2020-12-06

インカ帝国はなぜ滅びたか

国際的な考古学者のチームはこのほど、南米ボリビアとペルーにまたがるチチカカ湖で水中調査を行い、500年以上前に沈められた石箱を発見した。ナショナルジオグラフィックの記事によると、箱には、インカ帝国の貴族が腕にはめたブレスレットとみられる金の円筒などが入っていた。


インカ帝国はペルー南部のクスコを中心に、15世紀から栄えた国だ。全土に道路網と宿駅制度を設けてコロンビアからチリ中部に及ぶ広大な地域を支配し、各地に巨大な石造の神殿や要塞を建設した。皇帝は太陽の子とみなされ、絶大な宗教的権力を振るった。

インカ帝国はしかし、スペイン人の侵略によりあっという間に滅びてしまう。1532年11月16日、スペインの征服者ピサロはペルー北部の高地カハマルカの戦いで、インカの皇帝アタワルパを捕らえる。アタワルパがピサロに処刑され、帝国が滅亡したのは8カ月後のことだ。

栄華を極めた帝国がなぜ、もろくも崩れ去ってしまったのだろうか。


米カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)地理学教授、ジャレド・ダイアモンド氏は著書『銃・病原菌・鉄』で、この謎に取り組んでいる。同氏によれば、インカ帝国がスペインの侵略者に敗れた背景には、いくつかの要因があった。

まず、カハマルカの戦いでスペイン側が有利だったのは、鉄剣など鉄製の武器や甲冑を持ち、そのうえ馬に乗っていたことだ。これに対しインカ側は石の棍棒や青銅製、木製の棍棒で戦わなければならず、馬もなく、軍事力で圧倒的に不利だった。

このためスペイン軍はたった168人で1人の犠牲も出さず、何千人という敵を殺し、自分たちの500倍もの数のインディオ(南アメリカ先住民)を壊滅状態に追い込んだ。

次の要因は、天然痘がインディオの間に大流行したことだ。この疫病は新大陸に移住してきたスペイン人が持ち込んだものだった。

1520年代に天然痘でインカ皇帝や廷臣たちの多くが死亡。王位を巡る争いがアタワルパと異母兄弟の間で起こり、内戦に発展した。もし天然痘の大流行がなかったらインカ帝国の分裂は起こらず、スペイン側は一致団結したインカ軍を相手にしなければならなかった。

世界史では、疫病に免疫のある人たちが免疫のない人たちに病気を移すことで、その後の歴史の流れを決定的に変えることがある。たとえば、メキシコで隆盛を誇ったアステカ帝国は1520年、コルテス率いるスペイン軍の最初の侵攻には耐えたが、その後に大流行した天然痘によって徹底的に打ちのめされた。

スペイン人がインカ帝国を敗ったもう一つの要因は、インカ帝国と違い、文字を持っていたことだ。情報は記述されることによって、口承よりもはるかに広範囲に、正確に、詳細に伝えられる。

スペイン人たちは、コロンブスの航海やコルテスのアステカ征服について書かれた手紙や小冊子を読んで、ペルーへの道順を学び、実際に行くことを思い立った。

これに対しアタワルパは、スペイン側の軍事力や意図についてほとんど情報を持っていなかった。捕らえられた後も、身代金さえ払えば解放してもらえるものと愚直にも信じ込み、多量の財宝をスペイン側に差し出した。

さらに見逃せないインカ滅亡の要因として、スペインとインカ双方に存在した集権的な政治機構がある。ピサロはスペインに集権的な政治機構があったおかげで、船の建造資金や乗組員を集めたり、船の設備を整えたりすることが可能になった。

一方、インカ帝国は集権的であったことがかえって不利に働き、皇帝アタワルパがピサロに捕らえられた時点で、指揮系統が完全に掌握されてしまった。集権体制のもろさをさらけ出した形だ。

インカ滅亡の要因を以上のように整理し、ダイアモンド氏は「ヨーロッパ人が新世界を植民地化したことの直接の要因がまさにそこにあった」と結論づける。

おもにポルトガル人が進出したアジアでは、現地内部の貿易が盛んで、大規模なネットワークが形成されていた。これに対し主としてスペイン人が進出したアメリカには、文明間を超えた交易ネットワークがなく、香辛料のようにすぐに世界に通用する商品もなかった。

このためスペイン人の征服者は、スペイン本国から先住民とその土地の支配を委託されるエンコミエンダ制の下、大農園や銀山で先住民を強制的に働かせた。過酷な労働に加え、天然痘のほか、はしか、ペストといった伝染病により、先住民の人口は激減した。メキシコと中南米のインディオ人口は、スペイン征服後のわずか百年余りで5000万人から400万人に減少したといわれる。

ラス・カサスら良心的な聖職者たちの努力により、スペイン本国は先住民の奴隷化を禁止したが、それは代わりの労働力としてアフリカからの奴隷の大量輸入をもたらすことになった。スペインはアフリカに植民地や拠点を持たなかったので、ポルトガルの奴隷商人や政府、のちには英国政府と奴隷売買契約(アシエント契約)を結んだ。

鉄を生んだ科学技術力、迅速な情報伝達力、疫病から身を守る医学知識、強みと弱みを併せ持つ集権的な政治機構……。インカ帝国滅亡の歴史は、新型コロナに揺れる現代社会にもさまざまな教訓を残している。

<参考文献>
ジャレド・ダイアモンド、倉骨彰訳『銃・病原菌・鉄』(上下巻)草思社文庫
網野徹哉『インカとスペイン 帝国の交錯』(興亡の世界史)講談社学術文庫
川北稔他『新詳 世界史B』帝国書院
福井憲彦他『世界史B』東京書籍

(某月刊誌への匿名寄稿に加筆・修正)

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