2021-06-02

戦争はいかがわしい商売


バイデン米大統領は、アーリントン国立墓地でメモリアルデー(戦没将兵追悼記念日)の演説を行った。

ロイターの報道によると、バイデンは「民主主義とは、単なる政府の形態ではなく、存在のよりどころや世界観であり、国民の規範を意味する」と述べた。そのうえで、イラクやアフガニスタンでの最近の紛争で命を落とした七千人を超える人々に触れ、「彼らは民主主義のために生き、そのために亡くなった。われわれは名誉ある死者のためにも、国を完全なものにするために全力で努力する責務がある」と述べた。

政治家らしい美辞麗句だ。けれども米国は本当に、日本も協力したイラク戦争やアフガン戦争で、民主主義(それがすばらしいものだとして)のために戦ったのだろうか。そうは思えない。

ソ連崩壊からまもない1992年3月7日、ニューヨーク・タイムズは「米戦略計画、敵対国の台頭抑止めざす」と題する記事を掲載し、米国防総省の最高幹部間で回覧されていた国防計画指針(DPG)最終草案の内容を明らかにした。草案によれば、冷戦後の世界における米国の政治的・軍事的任務は、唯一の超大国である米国自身に敵対する大国が西欧・アジア・旧ソ連圏で生まれないよう、確実にすることだという。

この誇大妄想的な方針は、ネオコン(新保守主義)の代表的人物の一人で、のちに国防副長官となったポール・ウォルフォウィッツにちなみ、ウォルフォウィッツ・ドクトリンと呼ばれる。これが米政府の方針だったとすれば、米国の兵士たちは民主主義のためではなく、ジャーナリストのケイトリン・ジョンストンが言うように、世界支配のために戦ったことになる。

戦争は金儲けのためでもあった。第一次世界大戦の英雄だった米海兵隊のスメドレー・バトラー将軍は、「戦争はいかがわしい商売だ」と吐き捨てた。その言葉をタイトルとする小冊子で、軍需産業が戦争を利用してぼろ儲けしたことを告発し、民主主義を戦争の大義として掲げる偽善をこう批判する。

ロシアやドイツやイギリスやフランスやイタリアやオーストリアが民主主義のもとにあろうが、君主制のもとにあろうが、米国にどう関係があるのだろうか。彼らがファシストであろうが共産主義者であろうが? われわれの問題は、われわれ自体の民主主義を守ることにあるのではないか。

今なら、バトラー将軍は「ロシアや中国が民主国家だろうが独裁国家だろうが、米国にどう関係があるのだろうか?」と問いかけることだろう。

一方、バイデン大統領はアーリントン墓地での演説で、「民主主義のための闘争は世界中で行われている。それは民主主義と独裁主義との対決であり、尊厳と良識のための戦いでもある」と語ったという。

米国自身の民主主義を守るのであれば、わざわざ海外に出かけて行って戦争をする必要はないはずだ。歯の浮くような言葉で海外派兵を正当化しなければならないのは、バトラー将軍が見抜いたように、戦争が本当は「いかがわしい商売」だからに違いない。

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