2021-05-27

法の支配が消えていく


政府は最近、「法の支配」という言葉がお気に入りだ。菅義偉首相は4月の日米首脳会談後にバイデン米大統領と発表した共同声明で、「普遍的価値及び共通の原則」として自由、民主主義、国際法などとともに、法の支配を挙げた。

法学をかじったことのある人なら、法の支配とは、権力を法(普通の法律より上位にある憲法や自然法)で縛るという意味だと知っているだろう。だから日米両国が共同声明で謳ったのも、その意味の「法の支配」だと思ったのではないか。

ところが、そうではない。それというのも、政府が法の支配を持ち出すとき、それはいつも、中国に国際法を守らせ、東・南シナ海での勢力拡大を許すなという外交の話なのだ。先日も欧州を歴訪した茂木敏充外相が行く先々で、中国に関して「法の支配」を強調していた。

国際法を守るという意味で「法の支配」を使うようになったのは最近のことで、誤解を招きやすい。権力を法で縛る本来の法の支配とは、性格が違うからだ。本来の法の支配の目的は国家から個人を守ることであるのに対し、国際法が守るのは国家の利益であり、個人の権利を直接守るわけではない。

しかも政府は外交の場では法の支配という言葉を都合よく多用しながら、本来の意味をすっかり忘れているようにしか見えない。新型コロナを口実に、個人の基本的権利であり、憲法でも保障される移動の自由や営業の自由を簡単に制限してしまっている。

外交上の意味で法の支配が強調されると、あたかもそれだけが法の支配であるかのように誤解する人が増えかねない。いや、むしろそれが政府の狙いではないかと勘ぐりたくなる。政府にとって本来の法の支配は、権力を縛るうっとうしい仕組みだからだ。

法の支配という言葉が国家間の勢力争いに都合よく利用される一方で、本来の法の支配は忘れ去られ、消え去っていく。危ういことだ。

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