2023-02-25

反戦デモはなぜ重要か

ジャーナリスト、ケイトリン・ジョンストン
(2023年2月20日)

日曜日(2月19日)、ワシントンのリンカーン記念館に、米国の軍国主義、代理戦争、ウクライナでの核瀬戸際政策に抗議するため、さまざまな政治分野から何千人もの人々が集まった。

ソーシャルメディア上では、この人数を軽く見ようとする人も見受けられたが、「レイジ・アゲインスト・ザ・ウォー・マシーン(戦争機構への怒り)」の集会の映像から、参加者が数千人であることは明らかだ。
これは私が知る限り、近年の米国人の反戦デモのなかではかなり多い参加者数だ。イラク戦争に抗議する歴史的な数のデモにはとうてい及ばないし、このように人類の存亡に関わる重要な問題に対しても、あるべき姿にはとうてい及ばない。

しかし、これは始まりだ。何か良いことの始まりかもしれない。ANSWER(戦争をやめさせ人種差別をなくすために今すぐ行動しよう)連合は、イラク侵略20周年の3月18日にワシントンで行進を予定しており、ウクライナでの「紛争拡大ではなく交渉」を求め、海外での米国の軍国主義を終わらせることを要求している。このまま盛り上がるかどうか、見ものだ。

反戦デモの批判として耳にするのが、「変化をもたらさない」というものだ。「何百万人もの人々がイラク侵略に反対して行進したのに、米国はとにかくイラク侵略を行った」というのが、よく言われる感想だ。

たしかにデモはイラク侵攻を阻止できなかったが、イラク戦争後の米国の戦争機構の実際の行動を見れば、国民の反対に対して守勢に立っているのは明らかである。

もし反戦デモが何の変化ももたらさないのであれば、アメリカ帝国は2003年以降、全面的な地上侵攻を完全に放棄したりしなかっただろうし、より卑劣で効果の低い戦争手段に切り替える一方、反戦感情を抑えるために前例のない物語(ナラティブ)管理体制を立ち上げたりもしなかったはずだ。アメリカ帝国はブッシュ時代の超人ハルク流の地上侵攻を放棄し、無人偵察機、代理戦争、秘密作戦、制裁を選んだ。十分な数の人々が立ち上がり、「ノー」と言った結果、大衆が目覚めて帝国やその組織に敵対し始めることを恐れたのだ。

そして今、人々は代理戦争にさえ抗議し始めている。支配者が暴力と強制力によって世界を巧みに支配する能力を失い、私たちを支配し続ける能力さえも失う可能性があることに、神経質になっていることは保証できる。

これらの事実は、きわめて明瞭な違いを生んでいる。シリアとイランが主権を維持し、他国に吸収されず、今日帝国の死者数がそれほど多くない唯一の理由は、十分な数の人々がそのような戦争に「ノー」を突きつけたからだ。

私たちの支配者は、同意を得ることに多大な労力を費やしている。なぜなら、支配するには同意が絶対に必要だからだ。支配者の最悪のシナリオは、帝国の戦争機構に「ノー」と言う人々の大規模で強固な運動が出現することだ。軍事の暴力とその脅威が帝国をまとめる接着剤だからである。それは帝国の最も重要な側面に人々の意識を向けさせることであり、同時に最も防御しにくい側面でもある。

〔言語学者・政治評論家の〕ノーム・チョムスキーは「プロパガンダは民主主義国家にとって、全体主義国家にとっての棍棒のようなものだ」と言った。何世紀にもわたって、他の人間に対する大規模な権力を求める人々は、武力で支配するよりも人の心理を支配する方がエネルギー効率がよく、ギロチンの刃の先〔=革命・反乱〕で殺される可能性もはるかに低いことを発見したからだ。ひどく不自由な民衆を騙して、自分たちが自由だと思わせることができれば、民衆から自由を奪い取るためにこれ以上エネルギーを浪費する必要はない。

しかしこのことが意味するのは、私たちを支配する権力構造全体が、プロパガンダをうまく運用し、自由の幻想を維持できるかどうかに、完全に依存しているということである。もしやりたいことに対する同意を製造できないなら、必要な同意を製造できるようになるまで控えるか、あるいは国民の同意なしに、とにかくやるしかない。もしそうすれば、支配機関に対する国民の信頼はただちに崩壊し始め、人々を洗脳できなくなる。なぜなら、プロパガンダは人々がその情報源を信頼している場合にのみ機能するからである。

もちろん、支配者はその気になれば全体主義という直接の攻撃に切り替えることができるが、そうなれば怒れる民衆、しかも米国の場合は重武装した民衆に直面することになる。米国の中央集権的な権力構造を支えているすべての物語管理は、世界中で信頼を失うだろう。「自由を愛する善人」対「暴君の悪人」という帝国プロパガンダの枠組みが、もはや信じられなくなるからである。

アメリカ中央集権帝国は、国民に説明責任を果たし、対応しているという幻想を保てなくなれば、崩壊する。

もちろん一回の抗議行動に数千人が参加したからといって、世界に平和が訪れるわけではあるまい。数百万人でさえ十分ではないだろう。しかし公共の場でのデモは、この世界で実際に何が起こっているのか、支配者たちは本当は何をしようとしているのか、私たちはこれまでどれだけ騙されてきたのかということを、社会に認識させる多くの方法の一つだ。なぜなら、十分な認識を持てば、人々は自分たちの利益に反すると気づいたことに同意するのをやめるからだ。

人間の行動における好ましい変化は、つねに意識の拡大が先行する。だからデモは歴史上の公民権運動で非常に重要な役割を果たしたし、アメリカ帝国はベトナム戦争以来、西側世界で活発な反戦運動が再び起こるのを阻止しようと多くのエネルギーを注いできたのだ。

私たちがやっていることは、人類が意識を持つよう、少しずつ働きかけていくことだけだ。オンライン・ビデオ、ブログ、ツイート、ミームなどの新しいメディアや、小冊子、演説、落書きなどの古いメディアも、この目的のために使うことができる。帝国主義の戦争主義の恐ろしさに目を向けさせ、反戦運動に実際の動きをもたらすために、できることは何でもするべきだ。私たちの生存は、それにかかっているかもしれない。

The Power-Serving Myth That Anti-War Protests Make No Difference – Caitlin Johnstone [LINK]

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