2021-04-27

価値は心が決める②水とダイヤモンドの謎


商品の価値をめぐる「謎」の一つに、「水とダイヤモンドの逆説」がある。水は生きるために欠かせないのに対し、ダイヤモンドはなくても済む贅沢品だ。ところが一粒のダイヤはペットボトル一本の水よりもはるかに値段が高い。いったい、なぜなのか。

アダム・スミスら古典派経済学者は、その理由をまともに説明できなかった。苦し紛れに、価値には「使用価値」と「交換価値」の二種類あるという理屈をひねり出す。水はダイヤより使用価値が高いけれども、何かの理由で交換価値は低いという。

この誤った考えは、のちの世界に悪影響を及ぼした。「市場経済は利益を求めて高く売れるものばかりを作り、人間にとって本当に役立つものを作らない」という、いわれのない非難をもたらしたからだ。

一方、個人の心理に着目したオーストリア学派は、水とダイヤの謎を解き明かした。ある人が砂漠をさまよい、喉の渇きに苦しんでいれば、ボトル一本の水を手に入れるのと引き換えに、持っていた一粒のダイヤを手放すだろう。つまり、ダイヤよりも水の価値が高いと判断するだろう。もし水がふんだんに手に入る都会の日常なら、そんな取引はしないはずだ。

日常生活で水の値段がダイヤより安いのは、手に入る水の量がダイヤよりもはるかに多いからだ。そのため、個人にとって、ボトル一本あたりの水の価値は、一粒あたりのダイヤの価値よりはるかに小さくなる。だから水のボトルを手に入れるのと引き換えにダイヤを手放す人は、まずいない。(この項つづく)

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