2018-11-22

伝統文化はグローバル

伝統文化とグローバル化は相容れないと信じる人が少なくありません。だから「グローバル化は日本の伝統文化を破壊する」という主張をよく耳にします。けれども文化とは、つねに海外の異なる文化を吸収し進化していく、本質的にグローバルなものです。

日本の伝統文化も例外ではありません。今でこそ日本古来の伝統の町とされる京都は、桓武天皇が都を遷した当時、朝鮮半島や中国から移住してきた渡来人であふれていました。大塚ひかり『女系図でみる驚きの日本史』によれば、7世紀の畿内の人口のほぼ30%が渡来人だったといいます。

朝鮮半島と日本の関係は古く、3世紀半ば、百済から多くの技術者や物資が渡来したとされます。さらに5世紀後半、秦の始皇帝の末裔と称する秦氏が嵯峨野・太秦周辺に居住。7世紀後半、百済と高句麗が滅亡すると、日本と特に深い関係にあった百済から亡命者が大挙して渡ってきました。

天皇の御所である大内裏自体、渡来人の秦河勝の邸宅だったという伝承もあり、広隆寺、伏見稲荷、松尾大社など秦氏の関わる寺社は京都に少なくありません。

桓武天皇はそんな京都に長岡京、平安京を造営・遷都します。この造営・遷都も渡来人と関わりが深く、責任者だった藤原種継、藤原小黒麻呂はそれぞれ秦氏の母や妻がありました。

桓武天皇が旧都・奈良から離れた渡来人の街、京都に都を遷した最大の理由も、母が百済の王族の末裔である渡来人だったことと大塚氏は指摘します。桓武天皇は渡来人の血へのこだわりが強く、百済系や漢系など渡来人を6人も妻に迎えました。

その妻の1人、百済永継はもともと藤原内麻呂の妻として真夏や冬嗣を生んだ後、桓武天皇に女官として仕えるうちに愛されて皇子を生みます。歌人の僧正遍昭はその息子です。冬嗣は藤原道長の先祖にあたります。

小倉百人一首で有名な僧正遍昭、文学を愛好し紫式部、和泉式部などの女流文学者を庇護した藤原道長には、ともに百済系の渡来人の血が流れていたわけです。

もし古代の日本が国境を閉ざし、朝鮮半島や中国からの渡来人を排除していたら、魅力ある伝統文化は生まれていなかったでしょう。

先月、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産に、群馬県高崎市の古代石碑群「上野三碑(こうずけさんぴ)」が登録を認められました。朝鮮半島からの渡来人が伝えた技術で作られ、仏教の広がりや東アジアの文化交流を示す資料とされます。昔から、文化はグローバルだったのです。(2017/11/22

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