2021-05-04

進歩の英雄たち②ウィリアム・ウィルバーフォース


奴隷制廃止の先駆者、ウィリアム・ウィルバーフォースは1759年、イギリスの港町ハルで生まれた。祖父がバルト海の交易で富を築いた裕福な家庭で自由気ままに育ち、酒やギャンブルにふける。栄達を求めて政治の道に進み、二十一歳で国会議員となった。

1785年、牧師で教育家でもあったフィリップ・ドッドリッジの著作に感銘を受け、英国国教会の福音派に帰依する。酒やギャンブルには興味を失い、早起きして聖書を読み始めた。そして、その後の人生を信仰と社会改革に捧げる決意をする。

ウィルバーフォースはキリスト教倫理に導かれ、1786年、奴隷廃止運動に積極的に参加した。翌年、日記に「神は私の前に奴隷貿易の制限という目的を定められた」と記す。クラパム派と呼ばれる福音派の奴隷廃止論者の小グループはまもなく、ウィルバーフォースを指導者として認めた。

1790年代から1800年代にかけて、ウィルバーフォースは国会の庶民院(下院)に奴隷貿易廃止法案を何度も提出する。若い頃から友人だった首相のウィリアム・ピット(小ピット)や政治家で思想家のエドマンド・バークからは支持されたものの、成立しなかった。

しかしウィルバーフォースは諦めなかった。奴隷廃止の世論を盛り上げるとともに、フランスとの関係が戦争で悪化していたことを利用し、仏植民地との奴隷貿易を禁じる法案を提出。1807年、奴隷貿易法として成立し、奴隷制廃止に足がかりを築いた。

ウィルバーフォースは高齢となり健康を害してからも、奴隷の権利を擁護する運動を続けた。1833年7月29日、死去。国会で奴隷制廃止法が成立した三日後だった。

ウィルバーフォースの死から約三十年後、米国で奴隷制廃止を旗印に南北戦争が起こり、黒人を含め多数の死傷者を出す。しかしウィルバーフォースの英国をはじめ、奴隷制廃止は大半の国で平和のうちに実現している。戦争をする必要などなかった。

人間の歴史と同じくらい古く、廃止は無理だといわれた奴隷制も、粘り強い努力でなくすことができた。ウィルバーフォースの生涯は、自由の未来に明るい光を投げかける。(この項つづく)

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