでもあるとロスバードは結論づけ、自由を守るには憲法の限界を自覚する必要があると訴えた。
Rothbard on the Constitution | Mises Institute [LINK]
リュウェリン・ロックウェルは、マレー・ロスバードの立場を引用しながら、公民権法を自由の原理に反するものとして批判する。ロスバードにとって雇用や賃貸などは、当事者の自由意思による契約であり、誰を雇うか・貸すかは所有者の絶対的権利に属する。「差別禁止」はこの自由契約の原則を破壊し、国家が個人の財産と判断に介入する暴力的行為だとみなした。彼は、保守派が「公民権法の本来の理念」への回帰を唱えるのも誤りだとし、一度「差別禁止」を正当化すれば、最終的に政府による割当や配分(クオータ制)をも認めざるを得なくなると論じた。さらに「政府だけが差別を禁じられるべき」とする左派リバタリアンにも反対し、現代社会では公私の区別が崩壊している以上、限定的な適用は不可能だと主張する。結論としてロスバードは、公民権法や差別禁止法を全面的に否定し、あらゆる分野で民間の自由と私的所有権を回復すべきだと説いた。
Rothbard on 'Civil Rights' - LewRockwell [LINK]
リュウェリン・ロックウェルは、イラン核施設の爆撃を契機に、マレー・ロスバードの核兵器観を紹介する。ロスバードは「正戦論」に精通した立場から、核兵器は本質的にリバタリアンの倫理に反する「無差別大量殺戮の道具」であると断じた。弓矢や銃は標的を限定できるが、核兵器は戦闘員と非戦闘員を区別せず皆殺しにするため、使用も威嚇も道徳的に許されないとする。彼は「核兵器の存在そのものが罪であり、その廃絶こそ現代における最高の政治的善」と述べ、自由市場化や税制改革よりも優先すべき課題と位置づけた。また、国家間戦争と国内革命の違いにも言及し、後者は同一領域内で起こるため核使用の余地がなく、標的を限定できるが、国家間戦争では国全体が敵視され、市民への無差別攻撃が避けられないと指摘した。ロスバードにとって、核兵器は自由や文明そのものを破壊する「究極の犯罪」であり、リバタリアンはその全面廃絶を最優先で追求すべきだと結論づける。
Rothbard on Nuclear Weapons - LewRockwell [LINK]
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