ベーシックインカムは道徳に反する。ある人々から彼らが作った物を取り上げ、受け取るに値することをしていない他の人々に与えるのだから。それは恨みを生み出す。ただ生きているというだけでは、他の人々に物を要求する権利は生まれない。
最も重要な問題は、ベーシックインカムが技術的に可能かどうかではない。誰がそれを割り振るかだ。政府の権限が強まるのは明らかである。生産の果実全体をどのように配分するか、政府が決めることになる。
ベーシックインカムで平等な社会を作ることはできない。むしろ、より不平等な社会になるだろう。ただしその社会では、生産的な人々が労働と貯蓄で豊かになるから格差が生まれるのではない。政治的コネの有無が所得を左右するのである。
Doug Casey on Universal Basic Income (2017.6.3, caseyresearch.com)
ベーシックインカムは、まだ実現していない政策、だから、どうしても仮定の話となる。ベーシックインカムで恨みを覚えるとあるが、誰だろうか。不平等な累進課税や相続税で絞られる富裕層は、恨みを抱くだろう。ならば、税率は平等にしなければならないし、二重課税も廃止しなければならない。私有財産に対する負担率が平等に成ってもなお恨みを持つ者は知恵のない愚か者、富裕層に成れるはずもないだろう。また、人に恨みを持つ者もまた寛容の道徳に反する事を指摘しておく。最小政府の機能は外交、軍事、警察、裁判所、通貨発行だけだろう。これに、独占事業体として加えるべき機能に何をいれるかが権利思想の差だ。道路、水道、災害予防と救助、教育、健康保険、年金、市場独占監視など。ベーシックインカムは、年金保険の一形態だ。ベーシックインカムは平等のためにあるのではなく、とりあえず死ななくてもいいよという意味だ。人間の寿命を80年として、子供の20年と老人の20年は、生産に関わらない、人生の半分は、他人の税金や家族の世話になる。つまり、税金、年金、保険、ベーシックインカムの諸々の政府への支払い合計は、50%を越えてはならないし、50%に近づけば近づく程、最低限の子育て、教育、老後はベーシックインカム程度でまかなえるようにほぼ無料化しなければならないのも道理だ。また、コネで政府事業に参加するか、民間で自立して事業するかは個人の自由。だが、政府も民間も事業と組織を拡大したいというのが人間の本能。だから憲法は、納税者の自由を守るために貧者には最低限度の生存権しか認めないのだ。
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