2016-06-01
鄭栄桓『忘却のための和解』
日本言論界の退廃
日本で左右の言論人と大手メディアから絶賛された『帝国の慰安婦』。ところが同書は不正確な事実と杜撰な論理に基づき、日本政府・軍の法的責任逃れを擁護するものだった。日本言論界の退廃を厳しく批判。
<抜粋>
本書(『帝国の慰安婦』)は日本軍の「発想」「需要」「黙認」という限定した責任のみ認めるが、これが軍「慰安婦」制度の実態に見合ったものではなく、むしろ軍の責任を個々の兵士や業者へと転嫁する責任解除の論理である。(p.37)
「慰安婦」たちは逃亡や外出を厳しく制限され移動を含めた支配を受け、何より自らの意思によりこうした隷属的状態を終了させられなかったうえ、軍・業者が労働能力を全面的に使用し労働の果実を収奪する権限を有していたがゆえに、奴隷制の一形態である性奴隷制であった…。(p.42)
「慰安婦」制度の罪を問いうる法は(刑法や国際法など)日本国内でも国際的にも存在したのである。むしろ問題は法の不存在ではなく、植民地下での婦女売買禁止条約の不適用による不処罰にある。(p.49)
『帝国の慰安婦』(が日本で絶賛される)事態は、「リベラル」な知識人たちの「戦後日本」の肯定を欲するナショナリズムなしには起こりえなかった現象である。『帝国の慰安婦』事態から読み取るべきことは韓国の「反日ナショナリズム」ではなく…日本の「市民派リベラル」の「頽落」現象なのである。(p.136-137)
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