本稿は、最小国家(ミニマリズム)を擁護する「ミナ―キスト」は実質的に国家信仰を温存する「ライト版ステイティズム(小さな国家主義)」にすぎず、原理的に国家否定へ至らないと批判する論考である。筆者によれば、がん腫瘍を小さくするのではなく除去するのが治療であるように、国家という強制装置は「縮小」ではなく「廃絶」こそが論理的一貫性を持つ。ミナ―キストは「無政府状態では社会が混乱する」と主張し、国家独占の暴力装置を必要不可欠とみなすが、これは「計画された自由」という矛盾を抱える。古代アイルランドやアイスランドなど歴史的な無国家社会の実例を無視し、国家なしでは秩序が成立しないという前提に固執していると指摘する。また、ミナ―キストが擁護しがちな「知的財産権」も国家依存の独占特権であり、希少性をもたないアイデアを私的財産として扱う点で本来の所有権とは異質である。特許や著作権は競争を妨げ、費用を社会に外部化する制度的特権であって市場原理では成立しない。結論として、ミナ―キズムは「国家は悪だが少しなら必要」という自己矛盾を抱え、国家神話を温存する点で本質的に反自由主義である。国家の大小ではなく「国家があるか否か」が本質的な分岐であり、真の自由を語るなら最小国家ではなく無政府資本主義へ進むべきだと筆者は主張する。
Minarchism Is Statism Lite | Mises Institute [LINK]
本稿は、無政府資本主義(アナーコ・キャピタリズム)における最大の懸念の一つ――私的防衛機関(PDA)が競争せずカルテル化するのではないか――という批判を検討する論考である。カルテル化が起これば、①価格吊り上げとサービス低下、②最終的には国家化=新たな独占権力の誕生、という二重の危険があるとされる。通常の財市場では、代替品の存在、新規参入、市場内部の「裏切り(値下げ合戦)」などによりカルテル維持は困難である。しかし「治安・紛争解決」という財は代替不可能であり、PDA間の協力は不可欠であるため、その協力基盤がカルテル化へ転化しやすいという「協力の逆説」が存在する。さらに、既存PDAが新規参入者との協力を拒めば、新規PDAは顧客を守れず市場参入が阻まれる可能性がある。それでもなお、「調整コスト」と「内部崩壊リスク」によりカルテル形成は自動的には成立しないと論じる。PDA数が多様で規模差が大きい場合、また提供サービスが均質ではない場合、共通ルールの設定と監視は極めて困難となる。加えて、カルテルは政治的組織化しやすく、内部抗争・粛清リスクが高まり、むしろ参加PDAにとって危険な環境となりうる。国家化に至れば権力中枢以外のPDAは排除されるため、自己保存の観点からカルテル参加を避ける誘因も働く。さらに、消費者や一部PDAによる「反カルテル運動」も想定され、ボイコットや情報提供、反カルテル企業への支援などにより抑制が可能である。結論として、カルテル化の懸念は無視できないが、必然ではなく、制度設計・市場構造・主体の利害により十分に抑制し得ると論じている。
Does Cartelization Threaten the Feasibility of Anarcho-Capitalism? | Mises Institute [LINK]
本稿は、無政府資本主義における最大の懸念の一つ――私的防衛機関(PDA)同士が争い、社会が“代理戦争状態”に陥るのではないか――という批判を検討するものである。批判者は、各PDAが自社顧客を無条件に防衛しようとすれば、互いに譲らず武力衝突が常態化し、結果としてホッブズ的“万人の闘争”が再現されると主張する。アイン・ランドも同様の立場を取った。これに対しアナーコ・キャピタリストは、PDA同士の協力こそが経済的に合理的であり、戦争は高コスト・不確実・非収益的であると反論する。PDAは保険会社としての性質を持ち、暴力コストを抑えるほど利益が増えるため、紛争は私的裁判や第三者仲裁に回される方が合理的である。また、加害者を無条件に擁護するPDAは、①協力ネットワークから排除され顧客が離脱し、②好戦的な顧客ばかり抱えコスト増となり、③社員離職、④保険・賠償負担増大などの悪影響を受け、長期的に市場から淘汰されるとされる。ゲーム理論的にも、長期的取引を前提とするPDA間関係では、単発の裏切りによる利益より、信頼の崩壊コストの方が大きく、協調均衡が成立しやすい。さらに評判要因が強く働き、不誠実なPDAは高コスト体質となり競争劣位に陥る。結論として、PDA間の全面戦争は理論的には可能だが、経済的誘因は明確に「協力と平和」に傾いており、暴力の常態化は高コストゆえ持続不能であると論じる。争いよりも和解と補償が合理的であるという点こそ、アナーコ・キャピタリズムの中核仮説である。
Will Private Defense Agencies Wage War—or Keep the Peace? | Mises Institute [LINK]
本稿は、ミーゼスの「回帰定理」を出発点に、貨幣のみならず法・道徳・所有権など、あらゆる社会制度は自発的行為の累積によって成立するという原理を強調する。貨幣が国家の命令で創造できないのと同様、制度は本来、市場的・自生的にしか正統性を持たない。ゆえに、暴力的取得から成り立つ国家制度や国有財産は、本質的に不当であり「継続中の略奪」であると論じる。国家擁護者は「私有財産も歴史的には暴力を伴った」と反論するが、筆者はそれを無効とする。たとえ起源に瑕疵があっても、私有財産は市場交換・競争・契約・相続などによって不断に再評価され、過去の不正は時間とともに希釈される。盗賊ですら、盗品を利用するには交換秩序に依存せざるを得ず、その行為は結果的に財産権の存在を前提している。対照的に、国家は現在進行形で課税・徴発・規制を強制し、不正の是正どころか永続化させる。したがって、もし本当に「不正な取得」が問題であるならば、最も廃止すべきは国家そのものである。筆者は「真の民営化」とは、国家が管理する財産を売却することではなく、まず強制そのものを否定し、個人主権を回復することだと主張する。国家の枠内で実施される民営化・規制緩和・減税は、常に取り消し可能であり、暴力装置が残る限り市場は人質に過ぎない。真の自由化は「国家という銃を部屋から取り除く」ことから始まるというのが結論である。
True Privatization | Mises Institute [LINK]
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