2023-08-06

原爆投下の「共犯者」

第2次世界大戦末の1945年7月26日、日本に無条件降伏を要求する共同宣言が発表された。「ポツダム宣言」である。

ベルリン郊外のポツダムで開かれたトルーマン米大統領、チャーチル英首相、スターリン・ソ連首相による3巨頭会談で決定されたのち、蒋介石中華民国総統の同意を得て、米英中3国首脳の名で発表された。ソ連は日ソ中立条約が有効期間中であったため署名せず、8月の対日宣戦布告ののち署名した。

検証「戦後民主主義」 (わたしたちはなぜ戦争責任問題を解決できないのか)

少し時を戻して、スティムソン米陸軍長官が6月下旬、知日派外交官ジョセフ・グルーらの協力を得て作成した当初の草案では、「日本の降伏を確実にするには、天皇制維持がどうしても必要である」という考えから、天皇制維持を確約する条項が明確に含まれていた。

ところが決定版では、この天皇制維持条項が削除された。この変更に大きな影響を及ぼしたのは、米国による原爆の完成である。

トルーマンが望んでいた結末は、原爆を日本に対して実際に使用することで、ソ連が参戦する前に戦争を終わらせることだった。日本の戦後処理にソ連が一切口出しできないような状態を作り出すためだ。

ポツダム会談の始まる前日の7月16日、米国は史上初の原爆実験に成功する。24日には、8月5日以降に使用可能だとトルーマンに報告された。

トルーマンは、8月5日以降、ソ連が参戦予定の8月15日(実際には8月9日に早まる)直前までの10日間に、原爆で日本の都市を壊滅させることで降伏させるというシナリオを描いた。そのためには、ポツダム宣言が発表される7月26日から原爆使用予定日の8月5日(実際は天候不良のため8月6日に実行)までの間に、日本に降伏してもらっては困る。

そこで日本が受け入れそうもない内容のポツダム宣言で、降伏引き延ばしを図ったのである。天皇制維持条項の削除は、原爆投下強硬派だったバーンズ米国務長官の助言の結果とみられている。

日本の鈴木貫太郎内閣は、「国体護持」(天皇制維持)が宣言に明記されていないことを理由に、ポツダム宣言を黙殺した。まさにこの反応は、トルーマンやバーンズが期待していたもので、思惑どおりの結果となったのである。

トルーマン政権による原爆投下が無差別大量殺戮という重大な戦争犯罪であることはいうまでもない。しかし、もし昭和天皇をはじめとする日本政府上層部が天皇制維持にこだわらず、ポツダム宣言を速やかに受け入れ、戦争をもっと早く終わらせていれば、原爆投下は避けることができた。昭和天皇には原爆を招いた「招爆責任」があると、長崎大名誉教授で反核運動家の岩松繁俊氏は批判した。

一方、すでに述べたように、トルーマン大統領や当時の米政府の重鎮たちが、日本側にそのような「招爆」状況を作らせるように画策したという事実もある。したがって、日本側の「招爆責任」と米国側の「日本招爆画策責任」の両方を複眼的に論じる「日米共犯的招爆論」のほうが、より正確だと歴史学者の田中利幸氏は指摘する(『検証「戦後民主主義」』)。

この場合の「共犯」とは、田中氏が断るように、事後結果として見れば、意図せずに「共犯的行為」となったという意味であり、最初から日米両国が「共同謀議で行った犯罪」を意味するものではない。

原爆投下において日米政府がある意味で「共犯」だったという大胆な指摘は、リバタリアニズム(自由主義)の視点からは違和感がない。リバタリアニズムにとって戦争とは、A国の市民とB国の市民との戦いではなく、A国の政府とB国の政府が双方の市民を殺戮や重税で苦しめる犯罪行為にすぎないからだ。

リバタリアニズムの理論家マレー・ロスバードはこう指摘する。「あらゆる国家戦争は当該国家の納税者に対する侵害の増大を伴い、そしてほぼあらゆる国家戦争が(現代の戦争ならすべてが)、敵国の無辜の市民に対する最大級の侵害(殺人)を伴っている」(『自由の倫理学』、強調は原文)

広島・長崎への原爆投下に関しては、米政府だけでなく、国体護持にこだわり、戦争を早く終わらせなかった日本政府の責任も厳しく問わなければならない。

<参考資料>
  • 田中利幸『検証「戦後民主主義」 わたしたちはなぜ戦争責任問題を解決できないのか』(三一書房、2019年)
  • ロスバード『自由の倫理学』(森村進他訳、勁草書房、2003年)

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