2024-06-23

ミレイ大統領の光と闇

徹底した自由主義者(リバタリアン)を自認するアルゼンチンのハビエル・ミレイ大統領が就任して半年が経った。日本経済新聞は「ショック療法と銘打つ厳しい緊縮政策によって財政収支の黒字化を達成した。一時的な景気悪化を覚悟のうえで懸案の高インフレを抑え込んでいる」と同大統領の手腕を高く評価する。
筆者自身リバタリアンとして、華々しく登場したミレイ大統領に期待してきたし、今も希望を捨ててはいない。しかし一方で、当初から抱いていた疑問と不信が次第に大きくなっていたのも事実だ。

そう感じていた最近、米リバタリアン系サイトのルー・ロックウェル・ドットコムに、オスカー・グラウという人が力のこもったミレイ批判を立て続けに3本(5月21日同22日6月5日)掲載した。記事はミーゼス研究所のサイトでも一部紹介されている。

グラウ氏は本職は音楽家ながら、オーストリア学派の経済学者ハンス・ヘルマン・ホッペ氏の公式サイトでスペイン語版の編集を任されている。アルゼンチンの公用語であるスペイン語に堪能で、リバタリアンの政治・経済理論にも精通しているようだ。記事執筆にあたり、ホッペ氏やミーゼス研究所のトーマス・ディロレンゾ所長ら学識者の助言を受けたという。

グラウ氏は一連の記事で、ミレイ氏の政策に対してある程度プラスの評価は与えながらも、全般には厳しい批判を展開している。それには説得力があり、筆者のもやもやした気分を晴らしてくれた。ポイントをかいつまんで紹介し、感想を述べよう。

論評の対象となるミレイ氏の政策は大きく二つに分かれる。内政と外交だ。まず内政について、グラフ氏は「良い行いと悪い行いが入り混じっている」と評する。

良い行いは次のとおりだ。一部の補助金支出を削減し、いくつかの政府機関を閉鎖し、公共建設への融資の多くを停止した。経済の規制をある程度緩和し、公共事業の民営化など、さらに規制緩和を進める計画だ。さまざまな価格統制の撤廃は一部の市場で一定の成果を上げたが、アルゼンチン経済は政府による規制が多くカルテル化が進んでいるため、一部補助金の削減と同様に、全体的な恩恵はまだ限られている。ミレイ氏はいくつかの関税を引き下げ、自動車販売店に対する税金を引き下げた。リバタリアンの考えや健全な経済学全般について演説を続けているし、文化的左翼に対しておおむね適切な言葉で反対している。

一方、悪い行いには以下のようなものがある。政府債務の支払いを拒否する代わりに国際通貨基金(IMF)に赴き、前政権から債務を購入した愚かな外国投資家への借金を、国民に支払わせることにした。公約どおり全面的に減税して経済を自力で回復させるのでなく、燃料や外貨購入などに対してさまざまな税金を増やし、高所得者への所得税を復活させる計画さえ立てている。福祉政策を拡大し、その中には妊婦や扶養している子供に対する給付金のような、健全な社会にとって特に有害な政策が含まれる。政府支出を減らすことで財政を均衡させるのではなく、課税を増やすことで均衡させ、勤勉な市民の収支よりも政府の収支を優先させている。

グラウ氏の採点は辛めだが、大胆な政策変更には多くの困難を伴うから、善戦しているといってもいいだろう。しかし外交については、リバタリアンの立場から前向きな評価は難しい。

最も問題なのは、イスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの攻撃を強く支持している点だ。昨年10月7日にパレスチナの武装勢力ハマスがイスラエルを攻撃して約1200人を殺害したことに対し、イスラエル軍はこれまでに女性や子供を含む少なくとも3万5000人を殺害した。イスラエルが建国以来、パレスチナ人住民に行ってきた殺傷行為を無視し、今回の攻撃に限ったとしても、過剰防衛であり、ジェノサイド(大量虐殺)にほかならない。しかしミレイ氏は、イスラエルの行為はすべて「ゲームのルールの範囲内」であり、「ハマスのテロリストが犯した乱行にもかかわらず、イスラエルには何の行き過ぎもない」と話す

ミレイ氏が尊敬するという、米リバタリアン思想家のマレー・ロスバードは、パレスチナ人の抵抗とその土地に対する権利を擁護していた。グラウ氏は、「ロスバードはミレイの言葉を嫌悪し、彼を擁護できない詐欺師とみなすだろう」と書く

ミレイ大統領は米国の介入主義的な軍事政策にも盛んに関わっている。就任から半年もたたないうちに、米国製F16戦闘機を24機購入し、米艦隊と合同海軍演習を実施。北大西洋条約機構(NATO)にパートナー国としての参加を要請した。ミレイ氏はNATO、イスラエルに加え、米政府が支援するウクライナも強く支持している。グラウ氏はミレイ氏の外交政策について「リバタリアンというよりは、むしろネオコン(新保守派)の特徴だ」と断じる

ミスター共和党と呼ばれたロバート・タフト元上院議員ら米国の旧保守派(オールドライト)が軍事では非介入主義を貫き、ロスバードらリバタリアンに高く評価されるのに対し、最近の民主・共和両政権を牛耳るネオコンはアフガニスタン、イラク、リビア、シリアなどで露骨な軍事介入を推し進め、リバタリアンにとっては不倶戴天の敵だ。日本の大手メディアがミレイ氏に好意的な報道をするようになったのは、米国のネオコンに忠実だとわかり、安心したからではないかと勘ぐりたくなる。

グラウ氏はまとめて、ミレイ氏を次のように評価する。経済学者としては主流派をはるかに上回る。「リバタリアン」大統領としては失敗しているが、他の大統領よりはましだ。しかし、ミレイ氏を一部のオーストリア学派経済学者のように「本格的なリバタリアン」と呼んだり、その大統領当選を「ベルリンの壁と共産主義の崩壊に匹敵する、自由にとって歴史的な日」と称えたりするのは「行き過ぎ」である。さらに厳しく、「ミレイをリバタリアンだと呼び続けるのは間違いである。ネオコンをリバタリアンだと偽ることを意味するからだ」とも論評する

ミレイ大統領は内政でそれなりの成果を上げており、リバタリアンではないとまで言い切るのは、筆者にはためらわれる。けれども心情はグラウ氏に共感する。筆者がリバタリアニズムを愛するのは、経済学的に正しいという以上に、戦争という政府の暴力に反対し、平和を尊ぶ思想だからだ。ロスバードはこう問いかけている。「リバタリアンは価格統制や所得税については適切にも憤りをおぼえるのに、大量殺戮という究極の犯罪に対しては肩をすくめるか、あるいは積極的にこれを支持しさえするというのだろうか?」

現状ではミレイ大統領の光の部分に比べ、闇の部分があまりに深い。外交面でも真のリバタリアンになるよう願っている。

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