2023-06-29

徴兵制は奴隷制

自由主義(リバタリアニズム)の原則からは、自衛権を個人の手に取り戻したうえで、リバタリアンの経済学者マレー・ロスバード氏が言うように、外敵の脅威を本当に感じるのなら、自分たちの財布から金を出し、必要な軍事防衛を賄えばよい。そして自分たちで戦うか、代わりに進んで戦ってくれる誰かを雇うかすればよい。それが理想だが、すぐには実現できそうにない。政府が自衛権を独占する現状で、それでもできることはある。徴兵制の拒否だ。
徴兵制が個人の生命・身体に対する侵害であることは、言うまでもないだろう。リバタリアンの米評論家、ジェイコブ・ホーンバーガー氏は「徴兵制は軍事的な奴隷制の一種である。市民が政府による殺戮のために自分の時間と労働力を提供するよう強制されるからだ」と述べる

戦争中のウクライナとロシアは、ともに徴兵制を敷いている。とくに苦戦が伝えられるウクライナは、徴兵担当官が路上の市民を無理やり連れ去るか、連れ去ろうとする様子が、ソーシャルメディア動画にいくつもアップされている。徴兵制の下では「合法」なやり方なのだろうが、それだけに徴兵制の暴力的な本質が迫ってくる。こうした事実は、ウクライナ応援団と化した欧米や日本のメディアではまったく報じられない。ロシアも徴兵制を実施している点では同罪だ。

日本は、ただでさえ自衛官が「慢性的な人材不足」にあるうえ、「台湾有事は日本有事」などと言って、わざわざ他国の紛争に首を突っ込もうとしている。いずれ徴兵制導入の議論が高まってもおかしくない。そのとき自由主義者は、市民の先頭に立って反対しなければならないだろう。

おそらくそのときには、政府が市民の自由を奪おうとする際にいつもそうするように、メディアを利用して大々的なキャンペーンを繰り広げるはずだ。たとえばアジア・太平洋戦争末期の航空特攻や人間魚雷があらためて美談に仕立て上げられ、人々の愛国心や闘争心をかき立てる一方で、徴兵制に反対する少数派は非国民やスパイ呼ばわりされることだろう。そんな中で抵抗を貫くのはたやすくない。

そんなときは、ある偉大な人物のことを思い出そう。ベトナム戦争の際に米軍の徴兵を拒んだ伝説のボクサー、モハメド・アリ氏だ。

アリ氏はベトナム戦争が激化した1967年、米軍への入隊を求められたが、自分の信仰(イスラム教)に反するとして拒否した。「俺はあいつらベトコン(北ベトナムが支援した南ベトナムのゲリラ)に何の恨みもないんだよ」とも述べた。同氏ほどの著名な人物で、他に徴兵を拒否した者は誰一人いなかった。アリ氏は徴兵を回避した罪で有罪判決を受けた後、ボクシングのライセンスを停止され、ヘビー級王者のタイトルを剥奪される。

それでもアリ氏はめげず、戦争反対の発言を続けた。やがて彼の発言の影響力もあり、ベトナム戦争の支持率は低下していった。

政府やメディアにあおられ、「何の恨みもない」はずの外国人と戦えと叫ぶ人々は、いつの時代も世間の多数派を占める。一方、そうした大勢に抗し、アリ氏のように孤独な戦いを続ける人は少ない。どちらの道を選ぶのか、自由主義者の真価が問われる。

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