2021-09-08

ビスマルクの国家社会主義

Tethered Citizens: Time to Repeal the Welfare State (English Edition)

ビスマルクは1871年、プロイセン主導でドイツを統一した。彼の社会福祉政策は17〜18世紀プロイセンの先例に基づいており、英米をはじめ西洋諸国のモデルとなった。しかしビスマルクはおそらく、福祉国家に熱狂する人々が手本として選ぶような人物ではなかった。(作家、シェルドン・リッチマン)

ドイツ帝国の宰相ビスマルクは情け知らずで弾圧や権謀術数を好み、無節操な政治家の典型だった。政治手腕はさすがで、国内外の政敵を互いに対立させ、都合に応じてその場限りの合従連衡を繰り返し、ドイツのために大いなる計画を推し進めようとした。(同)

国家社会主義の性質は保守的である。イノベーションと伝統破壊を止めたがる。マルクス社会主義が流血革命で既存秩序を根こそぎ転覆させることしか考えないとすれば、国家社会主義はささいな騒動の兆しでも警察を呼び出す。これはビスマルクの率いた体制にぴったりあてはまる。(同)

ビスマルクは自分の政策が社会主義と重なることを否定しなかった。「社会主義者から賢明な方法で未来を形造る建設的な提案があり、それが多くの労働者の暮らしを改善するものであれば、前向きに検討するのはまったくやぶさかでない」とビスマルクは述べた。(同)

福祉国家は社会民主主義を水際で食い止めるだけの手段ではなかった。1878年、ビスマルクは社会民主主義者から市民の自由を奪う法律を成立させた。社会民主党は非合法となり、出版、言論、集会の自由は禁じられた。煽動者とみなされると追放された。銃の所有は規制された。(同)

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