2020-05-06

過酷ノルマは民営化のせい?~経済合理性を無視する真の理由とは~

日本郵政グループのかんぽ生命保険で、新旧の保険料の二重払いなど顧客の不利益になる保険の乗り換えを繰り返していたことが相次ぎ発覚し、問題となっています。不正の背景には、販売を担う郵便局や郵便局職員に課された過剰な営業目標、いわゆるノルマがあると言われます。

販売実績に応じて営業手当が付く一方、ノルマを達成できないと、「何だこの数字は」「契約を取るまで帰ってくるな」「平日に時間がなければ土日に営業しろ」と上司から怒号が飛んだと言います。ノルマ達成が職員の重圧となり、不正につながったことは容易に想像できます。

日本郵便はかんぽ生命の保険商品について、2019年度の営業目標や販売員のノルマを廃止することにしました。しかし、この問題に対するメディアや識者の反応には、気になる点があります。それは、過酷なノルマは郵政民営化のせいだという考えが当然のように語られていることです。


ある新聞の記事では「利益至上主義に陥るのではないかという、民営化当初に懸念していた事態が現実に起きている」という大学教授のコメントが紹介されていました。民営化は利益至上主義をもたらし、過剰なノルマにつながるとの見方です。けれども、それは本当でしょうか。

ここでまず知っておきたいのは、「ノルマ」という言葉の由来です。もともとロシア語で、社会主義国家だったソ連時代、個人や工場に割り当てられた、一定時間内・期間内になすべき生産責任量を意味します。経済活動の民営を原則とする資本主義ではなく、民営を認めない社会主義に由来する言葉なのです。

この言葉を日本に伝えたのは、第二次世界大戦の敗戦直後、ソ連の捕虜となってシベリアに連行・抑留され、長期間の収容所生活を送った末、命からがら帰国した日本軍兵士らです。シベリア抑留では約6万人もが死亡したとされますが、その生命を奪ったのは、極寒、飢餓のほか、ノルマを課す過酷な重労働でした。

シベリア抑留におけるノルマの実態を少し詳しく見てみましょう。それが資本主義に由来するものでないことがよくわかるはずです。

重労働で特に厳しかったのは、炭鉱・鉱山での作業と伐採、貨物の積み下ろしです。極寒の中、斧やハンマー、のこぎり、一輪車などしか使えない、過酷な肉体労働でした。

労働は1日8時間、月4回の休日と定められましたが、それはノルマの達成が条件です。達成できなければ罰として超過労働が要求され、給食が減らされ、休日が減らされました。労働報酬の支払いはノルマの100%以上の遂行が条件だったので、未遂行の場合は支払われませんでした。

抑留者の中には、作業を免れるためみずからの手足の指をわざと切断したり、体温をごまかしたりする人もいました。ある意味で「不正」ですが、命にかかわる状況下でのぎりぎりの自衛行為だったと言えます(長勢了治『シベリア抑留』)。

収容所は独立採算制で、捕虜たちが働いた賃金によって運営されていました。所長の給与も、収容所の収入に比例します。だから捕虜たちが働けば働くほど、収容所長は豊かになりました。資本家による搾取がなくなったソ連にも搾取はあったのです。その所長にもノルマが課されていました。こうして捕虜たちは過酷なノルマ、労働を強いられたのです(栗原敏雄『シベリア抑留』)。

厳しいノルマ、達成できなければ超過労働や休日減、収入増しか頭にない上司……。数万人が命を落とした悲劇と同一視することはできませんが、かんぽ生命の批判されている営業現場とそっくりです。しかし、これらは社会主義の下で起こったことです。

過重なノルマが横行しているからといって、その原因をただちに民営化に求めるのは乱暴な議論だとわかるでしょう。

そもそも、もし民営化が過酷なノルマの原因なら、世間に多数ある普通の民間企業すべてで同じように非人間的なノルマが課され、不正営業や労働災害を招いているはずです。けれども現実は違います。もちろん会社によってノルマはありますし、中には不正や労災につながるケースもあるかもしれません。しかし、それはあくまで例外であり、大半の会社はまっとうに商売しています。


ソ連で命にかかわるノルマが横行し、現代日本でそれが例外な理由


それでは一体、かつてのソ連で命にかかわるノルマが横行し、現代日本でそれが例外でしかない、その差はどこから来るのでしょうか。注意しなければならないのは、戦争が理由ではないことです。シベリア抑留は戦後に始まったからです。また、ノルマを課されたのはシベリアで抑留された捕虜だけではなく、ソ連の一般市民も同じでした。

そうだとすれば、ソ連と現代日本の違いは、やはり社会主義と資本主義の違いにあると考えるのが妥当でしょう。

資本主義では、会社は利益を求めて経済活動を行います。社員に過大なノルマを課せば、一時は利益が増えるかもしれませんが、やがて社員が重労働にたまりかねて辞めていき、強引な営業に顧客からも信頼を失い、長期ではむしろ利益は減るでしょう。だからまともな会社では過剰なノルマに歯止めがかかります。経済的な合理性がその背景にあります。

一方、社会主義ではそうした歯止めがかかりません。労働者に過剰な労働を押しつければ長期で生産性が落ちることがわかっていても、短期の目標を達成するために重労働を強制します。短期の目標とは、収容所長が課されたノルマであり、ソ連政府が掲げる生産量の達成です。政治的な目標と言えます。

それでは、かんぽ生命における過剰なノルマの原因は何か、あらためて考えてみましょう。もしかんぽ生命が普通の会社であれば、顧客の信頼を失うような行き過ぎたノルマにはどこかで歯止めがかかったはずです。ところが実際には、問題のある営業を行っていると以前から報道されていたにもかかわらず、会社側はそれを否定し、厳しいノルマが課され続けました。

かんぽ生命の植平光彦社長と、販売の大半を受託していた日本郵便の横山邦男社長は7月10日、会見を行い、「顧客本位の営業ができていなかった」とようやく陳謝しました。普通の会社であれば顧客本位は当たり前のはずですが、それができていなかったということは、かんぽ生命が経済合理性で動く普通の会社ではないことを暗に示します。

かんぽ生命は民営化企業と呼ばれますが、実は文字どおりの民営化はまだされていません。かんぽ生命株式の65%は親会社の日本郵政が所有し、日本郵政株の57%を政府が握っています。

日本郵政グループは、保険など金融事業の収益で、維持コストの大きい郵便事業を支える特異な企業構造をしています。郵便事業の維持コストがなぜ大きいかと言えば、いかなる過疎地でも全国一律のサービスを提供する「ユニバーサルサービス」が法律で義務付けられているからです。これは経済合理性に基づかない、政治的な目標です。

手紙やはがきの需要が減少の一途をたどる中で、ユニバーサルサービスを維持するのは、政治的な意義は別として、経済合理性からは無理があります。それでも目標として掲げられている以上、保険など金融事業の収益で穴埋めしなくてはなりません。そのしわ寄せが、経済合理性に反するノルマとなって表面化したのです。

日本はソ連のような社会主義国ではありません。けれども日本郵政グループだけを取ってみれば、政府の支配力が強く、社会主義の経済体制と共通しています。これが過剰なノルマの真の原因とみるべきでしょう。

かんぽ生命のノルマ問題を受け、郵政民営化は失敗だったと声高に主張する向きもあります。しかし過酷なノルマの原因は民営化にではなく、むしろ民営化が不十分なため、経済合理性が無視された点にあります。

郵政グループがノルマ営業を見直しても、計画される完全民営化にブレーキがかかるようなら、職員が経済合理性に反する無理な勤務を強いられる恐れはなくなりません。真の問題解決には、その原因を正しく見極める必要があります。
日経BizGate 2019/8/23)=連載終了

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