2021-11-23

株主資本主義は悪くない

「公益」資本主義 (文春新書)

資本主義に対する批判がかまびすしい。さすがに「よし、それなら社会主義で」とは(今のところまだ)言いにくいので、代わりに主張されるのが資本主義の「修正案」だ。岸田文雄首相の「新しい資本主義」はその一つだが、この種の議論のはしりといえるのは、原丈人氏の『「公益」資本主義』(文春新書、2017年)である。

本の宣伝文句によれば、原氏は米国シリコンバレーで数々の成功を収めてきた「最強のベンチャー事業投資家」である。読者はこの肩書から、資本主義の本質を知り抜いた人物を想像することだろう。しかし残念ながら、投資家や資本家として成功した人物が、必ずしも経済や資本主義について正確に理解しているとは限らない。

原氏は「はじめに」で、本書の主張を簡潔に述べる。それは現在、世界を席巻しているという「株主資本主義」に代わり、「公益資本主義」という資本主義の新たなあり方を打ち立てることにある。

株主資本主義とは何か。一言でいえば、「会社は株主のもの」とする考え方だという。原氏によれば、株主資本主義では、会社の目的は株主の利益を上げること一点のみで、従業員や顧客の利益はないがしろにされる。これに対し公益資本主義とは、企業を構成する個々のステークホルダー(株主、従業員、取引先、顧客、地域社会、国、地球など)の立場に応じ、利益を公平に分配する仕組みだという。

原氏が考える、株主資本主義と公益資本主義の違いについて、もう少し詳しく見てみよう。原氏は第四章で、株主資本主義は株主と経営陣が利益を独占すると述べる。これはさきほど触れた、従業員や顧客の利益がないがしろにされるという主張と表裏一体である。

この考えはおかしい。株主が本当に自分の利益を増やしたければ、会社の利益を増やさなければならず、そのためには優れた人材を手厚い待遇(金銭的報酬とは限らない)で雇用し、優れた製品を安く顧客に提供しなければならない。そうであれば、従業員も顧客も得をする。つまり株主と従業員・顧客の利益は対立せず、ともに利益を得る。

一方、公益資本主義ではすべての「社中(ステークホルダー)」に利益を「公平に分配」しなければならないという。けれども分配が公平かどうか、誰がどうやって判断するのか、その具体的な説明はない。単純な均一配分では誰かから必ず不満が出るだろうし、かといって利益への貢献度で判定するのはもっと難しいだろう。組織として成り立つかどうか心もとない。

また原氏は、株主資本主義では短期の利益や株価上昇ばかりを追求すると述べ、こう続ける。「中長期の研究開発費を圧縮し、人件費を削って無理に利益を出させ、配当として吐き出すことを求めます」

これもよく耳にする俗論だが、正しくない。株主が本当に強欲なら、短期で小さな利益を手に入れて満足するのではなく、長期で大きな利益を求めるはずだ。

たしかに海外の買収ファンドなどが、厳しいコスト削減や増配の要求を突きつけるケースはある。けれども彼らがそうするのは、それが長期の利益拡大や経営効率の向上をもたらすと判断するからだ。株価は将来の利益を予測して動くものだから、短期の利益にしかつながらないと市場で評価されれば、たちまち下落し、投資家自身が損をしてしまう。

さらに原氏は、株主資本主義は目先の利益にとらわれるため、組織が硬直化し、変化への柔軟性を確保できないという。具体例として、一九七〇年代のオイルショックを機に消費者の関心が日本車など燃費の良い小型車に移っていたにもかかわらず、大型車から小型車への切り替えができず、衰退した米GM(ゼネラル・モーターズ)を挙げる。

けれども当時、日米自動車摩擦で米政府が日本に圧力をかけ、対米自動車輸出台数を制限する「自主規制」を強いた事実が示すように、GMをはじめビッグスリーと呼ばれる米自動車大手が衰退したのは、政府と癒着してその保護に甘んじ、市場競争を勝ち抜くための経営努力を怠ったからだ。

ビッグスリーの背後には全米自動車労組(UAW)という強力な労組が存在し、対日圧力を求めていた。つまり米自動車大手の衰退は、原氏にとっては皮肉なことに、政府や労組といったステークホルダーが会社を動かす公益資本主義のせいだったということになる。株主資本主義のせいではない。

原氏は、配当や自社株買いに熱心な米企業について「株主におもねっているだけで、これでは企業としていつまで存続できるのか心配になります」と批判し、社名を列挙する。IBM、マイクロソフト、ヒューレット・パッカード、プロクター&ギャンブル、ファイザー、タイム・ワーナー、ディズニーである(第二章)。それから四年たつが、これら米企業の多くは存続が危ぶまれるどころか、世界でますます存在感を増している。

もし原氏がいうように、日本企業が米国流の株主資本主義を模倣したせいで衰えたのなら、本家である米企業はもっと激しく没落しているはずだ。ところが実際には、日本企業だけが凋落している。ここから正しい教訓を導くとしたら、日本経済が衰退しているのは株主資本主義が過剰なためではなく、株主資本主義が足りないからと考えるしかない。

最後に、原氏が強調する、アメリカン航空のエピソード(第一章)について述べておく。2008年、経営不振に陥った同社は従業員に対して大幅な給与削減を求め、そのおかげで危機を脱することができた。経営陣はその功績によって多額のボーナスを受け取った。リストラに成功して経営を立て直したことが、株主から評価されたからだ。

原氏はこの事実について、株主資本主義が「現実からいかに乖離し、いかに倒錯しているか」を物語ると批判する。

しかし、もし原氏の考えに従い、危機脱出に成功しても満足する報酬を与えなければ、わざわざリストラを実行して嫌われ者になる経営者はいなくなる。しばらくはハッピーかもしれないが、いずれコスト高で破綻するしかない。そうなれば従業員すべてが路頭に迷うことになる。

経営者の判断がどれほど非情に見えようと、それは結果として会社を救うかもしれない。その場合は当然、米国なら米国、日本なら日本の相場に照らし、成果に見合う報酬が必要だろう。もし会社を救えなければ、その経営者は能力の劣った人物として市場から淘汰される。他人があれこれ口を出す必要はない。ましてや政府をステークホルダーとして取り込み、権力を使って身勝手な理想を押しつけようとするなど、傲慢でしかない。

原氏には『新しい資本主義』という著作もある。岸田首相のスローガンと関係があるかどうかは不明だが、日本に今必要なのは、こうした「ナントカ資本主義」のたぐいではなく、本来の自由な資本主義である。

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