2022-11-18

政治家でなく理念を信じよ

英ジャーナリスト、ジェス・ギル
(2022年11月14日)

リズ・トラス前英首相は、党首選を通じて、自分の政権は自由市場に徹するという印象を強く植え付けた。「自由、低税率、個人の責任」を掲げ、選挙に臨んだ。新聞は、トラス氏を過激な自由主義者、将来のマーガレット・サッチャー氏と評した。

さっそくトラス首相はミニ予算を発表し、1997年のトニー・ブレア首相以来の「過保護国家」路線からの方向転換を表明した。この予算では、増税計画の中止、採掘規制の解除、そして最も議論を呼んだ銀行員のボーナス上限の撤廃と最高税率の引き下げを約束した。自由市場主義者は、この予算をサッチャー氏以来最も過激なものとして擁護した。反対派は金持ちのための予算と中傷した。

しかし英ポンドが対米ドルで史上最低水準まで下落し、イングランド銀行が介入したため、トラス氏はたちまち圧力をかけられ、予算の主要な公約を覆すことになった。「行きすぎた、早すぎた」と謝罪し、数日のうちに辞任し、英国史上最も在任期間の短い首相となった。

英国のリバタリアン(自由主義者)たちが失望と恥ずかしさで頭を垂れるなか、自由市場の敵たちは、トラス氏がいかに自由市場の哲学を破壊したかについて、にこやかにコメントした。

作家でアドバイザーのニック・ティモシー氏はこうツイートした。「リバタリアンの思想が、保守党と政府の信用を粉々に打ち砕いた」

ノース・ダウン選出の議員スティーブン・ファリー氏はこうツイートした。「トラス氏のリバタリアン的な極右政策が有害であることは明らかだった」

過激? そうだろうか?


ミニ予算は、それを嫌う人たち、好きな人たちが言うほど自由主義的だったのだろうか。現実には、そうではない。

減税はきわめて不十分なものだった。労働党政権時代よりも高い税負担を残すものだった。この予算が過激に見えたのは、英国民が過去数十年にわたり、大きな政府の締め付けを徐々に強め、水の中でゆでられる蛙のように、それに気づかなかったからである。

さらにトラス首相は、納税者に1500億ポンドの負担を強いることになるエネルギー価格の上限を導入しようとしていた。首相就任時に、価格機構を自由に運用させることでエネルギー危機に対処すると約束したにもかかわらず、いざとなると急激な国家介入に走ったのである。

また、トラス首相のミニ予算にパニックが起こったのは、減税が原因ではない。政府支出を削減しなかったために、経済が混乱したのである。インフレで財政赤字を補填しようとしたことが原因であり、自由市場政策を導入したことが原因ではない。

にもかかわらず、英国のリバタリアンの多くは、たとえわずかでも自由市場の政策を切望していたので、トラス氏を喜んで迎え入れたのである。ああ、何ということだろう。

自由主義的でなかった英自由党


残念ながら、「リバタリアン」とされる政治家が、国家という箍(たが)を緩めると約束しながら、規制と課税で有権者をひそかに窒息させるのは、英国政治では何も新しいことではない。

政治家が自由の名のもとに政府の権限を拡大するのは、今回が初めてではない。19世紀の英自由党は、自由貿易と自由放任の資本主義の党としてスタートした。この時点で自由主義は、哲学者ジョン・ロックと経済学者アダム・スミスを思想の柱として、自由な商業と自由な人々を支持する思想として知られるようになった。

しかし自由党は生命・自由・財産の原則からかけ離れた立法を推し進めた。同党のもと、議会は物価の決定、労働時間の規制、検査の義務付けなど、国家の権限を強化した。

自由党のもと、ロイド・ジョージ首相は第一次世界大戦に参戦し、戦争社会主義が実施された。1916年に兵役法を制定して徴兵制を導入したほか、価格統制、家賃統制、配給制、没収的な課税などを導入し、経済への支配を強めた。

国家の役割を英国史上前例のない水準にまで拡大したため、時が経つにつれ、自由党が名ばかりの自由主義になったことは明らかである。

鉄でなかった「鉄の女」


英国史におけるリバタリアンのもう一人の重要人物は、自由市場資本主義を唱えたマーガレット・サッチャー首相である。しかしサッチャー氏は「国家を後退させる」という力強い言葉を発し、公共支出を削減しようとしたが、うまくいかなかった。英財政研究所(IFS)によれば、サッチャー首相の時代には、二年を除いて、支出はすべて実質増加していた。

また、サッチャー氏が経済の規制緩和を行ったというのも神話である。英経済研究所(IEA)は、サッチャー首相の在任中に規制当局の数が増加したと伝えている。金融業に従事する人々に対する規制当局者の割合は、1979年の1万1000人に1人から2010年には300人に1人へと増加した。さらに、1986年に制定された金融サービス法によって、投資と金融市場が規制された。これらの措置は明らかに反自由主義的である。

政治家より理念


政府不信に基づく思想を唱える人の多くが、政治家に全幅の信頼を置くのは皮肉なことだ。サッチャー氏の脱国有化政策や自由党の自由貿易改革など、政治家が自由市場を支援しなかったわけではない。言いたいのは、政治家が腐敗、反対意見、制度、「オバートンの窓」(多くの人に尊重すべきのものとして受け入れられる政治的な考えの範囲)によって縛られているという事実だ。適切な人物を政権に就けようとする試みが失敗した例は数知れない。

トラス氏が失敗し、サッチャー氏が成功した理由のひとつは、サッチャー氏が単なる政治家ではなく、教師でもあったからだろう。サッチャー氏は行動だけでなく、理念を擁護したことでも知られる。しかし数十年にわたる過保護国家の結果、今では「利益」という言葉さえ、英国民の語彙の中で汚い言葉になってしまった。トラス氏の予算が失敗したのは、英国に自由市場思想の基盤がなかったからであり、そのせいで、予算による変化が不自然で不要なものに思えたのである。

自由市場政策は、国民が資本主義や自由の力を理解しなければ実行できない。経済教育財団(FEE)の創設者レナード・リード氏が主張したように、リバタリアンは政治家を好ましい変化の担い手としてではなく、世論の温度を測る体温計として扱うべきだ。

リード氏は書く。「温度を変えれば、自然と表に出てくるものが変わってくる。温度計を見続ける唯一の目的は、温度が何度であるかを知ることだ。もし社会の底流にある有力な世論、つまり温度が介入主義を支持するならば、公職に就くのは介入主義者だろう。政治家がどのような政党のレッテルを貼って自分を飾り、世間にアピールしようともだ」

一方、リード氏が続けたように、「もし影響力のある世論(温度)が自由主義を支持すれば、自由主義の代表を公職に就かせることができるだろう。マザーグースの歌ではないが、王様の馬と家来が束になろうと、(世論が変わらなければ)温度計の示す温度(政治家)を変えることはできない。

政治家をかばったら、英国のリバタリアン運動は斃れるだろう。自由の原則を裏切る政治家のために言い訳をするのではなく、自由の原則を守るほうがよほど有益だ。そうしなければ、政治家が自分の価値観を自由に合わせようとするのではなく、自由主義者が自らを犠牲にし、自分の価値観を政治家に合わせるはめになるだろう。

(次を全訳)
Why Liz Truss Failed While Margaret Thatcher (Partly) Succeeded - Foundation for Economic Education [LINK]

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