2023-11-03

ポンコツな資本主義批判

経済学者の岩井克人氏(東大名誉教授)が文化勲章を受章した。岩井氏はシェイクスピアの劇作品を材料に経済を論じたり、文明批評や現代思想についてのエッセイを手がけたりし、一般の読者にもよく知られる。
報道によれば、岩井氏の業績は「資本主義経済システムの本質を理論的に解明する研究に多大な貢献をした」ことだという。しかし失礼ながら、岩井氏が「資本主義経済システムの本質」を理解しているかは、はなはだ疑問だ。今年2月、朝日新聞デジタルに掲載されたインタビュー記事「文明崩壊から資本主義を救うには」を検証してみよう。

冒頭、「株主中心の資本主義への反発が強まっています」という聞き手(江渕崇朝日新聞経済部次長)の問いかけに対し、岩井氏は「米国型の株主資本主義が大きな問題を抱えていることはリーマン・ショックであらわになったが、その後も大きくは変わりませんでした」と答える。ここがまずおかしい。

リーマン・ショックとは、2008年9月15日に起きた米証券会社リーマン・ブラザーズの経営破綻をきっかけに起こった、世界的な金融危機だ。その原因として、米住宅バブルの崩壊、信用力の低い個人向けの住宅ローン(サブプライムローン)の焦げ付き、それらを束ねた証券化商品の値下がり、大量に保有していたリーマンの資金繰りの行き詰まり――などが取り沙汰される。だが、それらはいずれも表面上の現象にすぎない。

根本の原因は、そもそもバブルを生み出したお金の大量発行だ。そして現代の経済で、お金を発行する主体は事実上、政府の傘下にある中央銀行(米国では連邦準備理事会=FRB)しかない。つまり、リーマン・ショックをもたらしたのは政府である。もし岩井氏のいう「株主資本主義」が政府のコントロールの及ばない自由な市場経済だとすれば、リーマン・ショックを起こしたのは株主資本主義ではない。それとは正反対の、経済の血液とされるお金を政府ががっちりコントロールする、「国家資本主義」である。

続いて岩井氏は、「会社の唯一の社会的責任は株主のために利益を最大化すること」と説いた米経済学者ミルトン・フリードマンを批判し、フリードマンの主張は「理論的に完全な誤り」と断じる。なぜなら、「会社は『法人』だから」だという。

岩井氏によれば、会社という法人は2階建て構造をもつ。2階部分では株主がモノとしての会社を保有し、1階ではその会社が法律上のヒトとして不動産や設備、お金といった資産を持ち、借金契約や雇用契約などの主体となる。

そのうえで岩井氏はこう説く。「2階部分を強調すれば株主が重視されます。そういう会社があってもいい。たとえば米金融などです。ただ、1階を強調すれば従業員など様々なステークホルダー(利害関係者)への貢献が可能になります」。いわゆるステークホルダー資本主義だ。

「会社は利益を出さなくてもいいのでしょうか」と問う聞き手に対し、岩井氏は「もちろん、事業を続けるための利潤は必要です」としたうえで、「だが、それさえクリアすれば、利益の最大化は目指さなくてもいい」と答える。続けて、「時代の変化の中で会社という仕組みが生き延びてきたのは、法人としての〔略〕2階建て構造によって、多様な目的や形態を持てるからなのです」と強調する。

会社には多様な目的があっていい、という岩井氏の主張は、何となくもっともらしいが、よく考えてみればおかしい。利益以外の目的をめざすなら、非営利団体でいいはずだ。営利団体である会社に、わざわざ利潤追求以外の役割を担わせるのは無理があるだけでなく、混乱をもたらす。

たとえば、株主の利益という明確な基準がなくなれば、「株主の利益と他のステークホルダーの利益のどちらを優先するのか」「ステークホルダー間の対立をどう解決するのか」といった疑問に、答えることができなくなる。これは結局、経営者や一部のステークホルダーに過大な力を与え、その暴走を招きかねない。

聞き手が適切にも、「株主が厳しくチェックしないと、経営者のやりたい放題にはなりませんか」と問うのに対し、岩井氏の答えは答えになっていない。ともに厳しい経営状態に陥ったソニーグループと東芝を対比し、事業分割を求める「物言う株主」に対して自分らしさを守り抜いたソニーが復活を遂げたのに対し、理念を忘れ、物言う株主の言いなりになった東芝は「配当や自社株買いで資金を流出させ、事業を切り売りさせられました」という。

岩井氏お得意のシェイクスピアどころか、まるで物言う株主を悪役にする安っぽいテレビドラマだ。東芝の経営危機の一因となった米原発子会社の損失は、「原発立国」の旗を振る経済産業省の責任も指摘されるのに、それには触れない。東芝にとって経産省は、岩井氏の持ち上げる「ステークホルダー」にほかならないが、岩井氏は株主だけを非難する。ステークホルダー資本主義とは、ずいぶん政府や役人に都合のいい仕組みのようだ。

岩井氏は「社会主義に未来はありません」としつつ、「コミュニティーの理念に基づく共同体は、資本主義の補完としては非常に意味がある」と述べ、「ポンコツな資本主義をなんとか修理」するしかないと話す。自分は決して資本主義を否定する過激な社会主義者ではなく、あくまでも資本主義を肯定したうえで「補完」「修理」したいだけの改革派にすぎないというわけだ。

もちろんそうだろう。過激な社会主義者では、文化勲章はやりにくい。正装に身を包み、天皇からありがたく勲章を授かる栄誉に浴せなくなる。

しかし、会社の所有者である株主の権利を、明確な基準もなく制限するのは、財産権の侵害であり、財産権を根幹とする資本主義の否定に等しい。「ポンコツ」なのは資本主義ではない。財産権を安易に否定し、経済に混乱を招く岩井氏の資本主義批判こそポンコツだ。

<参考資料>
  • How to Bureaucratize the Corporate World | Mises Institute [LINK]

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