2016-02-21

河邑厚徳他『エンデの遺言』


マイナス金利のファンタジー


日銀が国内初となるマイナス金利を導入した。マイナス金利は目新しい試みのように受け止められているが、この倒錯した政策のアイデアは昔からあり、戦前の大恐慌時に一部地域で短期間実施されたこともある。十六年前に出版された本書は今日を予言したかのように、経済・社会問題を解決する妙案としてマイナス金利をほめそやす。しかしその主張は、経済に対する無知に基づく。

本書はドイツの児童文学作家、ミヒャエル・エンデへの取材をもとに、現代の金融システムに警鐘を鳴らす。その問題意識は正しい。「問題の根源はお金にある」(第一章)というエンデの考えも間違っていない。ところがその後の議論は混乱を極める。エンデや著者たちが正しい経済学を知らないからである。

たとえば著者たちは、お金は劣化しないから持ち続けても費用がかからないという(第三章)。だがお金に限らず、ある物を持ち続けることに伴う経済的な費用は、物質的な劣化とは関係ない。たとえお金が劣化しないとしても、逃れられない費用がある。それは機会費用である。

ある金持ちの金庫にある現金が一年後も同じ額であれば、一見損はしていない(費用はかからない)ようにみえる。だがそのお金で人を雇って商売すれば利益をあげられたとすると、その利益をみすみす失ったことになる。これを機会費用という。

著者たちは、お金は持ち続けても費用がかからないから、金持ちは取引の条件が自分に有利になるまでいつまでも待つことができるという。しかし実際にはいま述べたように、お金を抱え込むことで儲けのチャンスを失う恐れがある。だから労働力しか売るもののない労働者よりも資本家(金持ち)はつねに有利だという考えは、間違っている。

さらに著者たちは、お金の価値は、インフレやデフレの影響を考えなければ、つねに変わらないという(同)。しかしインフレ、デフレが示すものは、さまざまな物の値段の集計値にすぎない。集計された物価全体が安定していても、個々の商品に対するお金の価値は日々変動する。

焼き芋の人気でサツマイモ一本の値段が一年前の140円から今年170円に値上がりすれば、それはサツマイモに対するお金の価値が下がったことを意味する。逆にある物の値下がりは、その物に対するお金の価値が上がったことを意味する。物価全体が安定していても、ほしい物の値段が上がったり下がったりすれば、その人にとってのお金の価値は変わる。

ついでにいうと、サツマイモが値上がりすれば、農家は儲けるためにサツマイモの生産を増やすから、より多くの人が焼き芋を食べられるようになる。逆に焼き芋の人気がなくなり、サツマイモが値下がりすれば、農家は生産を減らすだろう。このように物の値段は、物の需要と供給を釣り合わせる働きをする。政府や中央銀行が物の値段を無理に安定させようとすると、この調整機能が妨げられ、経済の効率を悪くする。

さて本書では、お金の価値が劣化しないことにすべての問題があるという誤った考えに基づき、シルビオ・ゲゼルという経済学者が考案した「スタンプ貨幣」のアイデアを推奨する(同)。たとえば1万円札なら、毎月100円のスタンプを買って押さないと1万円として通用しないようにする。ふつうは銀行に預ければ一定の利子がつくのと反対に、このお金は放っておけば金額が減っていく。今でいうマイナス金利と実質同じといえる。

大恐慌期の1932年、ゲゼル理論を信奉していたオーストリアのヴェルグルという町の町長は、このアイデアを実践する。町独自の労働証明書という地域通貨を発行したのである。この通貨は、月末に減価分に相当するスタンプを町当局から購入して紙券の裏に貼らないと、額面価額を維持できない。

地域通貨は「非常な勢い」で町を巡り始める。お金を早く使ってしまえば、スタンプ代を払わなくて済むからである。通貨を受け取った商店主は滞納していた税金の支払いに使い、町は公共事業のためにこれを支出する。「町の税収は労働証明書発行前の八倍にも増え、失業はみるみる解消していきました。商店は繁盛し、ヴェルグルだけが、大不況のなか繁栄する事態となりました」。橋やスキージャンプ台が建てられ、市庁舎は美しく修復され、念入りに飾り立てられた。著者たちは「ヴェルグルの奇跡」と絶賛する。

マイナス金利は本当に奇跡を起こしたのだろうか。上記の描写から見て取れるのは、明らかなバブル景気である。半ば強制的にお金を使わせれば、たしかに景気は一時よくなる。しかしそれは長続きしない。経済が発展を続けるには、人々が貯蓄をし、それをもとに企業家が投資をし、産業の生産性を高めなければならない。過剰な消費や公共事業はそれを妨げる。

オーストリアの中央銀行が紙幣発行の独占権を侵したとして訴訟を起こし、勝利したため、ヴェルグルのスタンプ貨幣の試みはわずか一年で幕を閉じる。もし中止されなければ、やがてバブルの崩壊に見舞われただろう。マイナス金利がもたらす繁栄は、つかの間のファンタジーにすぎない。

現代の経済・社会問題の根源は、政府・中央銀行がお金の発行権を独占し、政治目的のためにお金の量を無制限に増やすことにある。だから独占を打破する地域通貨の試みは間違っていない。しかしせっかくの地域通貨も、バブルをもたらすマイナス金利という仕組みが組み込まれてしまってはむしろ害悪である。

本書を読み、マイナス金利はすばらしい工夫だと思い込む人は少なくないだろう。そして日銀や世界の中央銀行によるマイナス金利政策を支持するかもしれない。現代の金融システムに警鐘を鳴らそうとしたエンデや著者たちにとって、なんとも皮肉なことである。

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