注目の投稿

「反インフレ経済勉強会」開講のお知らせ

インフレは税の一種です。しかも普通の税よりも悪質な税です。ところが、この事実はよく理解されていません。それどころか、多少のインフレはむしろ良いことだという嘘が、現在主流の国家主義的な、誤った経済学(ケインズ経済学)や、そこから派生した極端な説 (MMT=現代貨幣理論など) によっ...

2016-10-20

佐伯啓思『自由と民主主義をもうやめる』

自由と民主主義をもうやめる
自由と民主主義をもうやめる

詭弁による自由主義批判

詭弁の一種に、相手が主張していないことを自分の都合のよいように表現し直し、論破することで、あたかも相手の主張を論破したかのように見せかける手法がある。「藁(わら)人形論法」という。本書で著者は、その詭弁を用いている。

戦後、日本的価値に代わってアメリカ型の自由民主主義が持ち込まれたとして、著者はこう批判する。「自由が無条件に大事だと言ってしまうと、とんでもない『悪』をなす自由も認めることになります」。これが藁人形論法である。

自由至上主義者といわれるリバタリアンでさえ、「とんでもない『悪』をなす自由」を認めたりしない。前提として、「正当な理由なく他人の生命・身体・財産を侵害してはならない」という明確なルールがある。非侵害公理と呼ばれる。

その意味で、自由を「無条件に」許すべきだと主張する自由主義者など存在しない。つまり著者は、相手が主張していないことを自分に都合よく表現し直し、あたかも非常識な主張であるかのように見せかけている。正しい議論ではない。

「アメリカ型」の自由を罵る著者が復権を叫ぶのは、「日本的精神」である。それは何かといえば、「海ゆかば」に歌われた、「天皇のために生き、天皇のために死んでい」く精神だという。もし著者がそうしたければ、それは自由である。

2016-10-19

自由貿易に条約はいらない

*Claudio Grass, Why They Keep Trade Deals Secret(貿易交渉が秘密にされる理由)より抜粋。

TTIP(環大西洋貿易投資パートナーシップ)について、欧州ではその内容だけでなく、交渉がきわめて秘密主義である(extremely secretive)ことに対し、世論が対立している。 

TTIPは自由貿易協定ではない。新たな「管理貿易」(managed trade)である。交渉を秘密にしたことで、その背後にある意図が疑われ、米国と欧州の市民にとって本当に利益になるのか疑念が広がったのは間違いない。

実際のところ、自由貿易に条約は必要ない。純粋な自由貿易は、一国が単独でなしうる政策(unilateral policy)である。他国の許しを得て、貿易障壁を除いてもらう必要などない。

どうやらTTIPは主として、大企業とロビイスト(big business and its lobbyists)によって書かれた合意である。その目的は大衆に販売される製品の質を犠牲にして、欧米市場の企業の中で有利な地位を占めることのようだ。

秘密主義は不信を招く。密室で有力な特別利益団体と無数の会合を繰り返す官僚たちによって、TTIPは近代史上最大の貿易協定と称賛されている。しかし、それは最も「非民主的」(undemocratic)な協定になるかもしれない。

2016-10-18

宮下規久朗『欲望の美術史 』


清貧の幻想

芸術家は己の純粋な創造意欲のみに従って創作し、物質的な見返りなどに頓着しないと思われがちだ。しかし「それはまったくの幻想」と著者は指摘する。むしろ金銭に執着し、貪欲な人物のほうが才能に恵まれ、多産であることが多い。

イタリアの画家ジョットもティツィアーノも、大工房を構えて旺盛に制作しつつ蓄財に努め、莫大な富を築き上げた。フランスのラ・トゥールは、あくせくと有力者に取り入り、税の支払いを拒むなど「吝嗇にして強欲そのもの」だった。

報酬を巡る芸術家と注文者のトラブルもよくあった。著名な宗教画家エル・グレコは報酬のことでしばしば注文主と争った。「一種のクレーマー」と著者は記す。作品の売り上げに対する税金の支払いを拒否し、裁判を起こしたこともある。

西洋の芸術家だけではない。明治時代、河鍋暁斎は鴉(カラス)を描いた自作に百円という破格の値段をつけた。あまりに高すぎるのではと非難された暁斎は、これは鴉の値段ではなく、長年の画技修業の価なのだと答えたという。

「芸術家に見られる金銭への執着は、多くの場合、自らの腕と芸術への矜持に由来するもの」と著者は述べる。勝手に清貧のイメージを押しつけ、商魂や蓄財、税逃れはまるで芸術家失格であるかのように非難するのは、間違っている。

2016-10-17

ローマを滅ぼした物価統制

Richard M. Ebeling, How Roman Central Planners Destroyed Their Economy(ローマの中央経済計画が経済を滅ぼした顛末)より抜粋。

301年、ローマのディオクレティアヌス帝は有名な物価統制令(Edict of Diocletian)を発する。穀物、肉、卵、衣料などの商品価格を定めた。これらの商品の生産に従事する者の賃金も公定した。公定価格を上回る価格で売った場合、死刑になった。

物価統制令が出ると、農家や手工業者の多くは商品を売る意欲(incentive)を失った。彼らが公正な市場価値と考えるよりも公定価格はずっと安かったからだ。そこでディオクレティアヌス帝は、商品を売らずにしまい込んだ者も死刑にした。

考古学者(archeologists)は、ローマ帝国政府が定めた価格表を発見した。千を超す種類の商品や労働サービスに対する法定価格・賃金が列挙されていた。

当時の記録にいわく、「皇帝はあらゆる商品(vendible things)の価格を自分で決めた。ほんのささいな違反も死刑だ。値段が安すぎるので誰も食料を売らなくなり、飢餓が広がった。多数が命を落としてようやく、物価統制令は有名無実化した」

ローマ帝国が弱体化し、滅んだのは、自由で豊かな社会を築くために欠かせない思想を失ったからである。それは個人の権利と自由な市場に関する哲学(philosophy)である。

2016-10-16

佐藤優『国家と神とマルクス』


プレゼントは反資本主義?

知識人の多くは左右を問わず、資本主義を非難する。しかしそのほとんどは本気でない。資本主義に対して的外れな攻撃を繰り返しながら、資本主義の恩恵を手放すつもりはさらさらない。なかには、恩恵に気づいてすらいない人もある。

著者は白井聡との対談で、資本主義の弊害をどう克服するかが重要だと強調し、「商品経済に巻き込まれない領域を自分で、個々の人が少しだけ作っていく」よう提案する。そして自分が日常生活で定めている原則なるものを披露する。

その原則とは、「本のやり取りに関して、自分から特定の本を薦め、相手がその本を読みたいと言ったときは、代金を取らないで送る」というもの。欧州のインテリもやっているという。さすがインテリ。庶民は平凡にプレゼントと呼ぶ。

プレゼントは資本主義社会で珍しいものではない。インテリが嫌うバレンタインデーのチョコレートはその代表だ。デパートでチョコを買って贈るのは、本屋で本を買って贈るのと何ら変わらない。著者の考えをあてはめれば、バレンタインデーのチョコ売り場は反資本主義の砦になってしまう。

色とりどりのチョコのように、専門書から文庫本まで多彩な書物が普通の市民にも買えるのは、資本主義の恩恵である。その恩恵に気づきもせず、あるいは気づかないふりをして、著者は資本主義を「ろくでもないシステム」と謗るのだ。

2016-10-15

現金は廃止できない

*Fabio Andreotti, Why There's a War on Cash in Europe(欧州で現金との戦いが起こった理由)より抜粋。

スイス人はドイツのようなハイパーインフレの経験はないが、政府権力に対する猜疑心が何事にも強い保守的な態度(conservative stance)から、現金廃止に反対している。

現金廃止政策に賛成する人々がよく忘れるのは、貨幣は強制からは生まれないということだ。経済学者メンガー(Carl Menger)が述べたように、〔金銀など〕ある商品がきわめて自然に貨幣になったのは、国家権力とは無関係な経済取引の結果である。

現金(physical cash)を廃止すれば、すぐに金銀その他の商品など他の支払手段が現れ、政府の電子通貨より広く使われるようになるだけだ。…言い換えれば、現金を廃止することはできないのだ。

現金は違法行為に利用されているというのも嘘だ。専門家の調べによると、マネーロンダリングの大半は、異なる法域のペーパーカンパニー(shell corporations)を通じ、現金を使わず行われている。

作家ドストエフスキー(Fyodor Dostoyevsky)は「貨幣とは鋳造された自由である」と述べた。今はこう言い直したほうがいいだろう。「現金とは鋳造された自由である」

2016-10-14

シヴェルブシュ『三つの新体制』


ムッソリーニが称えたニューディール

歴史の教科書では1930年代の世界恐慌への対応について、米国のニューディール政策と日独伊のファシズムを対照的に取り上げる。しかし本書によれば、ニューディールとファシズムは異質なものではない。その本質は似かよっていた。

第二次世界大戦で米国と独伊が敵同士となったり、ドイツによるユダヤ人迫害が国際問題になったりするまで、ファシズムは自由放任的な資本主義に代わるモデルとして世界的に注目されていた。とくにムッソリーニの人気は高かった。

ニューディールを指揮したルーズベルト大統領は「イタリアを再建しようという彼〔ムッソリーニ〕の誠実な意図に、また彼のこれまでの業績に深い感銘を受けている」(p.28)と語った。ルーズベルト政権にもムッソリーニ信奉者は多かった。

ムッソリーニもニューディール政策を高く評価し、こう書いた。「アメリカは何を欲するのかという問いへの答えはこうである。自由な、すなわち無政府的な経済に戻ること以外のすべてのもの。〔……〕コーポラティズム〔ムッソリーニの経済体制〕への道を進んでいる」(p.22)

ヒトラーもルーズベルトに親近感を抱き、こう述べた。「義務感、犠牲の覚悟、規律が国民全体を支配すべきであるという考え方において大統領と一致している。大統領が合衆国の個々の市民全体に課したこれらの道徳的要求は、ドイツの国家哲学の核心でもあり、それは『私益に対する公益の優先』というスローガンに表現されている」(巻末注 p.12)

ニューディール時代の米国は、一党独裁ではなかったことや、個人の自由が完全には抑圧されなかったこと、秘密警察が存在しなかったことなど、独伊との相違点も多く、完全に同列のファシズム国家と呼ぶことはできないかもしれない。

それでも、きわどいところにあったのは間違いない。そうした事実を知らないまま、ニューディール政策をほめそやすのは危険である。

2016-10-13

所有権、ノーベル賞で脚光

*Peter G. Klein, The 2016 Nobel Prize: Incentives, Property Rights, and Ownership(2016年ノーベル賞――インセンティブ・財産権・所有権)より抜粋。

所有権(Ownership)は、生産資源の支配で最後に物を言う。…資源の所有者は助言者を雇うことはできるが、最終決定を下すのは所有者自身である。

今回ノーベル経済学賞を受賞したハートの研究(Hart’s work)は、資産の所有権に関するある考え方に基づく。所有権とは、事前の合意で想定しない場合、資産の使い方を決める権利と定義される。

未来に起こりうるあらゆる出来事を予想し、どうするか前もって合意することは不可能である。つまり、実行可能な契約はすべて「不完全」(incomplete)である。見落としや考えの食い違いは避けられない。

だから所有権は食い違いを埋めるために必要である。もし甲(party A)が資産の所有者ならば、乙(party B)に契約上一定の権利があったとしても、不測の事態が起こった場合、判断を下すのは甲である。

ハートとホルムストロームはウィリアムソン(2009年受賞)と異なり、ハイエクのような思想家(thinkers)の影響は小さいし、今風の数理経済学の流儀で論文を書くけれども、その業績は細心の研究に値する。最近の受賞者にはなかったことだ。

2016-10-12

マーフィー『学校で教えない大恐慌・ニューディール』


大恐慌を起こした「大きな政府」

俗説によれば、大恐慌発生時の米大統領フーバー(共和党)は自由放任を信じ、経済対策をやらなかったため不況を深刻にしたという。本書が示すとおり、それは嘘である。フーバーは「大きな政府」を信じ、それが大恐慌を引き起こした。

フーバーは株価暴落直後の1929年11月、金融業者や実業家をホワイトハウスに集め、賃金水準の維持を呼びかけ、同意を勝ち取った。物価の下落によって実質賃金は大きく上昇する。企業は雇用を抑え、失業率の上昇をもたらした。

フーバーは農民を助けるためとして、1930年に施行したスムート・ホーレー関税法で何千もの輸入品に高い関税をかけた。この結果、外国人は米国の輸出品を買うドルが少なくなり、純輸出産業だった米国農業は皮肉にも最も苦しんだ。

フーバーは就任後最初の2年間で政府歳出を42%も増やした。これは自由放任の神話とは裏腹に、教科書的ケインジアンの景気刺激策である。しかし失業率は下がるどころか、20%以上に上昇。フーバーはケインジアン政策を放棄した。

フーバーの政策は自由放任からかけ離れていた。規模は小さいものの、むしろルーズベルトのニューディール政策とよく似ている。皮肉にもルーズベルトは大統領候補時代、フーバーの政策を「もっとも向う見ずで放蕩に満ちたもの」と批判した。

主流派経済学に異を唱えるオーストリア学派経済学の入門書としても、すぐれた一冊である。

2016-10-11

政治は洗脳

The Pith of Life: Aphorisms in Honor of Liberty (English Edition)
The Pith of Life: Aphorisms in Honor of Liberty (English Edition)

*Jakub Bozydar Wisniewski,The Pith of Life: Aphorisms in Honor of Liberty(『自由の箴言』)より抜粋。

「数理経済学者」(mathematical economist)とは、数学ができなくて数学者になれず、技術が不得手で自然科学者になれず、現実が嫌いで保険ブローカーになれず、自己陶酔的で会計士になれなかった人物である。

経済学のわからない倫理学者は、貨幣があらゆる悪の根源だと信じる。経済学のわかる倫理学者は、不換貨幣(fiat money)が多くの悪の根源だと信じる。

経済学が教育だとすれば、政治は洗脳(brainwashing)である。

経済学は陰鬱な科学(dismal science)かもしれないが、政治は陰鬱な迷信である。

企業家は貧しい人に奉仕して(serving the needy)儲ける。政治家は貧しい人を作り出して儲ける。

2016-10-10

祝田秀全『銀の世界史』

銀の世界史 (ちくま新書)
銀の世界史 (ちくま新書)

経済は昔からグローバル

保守にもリベラルにも人気のある「国民経済」という言葉は、「丸い三角形」と同じくらいナンセンスである。経済の本質はグローバルであり、国境によって区切られる合理的理由はないからだ。むしろ政治に切断された経済は衰亡する。

著者は「綿工業から始まった資本主義は、成り立ちの段階から世界的であった」と正しく述べる。最初に各国別の資本主義があり、それらがしだいに結びついてグローバル資本主義に発展したのではない。最初からグローバルだったのだ。

18世紀中頃、英国マンチェスターで綿工業が始まる。綿花は熱帯性の植物で、欧州では手に入らない。原綿は遠く大西洋を越えて、カリブ海の西インド諸島や北米大陸南部から運ばれた。資本主義は一国では成立しないのである。

当時、黒人奴隷制が西インド諸島の耕地で大規模に行われたことを著者は強調する。もし資本主義に奴隷労働が不可欠と言いたいのだとしたら、それは誤解だ。もしそうなら、資本主義が発達するほど世界で奴隷が増えるはずである。

日本も徳川家康の時代、世界経済に積極的に参加する。朱印船でベトナム、カンボジア、タイ、フィリピン、台湾などに渡った日本人はおよそ10万人。日本人は農耕民族だからグローバル経済に向かないという俗説が嘘だとわかる。

話が近代日本に及ぶと、明治政府の帝国主義を勇ましく肯定したりするのはいただけない。それでも全体では、グローバル経済のダイナミズムを知ることができる。

2016-10-09

科学の驚異、市場の驚異

*Donald J. Boudreaux, Science Needs Markets(科学には市場が必要)より抜粋。

科学の理解を深めることには賛成だ。しかし現代社会の繁栄が科学だけによってもたらされたと考えるのは、間違っている。この驚くべき繁栄には、私的所有権に基づく自由な市場(free, private-property markets)が欠かせない。

自由な市場は繁栄をもたらし、多くの人々が科学の研究に打ち込むことを可能にするだけではない。科学の知識を現実に役に立ち、多くの人が入手できる商品・サービスに変えるのに必要な企業家のエネルギー(entrepreneurial energies)を解き放ち、導く。

冷蔵庫やスマートフォンに組み込まれた優美な科学は理解し、称えるにふさわしい。しかし中央の指令を受けない資本主義の市場が日々発揮する不思議な力(daily magic)は、科学と同じくらい、理解と称賛に値する。

市場は世界中の何十億もの人々による生産の努力を絶え間なく調和させ、空前の巨大な生産力をもつ市場経済(market economy)をもたらす。市場経済だけが、科学を絶えず大衆に役立たせることができる。

科学者はしばしば、市場の驚くべき成果(stupendous achievements)を無視する。科学の専門知識があれば、経済の役割を正しく理解できると思い込む。それは誤りだし、最も非科学的な考えである。

2016-10-08

内田樹『先生はえらい』


先生、なんだかヘンですよ

「理屈と膏薬はどこへでも付く」という。筋の通らない屁理屈でも、とりえあずもっともらしく述べることはできる。しかし読者をあまり馬鹿にしないほうがいい。たとえ若い中高生でも、いい加減な話に騙される人ばかりではない。

著者は「交換をするのは、交換によって有用な財が手に入るからではなく、交換することそれ自体が愉しいから」と書く。もしそうなら、人は買った物をすべて店のゴミ箱に捨てて帰るはずだ。しかしもちろん、そんな人はめったにいない。

オランダ人がビーズ玉と交換にインディアンからマンハッタン島を手に入れた逸話について、著者は「これは愉しいですよね、オランダ人にしてみたら」と述べる。交換の愉しみは有用な財の入手とは無関係というさっきの主張と矛盾する。

原始時代の交換について著者は、魚を食べたことのない山の民が「魚で不足がちのたんぱく質を補給しなきゃね」なんて思うはずがないという。だが人間は栄養学の知識がなくても、栄養のある食物には色や匂いで本能的に食欲を感じる。

著者は商品が継続的に買われるためには、300万円のロレックスの時計のように、値段の根拠が不明確でなければならないという。もしそうなら、値段の根拠が明確な例として挙げられた1万円のスウォッチは市場から消えているはずだ。

少し考えればぼろの出るおかしな主張ばかり。先生、えらいと思ってほしければ、もう少しがんばって。

2016-10-07

ロールズの負の遺産

*Jerome Foss, The Political Theorist Behind Today’s Identity Politics(現代の集団利益政治をもたらした政治哲学者)より抜粋。

米国におけるイデオロギーの二極化、公務員による憲法の無視、人種間の緊張といった問題は、政治に関する国民の考え方に一因がある。それに強く影響を及ぼしたのは、ハーバード大学の政治哲学者ジョン・ロールズ(John Rawls)である。

ロールズが自由を善とみなしたのは、機会や富(opportunity and wealth)の格差拡大につながらない限りにおいてである。この考え方は、学問と政治の世界でともに人気を集めた。

人々に自由を与えつつ格差(unequal conditions)を防ぐにはどうしたらいいか。その答えは、政府(とくに司法府)からみて不公平に扱われている人々を、政府自身が守ることである。

特権に恵まれていないと司法府がみなす人々を守るには、彼らを権利のある個人ではなく、人種、階級、性といった特定の下位集団(subgroups)として見なければならない。その結果、ロールズ理論は集団の利益を代弁する政治を助長する。

通常、最高裁は憲法判断を求められると、憲法に列挙された個々の権限を参照する。ロールズはそうではなく、立法が世の中を平等・公平にしたいという誠意(sincere desire)に基づいているかどうかによって判断するよう求めた。

2016-10-06

田原総一朗他『日本流ファシズムのススメ。 』

日本はどこへ向かうべきか? 日本流ファシズムのススメ。 エンジン01選書
日本はどこへ向かうべきか? 日本流ファシズムのススメ。 エンジン01選書

ファシズムとリベラルの通底

「安倍政権はファシズム」と一部のリベラル言論人は批判する。しかし彼らがどこまでその批判を貫けるか、心もとない。なぜならリベラルが信奉する社会民主主義とファシズムには、「反資本主義」という大きな共通点があるからだ。

ルーズベルト米大統領が大恐慌からの脱却を図るとして実施したニューディール政策は、リベラルな経済政策の代表例と一般には信じられている。しかし本書で宮台真司は、ニューディールは全体主義的で、ファシズム的だと指摘する。

ファシズムは市場経済を全否定する社会主義と違い、市場を温存しながら、政府が市場内部のプレイヤーとなる。国民を束ね(ファッショとは束の意味)、統合をもたらそうとする。これはまさにニューディールで行われたことである。

一方、市場を温存しながら、政府が経済を間接的に支配しようとするファシズムの考えは、社会民主主義に共通する。宮台は触れていないが、事実、スウェーデンの社会民主労働党は創設時、ムッソリーニの思想の影響を受けている。

宮台は、政府による市場の制御は正しいという認識の下、「批判を覚悟で、ニューディーラー的なファシストでありたい」と宣言する。佐藤優もファシズムを入口から拒否するのはよくないと同調する。ファシズムの誘惑は甘く忍び寄る。

ファシズム肯定の主張にはまったく同意できないが、リベラルとファシズムが決して縁遠いものではないことを示した点で、ある意味貴重な本といえる。

2016-10-05

租税回避は悪くない

*Marco den Ouden, Tax Avoidance Is Both Smart and Honorable(租税回避は賢明かつ称賛に値する)より抜粋。

トランプ氏は1984年、1991年、1993年に所得税(income taxes)を払っていない。カジノ事業で失敗したからだ。しかしそれが事業というものだ。損をするリスクもある。損をした期間は税を払わない。悪事でも非難されるべきことでもない。

海外子会社を使って税を避ける企業は、税負担を最小限にしようと現行の法制度(existing legislation)を利用しているにすぎない。どこが悪いのか。文句があるなら合理的な事業判断をした人や企業でなく、税法を作った政府に言えばよい。

テレビ討論会でのクリントン氏のように、税逃れを責める政治家は、さまざまなものを並べ立て、トランプ氏、企業家、一般国民(you and me)に自己犠牲の精神が十分ありさえすればそれがすべて買えるという。

クリントン夫妻ですら、基金や慈善団体(trusts and charities)を使い、納税額を最小限に抑えている。どこが悪いのか。何も悪くない。

アメリカ建国の大きなきっかけは、ボストン茶会事件(Boston tea party)という納税者の反乱だったことを忘れてはならない。租税回避はアメリカの伝統なのだ。

2016-10-04

佐藤優『いま生きる階級論』

いま生きる階級論
いま生きる階級論

小さな「悪」だけ叩く偽善

マルクスによれば、資本家は労働者を搾取する。一方、マルクスは言わなかったが、著者によれば、官僚は国民から税金を収奪する。労働は嫌なら断れるが、課税は断れない。ならば課税は搾取より悪質なはずだが、著者はそう言わない。

著者はマルクスに基づき、こう述べる。企業の儲けは、労働者を安い賃金で搾取することで得られる。ただし労働者は無理やり安い賃金で働かされるわけではない。もし嫌なら断って、搾取されない自営業など他の仕事を探すことができる。

これに対し官僚は、著者によれば、税金を「搾取」するのではない。国家が独占する暴力装置を背景に有無を言わさず「収奪」する。搾取は逃れる余地があるのに収奪にはないから、資本家(企業)よりも官僚(政府)の害が深刻なはずだ。

著者は述べていないが、企業の売上高経常利益率は大企業でも5%程度。これに対し国民負担率(税と社会保障の合計)は40%超。企業の利益は搾取の果実というマルクスの主張は間違っているが、かりに正しいとしても、政府の収奪はケタ違いに苛烈だ。

ところが著者は、官僚を口先では批判するものの、税ができるだけ少ない社会にしようとは言わない。官僚以上に収奪の罪が重いかもしれない政治家には、何も触れない。大きな悪を不問に付し、小さな「悪」だけを叩くのは偽善である。

2016-10-03

私は政治が嫌いだ

*Bryan Caplan, 7 Reasons I Can't Stand Politics(私が政治に我慢ならない7つの理由)より抜粋。

政治は大言壮語(hyperbole)するから嫌いだ。人は事実に即した真実を注意深く語るか、さもなければ沈黙すべきだ。

政治は世間受け第一(Social Desirability Bias)だから嫌いだ。人は現実をありのままに述べるべきで、甘い考えに迎合してはいけない。

政治は数字に無知(innumeracy)だから嫌いだ。人は量的に重要な事柄に注意すべきで、大衆を刺激する表現に気をとられてはいけない。

政治は自信過剰(overconfidence)だから嫌いだ。人は絶対大丈夫などと言ってはいけない。

政治は身内びいき(myside bias)だから嫌いだ。人は部外者にも公平に接し、身内にも監視を怠らないよう努めるべきだ。人間の性(さが)はその反対に傾きがちだから。

政治は「勝てば官軍」("winning proves I'm right")と思い込むから嫌いだ。勝つのは意見に人気があるからにすぎないし、人気のある意見はたいてい間違っている。

以上の政治の悪に関する言い訳(excuses)が嫌いだ。もし政治の大言壮語に社会的利益があるというなら、注意深く考え、これこれのケースには正当化できると結論づけてほしい。アバウトに擁護されても困ってしまう。

2016-10-02

佐藤優『いま生きる「資本論」』


権威は商売になる

マルクスの経済学が誤りであることは、今日マルクスに好意的な人々の多くですら認めている。ところが不思議なことに、マルクス経済学を「やさしく解説」する本は盛んに出版される。なぜか。それはマルクスの権威が商売になるからだ。

本の売りはマルクスの権威なのだから、その主張の正しさは二の次だ。むしろところどころ批判したほうがもっともらしい。ただし全否定すると肝心の権威まで崩壊してしまうから、それはやらない。事実上全否定でもそうは書かない。

本書はそうした勘所を押さえたマルクス本である。著者はまえがきで論語からハイデガーに至る古典を列挙し、マルクスの『資本論』はこれら同様、「危機の時代を読み解き、その解決策を見出すために、とても役に立つ」と持ち上げる。

ところが本文に入ると、経済学者・宇野弘蔵の見解に基づき、マルクスの肝心の主張を否定する。いわく、賃金は景気次第で上がりも下がりもするから、労働者が窮乏化するとは限らない。恐慌は技術革新によって乗り越えていける――。

しまいに著者は「資本主義の暴発をできるだけ抑え、このシステムと上手につき合っていく必要がある」と言う。資本主義の延命に反対したマルクスが聞けば激怒するだろう。しかし死人に口なし。著者はマルクスの権威だけを利用できる。

2016-10-01

トリクルダウン理論は捏造

*Steven Horwitz, There is No Such Thing as Trickle-Down Economics(トリクルダウン経済学など存在しない)より抜粋。

「トリクルダウン経済学」(trickle-down economics)なる言葉の意味は不明確だが、こんなことかと思われる。「市場経済の信奉者によれば、もし富裕層に減税や補助金支給を行えば、富裕層が手にした富は(どういうわけか)貧困層に“したたり落ちる”」。

「トリクルダウン経済学」の問題は、自説(their own views)を言い表すのにその言葉を使ったことのある経済学者が誰もいないことだ。「Aグループに物を与えるのはよいことだ。Bグループにしたたり落ちるから」などと主張する経済学者は存在しない。

それだけでなく、議論そのものがばかげている。与える物が何であれ、仲介人(middleman)を飛ばし、Bグループに直接与えればいいではないか。

市場を擁護する者はけっして、富裕層に対する富の直接移転(direct transfers)や補助金を支持しない。それは一種の縁故資本主義であり、真の自由主義者が拒否するものだ。

貧困層を助けるには、自由を最大限広げ、政府の介入しない市場(unhampered market economy)を通じて価値を創造・維持することだ。富裕層に補助金を与えるのではない。経済の自由があらゆる人にもたらす生活水準の向上は、したたるどころの話ではない。