2019-06-01

漢帝国の戦争と衰退

米韓両政府は2019年3月2日、北朝鮮との緊張緩和のため、毎年春に実施している二つの大規模な合同軍事演習の打ち切りを決めたと発表した。トランプ米大統領は翌3日、ツイッターで「(軍事演習に費やす)巨額のお金を節約するためだ」とも説明。演習は米国にとって無駄なコストであり、やめたいとの本音をのぞかせた。

軍事費は米国の財政に重くのしかかる。米財務省によると、連邦政府の公的債務残高は2月11日時点で22兆ドル(約2400兆円)の大台を突破し、過去最大を更新した。トランプ政権が実現させた大型減税に加え、軍事費の増大に伴う国債発行が響いた。

3月に入り、米政府は債務残高に対する法律上の制限が復活し、借金を一時増やせなくなった。国債の償還や利払いが滞るデフォルト(債務不履行)につながれば、金融市場に混乱をもたらすばかりでなく、米国自身の威信と信頼を大きく損ないかねない。

軍事費の増大とそれに伴う財政の悪化が国を衰えさせた歴史上の例といえば、古代中国、武帝時代の前漢(漢王朝の前半期)が思い浮かぶ。


劉邦(高祖)が紀元前202年に建てた漢は、成立直後に北方の騎馬遊牧民、匈奴に大敗。以後約70年間にわたって匈奴に貢納を支払い、事実上従属下に置かれた。

前141年に即位した武帝は、祖父の文帝、父の景帝2代の努力によって蓄積された国家財政の充実を背景に、匈奴に対し反撃に出る。

大月氏や烏孫との連携を求めて張騫(ちょうけん)を派遣するなど、中央アジア方面(西域)に対する外交政策を推進した。同時に将軍の衛青、霍去病(かくきょへい)らに命じて数回にわたって匈奴と戦い、西北方面で甘粛地方を奪って敦煌郡など4郡を置いたうえ、フェルガナ地方の大宛まで出兵した。東北方面でも、匈奴の東部勢力を攻撃するため衛氏朝鮮を攻略して楽浪郡など4郡を置いた。南方では、秦末に独立していた南越を滅ぼしてベトナム北部を支配下に入れ、南海郡など9郡を置いた。


武帝の度重なる外征は、匈奴の侵攻を抑えるという防衛目的もあったが、それ以上に、国内に満ちていた困窮した農民たちの生活を安定させるために、新しい農耕地を開拓する必要に迫られたという理由があった。

目的は何にせよ、今も昔も、戦争にはカネがかかる。漢帝国の外征で1回ごとの動員数は数万、多くても十数万であり、最大の場合でも20万を超えることはまれだったが、それは兵士だけの数であり、後方には食糧や軍馬のまぐさを輸送する組織があったから、外征に伴う動員実数は、この数字をはるかに超えるものだったはずだ。

しかも兵士が帰還すると、その軍功に応じて賞賜がなされることが普通で、それに要する財政支出も莫大な額となった。度重なる対外戦争の負担で、豊かだった国庫も底をつき、漢は財政難に陥る。

そこで武帝は財務官僚の桑弘羊(そうくよう)に命じ、歳入を増やすためさまざまな改革に乗り出す。だがそれは民を疲弊させ、むしろ漢帝国の経済力を蝕んでいく。

まず試みたのは新たな貨幣の発行だ。宮中の銀器をつぶして銀貨を発行したり、御苑に多くいた鹿の皮で高額の「貨幣」を作ったりしたが、死刑で禁じても民間での私造を防ぐことができず、1年にして失敗に終わる。

同時に銅銭の改鋳を進め、五銖銭(ごしゅせん)を新たに鋳造する。当初は中央政府と並んで各郡国でも鋳造したが、やがて中央が発行を独占する。これにより、製造コストを除いた発行利益(シニョリッジ)がまるまる中央政府の懐に入ることになった。

政府はそのメリットを最大限に生かそうと、大量の貨幣を鋳造する。前漢後半の年間平均鋳造量は約22万貫(2億2000万枚)と、8世紀中葉の唐代の最盛期(約32.7万貫)にわずかに劣るだけで、古代の貨幣流通量としては驚嘆に値する(西嶋定夫『秦漢帝国』)。

貨幣の大量発行には副作用が避けられない。物価の高騰である。政府は商人による高値販売が原因と非難したが、貨幣の総量が増えなければ、一部の品物は値上がりしても他は値下がりし、物価全体が上昇することはないから、これはぬれぎぬだ。

武帝は、各地の特産物を貢納させ不足地域に転売する均輸法、物価が低いときに物資を買い入れ、上がったときに売り出す平準法により、商人を取引から排除し、物価統制に乗り出す。だが武帝自身が貨幣の大量発行をやめない限り、物価を抑え込むのは無理である。

もう一つの増収策は、商工業者への厳しい課税である。商工業者の資産への課税が強化され、資産額を申告させたうえで、一定の割合で税を取り立てた。申告漏れが見つかると資産は没収され、それを密告した者には没収財産の半分が報奨として与えられた。中産階級以上の商工業者は多くが密告の憂き目にあって資産を没収されたといい、商人層が壊滅的な打撃を受けることになった。

さらに武帝は、塩と鉄の専売に踏み切る。塩は人体にとって必需品だが、中国大陸は面積の広大さに対して海岸線が短く、入手が難しかった。このため製塩業者とその販売業者が巨利を占めた。一方、鉄は戦国時代以降、製鉄農具が普及すると、これも農民に欠かせないものとなり、製鉄業者とその販売業者が巨利を得ていた。これらの巨利はリスクの大きい事業に対する正当なリターンだが、政府は財源として目をつける。

鉄の専売が実施されると、農民は鉄官という役所で製造された以外の鉄製農具を購入できなくなった。一方、塩の専売では、生産は従来の民間製塩業者が行い、それを塩官という役所がすべて買い上げて民間に販売し、私販はいっさい許さなかった。

専売に移行し、役所が売った塩や鉄製農具は、値段が高くて品質が悪く、庶民や農民を苦しめた。お役所仕事の弊害である。

武帝の没後に開かれた諮問会議では、民間の代表が桑弘羊を相手に、専売制を厳しく批判した。役所が製造する農具は種類が少なく不便であること、塩や鉄器を役所から輸送するのが面倒で費用がかかること、などである。このため専売制は一時廃止されるが、結局は復活して前漢末まで維持される。

武帝の晩年には各地で数千、数百の農民が暴動を起こし、役所を襲う事件が頻発するようになった。中央では皇帝側近の外戚と宦官が勢力を持つようになり、やがて外戚の王莽が皇帝の位を奪って新を建て、前漢は滅ぶ。

武帝とは死後につけられたおくり名であり、彼が半世紀を超える在位中に武威を四方に輝かせたことにちなむ。しかし、その栄光は国内経済の疲弊と表裏一体だった。

武帝が推し進めた対外戦争は、現代の「帝国」である米国が世界各地で繰り広げる軍事介入に重なって見える。戦争のコストが国力を蝕むリスクは、昔も今も変わらない。

<参考文献>
尾形勇・平せ隆郎『中華文明の誕生』(世界の歴史 2)中公文庫
西嶋定生『秦漢帝国』講談社学術文庫
岡本隆司編『中国経済史』名古屋大学出版会
桓寛、佐藤武敏訳注『塩鉄論―漢代の経済論争』平凡社東洋文庫

(某月刊誌への匿名寄稿に加筆・修正)

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