2022-06-06

自由を守る限り、未来は可能性に満ちている

ケイトー研究所主任研究員、マリアン・テューピー
(2022年5月31日)

「近代」というこの2〜3世紀は、人類がおもに農耕民族として生きたそれまでの1万2000年、まして人類出現以来の30万年とは根本から異なる。古代シュメールの農民は古代エジプト、古代ローマ、大革命前のフランスには違和感なく住めるだろうが、1900年や2000年頃の先進国の生活は理解できないだろう。

1750年以降の人類の進歩の速さには驚かされる。歴史から正しい教訓を学べなければ、西洋と世界の繁栄は個人・経済の自由と深く結びついていることを理解できないだろう。それでは経済成長を続け、自由を守ることはできないかもしれない。経済が停滞し、自由が後退する恐れさえある。

人間のハードウェア(脳の構造)とソフトウェア(心理)は、否定的な事柄を重視するように進化してきた。これは危険・残酷・不快な世界で生き残るには適切なメカニズムだ。脅威かもしれないものに過剰反応して偽物だとわかっても、過小反応して本物とわかるより、生物にとってコストが低いのだ。

古代ギリシャの女性は男性の所有物だった。今日女性は多くの国を運営し、大半の国で投票権がある。男性が危険な仕事をしたり、外国の戦争で戦ったりして死ぬ可能性は昔よりずっと低い。奴隷制はおそらく農業の誕生以来、存在していたが、18世紀英国で組織的・持続的な反奴隷運動が起こった。

昔、児童労働と体罰は珍しくなかったし、同性愛は罰せられた。動物への残酷な行為はいたるところで行われていた。魔女狩り、人肉食、新生児遺棄、人間の生けにえも忘れてはならない。

あらゆる主要な宗教や文明は、何らかの終末論や「終わりの日」のシナリオを発展させてきた。終末論的な環境主義は比較的新しく、一見もっともらしく見えるため、人々の想像力をかきたてる。しかしヒステリックな予言が多く外れるようになると、人々の関心は失われ、他の予言に移っていくだろう。

長い目で見ればすべてがうまくいくに違いないと言っているのではない。例えば、核兵器や致死的な病原体との戦いがある。それらを優先すべきなのだ。心配なのは、財政・金融政策、政府の無能、社会に有害なロックダウンを人々がたやすく受け入れたこと、世界貿易の崩壊、政治の過激主義の台頭などだ。

全体としては、新型コロナ流行で以前よりも将来への不安が増したと言えるだろう。しかし、過去から正しい教訓を導き、賢明な政策を実行する気概のあるリーダーを見つけることができれば、これらの問題を解決することができると思う。

(次より抄訳)
Marian Tupy's Interview with James Pethokoukis - HumanProgress [LINK]

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