2023-07-27

中国依存を深めよう

経済の「中国依存」はよくない、「脱中国」を図れ、という声が政府やメディアの間でかまびすしい。


内閣府は報告書「世界経済の潮流」で、日本は米国やドイツに比べて中国からの輸入に頼る品目がより多いと分析し、「中国で何らかの供給ショックや輸送の停滞が生じ輸入が滞った場合には(略)日本ではより多くの品目でほかの輸入先国への代替が難しく、金額規模的にも影響が大きい」と警告する。

また、政府の「国家安全保障戦略」は、「グローバリゼーションと相互依存のみによって国際社会の平和と発展は保証されない」として、「特定国への過度な依存を低下」させるよう取り組むとしている。「特定国」が事実上、中国を指していることはいうまでもない。

しかし、政府のこうした主張は的外れだ。

そもそも個々の企業が、様々なリスクを含めて合理的に判断した結果、中国からの輸入を増やしているのであれば、その品目や金額がどれだけ多くなろうと、横から政府にあれこれ言われる筋合いはない。

たとえるなら、同じ町にセブンイレブン、ローソン、ファミリーマートの店舗があって、売り上げのシェアがセブン6割、ローソン3割、ファミマ1割だったとしても、町長が住民に向かって「セブンに過度に依存するのはやめなさい」などと説教するのは、大きなお世話でしかない。

ところが永田町や霞が関では、この大きなお世話が大手を振ってまかり通る。政治家や官僚は、どの国といくら取引するのが適切かを自分たちは正しく判断できると信じ、企業や消費者に指図する。よくいってお節介、ありのままにいえば傲慢そのものだ。自由な資本主義の国にふさわしくない。

政府の「脱中国」政策を批判する理由はまだある。もし「国際社会の平和と発展」を本当に望むのであれば、中国依存をやめるのではなく、むしろもっと深めなければならない。

たとえば、近所の八百屋の店主が何かの理由で私を嫌い、商品を売らなくなるかもしれないとしよう。どうすればいいか。先手を打って「脱八百屋」に乗り出し、実家の庭で野菜や果物を育てることもできなくはない。だがその戦略にかかるお金や労力、時間といったコストは馬鹿にならない。

もうひとつの戦略がある。その八百屋の最大のお得意の1人になり、売り上げの5%、10%、15%を占めるようになればいい。私が買えば買うほど、八百屋は私に依存するようになり、取引をやめれば失うものも大きくなる。店主はたとえ私と付き合うのが嫌でも、商品を売る強いインセンティブ(誘因)を持つようになり、私は自分で食料を作らなくて済むというメリットを享受する。

貿易も同じだ。互いに依存を強めれば強めるほど、争いを起こしにくくなる。戦争を絶対に防ぐとまではいわないが、強い歯止めになるのは確かだ。したがって、中国との間で平和を望むのであれば、「脱中国」をあおるのではなく、むしろ「中国依存」をさらに深めるべきだ。

そのために日本政府に何かやってもらう必要はない。余計なお節介をやめれば、企業がこれまでどおり、勝手に進めるだろう。もし中国ビジネスのリスクが本当に高くなれば、自然に「脱中国」に向かうだろう。

フランスのエコノミスト、バスティアの言葉とされる格言がある。「商品が国境を越えなければ、兵士が越える」。自由な貿易を妨げれば、戦争が起こるという意味だ。逆もまた真である。商品が国境を越えれば、兵士は国境を越えない。貿易を自由にすれば、戦争は起こりにくくなる。

自由貿易は国同士の相互依存を生み出し、相互依存は平和を維持する。戦争を防ぐには完璧ではないかもしれないが、何かにつけて対立をあおる政府に比べれば、「国際社会の平和と発展」に資する力ははるかに大きい。さあ、中国依存を深めよう。

<参考資料>
  • The Case for Being Economically Dependent on China - Foundation for Economic Education [LINK]

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