2023-03-01

戦争機構への怒り

ジャーナリスト、クリス・ヘッジズ
(2023年2月19日、ワシントンで開いた反戦集会「戦争機構への怒り」でのスピーチ)

偶像崇拝は、他のすべての罪が派生する原罪である。偶像は私たちを神になるように誘惑する。偶像は、富や名声、権力を求める狂気の沙汰の中で、他者を犠牲にすることを要求する。しかし偶像はつねに自己犠牲を要求し、他人のために建てた、血塗られた祭壇の上で私たちを滅亡に追いやることで終わる。
帝国は殺されるのではなく、恍惚とさせられた偶像の足元で自殺するのだから。

私たちは今日、選挙で選ばれたわけでもなく、責任もとらない帝国の大祭司を非難するためにここにいる。彼らは何百万人もの犠牲者の死体と何兆もの国富を、カナン人の偶像であるモロク〔魔王〕の地下に流し込んでいる。

政治家、メディア、娯楽産業、金融業者、そして宗教団体までもが、イスラム教徒やロシア人、中国人、あるいは偶像が生きるに値しないと悪魔化した人物の血を求めて、狼のように群がる。イラク、アフガニスタン、シリア、リビア、ソマリアでの戦争には、合理的な目的がなかった。ウクライナでもそうだ。永遠の戦争と大量殺戮は、彼ら自身を正当化するものだ。ロッキード・マーチン、レイセオン、ジェネラル・ダイナミクス、ボーイング、ノースロップ・グラマンが何十億ドルもの利益を得ている。米国防総省が要求する莫大な支出は神聖なものである。戦争屋の識者、外交官、技術者は、自分たちが指揮する数々の軍事的災害の責任を気取った様子でかわしながら、政治の潮流に合わせて巧みに変化し、共和党から民主党に移り、また戻って、冷たい戦士からネオコン、リベラルな介入主義者に変身していく。〔仏哲学者〕ジュリアン・バンダ氏は、こうした権力の廷臣を「たたき上げのインテリ野蛮人」と呼んだ。

このような戦争のポン引きたちは、犠牲者の死体を見ようとはしない。私は見た。子供も含めて。グアテマラ、エルサルバドル、ニカラグア、パレスチナ、イラク、スーダン、イエメン、ボスニア、コソボで記者として立ち会ったあらゆる死体は、毎月毎年、戦争屋の道徳的破産、知的不誠実、血への病んだ渇望、妄想のすべてを露呈していた。戦争屋は、国家の中の国家である国防総省と、そのシンクタンク(アメリカ新世紀プロジェクト、外交政策イニシアチブ、アメリカン・エンタープライズ研究所、新アメリカ安全保障センター、戦争研究所、大西洋評議会、ブルッキングス研究所など)に潤沢な資金を提供する兵器製造会社の操り人形なのである。抗生物質耐性のあるバクテリアの突然変異種のように、連中を打ち負かすことはできない。連中がどれだけ間違っているか、どれだけ馬鹿げた世界支配の理論を持っているか、どれだけ嘘をつき、他の文化や社会を未開として誹謗中傷し、どれだけ多くの人を死に追いやったとしても、それは関係ない。連中は不動の小道具であり、あらゆる帝国の死期に吐き出された寄生虫であり、連中が新たなヒトラーだと決めた人物に対する次の高潔な戦争を私たちにいつでも売り込める。地図は変わっても、ゲームは同じだ。

荒涼たる風景をさまよい、暗闇の中で叫び続ける預言者に憐れみを。ロンドンの厳重警備の刑務所で緩やかに処刑される、ジュリアン・アサンジ氏に憐れみを。アサンジ氏は帝国の大罪を犯したのである。帝国の犯罪、死のからくり、道徳的堕落を暴露したのだ。

真実を語ることを禁じた社会は、正義に生きる力を奪う。

今日ここにいる人たちは、自分たちを急進派、あるいは革命家だと考えたがっているかもしれない。しかし私たちが政治的な観点から求めているのは、実は保守的なことだ。法の支配を回復することだ。それはシンプルで基本的なことである。機能している共和国においては、扇動的であってはならないはずだ。しかし、政治哲学者シェルドン・ウォリン氏が「逆全体主義」と呼んだ専制的な体制の中で真実に生きれば、身を滅ぼすことになる。

帝国主義の建築者、戦争の支配者、企業に支配された立法府、司法府、行政府、メディアや学界の従順な口利きたちは、違法な存在である。この単純な真実を言えば、私たちの多くがそうであったように、あなたも辺境に追いやられる。アサンジ氏がしたように、この真実を証明すれば、あなたは磔にされる。

「赤いローザも消えた……」。〔独劇作家〕ベルトルト・ブレヒトは殺害された社会主義者ローザ・ルクセンブルクについて書いた。「彼女は貧乏人に人生とはどうあるべきかを説き、金持ちは彼女をこきおろした」

私たちは企業のクーデターを受け、貧困層や働く男女の半数は緊急の出費をまかなう400ドルもなく、慢性的に不安定な状態に陥っている。失業と食糧不安は風土病のようなものだ。地域社会や都市は荒れ果てている。戦争、金融投機、絶え間ない監視、占領軍として機能する軍国主義の警察だけが、政府の真の関心事なのだ。人身保護法さえも、もはや存在しない。私たち市民は、企業の権力機構にとって商品であり、利用され、捨てられる。私がニュージャージー州の刑務所で教える生徒たちが痛感しているように、私たちが海外で戦う終わりのない戦争は、国内で戦う戦争を生み出したのである。すべての帝国は、同じように自己犠牲の行為で滅びる。〔古代ギリシャの歴史家〕トゥキディデスが『戦史』で記したように、アテネ帝国が他国に課した専制政治は、最後は自分自身にも課された。

反撃すること。弱い者、虐げられた者、苦しんでいる者に手を差し伸べ助けること。地球を生態の破壊から救うこと。支配階級の国内外の犯罪を非難すること。正義を求めること。真実に生きること。彫像を打ち砕くこと。それはカインの刻印〔罪人の印〕を受けることなのだ。

権力者は私たちの怒りを感じなければならない。それは非暴力の市民的不服従、社会的・政治的破壊の絶え間ない行動を意味する。下からの組織的な力こそが、私たちを救うことができる唯一の力なのだ。政治は恐怖のゲームである。権力者を非常に、非常に恐れさせることが、私たちの義務である。

寡頭政治の支配は、私たちを死の淵に閉じ込めている。改革することはできない。それは真実を覆い隠し、改竄する。連中はその猥雑な富と抑制のきかない権力を増大させるために、狂気の探求を続けている。その偽りの神々の前にひざまずくよう強要する。だからハートの女王〔『不思議の国のアリス』の登場人物〕の言葉を引用して比喩的に言えば、もちろん私は言う、「奴らの首をはねろ!」と。

Chris Hedges: Rage Against The War Machine Speech - scheerpost.com [LINK]

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