2020-12-05

不屆きな會員

本協議會〔國語問題協議會〕の設立に盡力された福田恆存氏の『私の國語教室』を初めて讀んだのは、高校生の頃だつたと思ふ。理路整然とした漢字制限批判・現代假名遣批判に感銘を受けた。大學を卒業し、新聞記者になつた頃、福田氏に師事した英文學者・評論家、松原正先生(故人)の熱心な讀者になつた。けれどもこの頃はまだ、自分が正漢字・正かなで文章を書いてみようといふ氣はなかつたし、その機會も手段もなかつた。

その機會と手段を整へてくれたのは、インターネットの普及である。仕事で海外赴任中だつた二〇〇〇(平成十二)年、「地獄の箴言」といふホームページを手作りで開設し、正假名遣ひと技術的に可能な限りの正漢字で、國語問題や文化、思想を題材にエッセイを書き始めた。ちなみに「地獄の箴言」といふタイトルは、松原先生の著作で知つた英國の詩人、ウィリアム・ブレイクの作品から取つてゐる。

その後、松原先生と親しく接する機會をいただき、その御縁で、本協議會に入れていただいた。協議會の初代理事長が勤務先の大先輩、小汀利得氏だつたことにも何か縁を感じた。協議會では會員の皆樣と樂しく交流し、ホームページやブログ開設のお手傳ひもできた。

二〇一〇(平成二十二)年、新たに「自由の騎士が行く」(今は「自由主義通信」に改稱)といふブログをこれも正字・正かなで始めた。以前から共感を抱いてゐたリバタリアニズムの思想を前面に押し出したものだ。

リバタリアニズムは「自由至上主義」などと譯されるが、要するに民間の活動に政府が介入することを極力退けようとする考へである。ここでは詳しく述べないけれども、昨年、慶應義塾大學教授の渡邊靖氏が『リバタリアニズム――アメリカを搖るがす自由至上主義』(中公新書)といふ本を出してゐるので、興味のある方は讀んでほしい。

國語問題も、元をただせば、民間の文字表記に對する政府の要らざる介入から起こつたものだ。

さて、それでは私は今現在、ブログを正字・正かなで書いてゐるかといふと、恥づかしながらさうではなく、途中から新字・新かなに切り替へた。これについて申し開きをしておきたい。

最大の理由は、檢索されにくいことだ。ネット上に公開した文章を多くの人に讀んでもらふためには、グーグルをはじめとする檢索エンジンで探しやすくなつてゐる必要がある。殘念ながら正字・正かなではその可能性が小さくなつてしまふ。加へて、正字・正かなを見ただけで拒絶反應を示す讀者の存在も、考慮せざるをえない。

また、ブログで書いた文章を本にしたい氣持ちが強まり、電子書籍化したことがあるのだが、表記を新字・新かなに變換する際に變換ミスが多發した。このときは自費出版だつたが、運よく商業出版できさうな場合、表記の變更は必至で、變換ミスを修正する手間は馬鹿にならない。その後どこからも出版の話は來てゐないのだが、これもブログで正字・正かな表記をやめるきつかけになつた。

最近、『三浦老人昔話』など岡本綺堂のいくつかの作品が中公文庫から正かなで出版されてゐる。すばらしい試みだと思ふ。けれども綺堂と違つて無名ライターの私の場合、正かなで出版させてくれる殊勝(無謀?)な版元が現れるとは考へにくい。

そんなわけで、今のブログ「自由主義通信」は志に反し、新字・新かなで書き連ねてゐる次第である。せめてもの罪滅ぼしに、自己紹介欄だけは以下の内容を正字・正かなで書いてゐる。

「木村貴(きむら・たかし) 一九六四年熊本縣生まれ。新聞社勤務のかたはら、歐米の自由主義的な經濟學や政治思想を獨學。經濟、政治、歴史、文化などをテーマに個人で著作活動を行ふ。現在、關聯會社勤務」

最近は協議會の催しもさぼつてばかり。まことに不屆きな會員ではありますが、今後ともどうぞよろしくお願ひいたします。

(國語問題協議會會報「國語國字」第二一四號に寄稿。ブログの自己紹介は現在一部更)

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