2023-09-03

原発、処理水より危険なもの

8月24日に始まった、東京電力福島第一原子力発電所の処理水の海洋放出が議論を呼んでいる。私は当初、原発利権にまみれた政府・東電の言うことなど信用できないと思い、よく調べもせずに、処理水は危険をはらむという趣旨の発言をソーシャルメディアのX(旧ツイッター)で行った。
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しかしその後、事実を確かめるうちに、遅ればせながら、話はそう単純ではないとわかった。曲がりなりにもジャーナリストを名乗る者としてお恥ずかしい限りだ。ここで認識を改め、そのうえで別の観点から日本の原発に対する問題意識を述べておきたい。

放出反対派によれば、メルトダウン(炉心融解)を起こした福島第一原発から放出される処理水は、通常に運転する原発のものとはまったく異なる。処理する前の汚染水が、デブリと呼ばれる溶け固まった核燃料に触れているからだという。

たとえば、社会学者の宮台真司氏はラジオ番組で、「日本の汚染水はデブリに触れているんですね。トリチウム以外に様々な核種が含まれているので、まったく同列に論じることはできない」と述べる

しかし、これはおかしい。日本経済新聞の記事にあるように、東電は多核種除去設備(ALPS)などを使い、汚染水に含まれる放射性物質を国の規制基準以下にまで取り除いている。こうした処理を施した後の水を政府・東電は「処理水」と呼ぶ(反対派の多くが処理後の水も「汚染水」と呼ぶのは、議論を混乱させる)。

ただし処理水には、現在の技術では除去できないトリチウムが残る。そこで東電は処理水を大量の海水で薄め、トリチウムの濃度を国の安全基準の40分の1未満に下げて海に放出する。トリチウム以外の核種の濃度はさらに薄まることになる(日経の別の記事で「汚染水から大半の放射性物質を取り除いた水を処理水という」とあるのは、あたかも大半の放射性物質がゼロになるかのような誤解を与える。「国の規制基準以下にまで取り除いた」とするべきだろう)。

これに対し反対派は、「濃度を薄めただけ。投棄される放射性物質の総量は変わらない」と批判する。この言い分には無理がある。国内の化学工場で発生するカドミウムや水銀などの有害物質も、一定の濃度以下なら排水で投棄が許容されている。総量をゼロにしろといわれたら、工場がストップしてしまうだろう。しかも放射性物質は化学物質と違い、時間とともに放射能を失い毒性が弱まる。

ここを突かれると反対派は、「生物濃縮」を問題にする。映画評論家の町山智浩氏は、水俣病を例に出し、「有害物質は安全な濃さまで薄めると、短期的には影響はないが、魚は食物連鎖などで長い間かけて有害物質を生体濃縮する、さらに人はそれを長い間ずっと食べ続けることで影響が出る」とツイートした。

生物濃縮が起こりうるのは事実だ。東京大学大気海洋研究所の永田俊教授は「放射性セシウム(半減期30年)では、小型魚において、餌に対して2倍程度の濃縮が起こるという報告がある」と述べる。ただ一方で、「大型魚や海産哺乳類など食物連鎖の上位の生物で濃縮が起こるかどうかはよく分かっていない」という。

生物濃縮がどのように起こるか、あるいは起こらないかについて、研究が進めばそれに越したことはない。しかし食用による人体への害を防ぐには、獲れた魚を検査すれば、それで済む。

放射線は目に見えないので怖く感じるけれども、検出器を使えば非常に高い感度でとらえることができる。微量の化学薬品の検出に日々苦労している食品検査の専門家にいわせれば、放射線ほど検出しやすく、よく「みえる」ものはないという(鳥居寛之他『放射線を科学的に理解する』)。

原発の安全神話という嘘をついてきた政府・東電による処理や検査は信用できないという意見はあるだろう。それはもっともだが、処理水そのものの安全性とは別の問題だ。放射線に関する過剰な安全の要求は、海洋放出よりも深刻な危険をもたらしかねない。いや、すでにもたらしている。(この項つづく

<参考資料>
  • 鳥居寛之他『放射線を科学的に理解する——基礎からわかる東大教養の講義』丸善出版、2012年

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