18世紀のイギリスで始まった産業革命といえば、最近では環境問題の影響で良くないイメージが広まっている。石炭、石油、天然ガスなどの化石燃料の使用が急増し、大気中の二酸化炭素濃度が増加するきっかけになったと言われるからだ。
高校などの教科書でも、産業革命に関する記述は冷ややかだ。産業や交通が発達したことは評価するものの、あとは負の側面の指摘が続く。低賃金の長時間労働、劣悪な労働環境、女性や児童の酷使、都市の貧困や犯罪、衛生問題などだ。
けれどもこうした記述には、産業革命が普通の人々の暮らしを飛躍的に豊かにした事実が抜け落ちている。産業革命の奇跡ともいえる功績を明らかにしよう。
イギリスの産業革命は、マンチェスターを中心とするランカシャー地方の綿工業の技術革新から始まった。綿織物は毛織物に比べて洗濯しやすく清潔なうえ、軽く、鮮やかに染めることができる。17世紀以降、インドから大量に輸入され、爆発的な人気を得ていた。この人気を背景に、綿織物の国産化が図られる。
18世紀後半以降、イギリスでは機械の利用が広がり、蒸気機関という新しい動力が導入された。大規模な工場制度が普及し、生産力が向上した。生産の中心が農業から工業に移り、工場を経営する産業資本家が台頭し、工場労働者が増えた。産業革命とは、このような農業社会から工業社会への移行を指す。
さて、人々の生活水準はどうなっただろうか。資本主義を批判した思想家カール・マルクスの考えでは、産業革命によって楽天的で陽気な田舎者が極悪非道な工場と汚い安アパートに押し込まれ、体を壊して咳に苦しみながら若死にするまで働かされることになり、ほとんどの人の生活水準は下がったとされる。この考えに追随する人は今でも少なくない。
しかし貧困、不平等、児童労働、病気、汚染は工場の誕生前からあったと、英科学ジャーナリストの
マット・リドレー氏は指摘する。
貧困について言えば、1700年の田舎の貧民は1850年の都市の貧民よりも著しく困窮していて、その人数も多かった。不平等については、身長も生き残る子供の数も、最富裕層と最貧困層の格差は産業化の間に縮まった。経済的な不平等が増大していれば、このようなことは起こらなかっただろう。
児童労働に関しては、産業革命の前には、手動の亜麻糸(リネン)紡績機を幼い子供が使って働いていた。病気について言えば、伝染病による死者は産業化の間に着実に減少した。
汚染については、スモッグはたしかに工業都市で増えた。だが17世紀のロンドンに見られた汚物だらけの通りは、1850年代のマンチェスターにはなかった。
産業革命における生産の機械化は、あらゆる階級の所得を引き上げたとリドレー氏は述べる。平均的なイギリス人の所得は三世紀にわたって停滞していたようだが、1800年頃に上がり始め、1850年までに、人口が三倍になったにもかかわらず、所得は1750年水準の1.5倍になった。
米経済学者
ベンジャミン・パウエル氏も、産業革命によって生活水準が改善したと指摘する。1781年から1851年までに、生活水準は農場労働者で60%強、工場労働者で86%強、労働者全体で140%強、それぞれ向上した。
1851年にはイギリスの一人あたり所得は2362ドルとなり、これはドイツより65%、米国より30%多かった。
産業革命初期の1820年以前については、戦争の影響などで生活水準があまり向上しなかったとの見方もある。しかし少なくとも、戦争や人口の大幅な増加にもかかわらず、産業化のおかげで生活水準の悪化を防げたのは間違いない。
スウェーデンの著作家
ヨハン・ノルベリ氏によれば、1820年から1850年にかけて、人口が三分の一も増えたとき、労働者の実質所得は100%近く増えた。それ以前のトレンドが続いていたら、平均的な人の所得倍増には二千年もかかったはずだ。イギリス人はそれをたった三十年で実現した。
前述のマルクスは、資本主義が金持ちをもっと金持ちにして、貧困者をもっと貧困にすると思った。だが1883年にマルクスが死んだとき、平均的なイギリス人は、マルクスの生まれた1818年より三倍も豊かになっていた。
1900年には、イギリスの極貧者数は四分の三も減少し、人口の10%ほどになっていた。ノルベリ氏は「人類がこんな経験をしたことは一度もなかった」と強調する。
産業革命とその恩恵はイギリスから他の西洋諸国に波及していった。ノルベリ氏が述べるように、一人あたり所得が持続的に増えた国が一つもない状況が何千年も続いた後で、西洋は1820年から1870年にかけて、一人あたり所得を年率1%以上高めた。1870年から1913年にはこの率が1.6%となり、二度の世界大戦後にそれがさらに加速した。1900年代初頭、極貧比率は西欧と北米で10〜20%に下がった。
現代の水準からすると、1800年のイギリスで工場に勤務する労働者が、ごく若いときから、ひどく危険で汚くて騒がしい環境の中で働き、汚染された街を通って人がひしめく不衛生な家に帰り、雇用保証も食事も健康管理も教育もひどい状態だったことは疑いようのない事実だ。
それでも前出のリドレー氏は、当時の工場労働者について「農場労働者だった祖父や羊毛を紡いでいた祖母よりも良い暮らしをしていたことも、同じくらい疑いようのない事実だ」と指摘する。だからこそ、人々は農場を離れて工場に押し寄せたのだ。
同様の現象はその後、世界各地に産業化が広がるたびに繰り返された。
リドレー氏は、1920年代に米ノースカロライナ州の綿摘み人が語った、こんな言葉を紹介している。「農場からここに移って工場で働くようになったら、農業をしていたときよりもたくさんの服やいろんな種類の食べ物が手に入るようになったよ。それに家も良くなったし。だから、そう、工場に来てからのほうが生活は楽だね」
産業革命初期のイギリスの貧困が強い印象を残すのは、それ以前に貧困が存在しなかったからではない。都市に暮らす著述家や政治家の目に初めてとまったからにすぎない。産業革命によって、人々が富を生む能力は大きく高まった。そのおかげで、貧困者を慈善によって助ける余裕も生まれた。
現代の視点から産業革命を過度に批判すれば、今の豊かさを築いた資本主義そのものの否定につながりかねない。それは今も残る貧困や環境問題の解決に決してプラスにはならない。
<参考文献>
- マット・リドレー(大田直子他訳)『繁栄――明日を切り拓くための人類10万年史』ハヤカワ・ノンフィクション文庫
- ヨハン・ノルベリ(山形浩生訳)『進歩: 人類の未来が明るい10の理由』晶文社
- Benjamin Powell, Out of Poverty: Sweatshops In The Global Economy, Cambridge University Press