日本郵政グループのかんぽ生命保険で、新旧の保険料の二重払いなど顧客の不利益になる保険の乗り換えを繰り返していたことが相次ぎ発覚し、問題となっています。不正の背景には、販売を担う郵便局や郵便局職員に課された過剰な営業目標、いわゆるノルマがあると言われます。
販売実績に応じて営業手当が付く一方、ノルマを達成できないと、「何だこの数字は」「契約を取るまで帰ってくるな」「平日に時間がなければ土日に営業しろ」と上司から怒号が飛んだと言います。ノルマ達成が職員の重圧となり、不正につながったことは容易に想像できます。
日本郵便はかんぽ生命の保険商品について、2019年度の営業目標や販売員のノルマを廃止することにしました。しかし、この問題に対するメディアや識者の反応には、気になる点があります。それは、過酷なノルマは郵政民営化のせいだという考えが当然のように語られていることです。
ある新聞の記事では「利益至上主義に陥るのではないかという、民営化当初に懸念していた事態が現実に起きている」という大学教授のコメントが紹介されていました。民営化は利益至上主義をもたらし、過剰なノルマにつながるとの見方です。けれども、それは本当でしょうか。
ここでまず知っておきたいのは、「ノルマ」という言葉の由来です。もともとロシア語で、社会主義国家だったソ連時代、個人や工場に割り当てられた、一定時間内・期間内になすべき生産責任量を意味します。経済活動の民営を原則とする資本主義ではなく、民営を認めない社会主義に由来する言葉なのです。
この言葉を日本に伝えたのは、第二次世界大戦の敗戦直後、ソ連の捕虜となってシベリアに連行・抑留され、長期間の収容所生活を送った末、命からがら帰国した日本軍兵士らです。シベリア抑留では約6万人もが死亡したとされますが、その生命を奪ったのは、極寒、飢餓のほか、ノルマを課す過酷な重労働でした。
シベリア抑留におけるノルマの実態を少し詳しく見てみましょう。それが資本主義に由来するものでないことがよくわかるはずです。
重労働で特に厳しかったのは、炭鉱・鉱山での作業と伐採、貨物の積み下ろしです。極寒の中、斧やハンマー、のこぎり、一輪車などしか使えない、過酷な肉体労働でした。
労働は1日8時間、月4回の休日と定められましたが、それはノルマの達成が条件です。達成できなければ罰として超過労働が要求され、給食が減らされ、休日が減らされました。労働報酬の支払いはノルマの100%以上の遂行が条件だったので、未遂行の場合は支払われませんでした。
抑留者の中には、作業を免れるためみずからの手足の指をわざと切断したり、体温をごまかしたりする人もいました。ある意味で「不正」ですが、命にかかわる状況下でのぎりぎりの自衛行為だったと言えます(長勢了治『シベリア抑留』)。
収容所は独立採算制で、捕虜たちが働いた賃金によって運営されていました。所長の給与も、収容所の収入に比例します。だから捕虜たちが働けば働くほど、収容所長は豊かになりました。資本家による搾取がなくなったソ連にも搾取はあったのです。その所長にもノルマが課されていました。こうして捕虜たちは過酷なノルマ、労働を強いられたのです(栗原敏雄『シベリア抑留』)。
厳しいノルマ、達成できなければ超過労働や休日減、収入増しか頭にない上司……。数万人が命を落とした悲劇と同一視することはできませんが、かんぽ生命の批判されている営業現場とそっくりです。しかし、これらは社会主義の下で起こったことです。
過重なノルマが横行しているからといって、その原因をただちに民営化に求めるのは乱暴な議論だとわかるでしょう。
そもそも、もし民営化が過酷なノルマの原因なら、世間に多数ある普通の民間企業すべてで同じように非人間的なノルマが課され、不正営業や労働災害を招いているはずです。けれども現実は違います。もちろん会社によってノルマはありますし、中には不正や労災につながるケースもあるかもしれません。しかし、それはあくまで例外であり、大半の会社はまっとうに商売しています。