7世紀、西アジアを起点として、世界の構造を根本から変える地殻変動が始まった。イスラムの台頭である。アラビア半島の都市メッカの商人ムハンマドは、610年頃から、自身が唯一神(アラー)の啓示を伝える「最後の預言者」であることを説き始めた。その教えは、最後の審判において救済されるためには神の言葉に従い正しく生きるべきとするもので、信徒(ムスリム)を急速に増やしていく。
メディナを拠点に勢力を拡大したイスラムは、当時の地政学的な隙間を巧みに突いた。西アジアの二大巨頭であったササン朝ペルシアと東ローマ帝国が、長年の抗争で疲弊していたのである。メッカとメディナは、戦乱を避けた商人が利用するイエメンからシリアへ至る隊商路上に位置しており、イスラムはこの既存の商業ネットワークを掌握することで、宗教・政治・経済が一体となった強固な基盤を築き上げた。
ムハンマドの後継者であるカリフたちは、破竹の勢いで版図を広げる。東ローマ帝国からシリアやエジプトを奪い、651年にはササン朝を滅亡させた。これによりユーラシア西方の勢力図は一変する。亡国となったペルシアの人々は、イスラムに帰依するか、あるいは「オアシスの道」を東へと辿り、唐へ亡命した。彼らがもたらしたゾロアスター教やマニ教、ネストリウス派キリスト教、そしてポロ競技や音楽といったイラン文化は、長安の都で華開くこととなる。
イスラムの拡張は止まらず、ウマイヤ朝期にはモロッコからジブラルタル海峡を越えてイベリア半島までを支配下に置いた。その後、750年にイラン北東部ホラーサーン地方から興ったアッバース朝がウマイヤ朝を打倒し、新たな覇権を確立する。
特筆すべきは、イスラム教が本質的に「商業肯定」の宗教であった点だ。ムハンマド自身が商人一族の出身であり、キリスト教圏とは対照的に、正当な利潤追求は徳目とされた。
イスラム研究者の井筒俊彦氏は、聖典コーランが「商人言葉、商業専門語の表現に満ちている」と指摘する。人間がこの世で行う善なり悪なりの行為を「 稼ぎ」と考えることなどは、その典型例である。コーランでは「宗教も神を相手方とする取引関係、商売」なのだという(『イスラーム文化』)。
イスラムの商業倫理を携えたアラブ人は、広大な帝国を舞台に、国境を超えたビジネスの担い手として躍動していく。アッバース朝の第2代カリフ、マンスールが建設した首都バグダードは、その象徴である。ティグリス川に面したこの都市は、東南アジアやインドの特産品が集積する国際貿易のハブとなり、「平安の都」として人口100万を超える空前の繁栄を極めた。
バグダードから東へ延びる「ホラーサーン道」は、中央アジアのオアシスの道へと直結していた。当時、このルートはアッバース朝と唐という東西の二大帝国によって安定的に管理され、商取引が活性化した。その主役を担ったのが、変幻自在な交易民ソグド人である。
両帝国の勢力圏が接したとき、751年の「タラス河畔の戦い」という衝突が起きた。この一戦は、アッバース朝の中央アジア支配を決定づけただけでなく、歴史的な副産物を生む。捕虜となった唐の技術者により、製紙法が西伝したのである。バグダードに建設された製紙工場は、安価で丈夫な記録媒体を供給し、イスラム世界に爆発的な情報の流通をもたらした。
「紙」は学問のあり方を変えた。「知恵の館」に集った学者たちは、アリストテレスをはじめとするギリシャ哲学を次々とアラビア語へ翻訳。これがイスラム神学や科学の飛躍的発展を支える知的インフラとなったのである。
一方、海域においてもイスラムのプレゼンスは圧倒的であった。バグダードとペルシア湾を結ぶ貿易路の整備により、8世紀にはペルシア湾が海上貿易の主眼となり、インド洋の西半分はムスリム商人の勢力圏(ムスリムの海)と化した。航路はアフリカ東海岸まで延び、現地のイスラム化を促した。
彼らが駆使したのは、三角帆を持つ縫合帆船「ダウ船」である。季節風を正確に捉えるこの船は、陶磁器や木材といった重量貨物の長距離輸送を可能にした。ムスリム商人は、バグダードを出航してからわずか1年足らずで、インド、東南アジアを経て中国へと到達したという。
この海洋ネットワークの連結に対し、唐帝国も敏感に反応した。海上交易を管理・徴税するための官庁「市舶司(しはくし)」を広州に設置。同地には「番坊」と呼ばれる外国人居留地が作られ、アラブ系商人らのコミュニティが形成された。同時に、そこではアフリカから連れてこられた黒人奴隷(崑崙奴)の売買も行われていた。奴隷貿易は、後世のヨーロッパ人の専売特許ではなく、この時期のムスリム商人によって既に国際的なビジネスとして構造化されていたのである。
こうして8世紀、長安は内陸からのソグド・イラン系商人と、海路からのアラブ・マレー系商人が交差する、世界最大の国際商業都市となった。長安とバグダード。東西の巨大な市場がネットワークで結ばれたこの時代こそ、まさに「最初のグローバリゼーション」の萌芽であったといえるだろう。
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