2021-10-21

『イカゲーム』〜極限状況における選択


ネットフリックス配信の韓国ドラマ『イカゲーム』が世界的なヒットとなっている。独特のビジュアルの美しさや、命懸けのサバイバルゲームの描写が話題で、それらももちろん楽しめる。しかしドラマとしての感動の源泉は、別のところにある。

(以下、ネタバレあり)

ドラマの設定に物足りない点はある。たとえば残酷なサバイバルゲームを観覧して楽しむ、下衆な大金持ちたちの描写があまりにも陳腐だ。全員が仮面をかぶっているものの、見たところいずれも白人男性で、黒人や女性は誰もいない。最近流行のダイバーシティ(多様性)は、こういうときにはなぜか重視されない。

しかしそうした欠点を補って余りある感動を与えるのは、極限状況における登場人物たちの苦悩と決断、そして行動だ。

それは美しく道徳的な行動だけではない。むしろ卑劣で醜い行いもある。とりわけそれが明白になるのは、ドラマの後半、二人一組で行うゲームだ。登場人物たちは二人で協力して他の敵を倒すゲームだと思い込み、親しい者同士で組んだところ、互いに戦うよう告げられる。負けた方を待つのは死だ。

ある人物はわざと負け、相手の命を救う。しかしそのような美しい話だけではない。別の人物は、自分を慕い、信頼しきっている相手を裏切る。この人物は決して薄情な人間ではなく、以前相手に親切にしてやったからこそ慕われている。そんな人物でも追い詰められれば卑劣な行為に手を染める現実を、ドラマはしっかりととらえる。

ドラマが世界でヒットした理由についてさまざまに考察される中で、随所にキリスト教を暗示するモチーフが隠されているからという指摘は興味深いが、ややこじつけの感もある。このドラマとの関連でキリスト教と聞いて思い出すのは、「ペテロの否認」だ。

「ペテロの否認」の逸話は新約聖書にある。イエスが捕らえられた際、最愛の弟子の一人ペテロは師との関係を問われ、命惜しさに三度も否定し、のちに悔恨の涙を流す。人間は精神的に弱い存在だが、同時にその弱さを恥じ、より良く生きようとする心を持っている。

『イカゲーム』でも登場人物中、最も情に厚く正義感に富む主人公が、二人一組のゲームでついに卑怯な行為を行い、深く後悔する。その姿は弱さをさらけ出したペテロと同じく、心を打つ。

このドラマが世界の人々の共感を呼んだのは、俳優たちのすばらしい演技を通して伝えられた、極限状況の下でも人間は人間らしく生きることを選択できるという普遍的なメッセージゆえに違いない。

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