2022-09-26

反資本主義の起源は労働者ではない

政治学者、エリック・フォン・クーネルト=レディーン
(1972年)

資本主義の起源は北イタリアである。複式簿記を発明したのは(カトリックの)フランシスコ会修道士パチョーリだった。(プロテスタントの)カルバン派は資本主義に新たな刺激を与えたものの、資本主義を発明したわけではない。

自由な企業活動に対する真の反感は、労働者から生まれたものではない。19世紀初め、労働者階級に支払われる賃金は悲惨なほど少なかった。理由は二つある。第一に、製造業の収入は非常に限られていた(真の大量生産はその後始まる)。第二に、利益の大部分は再投資に回され、典型的な製造業者はむしろ質素な暮らしをしていた。

欧州の初期資本主義における、この禁欲主義によって、労働者の生活水準は驚異的な上昇が可能になった。製造業が華美な生活をしていないことから、労働者は自分たちの境遇を驚くほど冷静に受け止めた。社会主義の推進力は、中産階級の知識人、(ロバート・オーウェンやエンゲルスら)風変わりな実業家、既存の秩序に憤りを感じていた貧しい貴族たちから生まれた。

人為的に作り出された怒りは、まず製造業者に向けられた。製造業者は結局、労働者と大衆の間のある種の仲介者にすぎない。労働者が自分の仕事を商品に変換するのを助ける。この過程で、製造業者は道具や販売にかかる費用の一部など、さまざまな経費を負担する。そして自分の努力に見合うだけの利益を、この取引から得ようとする。企業家の企業に対する責任は、多くの労働者のそれよりもはるかに大きい。

企業家がもし失敗したら、自分一人の問題ではなく、何十、何百、何千の家族の生活がかかっている。株式会社でも事情はあまり変わらない。株主は配当という形で利益を得ることもあれば、そうでないこともある。労働者はつねに給料が支払われると期待している。大きなリスクを負うのは組織の下層部ではなく、上層部である。

労働者の賃金は、いくつかの要因に左右される。第一は、高い賃金を保証するのに十分な価格を、消費者が完成品に支払う用意があるかどうかである。第二に、総利益のうちどれだけを配当、ボーナスなどとして分配し、どれだけを再投資または積み立てるかという企業家(時には株主)の決定がある。

企業は競争にさらされるため、不注意の多い労働者よりも、はるかに具体的に「先を見通す」必要がある。事業というものは通常、何年も先を見越した計画を立てなければならない。そのためには、最適な生産手段(高価な機械の購入を意味する)を採用しなければならないだけでなく、蓄えとして金融資産も必要である。

賃金は商品が売れる可能性、仕事の質、労働者や従業員の義務感に見合ったものでなければならない。美徳も含まれる。投資家に支払われる純利益さえも、労働者にとって必ずしも「損失」ではない。儲かっている企業には投資家が集まるし、企業にとって良いことは当然、労働者にとっても良いことだからだ。

企業家と労働者の共通の利益は、どちらかの側によって大きく狂わされる恐れがある。言うまでもなく、物事を台なしにする一番ありふれた方法は、過度の賃金要求だ。企業がそれに応じれば、利益を失い、商品を市場に出せなくなりかねない。政治的に組織された労働者は、政府に圧力をかけ、インフレ政策をとらせることもある。ストライキは一定期間の生産を中止させ、経済的損失をもたらす。過剰な賃金や長引くストライキのために企業が商品を販売できなくなると、経済が破綻することもある。

このような生産コストと購買力の相互関係は、とくに発展途上国と呼ばれる国々では見落とされがちだ。良識あるキリスト教徒の評論家が主張する「生活賃金」(労働者自身とその家族の一定の生活を保障する賃金)は多くの場合、製品が市場で売れなくなるような価格設定をしないと実現できない。評論家たちは忘れているが、労働者はまったく働かないよりは、低賃金で働くことを好むかもしれないのだ。

(次より抄訳)
The Roots of "Anticapitalism" | Mises Wire [LINK]

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