2022-12-05

浪費を嫌った米大統領

経済教育財団(FEE)名誉理事長、ローレンス・リード
(2022年3月23日)

典型的な国家元首は、自分がその中心にいる場合は特に、ものものしい儀式や行列を好む。しかし、納税者などの他者がそのツケを払うのであれば、静かな簡素さを選ぶのが道義的な態度というものだ。楽団や制服、格調高い言葉を駆使した荘厳な式典や観衆の喝采は、ともすれば正気を失わせる。

少なくとも一人、米大統領就任を控え、現代的な過剰さよりも古風な倹約を選択した人物がいる。その場は他ならぬ自分の就任式であり、人物はウォーレン・ハーディングである。

1920年11月、オハイオ州選出の上院議員だったハーディングは、大差で大統領に選ばれた。有権者は、ウッドロウ・ウィルソンという尊大で傲慢、重税を課し大金を使う「進歩的」な政治家の政権が8年間続いた後、ハーディングに「常態」を求めるチャンスを見いだした。新大統領が大金をはたいて自画自賛することに興味はなく、ハーディングのやり方を高く評価した。

1921年1月初旬、3月4日の就任式まであと2カ月と迫った頃、ハーディングは就任式の計画に対し不快感を募らせていた。1月10日、ブレーキを踏んだ。翌日のニューヨーク・タイムズ紙の見出しはこうだった。

ハーディング、凝った就任式を拒否
倹約の見本を示すとき
式典は簡素に、舞踏会は中止

1面の記事によると、次期大統領は就任式を担当する委員会に対し、「就任式を贅沢で華美にするような行事はすべて放棄するように」と命じたという。つまり、パレードや舞踏会、「派手な演出や浪費」をしないということである。「シンプルで品位のある行事でなければ、気に入らない」

ハーディングが質素な行事を選ぶことは、知人や選挙期間中の公約を聞いていた人々にとっては、何も驚くべきことではなかった。1923年8月に早すぎる死を迎える前に、あらゆるものに対して連邦政府の支出を大幅に削減したことにも、誰も驚かなかった。経済学者のダン・ミッチェル氏が指摘するように、ハーディングは前任者ウィルソンの残した多額の政府負担を軽減することで、ウィルソンの政策が引き起こしたインフレと不況の早期終結を促した。

無能な大統領と呼ばれてきたハーディングの評判は、長い時間をかけて修復されつつある。その最新の成果が、ライアン・ウォルターズ氏による必読の伝記『ジャズエイジの大統領』である。これを読めば、権力とそれを行使する者を崇拝する、怠惰で偏った従来の歴史家に対し、必ずや疑念を抱くようになるはずだ。

ハーディングは、聴衆が聞きたいことだけを話したのではない。聴衆が聞きたくないことを話すこともあった。例えば、アラバマ州のバーミンガムに行って、人種差別とジム・クロウ法(黒人隔離)を非難した。これは以前にも指摘した事実である。

従来の歴史家は、大統領が署名した法案を称賛するが、法案に拒否権を発動するには、より多くの勇気と信念が必要な場合が多い。その点でもハーディングは評価できる。ホワイトハウスにいた2年半の間に、6つの法案に拒否権を発動した。この6つのうち、無効になったものはない。しかし彼の政党〔共和党〕が両院を支配していたことを忘れてはならない。議会はハーディングが署名しないと思うような法案はあまり送らなかった。

ハーディングが拒否権を発動した4つの法案は、些細な問題でほとんど注目されなかったが、一つは第一次世界大戦の退役軍人に対するボーナスに関するもので、大きな騒ぎとなった。法案が上下両院を通過する際、ハーディングは、財源のないボーナスは検討する価値もない、と十分な警告を発した。しかし議会はそれを無視し、法案をハーディング大統領のもとに届けた。大統領はそれを拒否し、次のように指摘した。

調整型報酬と呼ばれるものを立法化する際、議会はその支給の原資となる歳入を提供しない。我々は、政府活動の本質を損なうことなく、支出を抑え、経済性を確立するためにあらゆる方面に働きかけてきた。これは困難かつ不人気な仕事であった。拒否するよりも支出する方がはるかに称賛されるからだ。

南北戦争後、議会はその退役軍人とその扶養家族に年金を支払った。60年後の1923年、法案をハーディングに送り、南北戦争から長年過ぎた後、退役軍人の老人と結婚した女性に年金を支給するよう求めた。ドイツとの戦争に参加した退役軍人の最近の未亡人が得ていたものより高い支給額を認めるものだった。ハーディングの拒否権発動メッセージには、こんな反論が含まれていた。

戦争で衝撃と悲しみを分かち合った退役軍人の未亡人に支払われる補償金は、月24ドルである。南北戦争から60年後に退役軍人と結婚した未亡人に月50ドルを支払うのなら、実際の戦争未亡人に24ドルで辛抱しろとは言えないだろう。

議会は、ハーディングがそのような法案に署名することなど期待しないほうがよいことをよく知っていたはずである。ハーディングは、控えめで飾り気のない就任式で、「われわれの最も危険な傾向は、政府に過剰な期待を寄せることだ」と宣言した人物である。彼は「公共の家計を整えたい」と表明し、経済政策には「健全さ」を求め、「個人の慎重さと倹約は、この困難な時代に不可欠であり、将来への安心感にもつながる」と述べた。

そんなことを言われたら、80歳の退役軍人と結婚したからといって、30歳の元気な女性に支給する小切手を承認してもらおうなどとは、とても思わないだろう。

このウォーレン・ハーディングという人物は、米国の歴史上、おそらく最高の財務長官であるアンドリュー・メロンを送り出した人物であることを忘れてはならない。歴史家のバートン・フォルサムによれば、メロン氏は政府の経費を削減し、財務局の職員を一日平均一人ずつ、その職を解いたという。ハーディング、メロン、カルヴィン・クーリッジ(ハーディングの後継者)は、友好的な議会とともに、連邦予算を削減し、国債を3分の1以上削減した。

1921年の夏の終わり、ハーディング大統領とフローレンス夫人は、週末の休暇を利用してニュージャージー州のアトランティックシティに出かけた。ホテルがレッドカーペットを敷き詰めると、大統領はそれを巻き戻すように命じた。ニューヨーク・タイムズ紙は9月12日付の記事で、この出来事を拒否権発動になぞらえて報じた。

ウォーレン・ハーディングが、彼のパーティーのために立てられた手の込んだ計画を不承認にしたとき、大統領の拒否権が今日ここで行使されたのだ。

とりわけ、大統領の食事のために特別に用意された1000ピースの純金のディナーサービスが、使われないままリッツ・カールトンの金庫に戻された...彼は金の皿で食事をするのを拒否したのだ。

...ホテルの5階には、大統領一行のために特別なスイートルームが用意されていた。車や遊歩道用の椅子も用意されていた。しかし大統領はこれらを一切望まなかった。彼は自分のマシン(車)を使い、昼食の後遊歩道を散歩するときは、自走式の椅子を拒否した。大統領は、他の何千人もの人々と同じように、週末にここにいるのであって、特別な便宜を期待も望みもしないと言った。

ウォーレン・ハーディングについて良いことが何も見つからないのなら、それは調査不足だ。

(次を全訳)
Why Warren Harding’s Reputation Is Receiving a Long Overdue Renovation - Foundation for Economic Education [LINK]

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