2023-03-05

【コラム】「自由民主主義諸国」の偽善

木村 貴

ラーム・エマニュエル駐日米国大使は、ロシアのウクライナ「侵攻」から1年となる2月24日、ツイッターにこう投稿した。「プーチン〔露大統領〕は大間違いをしている。NATO〔北大西洋条約機構〕が東方に拡大したのではない。実のところ、NATOの新加盟国は自らの意志で西側に加わったのだ。西側には強みがある。それは自主であり、自由、そして個人の尊重だ」
投稿の前半について、少し背景を説明しよう。NATOには冷戦終結後、1999年のポーランド、ハンガリー、チェコを皮切りに、ブルガリア、ルーマニア、スロバキア、スロベニア、エストニア、ラトビア、リトアニアなど東・北欧諸国が相次いで加盟してきた。ロシアのプーチン大統領はこの「東方拡大」が自国の安全保障を脅かすと非難しており、ウクライナに対し軍事行動を始めた理由の一つにも挙げている

これに対し、剛腕で知られ、アクション映画にちなんだ「ランボー」の異名をもつエマニュエル大使は「NATOが東方に拡大したのではない」と真っ向から否定したわけだ。そうではなくて、新加盟国が「自らの意志で西側に加わったのだ」という。ツイートに添えられた、日本外国特派員協会での会見(昨年2月のものとみられる)の動画では「ポーランド、ハンガリー、チェコが西方に拡大したのだ」と熱弁をふるっている。

なんとも斬新な見解だ。まあ、そういう考えもあるかもしれない。しかし問題は、そんなことを言われても、ロシアとしてはなんの気休めにもならないことだ。たとえるなら、宮城の露西亜組の親分は、もし隣の福島や山形の組が東京の巨大組織の傘下に入ったら、それが福島や山形の「自らの意志」であろうとなかろうと、気が気でないだろう。ましてや、東京の組長から「いや、これはウチの東北進出じゃなくて、福島さんや山形さんの関東進出なんですわ、ワハハハ」などと煙に巻かれたら、さらに不安が募るに違いない。

もう少しまじめなたとえをしよう。米政府は、もしロシアが旧共産圏の軍事同盟だったワルシャワ条約機構を復活させ、そこに隣のカナダが「自らの意志」で入ったら、平気でいられるだろうか。「あれはロシアの北米進出じゃなくて、カナダのユーラシア進出だから」などと涼しい顔でいるだろうか。そんなはずはない。米国がこれまで、近隣はおろか、たとえ地球の裏側であろうと、自らの覇権をわずかでも脅かすと考えた政権に対し、戦争やクーデターという暴力に訴えてでも、排除に動いてきたのは周知の事実だ。

この事実ともかかわるのが、エマニュエル大使の投稿の「西側には強みがある。それは自主であり、自由、そして個人の尊重だ」という後半部分である。たしかに米欧の市民の間では、これらの価値観は一般に尊重されているといっていいだろう。しかし西側諸国の政府がその政策において、「自由」や「個人」を大切にしているとは言いにくい。

冷戦終結後に限っても、セルビア、アフガニスタン、イラク、シリア、リビアなどに対し軍事介入や経済制裁を行い、多くの市民の生命・健康を奪い、財産を破壊してきた。1990年代、米クリントン政権がイラクに対し実施した経済制裁は、50万人ものイラクの子供たちの命を奪った。この血の凍るような事実について、同政権の国連大使だったマデリン・オルブライト氏が、「それだけの価値がある」と発言したのは有名だ。

今年2月3日に大型のトルコ・シリア地震が発生し、米国による長年の制裁と戦乱で疲弊したシリアの人々に追い打ちをかけた。地震発生後、米国はなおもシリアに対する制裁の解除を拒み、救援隊や物資の到着を阻んだ。同月9日になってようやく、一部制裁を一時解除すると発表したが、この時すでに災害後の生死を分けるタイムリミットである72時間を過ぎていた。また米軍はシリア国土の3分の1を占領し、「食糧や援助を購入する重要な収入源である石油を盗んでいる」(ジャーナリスト、マックス・ブルメンタール氏)と指摘される。

中国外務省が2月20日に公表した報告書「米国の覇権とその危うさ」によれば、2001年以来、米国がテロとの戦いの名の下に始めた戦争と軍事作戦は、90万人以上の命を奪い、そのうち約33万5000人は民間人であり、数百万人が負傷し、数千万人が避難した。

米国の軍事介入の多くは国際法違反の批判を浴びてもいる。中国やロシア(ソ連)の政府も過去には毛沢東やスターリンといった独裁者の下で多数の国民を犠牲にしているが、だからといって現在の米政府が「自由と個人の価値が強み」などと、世界に向かって胸を張れた立場ではあるまい。

こうした事実はもちろん日本人の多くにも知られていて、エマニュエル大使のツイートへの返信には、「シリアにはなんのために駐留してるの? 石油を盗むためね」「これこそ西側の論理。詭弁」「尊重の価値観ある人が、海底管路を爆発しちゃうんだ」と辛辣なツッコミが並んでいる(最後の「海底管路」とは、昨秋何者かによって爆破され、西側メディアがロシアに罪をなすりつけようとしたものの、最近になって真犯人は米政府だと暴露報道された、ガスパイプライン「ノルドストリーム」のことだろう。なお米政府は否定)。

ところが、国際政治に詳しい一流大学の先生には、エマニュエル大使の発言をおかしいと思わない人がいるようだ。国際政治学者で慶応大学教授の細谷雄一氏は2月25日、前日のエマニュエル大使の投稿を引用し、こうツイートした。
これなんですよね。国連憲章で加盟権の自決権〔後のツイートで「加盟国の自決権」と訂正〕は保障されていえるし、鶴岡〔路人・慶応大学准教授〕さんが「欧州戦争としてのウクライナ侵攻』で書いていたように、1975年のヘルシンキ議定書で同盟選択権は明記されている。むしろ、ロシアの近隣諸国が加盟すると、ロシアとの交戦の可能性が強まるので、NATOは拡大に冷たかった。
学者らしく専門用語が並んでいるが、ようするに、エマニュエル大使の「NATOの新加盟国は自らの意志で西側に加わったのだ」という発言に同意し、補足しているわけである。したがって、細谷教授のこのツイートに対しても、大使のツイートに対するのと同じ論評をするしかない。そんなことを言われても、ロシアにはなんの気休めにもなりませんよ、と。

もしNATOがオペラ鑑賞の同好会か何かなら、ロシアだってめくじらを立てないだろう。しかし実際は違う。NATOは軍事同盟である。そんなものが国境にひたひたと迫ってきたら、たちまちきな臭くなる。それは細谷氏自身、「ロシアの近隣諸国が加盟すると、ロシアとの交戦の可能性が強まる」と認めるとおりだ。そのため「NATOは拡大に冷たかった」という。当時のNATOは賢明だったといえよう。しかし結局、当初12カ国だった加盟国は今や30カ国に増えている。

この現状は、エマニュエル大使や細谷教授からみれば、西側のすばらしい価値観に共感する国々が「自らの意志」で陸続と加わってくれて結構毛だらけ、商売繁盛で何が悪い、ということなのだろう。しかし国際政治や外交について、より思慮深い人は、そう思うまい。

ジョージ・ケナン氏といえば、米国の著名な外交官で、現実主義的外交政策を提唱した理論家であり、ソ連に対する「封じ込め政策」の父といわれる。そのケナン氏は死去する7年前の1998年、NATOの東方拡大に警告し、こう述べた。「これは悲劇的な間違いだ。これには何の理由もなかった。誰も他の誰かを脅かしていたわけではないのだから」

NATOの東方拡大がロシアを挑発し、それが一因となってウクライナ戦争が起こり、人類を核戦争の淵に立たせかねない状況となった今、ケナン氏の深い洞察に基づく「悲劇的な間違いだ」という警告が重みを増す。NATOの東方拡大を非難したプーチン露大統領に対し、エマニュエル大使は「大間違い」と述べ、細谷教授は「これなんですよね」と賛同したが、ご両人はケナン氏にも「大間違い」と言うのだろうか。

細谷教授が上記のツイートをした同じ2月25日、同教授へのインタビュー記事(「敵地を更地化するプーチン型の戦争 ウクライナと同時に救うべきこと」 )が朝日新聞デジタルに掲載された。その中で細谷氏は、エマニュエル大使とほぼ同趣旨のことをこう述べている。「自由民主主義諸国は、今や国際社会でマイノリティーになりつつありますが、これまでそれらの諸国が擁護してきた国際秩序の規範、自由民主主義、法の支配、人権もまた巨大な挑戦を受けています」

果たして米国など西側諸国の政府は、細谷氏が誇らしげにいうように、「国際秩序の規範、自由民主主義、法の支配、人権」を擁護してきただろうか。その答えはすでに述べた。国際法に反する制裁や空爆で家族や友人の命を奪われ、国土をそれこそ「更地」のように焦土と化された人々は、苦笑するばかりだろう。偽善にまみれた西側の「自由民主主義諸国」が愛想を尽かされ、国際社会でますます「マイノリティー」になっても、自業自得でしかない。残念ながら、政治家や官僚、メディア、専門家を含め、米国に犬のように追従してきた日本もその中にいる。
さて細谷教授は3月1日、東京・六本木の国際文化会館の庭園でエマニュエル大使とにこやかに収まったツーショット写真を上げ、英文でこうコメントした。「エマニュエル大使、国際文化会館へようこそ! 日本の鉄道と日本でのサイクリングが大好きな駐日米国大使と、すてきなお話ができました。この対談は録音され、近日中にアップロードされる予定です」

趣味の鉄道やサイクリングのゆるい話もいいけれど、細谷教授はきっと、目下の国際情勢の核心に触れるような鋭いやり取りをしてくれたことだろう。たとえば、「ノルドストリームを吹き飛ばしたのは、やっぱり大使のお国ですか。さすがランボーですね」とか。

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