2015年6月28日日曜日

覇権国は野盗の親玉

「将来は世界一の大泥棒になりたい」と真顔で話す子供がいたら、周囲の大人はたちまち眉をひそめることだろう。ところが、まったく同じ意味のことを大人の言論人が主張しても、世間で顰蹙を買うどころか、しばしば喝采を浴びる。すなわち「日本は覇権国になれ」という主張である。

工学者で名城大学教授の木下栄蔵は『世界経済の覇権を握るのは日本である』(扶桑社新書)で、「ほかに覇権国家になる国がなければ、日本も手を上げる必要があります」と書く。そして、もし覇権国になれば「世界経済を守る責任が発生」するから、「政治力とそれに付随する軍事力」が必要になると主張する。

同じような勇ましい議論はよく耳にするが、まったくの俗論である。木下は、覇権国には「世界を守っていくという気持ち」が必要だと述べるが、かつて覇権国だった英国も、それを引き継いだ米国も、そんな博愛主義に駆られて行動したのではない。それぞれの国の政府関係者が、みずからの利益の獲得と地位の維持強化のため、武力に物を言わせて国外で勢力を広げたにすぎない。

木下もそうだが、半可通の知識人が理解できないのは、政治と経済の区別である。社会学者フランツ・オッペンハイマーによれば、人間が欲しいものを手に入れるには、二つの方法がある。

一つは自分で労動して作り出すか、作ったものを他人と合意のうえで交換する方法で、これを経済的手段と呼ぶ。もう一つは暴力や脅迫を使って他人から無理やり取り上げる方法で、これを政治的手段と呼ぶ。政治的手段を非合法に用いるのが強盗で、合法に用いるのが政府である。

十九世紀の英国、二十世紀の米国が世界一の繁栄を享受したのは、才能ある企業家が勤勉な労働者と協力して価値あるものを作り出し、それを世界の人々が自発的に買ったからである。つまり経済的手段のおかげである。政府が他国を無理やり植民地にしたり、海外に軍事基地を多数配備したりしたからではない。それらは繁栄の原因ではなく、結果にすぎない。

その証拠に、英国はインドをはじめとする植民地経営が財政の重荷となって経済が傾いたし、米国も冷戦や「テロとの戦い」に巨額の軍事費を注ぎ込んだ結果、財政金融危機とドル安に直面している。


国民が豊かであるほど、政府は課税によって財産を多く奪うことができるから、それを軍事力増強に充て、覇権を握ることが可能になる。つまり覇権国とは、それだけ自国民の富を多く掠(かす)め取る阿漕(あこぎ)な国家である。

覇権国待望論は、すでに十分な重税国家である日本政府に、国民をもっと搾り取って野盗の親玉になってくれと懇願するに等しい。傍迷惑な話である。(2013年4月、某ミニコミ誌に寄稿

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