2015年10月10日土曜日

ラ・ボエシ『自発的隷従論』

拒税革命の可能性


革命という言葉から普通の人が思い浮かべるのは、多くの犠牲者と流血を伴う暴力革命だろう。しかし、政府の不当な支配を覆すのに暴力はいらない。国民がもはや政府を支えないと決意しさえすればよい。なぜなら権力の支配は、究極的には国民の同意によって成り立つものだからである。

17世紀フランスの思想家、ラ・ボエシはまだ20歳にも満たない青年時代に本書を著し、権力の支配は国民の自発的な協力によって初めて可能になるという洞察を明らかにした。それがいかに横暴な圧政であってもである。

この主張には違和感を覚えるかもしれない。絶大な権力を握る独裁者であれば、暴力と恐怖によって一方的に支配すればよく、国民の同意などいらないではないか。

そうではないとラ・ボエシは論じる。独裁者はたった1人である。2人の者が1人を恐れることはあろうし、10人集まってもありうる。だが、100万もの人間が1人の権力者におとなしく隷従する場合、それは臆病からではありえない。国民の側が隷従に同意しているからである、と。

人間は本来自由を好むはずなのに、なぜやすやすと隷従に甘んじるのか。それは習慣のせいだとラ・ボエシは喝破する。生まれながらにして首に軛(くびき)をつけられている人々は、自分たちはずっと隷従してきたし、父祖たちもまたそのように生きてきたと言う。彼らはみずから、自分たちに暴虐を働く者の支配を基礎づけているのである。

しかしひとたび習慣の惰性から人々が目覚めれば、圧政を覆すのは難しくない。なぜなら権力者の支配は、国民の側の同意がなければ永続しえないからである。

ラ・ボエシは書く。権力者には立ち向かう必要はなく、うち負かす必要もない。「なにかを奪う必要などない、ただなにも与えなければよい」。そうすれば、「そいつがいまに、土台を奪われた巨像のごとく、みずからの重みによって崩落し、破滅するのが見られるだろう」

「ただなにも与えなければよい」というラ・ボエシの提案は、現代の先進国でいえば、税の支払い拒否にあたるだろう。国民が不当な課税という隷従に同意せず、一斉に納税を拒めば、政府は全納税者を投獄するわけにもいかず、「土台を奪われた巨像のごとく」崩れ落ちるしかない。

トルストイやガンジーの非暴力主義にも影響を及ぼしたとされるラ・ボエシは450年以上も前に、平和裏に実現しうる「拒税革命」の可能性を示唆したのである。

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