2025-01-12

孫子、戦わないことが最善

『孫子』は中国・戦国時代の兵法書として名高い。武人で兵法家の孫武(孫子)が著し、後継者たちによって徐々に内容が付加されていったと考えられている。合理的な哲学に貫かれ、時代を超えた普遍性を持つ。その最大の特色は、戦争の方法を説いた書でありながら、戦わないことを最善とすることにある。

孫子 (講談社学術文庫)

孫子の軍事思想の原則の一つは、「戦いに勝利を収めることを論ずる兵法書でありながら、なるべく実際の戦闘をしないよう説くことにある」と中国史学者の渡邉義浩氏は指摘する。それを象徴する言葉が「百戦して百勝するは、善の善なる者にあらざるなり」(謀攻)である(引用は原則、渡邉『孫子』による。表記を一部変更。カッコ内は篇名)。

諸子百家と呼ばれる古代中国の思想家のうち、王道政治を理想とする儒家の孟子は、覇者の行う戦争を否定した。無差別平等の愛である兼愛を説いた墨子は、侵略戦争を絶対的な悪と考え、侵略された者を守ることで「非攻」を貫こうとした。

これらに対し孫子は、戦いを善悪により判断しない。戦いはすでに現実として存在するものとしてとらえる。そのうえで、相手を自分に従わせることを戦いの目的と考え、相手をなるべく傷つけずに自分に従わせようとする。それを「戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり」(同)と表現している。

戦わずに敵の軍を屈服させるための具体的な弊の用い方を4種に分類して、その優先順位を述べる。①上策は、外交策や離間策などの奇策をめぐらし、戦わずに勝利を収めることだ。②次善の策として、戦いがちょうど始まろうとする出端を討つ。③整った陣の兵を討つことは、もはや勧められることではなく、④城を攻めることは下策である。城攻めのような包囲策は、敵の10倍の兵力が必要だという。

孫子の大きな特徴は、勝敗を事前の計算で予測するような合理性にある。古代の君主は宗廟の前で戦争の吉凶を占った。これに対して、孫子は宗廟で占いをするのではなく、軍議を開いて敵軍と自軍の有利・不利な条件を比較して、数え上げていくべきだとする(始計)。「勝算」という言葉はこれを起源とする。

孫子の合理性は、戦争が多額の資金を費やし、国を経済的に滅亡させることを説くところにも表れる。用間篇によれば、10万の兵を起こして、1000里の彼方に遠征すると、1日ごとに1000金を費やすという。前出の渡邉氏によれば、漢代では「中家」、すなわち中産階級の総資産は10金とされる。現代の総資産の中央値を1000万円とすると、1000金は10億円となる。100日間にわたり戦争をすれば、1000億円が吹き飛ぶ。

戦争の負担は直接的なものに限らない。孫子によれば、10万の兵を起こして1000里の彼方に遠征すると、耕作に携われない者が70万家にも及ぶという。漢代では一家は平均5人より構成され、2人を働き手とするから、140万人分の働きを奪われることになる。出兵の規模が増え、遠征地が遠くなれば、負担はさらに大きくなる。

莫大な費用がかかることは、戦争に勝ったとしても同じである。このため謀攻篇では、すでに触れたように、「百戦して百勝するは、善の善なる者にあらざるなり」と述べ、すべての戦いに勝利したとしても、それが最善ではなく、避けられる戦いは避けるべきだと主張するのである。

それでも、たとえば侵略戦争を仕掛けられた場合、戦わなければ国家は滅亡する。このような場合、孫子は孟子や墨子のように反戦を主張するのではなく、戦争に莫大な費用がかかることを踏まえたうえで、どのように戦うべきかを実践的に示す。それは、とにかく戦いを長引かせないことだ。

作戦篇によれば、「戦争には(巧みでなくとも速さで勝つ)拙速は聞くことがあるが、巧みであっても長期にわたる(巧遅という)ものはない」。「拙速」は、現代の日本語では悪い意味でしか使わないが、兵は「拙速」であることが求められ、巧みでも遅い「巧遅」は求められない。長期間の戦争を行うことが不利であることは、経済的な負担の大きさだけではない。勝利はしたものの、力も財も尽きたことを見た他国が、自国に攻め込んで来ることも、警戒しなければならないのである。

孫子の合理性を示すもう一つの主張は、情報の重視だ。綿密な情報分析を客観的に行うことができれば、実際に戦う前に勝敗は決していよう。

敵の情報を得るために中心となるものは、間(間諜、スパイ)である。『孫子』は、最後にスパイの重要性を説いた「用間篇」が置かれているのが、非常に大きな特徴となっている。今では常識とされているが、当時において、戦争における情報の大切さを説いたのは画期的だった。

中国哲学研究者の湯浅邦弘氏によれば、それまでの戦争とは、事前の情報収集に腐心するというよりは、とにかく現場に行って奮闘してみようというものだった。ところが孫子は、情報こそが勝敗を決める、情報の収集と分析によって勝敗の8割がたは決まってしまうと喝破したのだ(『老子x孫子』)。

「彼を知り己を知らば、百戦してあやうからず」(謀攻)という有名な一節は、現代風にいえば「インテリジェンス」、つまり諜報活動、情報収集などをきちんとすべきだということを、すでに2500年前に言っているのだから、「大変な驚き」だと湯浅氏はいう。

古来最も代表的かつ最もすぐれた兵書と目される『孫子』を読み進めていくと、孫子は「戦争に勝つ」ことを至上の目的とは考えていないこと、少なくとも正面切った戦闘で敵を打ち破ることを至上の目的とは考えていないことがわかってくる。孫子の兵法の真髄は「戦わずして勝つ」ことであって、それはスパイや謀略などによって達成すべきものなのだ。

スパイや謀略というと、卑劣な手段であるかのように軽視・侮蔑されがちだ。だがそれでは勝利はおぼつかないし、無謀な戦闘によって多大な人命・財産を犠牲にすることになる。中国哲学研究者の浅野裕一氏は「陰謀や裏切り、虚偽や冷酷が渦巻く諜報の世界にこそ、戦争の惨禍を最小限に押さえ、国家と民衆を救済せんとする、高貴な精神が脈打っている」(『孫子』)と指摘する。

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