2021-05-01

『クイーンズ・ギャンビット』〜盤上の自由と平等


昨年ネットフリックスで公開され、今も人気を集めるオリジナルドラマ『クイーンズ・ギャンビット』は、主人公がチェスの女性プレーヤーということから、「男性優位社会」に対する異議申し立てとしてよく論じられている。制作側には時流に乗る狙いもあっただろう。けれどもドラマそのものは、そうした政治的メッセージとは一線を画している。

チェスの天才に恵まれたベスは、男性プレーヤーが大半を占める大会に乗り込む。けれども大会は女性を締め出しているわけではない。参加料を払えば誰でも参加できる。事実、ベスはそうして参加しているし、ベス以外にも少数ながら女性はいる。ベスが初めて破る相手は女性プレーヤーである。

チェスプレーヤーに男性が多いのは、女性を差別しているからではなく、女性は一般的に言語能力のほうが高く、男性は一般的に言語能力よりも空間能力のほうが高いという生物学的事実に起因する面が大きいだろう。もちろん一般的傾向だから、例外はある。ベス自身がその顕著な例外といえる。

ドラマでは、教条的なフェミニズムの評論家と違い、男女の対立を煽ったりしない。むしろ男女の協力や交流を温かく描く。ベスにチェスの手ほどきをしてくれた孤児院の用務員は男性だし、練習相手として実力アップに貢献する仲間のプレーヤーたちも男だ。最強の敵であるロシア人の世界チャンピオンも男性だが、宿命の勝負が決したとき、ベスに示す態度は感動的だ。

ドラマを通じて語られるのは、男女を問わず競技に参加できる自由のすばらしさと、盤上では男女は平等だというメッセージにほかならない。政治の世界と違い、大会の上位を男女に均等に割り当てようという愚かなことは、誰も主張しない。

冷戦時代の話らしく、ベスを支援するキリスト教団体は、ソ連大会への渡航費を出してやる代わりに、現地で無神論の共産主義を批判する声明を読み上げるようベスに求める。ベスはこの要求を「くだらない」と拒否する。もしベスが今、フェミニズム団体から「男性優位社会」を批判するよう求められたら、同じように断るに違いない。

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