2015年6月14日日曜日

オルテガの威を借る狐

大衆社会批判で知られるスペインの哲学者オルテガは、保守派の物書きが好んで引用する外国知識人の一人である。ところが最も重要な主張は、だれも読者に伝えない。

たとえば経産官僚で評論家の中野剛志は、自著の題名を、主著『大衆の反逆』にあやかり『官僚の反逆』(幻冬舎新書)とするほどオルテガを持ち上げる。そして「大衆民主社会では……少数のエリートたちは、大衆によってバッシングされる」と官僚叩きの風潮を嘆いてみせる。

中野の読者の多くは、オルテガも当時の「官僚バッシング」の類を批判したと思いこむことだろう。だがオルテガが懸念し批判した大衆の行動とは、テレビの街頭インタビューや新聞への投書で官僚の悪口を言うような、言論の自由の範囲内の、人畜無害なことではない。もっと深刻な脅威、すなわち政府を動かし、他人の自由を奪うことである。

大衆の反逆』(寺田和夫訳)にはこう書かれている。「大衆は、床山政談に法の力を与え、その法の力を行使する権利があると信じている」「大衆的人間は……なにかと口実をもうけては……創造的少数派をすべて、国家を利用してつぶそうとする傾向をますます強めるであろう」


だからオルテガは、政府・国家を擁護するどころか、強く警戒した。第一部最終章を丸々割き、「最大の危険物、それは国家である」(章題)と論じている。中野は「直接行動に訴えることは、自由民主政治の放棄」と書くが、大衆がたとえ集団で暴力を振るったとしても、威力はたかが知れている。しかし国家の力を使えば桁が違う。オルテガは言う。「国家主義は、規範として確立された暴力と直接行動のとりうる最高の形態である」

中野はオルテガをさんざん引用しながら、大衆のほんとうの脅威は、政府を利用することにあるという肝心の主張には一言も触れない。それどころか、たとえば農業政策は「さまざまな利害関係者に対する配慮や多様な意見の上に成立する」と事もなげに認め、「それが政治というもの」と開き直る。

しかしどう見ても、一部の農家や農協幹部、関連団体に天下った元官僚などの「利害関係者」が族議員を通じて政府を動かし、輸入農産物購入などの自由を他の国民から奪うのは、オルテガが恐れた大衆民主主義そのものである。

中野は「自国民の意思以外のものの制約からできるだけ自由に、自分たちの望む国をつくりたいという……自由主義」などと的外れなことを書く。現実には、個人の自由をしばしば侵すのは、遠い外国よりむしろ自国の政府である。オルテガは自由主義を「公権自体を制限する政治的権利の原則」と正しく定義している。威を借るだけの狐とは、まさに月とスッポンである。
(2013年2月)

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