2021-03-18

国家のお墨付き?


国家のお墨付き?
「結婚の平等へ大きな一歩」と喜び合う同性カップルの原告たち。気持ちはわかる。でも、そもそも本人どうしの「合意のみに基いて成立」(憲法24条)するはずの結婚に、国家のお墨付きを得なければならないのがおかしい。戸籍を廃止しよう。結婚の平等ではなく、結婚の自由を。

家族の絆
結婚に国家のお墨付きが必要だから、こんなくだらない騒ぎも起こる。同姓でも別姓でも自由にすればいい。「家族の絆や一体感を危うくしてしまう」と自民主導で保守色にじむ意見書。家族を危うくするのは姓の決め方なんかじゃない。戦後、自民党が膨張させてきた福祉国家だ。

結婚は慣習法で
16世紀になるまで、欧州のキリスト教国では正当な結婚は教会や政府の許可ではなく、カップルの意思に基づくと定義されてきた。米国では19世紀半ばまで、同居が世間に知られていれば正当な結婚とみなされた。しかしその後、米政府は慣習法による結婚を無効とし、管理を強めた。(歴史家、ステファニー・クーンツ)

政府は結婚に関わるな
米国法の伝統では、自由とは政府に何かを求める資格ではなく、政府の行為からの自由と理解されてきた。政府は人々が結ぶ契約を妨げてはならない。政府が結婚に介入して以来、やってきたのはおなじみのことだ。課税し、規制し、定義をいじる。案の定、良くなった点は何もない。(米上院議員、ランド・ポール)

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