2023-06-15

第2次世界大戦は「善対悪」の戦いか?

ランドルフ・ボーン研究所主任研究員、テッド・ガレン・カーペンター
(2023年6月8日)

〔経済学者〕ポール・クルーグマン氏は、6月6日のノルマンディー上陸作戦79周年を記念する米紙ニューヨーク・タイムズのコラムで、第2次世界大戦に関する欧米の利己的な決まり文句をほぼすべて首尾よく再掲した。クルーグマン氏によれば、「第2次世界大戦は、悪に対する善の戦いであることが明らかな数少ない戦争の一つだった」。大多数の米国人が同氏に同意すると考えて差し支えないが、その説明はひどく不正確である。
連合国を聖人扱いする一部のアナリストとは異なり、クルーグマン氏は少なくとも「善人も決して完全な善ではなかった。米国人はまだ基本的な権利を否定され、時には肌の色を理由に虐殺された。英国はまだ広大な植民地帝国を支配し、時には残酷に支配していた」と認めている。しかし不思議なことに同氏は、第2次大戦の大同盟の第3のメンバーであるスターリンのソ連の存在によって、大戦が善と悪との存亡を賭けた清き戦いだったという考えを台無しにするという重要な点を無視している。ケイトー研究所の研究者ジーン・ヒーリー氏は、スターリンは20世紀の大量殺戮オリンピックの銀メダリストに値すると正確に指摘する。

スターリンが「良い側」のメンバーである場合、クルーグマン氏や他の物書きは自分の論説を考え直す必要がある。クルーグマン氏は記事の後半で、1930年代にスターリンがウクライナで行った残虐行為に言及しているが、それは大戦中にナチス・ドイツの侵攻を支持したウクライナ人と、ナチスのシンボルや価値観を受け入れることに浮かれている現在のウクライナ人を免責するだけだ。クルーグマン氏は、大戦におけるスターリンの重要な役割が、大戦に関する単純化された「善と悪」の物語を損なうものであることを認めない。

あの恐ろしい世界的な大虐殺をより正確に表現するならば、それは悪と大きな悪との対立であった。クルーグマン氏は明らかに、大戦中に行われた連合国の戦争犯罪を一切取り上げていない。だが都市人口集中地区への集中爆撃作戦を承認した英米首脳らの行動を弁解することは不可能である。推定8万〜13万人が死亡した東京大空襲、戦争末期のドレスデン大空襲、広島・長崎への原爆投下を命じた首脳らは、「善人」ではなかった。これら攻撃の犠牲者の大半は軍人ではなく、罪のない民間人だった。このような行為は今日紛れもなく戦争犯罪であり、当時もそうだったはずである。

しかし米国をはじめとする西側の識者は、泥沼の武力闘争を善対悪の戦い以外のものとして描くのは大いに困るようだ。ベトナム戦争、米主導の2度の対イラク戦争、リビアやシリアの内戦に対する米国の干渉政策も、同じように単純化された物語がメディアの扱いと世論を支配した。

第2次世界大戦を善対悪の戦いとして描くことは、クルーグマン氏の真の政策課題への道を開く。同氏は、ウクライナの軍事攻撃は「ノルマンディー作戦に相当する道徳的なもの」だと主張し、ウクライナ政府を「不完全だが本物の民主主義国家であり、大きな民主主義共同体に加わることを望んでいる」と表現する。逆に「プーチン〔大統領〕のロシアは悪意ある厄介者であり、世界中の自由の友はその完敗を望まなければならない」と述べる。ウクライナとロシアの間に「道徳的な対等性」はありえないと確信を込めて主張する。

現実には、ウクライナは単なる「不完全な民主主義国家」にはほど遠い。ゼレンスキー大統領は、腐敗し権威主義を強める政権を仕切っている。人権侵害はまったく当たり前のことになっている。米首脳とそのそのお抱え報道機関がベトナム、セルビア、イラク、リビア、シリアとの対決を悪に対する聖なる十字軍として描いたように、同じ脚本がロシア・ウクライナ戦争に関しても使われている。クルーグマン氏は同じ目的のために、北大西洋条約機構(NATO、ウクライナを代理人として使用)とロシアの間の権力闘争を、欺瞞に満ち理想化された第2次大戦の道徳的枠組みに露骨にはめ込もうとしている。

第2次世界大戦をもっと冷静かつ現実的に検証すれば、こうした世論操作の試みに対して米国民(および他の西側の人々)が免疫をつけるのに役立つだろう。第2次大戦は、自由と民主主義を守る諸国が、絶対的な悪の勢力に対して行った崇高な十字軍ではなかった。ファシスト勢力の描写は正確だが、連合国を美化するのは現実をグロテスクに歪曲している。

Paul Krugman's World War II is a Propagandistic Fairy Tale | The Libertarian Institute [LINK]

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