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「反インフレ経済勉強会」開講のお知らせ

インフレは税の一種です。しかも普通の税よりも悪質な税です。ところが、この事実はよく理解されていません。それどころか、多少のインフレはむしろ良いことだという嘘が、現在主流の国家主義的な、誤った経済学(ケインズ経済学)や、そこから派生した極端な説 (MMT=現代貨幣理論など) によっ...

2017-09-10

エセ清貧の厚顔

物質文明の恩恵にたっぷり浴していながら、それを罵り、蔑んでみせる知識人ほど、愚かで厚顔無恥なものはない。そのような偽りの清貧を気取る知識人は、洋の東西を問わず大昔からいるが、いまだにいなくなる気配がない。

京都大学名誉教授の佐伯啓思は『さらば、資本主義』(新潮新書)で、典型的な似非清貧の議論を繰り広げている。

まず佐伯は、大店法改正・廃止による規制緩和で地方都市の郊外に出店した、大規模なショッピングモールを非難する。便利なショッピングモールの出現により、雑多な店が立ち並ぶ昔ながらの街が失われてしまったという。

ところが佐伯は一方で、小都市に住んでいた子供の頃、親に連れられて大都市のデパートを訪ねた思い出を懐かしそうに書く。「デパートは、人とモノに溢れ、『文明』の香りを発散する舞台装置でした」「日常をこえた『体験』だったのです」

しかしいうまでもなく、かつてデパートは今のショッピングモールと同じく、古い商店街を破壊する元凶として出店・営業が規制されていた。その証左に、大店法の前身は百貨店法という法律である。自分はデパートの利便を享受しておきながら、他人がショッピングモールに行くのは商店街を衰退させるから認めないというのは、身勝手である。

また佐伯は、インターネットを利用したショッピングを批判する。人はかつて商店街などでの買い物を通じて「他人と関わり、社会と接していた」のに、インターネット販売は消費を「ただ個人の欲望充足へと還元」し、社会的で公共的な側面を失わせたという。

ところがこの『さらば、資本主義』を含め、佐伯の著作はいずれも、インターネット書店で売られている。もちろん著者自身の承諾の下にである。

佐伯の主張に従えば、本はインターネット書店ではなく、街の本屋で買わなければ、社会との接点を失い、単なる「個人の欲望充足」へと堕してしまうはずである。ところが佐伯は自分の本はインターネットで堂々と売らせている。言行不一致もいいところである。

さらに佐伯は、「より安く、より早く、より便利」な商品・サービスの追求を是とする「消費者絶対主義」が「衝動の支配する社会」をもたらしたと嘆いてみせる。

ところがあとがきでは、本書の内容を連載した雑誌の編集者が「ほとんど毎月のように打ち合わせに京都まで足を運んでくださ」ったと礼を述べる。

編集者はおそらく、東京から新幹線を利用したのだろう。もし佐伯が本心から「より早く、より便利」なものを求める態度が間違いと信じるのならば、次回からせめて在来線を半日かけて乗り継いで来るよう頼んでもらいたい。

(2015年12月、「時事評論石川」に「騎士」名義で寄稿)

2017-09-03

武士道が日本を滅ぼす

マンション杭工事の偽装、巨人の選手による野球賭博などをきっかけに、今の日本人は古き良きモラルを失ったと嘆いてみせる声がまたぞろメディアをにぎわせている。だが昔の日本人が今よりも特別に道徳的だったというのは嘘だし、昔の道徳を復活させれば今の日本が良くなるわけでもない。

昔の日本人の道徳としてしばしば称揚されるのは、武士道精神である。一橋大学特任教授の山岸俊男は『「日本人」という、うそ』(ちくま文庫)で、社会心理学の成果に基づき、武士道に関する思い込みの誤りを暴いている。

武士道精神の一つの特徴は滅私奉公の精神とされる。しかし戦国時代の武士たちは、現代の米国社会と同じように、実力主義の原理で働いていた。自分の能力をきちんと評価してくれない「上司」ならば、さっさと見限って「転職」した。

これに対し、江戸時代の武士は滅私奉公だったといわれる。しかし、これには合理的な理由があった。「転職」がいくらでもできた戦国時代と違い、江戸時代では主君を替えるわけにはいかない。子孫の代までも同じ殿様に仕えることになるから、常日頃から忠義ぶりを示していたほうが得策だったにすぎない。終身雇用制で事実上転職できないサラリーマンと同じだと山岸は指摘する。

江戸時代の武士の行動に少なくとも表面上、打算や私心が一切見られず、人に感動を与えることは事実である。しかしだからといって、その精神を今の社会に持ち込むとおかしなことになる。主君や国家に対する忠誠を何より尊ぶ武士道精神は、近代社会を支える商業道徳とは共存できないからである。

たとえば商業道徳では正直を重視する。ところが武士道では、主君のためなら嘘をついても許される。企業不祥事の背後にある、会社を守るためならば消費者を騙していいという考えは、「武士道的なメンタリティ」であると山岸は述べる。だからこの手の不祥事を武士道精神の復活によってなくそうなどと考えるのは、的外れである。

教育で幼い頃から武士道流の「利他の心」を教え込めという意見もよくある。だがそれはかえって「利己主義者たちの楽園」をもたらしかねないと山岸はいう。教育をまじめに受け止め利他的な精神を身につけた「お人好し」を、利己的な者がいいように利用できるようになるからである。愛国教育が盛んだった戦時中、愛国者のふりをした一部の利己主義者たちが権力を握ったり、不正な利益を得たりしたのはその実例である。

鎖国時代に戻るような武士道復活は日本を滅ぼしかねない。開かれた近代社会にふさわしい商人道こそが求められるという山岸の意見に同感である。

(2015年11月、「時事評論石川」に「騎士」名義で寄稿)

2017-08-27

新自由主義批判の嘘

昨今、右からも左からも目の敵のように批判される「主義」といえば、「新自由主義」である。ところがその批判の中身は矛盾だらけで、支離滅裂を極める。

たとえば経済アナリストの菊池英博は『新自由主義の自滅』(文春新書)で、新自由主義の特徴の一つとして「市場万能主義」を挙げる。「自由な市場は、価格機能によって、資源の最適配分ができるようになるので、富をもっとも効果的に配分できる」「その目的を貫徹するために経済活動を可能な限り自由にすべきである」という考えだという。

ところが菊池は一方で、新自由主義のもう一つの特徴として「金融万能主義(マネタリズム)」を挙げる。「景気対策は金融政策によるべきである」という考えである。しかし金融政策とは、金利水準を金融機関の自由な取引に任せず、政府が操作する行為を指す。これは最初の特徴である市場万能主義と矛盾する。

また、菊池は新自由主義の別の特徴として、「小さい政府」の主張を挙げる。政府機能を縮小して富裕層に減税し、社会保障制度を否定する考えだという。そしてその代表例として、1980年代米国のレーガン政権を挙げる。

しかしレーガンは、富裕層減税を行なったかもしれないが、一方で軍事費を大幅に増やした。これは菊池自身がいうように、軍事支出という公共投資によって需要を創出し雇用を増やそうとする「軍事ケインズ主義」であって、小さな政府の理念に反する。

そもそもレーガンが政府を小さくしたというよく語られる説は、じつは嘘である。レーガン政権下で政府債務は3倍近くに増えた。連邦政府職員数は32万4000人増加し、530万人となった。しかも増加人数に占める軍関係者の割合はおよそ4分の1にすぎず、軍以外の職員は増えている。小さいどころか、きわめて「大きい政府」である。

挙句の果てに菊池は、「新自由主義者は自らの主張と目的を達成するために権力と結託し……結局『大きい政府』を作り、自らの利権を守る」と書く。真の狙いが大きい政府を作ることなら、新自由主義は小さい政府を目指すという最初の記述は何だったのか。目的を達するために権力と結託するのなら、新自由主義は市場万能主義という主張は嘘ではないか。

菊池は、これこそ「新自由主義者のまやかし」だと書くが、自分の頭が混乱しているだけであろう。新自由主義などという、左翼が市場経済を攻撃するためにでっち上げた好い加減な概念によりかかって物を書こうとすれば、そうなるのは当然である。けれども笑い話では済まない。こんなお粗末な議論でも、市場経済の評判を貶める効果はあるからである。

(2015年10月、「時事評論石川」に「騎士」名義で寄稿)

2017-08-13

歴史を押しつける者

戦後七十年を機に、「敗戦国史観」への批判があらためて強まっている。曰く、戦後日本人が教えられてきた左傾的な近現代史は、米国および連合国軍総司令部(GHQ)が方向を定めたものであり、戦争の勝者による歴史の押しつけである。したがってこれを克服し、まっとうな歴史観を取り戻さなければならない、という。しかし歴史を押しつけた勝者は、米国やGHQだけではない。

作家の原田伊織は著書『明治維新という過ち』(改訂増補版、毎日ワンズ)で、この百年以上、日本人が公教育によって教え込まれてきた「明治維新があってこそ日本は近代化への道を歩むことができた」という歴史観は、徳川幕府を倒した官軍、すなわち長州・薩摩という勝者の都合に合わせたものにすぎないと批判する。

たとえば今も学校で教える日本史によれば、嘉永6年(1853年)にペリーの黒船が来航し、その武力威圧に屈して幕府はついに開国したとされる。ところが実際には幕府は天保13年(1842年)に薪水給与令を発し、実質開国している。幕府はペリー来航前から浦賀などで米国と接触してもいた。

劣らず歪曲が甚だしいのは、討幕に功労のあった薩長土肥の下級武士たち、いわゆる「勤皇の志士」の美化である。彼らの実像は「現代流にいえば『暗殺者集団』、つまりテロリストたちである」

とくに悪質だったのは長州の「志士」で、京都において、幕府の役人や、幕府に協力的とみた商人、公家の家臣、学者などを標的に略奪、放火、暗殺を繰り広げた。「彼らのやり口は非常に凄惨で、首と胴体、手首などをバラバラにし、それぞれ別々に公家の屋敷に届けたり、門前に掲げたり、上洛していた一橋慶喜が宿泊する東本願寺の門前に捨てたり、投げ入れたりした」

官軍は会津戊辰戦争の際も暴虐をきわめた。原田によれば、長州の奇兵隊は「山狩り」と称して村人や藩士の家族が避難している山々を巡り、強盗、婦女暴行を繰り返した。家族の見ている前で娘を平然と輪姦し、家族が抵抗すると撃ち殺したという。

長州出身で明治時代に初の内閣総理大臣となった伊藤博文は、朝鮮の独立運動家・安重根に暗殺された。現在、日本政府は安重根を「テロリスト」とする立場である。しかしじつは伊藤自身、若い頃は志士という名の「テロリスト」であった。根拠の薄い噂にもとづき、江戸で国学者塙次郎を暗殺している(一坂太郎『司馬遼太郎が描かなかった幕末』)。

力を背景に歪んだ歴史観を押しつける者は、外国政府だけとは限らない。自国政府がまことしやかに語る歴史にも、同等以上の注意が要る。

(2015年9月、「時事評論石川」に「騎士」名義で寄稿)

2017-08-06

自滅する米国

集団的自衛権や環太平洋経済連携協定(TPP)を通じ、日本政府は米国と政治・経済的つながりをいっそう深めようとしている。まるで米国と組んでさえおけば、未来永劫安泰だと考えているかのようである。危うい態度といわざるをえない。頼りにしている米国自身、今にも滅びの坂を転げ落ちようとしているからである。

原著が米国でベストセラーとなった著書『コールダー・ウォー』(渡辺総樹訳、草思社)で投資戦略家マリン・カツサは、米国の没落がもはや避けられないと説く。鍵となるのは米ドルの価値である。

戦後、米国の覇権を支えてきたのは強いドルであった。ドルは世界中の取引で利用されたから、どの国も準備通貨として欲しがった。米国はドル札を刷るだけで、世界中から何でも欲しいものを手に入れることができた。巨額の軍事費も借金で賄うことができた。

しかしながら無から有を生み出すこの特権は米国を傲慢にし、肝心の経済力を衰えさせた。今では累積財政赤字は対GDP(国内総生産)100%を超え、製造業は衰退し、不況からの回復力も弱くなった。不況から脱しようと政府が金利を無理に押し下げたために、債券市場にバブルをもたらしている。

カツサは警告する。「この傾向が続けばドルは世界の準備通貨の地位を失うことになる。つまりドル資産は売りに出されるのである。そうなればドルの価値は暴落する」。ハイパーインフレの恐れに加え、債券相場の暴落で銀行に経営危機が広がる可能性もあるという。

これまでドルの価値を支えた大きな要因は、石油取引である。1970年代、米政府はサウジアラビアに対し、同国を防衛する見返りに石油販売をすべてドル建てにし、貿易黒字で米国債を購入するよう約束させた。他の産油国も追随し、世界の石油需要の増大とともにドル需要も増えた。

しかしこの構図は揺らいできた。サウジはイスラエルやイランとの関係をめぐり、米オバマ政権の外交に不満を募らせている。国内では反政府運動が収まらず、万が一現政権が倒れれば過激なイスラム教徒が同国を制し、石油でドルを支える仕組みは終焉を迎えるだろうとカツサは述べる。

カツサは米国に対抗するプーチン・ロシア大統領の戦略を詳述する一方で、こう指摘する。「仮にロシアと中国がドルへの挑戦を始めなくても、プーチンが何もせずぼんやりしていたとしても、アメリカは自らのドルの洪水に溺れることになる」

今年6月、ロシアの経済フォーラムにサウジが四年ぶりに参加し話題となるなど、両国は急接近している。世界が距離をおき始めた米国に日本だけが忠義立てしても、良いことはない。

(2015年7月、「時事評論石川」に「騎士」名義で寄稿)

2017-07-30

長い物に巻かれる国

日本は古来より和をもって貴しとなす美風があるとよくいわれる。しかし和を重んじる気風は、長い物には巻かれろという卑屈な根性と表裏一体である。

評論家の藤原正彦は誇らしげにこう語る。「何しろ日本は聖徳太子の頃から民主国ですから。和をもって貴しとなす。独裁者を嫌い、独裁者がいたことのない、世界でも珍しい国です」(アサヒ芸能1月15日号)

独裁者がいたことのない国は米国、英国、スイス、北欧諸国など主要国だけでも数多いから藤原の主張はデタラメだが、それ以上に、和をもって貴しとなす精神を手放しで称えるのが問題である。和を何よりも貴ぶ心性は、力の強い相手には逆らわないほうがよいという事大主義につながりやすいからだ。

力の強い相手の最たるものは国家である。国家に決して逆らわず従う態度は国家主義である。国家主義は西洋にもある。しかし日本と違い、西洋には国家主義に抵抗する知的伝統が存在する。

そのことを和歌山大学教授の菊谷和宏は『「社会」のない国、日本』(講談社選書メチエ)で、ともに国家による冤罪であるフランスのドレフュス事件と日本の大逆事件を対比しながら論述する。

ドレフュス事件では、軍部が捏造したスパイの証拠によってユダヤ系陸軍大尉ドレフュスが軍法会議で有罪とされる。これに対し作家ゾラはドレフュスを擁護し、一時亡命を強いられながらも、再審の道を開く。

ゾラを衝き動かしたのは、「人間性が国の都合に優先されてはならない」「国家以前に尊重されるべきものがある」という信念だった。

このような信念を生んだものは何か。ゾラの同時代人である社会学者デュルケームによれば、それはキリスト教である。キリスト教が育んだ個人主義精神からみれば、国家という組織はそれがいかに重要であれ、「ひとつの道具に過ぎず、目的のための手段でしかない」。

さて一方、大逆事件では幸徳秋水らが天皇暗殺を企てたとして根拠なく逮捕され、死刑を宣告され、処刑された。

ゾラのように立ち上がり、幸徳らを堂々と擁護する言論人はいなかった。幸徳らを乗せた囚人馬車を偶然目撃した永井荷風が「わたしは自ら文学者たる事について甚しき羞恥を感じた」と記したのは有名である。

キリスト教の伝統をもつフランスと異なり、日本には「国家以前に尊重されるべきものがある」という思想は根づいていない。菊谷の言葉を借りれば、国家のみがあって社会が存在しない。

長い物に巻かれることをよしとする日本では、国家の暴走に歯止めをかける者がない。それは和を保つという長所を帳消しにしかねない、深刻な短所である。

(2015年6月、「時事評論石川」に「騎士」名義で寄稿)

2017-07-23

情報機関を信じるな

政府・自民党内で「日本版CIA」新設の機運が高まっている。海外での日本人の誘拐や殺害といった被害を防ぐには、米中央情報局(CIA)のような専門の情報機関が必要との考えかららしい。しかし情報機関が政府の官僚組織であるかぎり、他のお役所仕事と同様、ろくな働きは期待できない。

先日死去した直木賞作家、船戸与一は海外を舞台とする多くのスパイ小説で、理想化されがちな情報機関の堕落した現実を描いた。昭和54年(1979年)の処女作『非合法員』(小学館文庫)では、元CIA情報員の老いた米国人がこう語る。 

「いいか、組織なんかを絶対に信用するんじゃない!……どんなことがあっても国家や組織なんかを信用しちゃあならん! これほど簡単に人間を裏切るものは他にないんだからな」 

「組織の中でも、とくに情報機関はとことん疑ってかかる必要がある! たいそうな目的を掲げてるくせに、やることなすことと言ったら組織の維持だけだ」 

「CIAと国防総省、それにFBI〔連邦捜査局〕の関係を見てみろ! いつもじぶんの組織の利益ばかり考えて反目しあってる!」 

CIAといえどもしょせんは役所である。画一主義、先例踏襲、独善性、派閥意識、縄張り根性といった官僚組織の弊害から逃れることはできない。老スパイの吐き出すような言葉はその事実を生々しく伝えている。 

これは小説の世界だけの作りごとではない。ニューヨーク・タイムズ記者ティム・ワイナーはノンフィクション『CIA秘録』(文春文庫)で、CIAを蝕む官僚主義を剔抉している。 

設立まもない1950年代、CIA内部にはアルコール依存症や金銭の絡む不正行為がはびこり、大量の人員が辞職した。この時期、長官アレン・ダレスに報告された内部調査で、ある若い職員はこう証言したという。 

「おおむね非効率で非常に金がかかった。……本部や現場の仕事と権威を守るために、控えめに言っても、大げさに立場を主張して、活動の予算と計画の正当性を取り繕うことが本部の任務になっている」 

CIAの官僚主義はその後も改まらない。2003年のイラク戦争では、イラクが大量破壊兵器を90%程度の確実性で保有していると判断する「重大な間違い」を犯す。その後の調査によれば、「意思疎通がひどく欠けていたので、しばしば右手の仲間がやっていることを左手の仲間が知らなかった」。 

鉄道、電力、宅配といった事業で日本政府が劣悪・割高なサービスしか提供できなかったことはすでに証明されている。国民の安全をはるかに大きく左右する情報活動にかぎって政府を信じる気には、とてもならない。 

(2015年5月、「時事評論石川」に「騎士」名義で寄稿)

2017-07-16

ファシズム再評価の愚

元外交官で評論家の佐藤優が著書『世界史の極意』(NHK出版新書)で、国家が市場経済に積極介入するファシズムを再評価し、日本の政策に取り入れよと提言している。しかしそのような試みはすでに八十年以上前にあり、無残に失敗している。

1920年代にイタリアのムッソリーニが展開したファシズムは、失業、貧困、格差などの社会問題を、国家が社会に介入することによって解決することを提唱した。ドイツのナチズムはデタラメな人種神話にもとづくものだが、ファシズムは違うと佐藤は擁護する。

日本もこのような「言葉の正しい意味でのファシズム」を取り入れよと佐藤は主張する。そうなれば「経済的には再分配をおこない、健康で文化的な生活、今後の技術発展に対応できる職業教育、家族を持ち子供を育て、次世代の労働者を育成することができる所得を国民に保証する」ことになるとほめそやす。

さて佐藤は書いていないが、すでにムッソリーニの同時代、ファシズムを模倣する試みは世界であった。その一つは大恐慌当時の1930年代米国でフランクリン・ローズヴェルト大統領が行った、ニューディール政策である。

歴史の教科書では、第二次世界大戦において米国は民主主義陣営、イタリアは全体主義陣営に属する不倶戴天の敵とされる。しかし少なくとも経済政策に関しては、両者の本質は同じものだった。

ジャーナリストのジョン・フリンはムッソリーニの政策を分析し、「反資本主義だが、資本主義の特徴を持つ」「経済的な需要の管理」「国家予算の赤字」「計画経済を命令し、コーポラティズム(協調主義)を通じて部分的な経済的自治を調整する」「法の支配の一時停止」といった特徴を抽出した。そしてこれらの特徴はニューディールにも共通すると指摘し、こう断じた。「これはファシズムである」

事実、ローズヴェルト政権の高官にはムッソリーニの心酔者が少なくなかった。ローズヴェルト自身もムッソリーニについてこう語っている。「彼の業績にたいへん関心があり、深く感銘を受けている」

一方、ムッソリーニもローズヴェルトを高く評価した。1933年、ローズヴェルトによって全国産業復興法が成立し、国民経済の大部分で大統領の絶対権力が与えられたことを知ると、こう叫んだという。「独裁者を見よ」

俗説と異なり、ニューディール政策は不況脱出に成功せず、むしろ大恐慌をもたらした。ファシズム模倣の試みは見事に失敗したのである。その事実を知ってか知らずか、今頃ファシズムを再評価してみせる佐藤は、とても「世界史の極意」を会得しているとは思えない。

(2015年4月、「時事評論石川」に「騎士」名義で寄稿)

2017-07-09

富裕税のまやかし

仏経済学者ピケティの『二十一世紀の資本』がベストセラーとなったのをきっかけに、格差是正のため金持ちへの課税を強化せよとの議論が一部で強まっている。これで金持ち以外の人々が喜ぶとしたら愚かである。金持ちから多く取るふりをして、実際にはそれ以外から搾り取るのが課税の鉄則だからである。

元国税調査官の大村大次郎は『金を取る技術』(光文社新書)で、その鉄則を次のように明かす。税収を上げるためには、金持ちにたくさん課税すればいいと思うかもしれない。しかしそれは違う。税務の世界ではこう言われる。「金持ちから一円取るより、貧乏人から一万円取る方が簡単」

なぜなら、金持ちは税金について非常に詳しい。増税をしようとすると、政治家に働きかけるなどあらゆる手を使って抵抗する。だから金持ちから税金を取ろうとするとかなり大変である。

一方、貧乏人に増税してもほとんど無抵抗である。貧乏人は税金のことはあまり知らない。とくにサラリーマンは会社から源泉徴収され、自分の税金を計算したことのない人がほとんどである。だから「今は国家財政が大変だし、高齢社会に備えて税金が必要」などと言われれば、すぐに鵜呑みにしてしまう。

日本では表向きの税率は金持ちの方が高いが、さまざまな抜け穴があり、実質の税負担は軽い。半面、貧乏人は表向きの税率は低いが、実質の税負担は重い。年収三億円の大手オーナー社長の税負担率は、平均的サラリーマンより低い。オーナー社長は配当所得に対する優遇課税があるうえ、社会保険料の掛け金に上限があり、年収千二百万円以上の人はいくら多くても掛け金は高くならないからである。また、子供二人の夫婦で税金を課される最低所得は、先進国中、日本が一番低い。

政府は少子高齢化に伴う社会保障費の増大で消費増税が必要だと説明するが、それは嘘である。現在の財政赤字は社会保障の増大が原因ではない。バブル崩壊後の巨額で無駄な公共事業によって生じたものである。

それでも国民の間では政府の宣伝を信じ、増税を仕方ないと諦める声が少なくない。「日本人というのは、指導者などにはとても従順な民族です」と大村は慨嘆する。

私は大村に同意するが、金持ちへの課税を強化せよと言いたいのではない。税金の無駄使いをやめない政府は、金持ちにだろうと貧乏人にだろうと、増税を強いる資格はない。

政府は今夏、富裕層の税逃れを防ぐとして出国税を導入するらしい。注意すべきは、富裕税でそれ以外の納税者が楽になると信じないことである。真の狙いは、無知でおとなしい中間層と貧困層なのだから。

(2015年3月、「時事評論石川」に「騎士」名義で寄稿)

2017-07-08

起業という革命

選挙運動を楽しむのはいい。しかし政治は社会の変化を先取りするのでなく、むしろ遅れがちだ。最初に変化するのは文化であり、政治ではない。政治は受け身だ。もし人々の考えを変え、自由の文化を育成できれば、他の変化はついてくる。

政治の外で変化を起こす方法はたくさんある。ライドシェアはタクシーの地域独占を揺さぶる。民泊は都市計画をぐらつかせる。仮想通貨は国営貨幣や古臭い決済制度に挑戦する。ホームスクールやオンライン教育は政府の教育制度を打ち壊す。

あらゆる起業は、規制と課税で守られた現状に対する革命だ。スタートアップ企業の存在は、人間の創造力が統制で止められないことを証明している。スタートアップ企業は、すべての政治運動を合わせた以上に、自由に大きく貢献するだろう。

Jeffrey A. Tucker, 7 Habits of Highly Effective Libertarians (2015.4.7, fee.org)

2017-07-07

さらば官営福祉

政府の福祉政策は効率向上も経費抑制もダメだ。間接経費の比率だけで推定50~70%に達する。官僚や福祉職員の施設や建物に1ドルのうち50~70セントも使い、貧困層に30~50セントしか使わない制度が本当に望ましいだろうか。

小規模な民間慈善団体の実績は、政府よりずっと優れている。シカゴの聖マルティン・デ・ポレス希望の家はホームレス女性の支援に特化する。官立のホームレス施設が1日1人あたり22ドルかかるのに対し、ここの経費は7ドル足らずである。

福祉国家に対する実行可能な代替案にまず注目し、そこから民間地域サービス組織の広範なネットワークを築こう。人々の尊厳を損ねることなく助けることができ、経費もずっと安くて済む。理論を議論するだけでなく、実行するときである。

Sharon Presley, Mutual Aid Is Not Just Historical: Modern Alternative Services (2015.2.19, libertarianism.org)

2017-07-06

「民間」軍事会社という嘘

「民間」軍事会社ブラックウォーターの設立者エリック・プリンスは自分を市場企業家と思っているらしい。実際は政治企業家である。同社のビジネスモデルは、政府に納税者からカネを盗ませ、それを収入にする。頼りはほとんど政府のカネである。

ブラックウォーターは「安全保障会社」で、兵士、武器、監視などの軍事サービスを政府に提供する。最大の顧客は米軍とCIAで、地方政府とも取引がある。所有者は民間人だが、市場を通じて収入を得てはいない。収入源は政府機関である。

市民は宅配のフェデックス社と取引するかどうか、直接決める。だがブラックウォーターにお金を払うかどうかは決められない。フェデックスは市場で生き残るために顧客を喜ばせなければならない。ブラックウォーターは血税をすすって生きる。

Ryan McMaken, Taxpayer-Funded Mercenaries Are Not the 'Private Sector' (2014.1.9, mises.org)

2017-07-05

軍産複合体という最高権力

トランプ大統領は当選前、海外軍事介入に反対していたが、公約を破り、逆にシリアをミサイル攻撃した。この変心を理解するには、政治と官僚国家の本質を理解する必要がある。大統領が政府を動かすのではない。政府が大統領を動かすのだ。

強大なアウトサイダーといわれるトランプ氏も、強固な外交支配階級を打ち破ることはできない。国務省、国防総省、CIA、国家安全保障局などの官庁職員の95%は選挙で選ばれない。政府に出入りする軍需企業と同じく、とどまり続ける。

果てしない戦争と軍事介入は無尽蔵の財源を必要とする。あらゆる官営事業と同じく、戦争の本質は資本主義に反する。資源を奪い、官僚組織を膨張させ、膨大な人的・経済的コストを隠そうと愛国心や世界における米国の役割を陳腐に繰り返す。

Jeff Deist, Peace Is Popular (2017.6.29, mises.org)

2017-07-04

ツイートが壊す政府信仰

百年余り前、政治支配層は、強く男らしい男性像を合衆国大統領として作り上げた。立派なスーツに身を包み、話上手、赤んぼうにキスをし、同情心について語る。見栄えも振る舞いもすこぶる大統領らしい。そこへドナルド・トランプが現れた。 

トランプの言葉、態度、振る舞い、人格は政治階級が作り上げた神格化された大統領像とはまったく違う。残念ながら、政治的に見れば自由に貢献はしていない。トランプの政策は支配階級そのものである。それでも、彼のツイートは歓迎だ。 

トランプの世界では、大統領も結局ただの人間にすぎない。一般人と同じように訴え、振る舞う。大統領の幻想は崩れたか。たぶんまだだ。信仰の変化には時間がかかる。それでもトランプ大統領よ、ツイートを続けよ。政府という宗教を壊し続けよ。 

2017-07-03

偽りの資本主義

社会的弱者の側に立つ人々は、自由な市場経済とは無慈悲で、社会を勝者と敗者に分断するものだと考えている。彼らは、米国政府が支配する八百長めいた現在の経済制度を、自由な市場経済と混同している。しかし両者は正反対のものである。

米経済には、政府が与えた独占や事業免許、補助金、不振企業の救済といった特権があふれる。政府が生み出し、政府と癒着した裕福な企業が支配するこの制度に名前をつけるとしたら、マルクス経済学でいう「国家独占資本主義」が適切だろう。

米国近代史をさかのぼれば、政府の助けによって企業が競争を免れ、支配力を強めたのはまぎれもない事実である。左翼は市場競争が問題を起こしたと非難するが、その問題の本当の原因は国家独占資本主義(別名·縁故資本主義)の失敗である。

2017-07-02

不景気は悪くない

経済の状態には好景気と不景気がある。好景気は良いことで、不景気は悪いことだと一般の人々は誰しも思っていることだろう。ところがそうではない。経済の本質に照らせば、好景気には悪いものもあり、不景気には良いものもある。

好景気は良く、不景気は悪いという「常識」を信じているのは一般人だけではない。経済の専門家を名乗る人々の多くも同様である。

たとえば経済評論家の上念司は著書『経済で読み解く大東亜戦争』(KKベストセラーズ)で戦前の昭和恐慌を論じる中で、当時まだ広く認められていた、不景気は悪くないとする考えをさかんに非難する。

昭和恐慌の引き金になったとされるのは、第一次世界大戦前の旧平価による金本位制復帰である。戦中戦後の紙幣大量発行で円の価値が下がった後の新平価よりも約10%円高となるため、国内物価にそれだけ下落圧力がかかり、不景気に陥ることが予想された。不景気を恐れる一部のエコノミストは新平価を主張したが、大勢は旧平価派だった。

旧平価での復帰は、当時としてはオーソドックスな経済学の考えに基づくものだった。すなわち、大戦の反動不況で経営難に陥った企業を政府・日銀が特融で助け続けた結果、資本・人材の配分が歪んでおり、これを常態に戻す必要がある。倒産する企業もあるだろうが、健全な経済に復するためにはやむをえない、という考えである。

こうした考えを上念は「痛みに耐えるとバラ色の未来がやってくる」という発想、と揶揄する。そして旧平価派の一部は「不況が発生することで弱い企業が淘汰され、産業そのものが強化されるから、むしろもっと大きな不況が襲ったほうがいい」と主張したとして、「カルト的」と罵倒する。

上念の表現は多少誇張されているものの、大筋では旧平価派の考えを正しく説明している。しかしそれをカルト呼ばわりするのは上念の無知でしかない。

世の中にある資源と人材は限られる。消費者から相手にされず本来なら破綻すべき企業が、政治の力でいつまでも淘汰されなければ、その分資源・人材を無駄遣いし、必要とされる産業の成長を妨げる。経済が発展するには、不要な企業が潰れなければならない。この真理を経済学者シュンペーターは「創造的破壊」と呼んだ。

上念はシュンペーターの考えを「危険思想」と決めつける。そしてカネをジャブジャブにして好況をもたらしたアベノミクスを称える。

だが政府が景気を人為的に支えるほど、その歪みを正す不況は大きくならざるをえない。危険なのは不況を良いとする思想ではない。いびつな好況をつくりだす政府のほうである。

(2015年2月、「時事評論石川」に「騎士」名義で寄稿)

2017-07-01

「公」教育の危険

子供を監督すべきなのは、親か、それとも国家か。これが教育問題のカギである。自由な社会では、各人に自分自身と自分の生み出したものを所有する権利がある。人が生んだ中で最も大切な一つである子供もまた、その人の管理下に置かれる。

各自が教育を受け、自分の能力を十全に伸ばすためには、学習が自由でなければならない。人間の理性と人格にとって、暴力から自由であることは不可欠である。ところが国家は、その存在そのものからして暴力と強制に基づいている。

国家が子供を「公有」し、子供の「私有」を否定すれば、教育においても国家の原理が押しつけられるのは明らかである。とりわけ教え込まれるのは国家への服従だ。十全な学習の自由を求める人間の精神は、圧政になじまないからである。

Murray Rothbard, The Danger of "Public" Education (2017.6.26, zerohedge.com)

2017-06-30

社会主義の目的

規制当局やその関係者に言わせると、規制の目的は崇高な「公益」の促進にあるという。ところがその建前にはほど遠く、規制当局の本当の目的は、規制当局そのものの発展促進にある。規制組織は自身を守るために存在するのだ。

「もし社会主義者が経済学を理解していたら、社会主義者にはならなかっただろう」という言葉が的を射ているかどうか疑わしい。社会主義国を建設する目的は社会主義のさらなる促進であり、社会の改善でも経済的繁栄の促進でもないからだ。

経済活動は目的を達成するための手段であり、その目的とは人々が自由に富を手に入れ、生活水準を高めることである。しかし社会主義者はそう考えない。社会主義の目的は社会主義である。より正確に言えば、理想上の社会主義である。

William L. Anderson, The Goal of Socialists Is Socialism — Not Prosperity (2017.2.13, mises.org)

2017-06-29

イスラム教と資本主義

イスラム教は資本主義と両立するという主張の根拠の一つは、預言者ムハンマドの人生である。40歳で伝道を始める前、彼はやり手の商人で、市場メカニズムを理解していた。商業を奨励し、正直な商人を称える言葉を多く残したのも当然だ。

ある逸話によれば、敬虔な信者から市場の物価高を規制するよう求められたムハンマドは「神のみが物の価を支配したもう」と否定的に応じたという。後世の解説者の中には、ここにアダム・スミスの「見えざる手」に似た精神をみる向きもある。

中世のイスラム資本主義は戦争、侵略、貿易ルートの変化などにより没落し、イスラム文明全体の没落をもたらした。はるかに進んだ西洋に直面した衝撃は今も続く。解決策は、イスラム黄金時代を築いた資本主義の創造力を取り戻すことにある。

Mustafa Akyol, Islam and classical liberalism: Are they compatible? (2017.5.7, learnliberty.org)

2017-06-28

マルクスの外れた予言

マルクスの予言はことごとく外れた。『資本論』第1巻の刊行から150年間、富が少数者に集中し続けることも、大衆が貧しくなり続けることもなかった。社会が「持てる階級」と「持たざるプロレタリアート」に二極化することもなかった。

マルクスの予言に反し、過去200年で最も際立った社会現象は、多数の中間階級の増大である。貧富の二極化ではなく、富裕層から貧困層までの間に階層ができた。大半の先進工業国で国民の最大部分を占めるのは、厚みのある中間層である。

労働者の一部を設備投資で置き換えると特定の仕事がなくなるのは事実だが、最終的には、自由になった労働者は以前はなかった仕事に就く。だからマルクスの予言と異なり、自由な市場経済が失業者予備軍を永久に生み出し続けることはない。

Richard M. Ebeling, How Marx Got on the Wrong Side of History (2017.6.16, fee.org)